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 そもそも、これまでの俺は、非常に地味で目立たない少年時代を送っていた。


 と言っても、家族からいじめられていたとか、もてあまされていたわけじゃない。両親も兄たちも、俺を可愛がってくれていた。甘やかされていたと言ってもいい。でも、すぐ上の兄たちでさえ七つも年が離れていたからか、はたまた俺が格別に手のかからない子どもだったのか、彼らはすぐに俺のことを忘れた。


 町の行事でも、領主館でのささやかなパーティーでも、親族の集まりや、ひどいときは一家の団らんの場でさえも、ほうっておかれて退屈した俺は、しょっちゅう姿を消していた。これは、記憶にないほど小さいころからの癖らしい。


 別にみんなといっしょにいるのが嫌なんじゃない。でも、なんとなーく図書室へ行って本を読んだり、庭のすみで魔法を使って一人で遊んでいたりした。そして、あとからみんなに驚かれるのだ。


「あれ、ティ、今までいなかったのか?」と。


 ……なんて言うと、まるで俺がずいぶんお勉強好きな文系少年みたいに聞こえるかもしれないけど、違います。


 だいたい、うちの図書室に本は数百冊しかないのだ。しかも難しい学問の本はない。おとぎ話や昔話とか、誰が書いたとも知れない時代遅れの読みものがならぶ程度である。


 ただ、自慢じゃないが、俺は「同じ本を何度でも楽しめる」という特技を持っている。


 どうなんだろう。俺は世間知らずなので、同じ癖というか、習慣を持つ人に出会ったことがない。ほかにもいるんでしょうか、こういう人。安上がりに趣味を満喫できて、結構便利なんだけど。


 たとえば、すごく面白かったお話があったとする。そうすると俺は、二度三度、ものによっては五度も六度もぶっ続けに読み返す。違った観点から読んでみるなんて高尚なものではない。ただ同じように読む。もちろん感動は少しずつ減っていく。減っていくのは当たり前なので、気にしない。感動がすり減って、感動しなくなるまで読み続ける。


 さすがになにも感じなくなると、その本はしばらく読まずに寝かせておく。寝かせているあいだは、同じように寝かせてあった別の本を読んでいる。何週間か何か月か置いて、また前の本を読み返すとあら不思議。以前とそんなに変わらない面白さを感じることができるのだ。お得でしょ? 新しい本を買わなくてすむからね。


 そんなふうに、俺はありったけの本をぐるぐるぐるぐる回して十年以上楽しんできた。まあ、物覚えが悪いと言われればそれまでだ。


 魔法だって似たようなものだ。うちの小さな図書室には、二冊だけ魔法の本があった。俺は例によってその本をくり返し読み続け、そのたびに呪文を唱えてみたりした。決してうまくなったとは言えなくても、それなりに楽しかった。


 俺は一人でいるのが得意な、暗めの子どもとして育ってきた。そしてそれは、子だくさんのうえ、貧乏暇なしのバルドイ男爵家では、わりと歓迎されることだった。


 いつだって俺は、ぼんやりと日々を過ごしていた。一応は貴族の子なので、十四歳まで家庭教師がついていた。最後の先生はおとなしくて声が小さく、俺と同じように影の薄い人で、いつのまにかいなくなった。きっとうちに、お金がなかったせいだろう。


 兄弟の中で俺だけが子どもあつかいで、なんにもしていなかった。この先自分がどうなるか、なにがしたくて、なにができるか考えたこともなく、自分の部屋と図書室と庭、それだけで世界を終わらせていた。


 ……はずだったんだけど。


 目の前にいる、この世のものとは思えないほど美しい女性。彼女が口にした言葉は、どうやら求婚(プロポーズ)であるらしい。


 ともに人生を歩む伴侶ではなく、夫という肩書きを持つだけの、控えめな男を求めている、と。


 もしも俺が結婚に夢見る女の子で、相手の男からこんなふうに言われたら、どんな気持ちになるだろう。


 でも俺は男で、自分がいつか誰かと結婚するなんて、まだ考えたこともなかった。


「わたしには時間がない。すぐに決められないなら、ほかを当たる」


 エディットは立ち上がった。


 どうやら彼女は本気のようだ。はるばる王都からこんな田舎町までやってきたのに、俺がもたもたしていれば帰るつもりだ。祖母に花嫁姿を見せたい、たったのそれだけで?


 彼女の本当の思惑はわからない。だが、今すぐ決めなければならない。──俺は必死で考え、計算し、結論を導き出した。


 これは、チャンスなんじゃないのか?


 貴族の義務ノブレス・オブリージュをこれっぽちも果たしていなかった俺が、アルノーの役に立てるんだ。こんな好機は、母が言う通り、もう二度と訪れないに決まってる。


 しかもこんな、人智を超えた美貌のうえ、財産もあるらしい妻を持つなんて。


「…………」


 俺はうなずいた。


「……わかりました。お受けします」

「ありがとう。おかげで時間を無駄にせずにすむ」


 エディットは満足そうに微笑んだ。「では、婚約の(あかし)に、()()を」


 彼女の右手が、俺の腕を捕らえた。思いがけない強い力で引かれ、よろけたところを再び顎を持ち上げられ──彼女の唇が、俺の唇に重なった。


「…………」


 やわらかな感触に、全身が震えた。


 唇と体が離れたとき、エディットが、くす、と笑ったのが耳に入った。


「これからのことは、男爵ご夫妻と打ち合わせる」

「……はい」


 どうしても顔がほてる。俺は彼女から目をそむけた。




 ──だが、このとき俺は怒っていたのだ。俺が内気で従順な能なしだから選んだ、そう言われたことに、猛烈に腹を立てていた。


 人間って、本当のことを言われると腹が立つ。よく聞く言葉だけど、真実だったんだな。






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