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29

 雨が上がったのは、翌日の、そのまた翌日の午後である。


「こんにちは!」


 お城の衛兵、ケンともすっかり顔なじみだ。


「よう、坊主、久しぶりだな」


 人や荷をあらためていた門番は、俺たちの順番がくると、ぎょろ目をむいた。


「おっ、これはこれは! お供の御仁もお元気そうで、なによりにござる!」


 ドワーフおじさんがむっつりと会釈を返している。俺は笑いをかみ殺して、通用門を通り過ぎた。


「──やあ、カイルくん」


 久々の(あお)の塔は、いつもより静かだった。


「ローランドくんには、レイノルズ従男爵家まで出向いてもらっているんだよ。あの家には跡取りがいなくてね。遠縁から養子を迎えるのを機に、家財の整理をおこなうそうなんだ」


 などと言いつつ、オドネルはどこかうわの空だ。大机のすみずみまで何冊も書物を広げ、帳面と羽根ペンを手に、小難しい顔である。


「レイノルズ従男爵も、元魔法士の家柄なんですか?」

「むろん! トビアス=レイノルズの(いさお)しといえば、アセルスの近代史で避けて通るわけにはいかないくだりだよ。彼の出自はとるに足らない一兵卒だが──」


 と、ここで、彼は唐突に頭を抱え込んだ。


「……………………」

「どうかしましたか?」

「理論など、しょせん無意味なものだろうか……」


 ……は?


「カイルくん、魔法とはまさしく、感覚なのだ」


 全身から悲壮感すら漂わせ、黒衣の魔法士は首を振る。──ひょっとして、もうレイノルズ従男爵は関係なくなってます?


「自らの五感により性質を知り、価値を測り、断をくだす。概念、体系、ましてや原理など、なにほどのものか? 鋭利に研ぎ澄まされた自身の感覚、これに勝るものがあるだろうか? 言の葉を(つた)うる神の御使い、三本足の大がらすにかけて……!」


 どうやら彼は、なにかに思い悩んでいるらしい。瞑想を(さまた)げないよう、俺は手近な椅子を引き、なるたけ静かに腰を下ろした。

 

「おお、善なる神々よ、偉大なる先人たちよ。愚劣極まりないわれを見捨てることなく、どうか、どうか力を与えたまえ……!」


 軸が折れてしまうんじゃないかと思うくらいペンを固く握りしめ、なにやら一心不乱に書き込み始めたオドネルは、そっとしておくことにする。俺は机に広げられた本の、手前の一冊をながめてみた。


 そこには、召喚魔法の『契約(こんとらくと)』についてが書かれていた。


 神々や精霊たち、はたまた魔物なんかを呼び出す召喚魔法(さーる)には、いくつもの約束ごとがある。行使の際に呪文を唱えるのは当然として、それ以前に『契約』をすませておく必要がある。この辺までならオドネルの講義にも出てきたから、俺も知っている。


 では、『契約』とはいったい、なんだろうか。


 ここには、「互いの名を呼び交わすこと」だと書いてある。だとしたら、呼び出す相手の名前を知らなければ、召喚魔法は成立しない。


 なーるほど。


 俺の『ダルトンの呪文の書』には、召喚魔法の呪文も載っている。もちろん幾度となく唱えてみたが、いっぺんだって成功したためしはない。あのころの俺の魔法は遊びだったからまったく気にしていなかったけど、当たり前だったんだ。だって俺、精霊の名前なんて、ひとつも知らないもん。


 トラローム=ダルトン氏もけちくさい。そのくらい、呪文の横にでも書いておいてくれたらいいのに。


「──おや、カイルくんじゃないか。いたのかね」


 ようやく俺の存在が腑に落ちた、というふうに、オドネルが顔を上げた。はい、結構前からいましたよ。


「久しぶりにカイルくんもきてくれたことだし、ひと息入れるとしようか」

「さっきから、なにを書いているんですか?」


 オドネルは両腕を上げ、ううん、と大きく伸びをした。


「それがねえ……」


 ふかーいため息。


「子ども向けに初級魔法の教本を書こうと始めたはいいが、()()()()というのはずいぶん難しいもののようだ。──きみは、本を読んで(うた)えるようになったんだろう?」

「ええ、そうです」

「相当小さいころからなんだろうね? きみの本には、どのような魔法が書かれているのかね?」

「どのようなって……二冊とも、いろんな呪文がずらずら箇条書きになっていて、どんな効力があるかとか、コツみたいな書き込みもあります」


 俺は自分の魔法の本のことを簡単に説明した。オドネルは腕組みをしてうなった。


「さしつかえなければ、今度、その本を見せてもらえないかな」

「いいですよ。明日持ってきます。──あ」


 一冊はクローディア王女に貸してしまった。それを告げると、悩める魔法士は世にも無念そうな声を出した。


「ううむ、王女殿下のご命令とあらば、いたしかたない。──ところでカイルくん、きみの膝の上にあるものは?」


 この殺人的ないいにおいに今ごろ気がつくとは……彼の煩悶(はんもん)はなかなかに深いようだ。 


 本日料理長のネロが持たせてくれたおやつは、胡桃(くるみ)がぎっしり入ったパウンドケーキである。


「ユーリ先生もいると思ってたんですけど……」

「なに、夕方までには戻るよ。彼女の分は取り分けておこう」


 お茶のしたくをしようじゃないか、と言いながら、オドネルは立ち上がった。


「………………」


 俺は、彼の後ろ姿をまじまじと見つめた。


 オドネルが身にまとうのは、いつもと同じ黒のローブだ。裾をたくし上げて腰のところで結んでいるから、痩せた脚が(もも)までむき出しだ。初めて彼と出会ったときと、おんなじように。


「オドネルさんって、もしかして」

「うん? なにかね?」


 ガラクタの谷間にお茶のセットが隠れていないか探し始めた黒衣の背に向けて、大きな声で尋ねてしまった。


「もしかして、ユーリ先生のことが好きなんですか?!」


 オドネルが振り返った。あっけにとられたみたいに、目が()()になっている。──どさどさどさどさ、と、彼が手にしていた本は、床へなだれ落ちた。


「だっ……!」


 あれ。


「だしぬけに、なにを言い出すのかね?!」

「違うんですか? なんとなくそんな気がして──」

「い、い、いったい、なにを根拠に?!」


 えー、だって……


 彼がローブの裾を上げているのを見たのは、二度だけだ。最初に出会った日と、今日。どちらのときも、()()()=()()()()()()()()()()()

 

 根拠、って言われても、それだけなんだけど……どうやら当たりだったみたい。


 きっとオドネルは、ローブの裾がうっとうしくてしかたがないのだ。なのになぜ当たり前の服装をしないのかは謎だが、ユーリにだけはだらしのない格好を見せない──そんな「根拠」まで、ずうっと年上の彼に言うのは(はばか)られる。


「うん、まあ……」


 繊細で端整な顔を、青くしたり赤くしたりしていたオドネルは、ごほごほとあわただしい咳ばらいをした。


「……そうだね、彼女が非常に美しく、かつ、すこぶる魅力的な女性であることだけは認めよう」


 あ、そこ、認めちゃうんだ?

 

 でもユーリ先生って、そんなに「美しくて魅力的な女性」だったっけ?──と、俺は極めて失礼なことを考える。俺が度肝を抜かれるような美人と日々暮らしているためか? いや、実家でユーリの教え子だったときからだ。俺は彼女を、ごく平凡な、ありふれて目立たない普通の女性、としか思ったことがない。


 思ったことはないのだが。


「彼女のように、美しさと賢さを兼ねそなえた素晴らしい女性はほかにいるまい。当然だろう? 知恵と美と豊穣を(つかさど)る、うるわしき女神の真実の名前にかけて!」


 へえええー……


 自分で言い出しておいてなんだが、俺は驚いていた。なにに驚いたかって、()()、王宮魔法士ジュリアン=オドネルが、こんなふうに一人の女性を賛美するなんて、想像もつかなかったのだ。


「ユーリ先生は、オドネルさんの気持ちを知っているんですか?」

「ななな、なにを言う」


 オドネルは手を振った。それも、その場に羽虫でも飛んでいたら、たたき落とすに違いないすばやさだ。


「そんなことは別段、わざわざ、取り立てて口に出す必要もないじゃないか」


 うーん、そうかなあ?


 彼もこの古色蒼然としたローブを脱ぎ、意味不明に長い黒髪をさっぱりと切り落とせば、ずいぶん見映えがよくなると思うな、俺は。


 やがてお茶が入り、ケーキも切り分けられた。俺はまだ赤い顔をしているオドネルの前へ、ポケットから取り出したものをカチリと置いた。


「これ、お返しします。ありがとうございました」


 小さな銀のメダルに革ひもを結んだ、幸運の護符(おまもり)である。オドネルは目をぱちぱちさせた。


「これはきみにあげたんだから、返さなくてもいいんだよ。──で、どうだったね? 爵位授与式は」

「そうですね……いろいろありました」


 確かに幸運と言えなくもないこともあった。そうじゃないことのほうがたくさんあったけれど。たぶん、護符(これ)があったから、あの程度ですんだんだろう。


「持っていたまえ」


 つい、と、オドネルは護符を、指先で俺のほうへ押し戻す。


「いいかね、カイルくん。いつも()()へ入れておくんだ。きみの、心臓の上に」


 示されたのは、左胸のポケットである。「……ここですか?」


 オドネルは、ごく真面目な表情でうなずいた。


「そうとも。左手は大切な誰かを守るためにある。──さあ、しまっておきなさい」

「…………」


 俺の左手は、大切な誰かを守るために。


「結局僕は、なにもできませんでした……」


 ダンスもろくに踊れず、一人で勝手に落ち込んで、見栄を張って王女に魔法なんか見せて。


 あげくの果てに、賊が押し入ってきたときの俺ときたら、ただ棒立ちになっていただけだった。俺は一人の従者の背に(かば)われ、もう一人の従者の剣と魔法に救われた。彼らにとって俺はクローディアとまったく同じ、守らなければならないだけの存在だった。


 俺の妻には敵がいる。そのことを、俺は今まで知ろうともしなかった。彼女は結婚と引き換えに俺の故郷を救ってくれた。なのに俺は、まだ彼女になにひとつ返していない。


 爵位授与式以降のできごとと感じたことを、俺は順々に話していった。オドネルはすべてを聞いてくれた。──時折焦げ茶色の瞳を閉じ、軽くうなずくだけで。


「……オドネルさん」


 役立たずのままは、もう嫌だ。


「僕にもっと、魔法を教えてください」


 オドネルはこめかみに指先をあて、少しだけ首をかたむける。「……なぜ、学びたいと思うのかね?」


 なぜ?


 俺は彼女の、エディットの力になりたい。彼女の助けになりたい。それだけだ。──俺は目を上げ、正面に座るオドネルを、まっすぐに見つめ返す。


「僕は、強くなりたいんです」


 ──いつか俺自身の手で、彼女を守れるようになるために。






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