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 カン! カン! と、小気味よく澄んだ音が、朝もやの漂う前庭で、くり返し響いている。


 俺は石段に腰を下ろし、ぼんやりと膝に頬杖をついていた。もうじき日の出だ。はっきりいって、眠い。


 ガツッ!──ドワーフおじさんがエディットの木剣を払った。ずんぐりした体が地につかんばかりに低く沈み、思いもかけない速さで前へ踏み出す。


 危ない!


 なんて思う暇はない。それに、思ったって意味はない。エディットは軽々と身をかわした。従者の鋭い突きを、右、左、右、と、いとも巧みにそらしてゆく。


 この二人の朝は早い。こうして剣の稽古をするのが彼女たちの日課なのだ。俺には理解しようのない世界である。


 ……あまりにも手持ち無沙汰が過ぎて、俺はほんのちょっとだけ、目を閉じた。


「──カイル」


 あわてて顔を上げる。野蛮極まりない音はすでにやみ、そこにはエディットが立っていた。ぴったりした稽古着の胸が、はずむように上下する。白いうなじに、まとめた髪のおくれ毛がひとすじ。ちょうど東の空からの陽光が輝きを増して、まるで女神に後光が差すかのようだ。


「どうした? 珍しいな」


 乾いた布で額をぬぐいながら、エディットは、うるわしくもさわやかな笑顔を見せた。


「せっかく早く起きたんだ。あなたもいっしょにどうだ?」

「結構です」


 俺はすばやくかぶりを振った。人聞きの悪い。俺がいつも朝寝坊してるみたいじゃないの。このところ読んでる本が面白くて、夜更かしすることが多いかもしれないけど。


「……お願いがあります」


 忙しい彼女を捕まえるには、この時間が一番確実なのだ。だが、人がわざわざ待っていたというのに、エディットは笑いをこらえるように目をそらした。


「残念だが、叶えてやれない」

「そこをなんとか」

「断る」


 この言いかたは、怒っているわけじゃない。彼女が俺をからかって、面白がってるときの声音。


「でも、おかしいと思うんですけど」

「なにが?」

「僕一人で行くのって、変じゃありませんか?」

「そうか?」


 ドワーフおじさんへ木剣を手渡し、エディットは汗を拭きながらすたすたと玄関へ向かう。──すかさず大扉が開いた。扉の脇に控えていた侍女のバルバラのしわざである。しつけの行き届いた使用人がいれば魔法なんて必要ない、という好例だ。


「待ってください」


 俺はエディットのあとを追った。


 ──エレメントルート伯爵家を騒がせた泥棒事件から、十日余り。


 昨日の昼前のことだ。俺のもとに、一通の招待状が舞い込んだ。裏を返せば、差出人の署名は──「クララ」。


 ……って、誰?? と、俺は思った。王都に知り合いなんて、オドネルとユーリ以外に誰もいない。首をひねっても答えは出ない。なので、封書を部屋まで届けてくれたワトキンスに尋ねてみた。


 黒服の執事は、じっ……と俺の目を見た。相変わらず虚無のごとく暗く、異様に力を帯びた闇のまなざしである。


 ワトキンスはうやうやしく一礼した。


「……王弟妃殿下にあらせられます」


 おうていひ、おうていひ、王弟妃……考えることしばし。どこの誰だか理解できたとき、俺は思わず膝を打ったよね。──クローディア王女の母上じゃないか!


 封筒の透かしや封蝋の文様は、王家のしるし、(おおとり)の周囲に花蘇芳(はなずおう)をあしらった意匠である。あとから知ったが、王弟シベリウス殿下の紋章だった。


 お茶会のお招きだ。どうやら王女がうちへ遊びにきた返礼らしい。だから俺は、昨夜遅く帰ってきたエディットに言った。王弟妃殿下からご招待いただいたので、いっしょに行きませんか、って。そうしたら、


「わたしは行かない」


 この人には、二語文までしか口にできない呪いがかかってるんだなあ……と、結構本気で思う。


「え、ど、どうしてですか?」

「茶会は苦手なんだ」

「僕だって苦手ですよ」


 というより、俺はそんなしゃれたもの、出席したことがない。エディットはあっさりうなずいた。


「そうか。気が合うな」


 さっさと二階へ行ってしまう。俺はあわてて彼女のあとから階段を駆けのぼる。


「カイル、わたしは着替えをしたいんだ」


 俺が部屋までついて入ったものだから、エディットはとても迷惑そうだ。しかし、俺だって簡単に負けるつもりはない。だいたい、俺たち一応夫婦でしょ?


「でも僕、一人でお城に行くなんて、困ります」

「いつも一人で行っているだろう」


 力強く両肩をつかまれ、くるりと回れ右をさせられた。目の前には、本がぎっちり詰まった書架の列があるだけだ。ああ、はい。こっちを向いてろってことね。


「お城には違いありませんけど、僕が行くのは(あお)の塔だけです。王弟妃さまとなんて、なにをお話ししたらいいのかわかりません」

「──クローディア姫もごいっしょだぞ、おそらく」


 なんかこう、ごそごそした気配とよく通る声が、寝室から聞こえてくる。


「魔法の話でもしたらどうだ?」


 彼女の部屋は俺の部屋に輪をかけて広い。俺の声も大きくなる。


「誰かに魔法を見せたりするなって、言ったじゃないですか!」

「ああ、確かにそうだった。じゃあ、やめておけ」


 なにかさ、クローディア王女の話になると、言葉に(とげ)が混じるよね。俺の考え過ぎ?


 どうせ俺は、気の利いた話題のひとつも出せないぼんくらである。いいかげん待ちくたびれて後ろへ目線を向けると、男ものの室内着に着替えたエディットが、居室に戻ってきたところだった。


 目が合った俺を、じろ、とにらみつけ、廊下へ出ていってしまう。かくして追いかけっこはまだ続く。


「──バルバラ!」

「はい、エディットさま」


 バルバラは本邸唯一の女性使用人だ。ほっぺたにそばかすのある小柄な侍女は、屋敷中の掃除をするばかりが仕事ではない。女主人の身の回りの世話も、役目のひとつである。


「したくは?」

調(ととの)っております」

「──なんのしたくですか?」


 思いきって二人のやり取りに口をはさんでみた。エディットは夕食をすませてきたらしいので、ここを逃がしては朝まで話せる機会がなくなってしまう。


「……………………」


 俺の美しい奥さんは、一階へ降りたところで振り返った。まだ階段のなかばにいた俺を、とっくりと見上げてくる。


()殿()だが」


 え。


「いっしょにくる気か?」


 いえ……さすがにそこまでは……


「とにかく、わたしは行かない。わかったな」


 はい……


 きついはずのバルバラの瞳が、どう見ても吹き出す寸前だ。わざとらしく咳込むふりをして口元を隠している。──悔しい。俺は両のこぶしをぎゅうと握りしめた。ごまめの歯ぎしりとは、まさにこのことである。


 ……と、ここまでがゆうべの話。


 わかったなと言われればいつまでも引っ込んでいる俺だと思うなよ。──それでめったにしない早起きまでして、エディットを待ち伏せていたわけだ。


 出かけられてしまう前に勝敗を決する必要がある。俺は自室へ戻ろうとする彼女の袖を捕らえた。


「わかりました。僕一人で伺います」


 あっそうそれで? という顔をされるのへたたみかける。「()()()()()()()で行きますから」


 エディットは、外では俺に『仮装』をさせたいらしい。させたいらしいのは理解した。そして俺は、彼女の邪魔をしないと約束している。だったら、彼女が同伴する場では思い通りになってやるのもいいだろう。


 だが、俺一人で出かけるんなら話は別だ。


「…………」


 濃い紫の瞳が細くなった。「それは脅しのつもりか?」


「まさか」


 交渉、と言ってもらいたいね、俺としては。


「爵位授与式のときと様子が違うことを、どう言い抜けるつもりだ?」


 大人にまで「魔法使いは他人に真実の姿を見せない」なんて理屈が通じるわけはない。赤毛のちびでなにが悪いか。俺は胸を張った。


「これが僕の本当の姿だって、ちゃんと言います」

「クローディア姫にも?」

「もちろん。嘘をついたことをお詫びしてきますよ」


 エディットの唇が不服そうにちょいととがる。そんな口したって、だめだからね。


 俺は大きく息を吸いこんだ。


「……理由を教えてくれるなら、考えます」

「なに?」

「あんな格好をしなければいけないのは、どうしてなんですか?」


 金髪のかつらも、上げ底の靴も、俺がみっともないからじゃないんでしょ?


「………………」


 しばらくのあいだ、彼女は迷うふうだった。──やがて唇から、ため息がひとつ、こぼれる。


「じつは……」


 長いまつ毛が伏せられる。


「亡くなったわたしの父は……」

「…………」

「いや、よそう」


 エディットはちらりと笑った。「……こんな清々(すがすが)しい朝にはふさわしくない話だ」


 そんな思わせぶりな。けれど、彼女はなんだか気まずそうに、目をそらしてしまう。


「忘れてくれ。ご招待の件は、考えておくから」

「ええ、でも……」


 どき、とする。エディットの横顔にほんのひと()け、朱が差している。そろそろ稽古の汗も引いているころなのに。


 彼女は、なにをそんなにためらうんだろう。


「……あなたは、わたしの記憶に残る父によく似ている」

「え」

「父も本を読む人だった。わたしの部屋は、元は父の書斎なんだ」


 若く美しい女性に似つかわしいとは言いがたい、書架がいっぱいにならんだ居室。エディットが父親を亡くしたのは、まだたったの五つのときだ。


「それでつい、髪も父と同じ色だったらいいのに、と、思ってしまった。今まで不快な思いをさせていたなら、すまなかった」


 ……そうだったのか。


「いえ、僕は別に」


 俺が急いでかぶりを振ると、エディットは照れたような笑みを見せた。


「子どもじみた感傷だが、時々でいいからあの姿を見せてくれると、わたしもうれしい」

「時々でしたら……」

「ありがとう」


 にこり、と、される。「ならしかたがない。わたしも王弟妃殿下のお招きに付き合おう」

 

「ほ、本当ですか?」


 正直にいえば、仮装でもそうじゃなくても、一人で行くのは心細かったのだ。俺があからさまに安堵の表情を見せたためか、エディットは本格的に笑い出した。ぽんぽん、と、軽く頭をはたかれる。


「これで()()()()にしておいてくれ」

「はい!」


 と、われながら、いいお返事をしたとは思うけれど。


 エディットは着替えのために自室に戻り、俺は一人、玄関ホールに残された。──痛み分け?


 痛み分けって、なんのことさ?


 なにかがおかしい。俺は今度こそ首をひねった。よくよくひねった。そして、ようやく思い出した。


 二階の図書室へ至る廊下には、たくさんの絵がかかっている。貴族の屋敷にならたいていあるんじゃないのかな。先祖代々の肖像画(ポートレート)ってやつだ。中には、エディットの両親のものもある。


 あれは結婚式だろうか。真っ白なドレスを広げて椅子にかけているのがエディットの母上。前の国王の王女、エルヴィン夫人だ。銀の髪に(すみれ)の瞳、信じられないほど美しい女の人である。かたわらに立つのが父上、セドリック=エレメントルート卿。秀麗な顔立ちに優しげな微笑みを浮かべた彼の髪は──エディットと同じ、()だ。金髪ではない。


「…………………………」


 こうなると、もはやため息すら出てこない。


 ……いや、うかうかだまされる俺が悪い。俺が悪いんだ。俺が悪いんだけど。


 もーッ! 嘘つきーッ!!







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