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さっきの魔法をもう一度見せて、と、彼女は言った。
断っておくが、もう一度やり直し、ではないのである。十五年と数か月ぽっちとはいえ、これまでの俺が格別地味な人生を歩んできたせいもあるだろう。ここ数週間というもの、銀縁眼鏡の鬼教官に、作法とかダンスとかをしごかれていたせいもあるだろう。
ともあれ、その言葉は、ひどく俺の胸に響いてしまった。
自分一人だけで、案外悪くないんじゃないか──と思っていたささやかな趣味を、ほかの誰かからいいと言われることがこんなにもうれしいなんて、俺は知らなかったのだ。
しかも相手は、超にして絶なる美少女である。こまかな花模様のリボンをいくつも結んだ長い巻き毛は、すごいような銀色だ。瞠るとこぼれ落ちてしまいそうな青い瞳が、ひたと俺を見上げてくる。小さな手指を組み合わせ、
「……ね、いいでしょう?」
これを断る度胸を持った男がいたら、お目にかかってみたい。
「かしこまりました、王女殿下」
俺がうなずくと、クローディア姫の瞳はなおいっそう明るく輝いた。
王宮魔法士は一人しかいなくても、王宮お出入りの魔術師ならいるのかもしれない。クローディアは魔法使いを知っていた。
王族に業を披露できるなんて、王都でも指折りの一座の、花形魔術師に違いない。だが、間近で見るのはなにか違うのだろうか。彼女は俺が出した光の玉に歓声をあげた。
「すてき! まるで小さなお日さまみたい!」
彼女がそんなふうに言ったから、俺にも太陽のイメージが生まれた。──すると、白かった魔法の光は、白銀を経て、次第に濃い黄金色へと変わった。俺の手のひらの上で、かげろうのようにゆらゆら立ち昇り、じきに消える。
「きれい……」
クローディアは、うっとりとため息をついた。
俺が自分の想像を魔力に映してみたのは今日が初めてのようなものだ。つまりは付け焼き刃で、それほど複雑なことをできるわけがない。そして、子どもは飽きっぽい。お姫さまはすぐに違うものが見たいと仰せになる。
「ね、ほかにはどんな魔法がおできになるの?」
いくらなんでも錠前開けだの、点火の業をお見せするわけにはいかん。断じていかんよな、うん。
「そうですね……」
俺は選んでいるふりをする。ほかに詠える呪文がないこともないが、決して見映えのする魔法ではない。
あ、そうだ。
アルノーの実家の庭で、季節が変わるごと、よくやった遊びがあった。今が秋の終わりだったら、いろいろやりやすかったんだけどなあ。
──詠う言葉はこの手に宿る。
「……『そよぎ なびけ わがもとへ来よ』」
右手を伝い、指先へ。
「『吹き下ろせ 天辺より 大いなる大気』」
示すものは、小さな花が満開の金木犀の木。
「──きゃ!」
クローディアが可愛らしく叫び、銀の髪を押さえた。
俺がくるりと人差し指を回せば、風はゆるやかなうずを巻き、落ち葉が舞い上がる。音を立てて金木犀の葉が揺れる。いっぱいの可憐な小花が、空に舞う。
王女の唇が、かすかに開いた。
「まあ……」
ほろほろと散ってゆく金色の花吹雪を見つめ、瞳を何度も瞬かせる。──風がやむと、辺りには地面に敷き詰められた花の香りがふくいくと漂った。
「………………」
クローディアは、両の手のひらを自分の頬に押しあてた。
彼女があんまり長いこと黙っているので、俺は不安になってくる。……もしかして、ぜんぜんつまんなかった?
──突然、クローディアが芝に手をついて、俺の顔をのぞき込んだ。
「エレメントルート卿」
「は、はい」
うわ、近い。顔が近いよ。
「あなたはいつから魔法使いなの?」
「え?」
「魔法を教えてくださるかたがいらしたの? それとも、あなたのお父さまか、お母さまが魔法使いなの?」
ああ、そういうことか。
子どもの質問は、いつだって唐突だ。俺にも小さな姪っ子がいるから、わからないでもない。
「いいえ、今の呪文は特に誰かから教わったのではありません。本で読みました」
「魔法は本に書いてあるの?」
「はい。どんな本にでも書いてあるわけではありませんが」
「わたくしにも、できるかしら?」
「はっ?」
クローディアは胸の前で両手を組み合わせ、大きな空色の瞳をうるませている。──それを見ていたら、思わずうなずいてしまった。
「そうですね。殿下もお勉強されれば、きっとおできになると思いますよ」
「エレメントルート卿は、たくさんお勉強をなさったの?」
「まあ、それなりに……」
正確にいうと、俺の場合は勉強のつもりじゃなかったんだけど。
「──クローディア!」
声がして、彼女はようやく俺から瞳をそらし、振り返ってくれた。息をつく暇もなく、性急な足音とともに現れたのは、またしても子どもである。
「クローディア! 侍女たちが探していたぞ!」
駆けてきたのは、クローディア王女よりもさらに幼い男の子だ。濃い茶の髪と瞳、きかんきな目つきの少年は、俺に気づくと即座に腰の小剣へ手をかけた。
「おまえ、誰だ?! なにをしている! クローディアから離れろ!」
「いけないわ、テオドア」
クローディアが、おっとりととりなした。
「こちらはカイル=エレメントルート卿。エディットお姉さまの旦那さまよ」
「なんだって?」
男の子は、跪いた俺をじろじろと見下ろした。──こうなると、さすがに冷や汗が出る。
勇敢な王子殿下へ名乗りをあげる俺に手を伸べ、クローディアが誇らしげに言う。
「エレメントルート卿は、魔法使いなのよ!」
「魔法使い?」
国王マティウス二世の一子、テオドア王子は、どかりと俺の前へ腰を下ろした。王子はまだ八歳のはずだ。きりりとした眉をひそめ、父親にそっくりの厳しいまなざしで、測るように俺を見る。
「……魔法使いって、そんなへんてこな格好をしているか?」
それを言われますと……
誰もいなかったのをいいことに、俺は靴を脱ぎ、ズボンの裾を折り返した裸足である。かき回したぼさぼさの赤毛。かたわらには金髪のかつらや、長い靴が無造作に投げ捨ててある。──なんとはなしに、ローブをからげた珍妙ななりの、初めて会ったときのオドネルを思い出してしまう。
「クローディア、ミリスたちが探していたぞ。こんなところで、なにをしてるんだ」
「わたくしだって見たかったんですもの、エディットお姉さまの結婚式。大人しか行っちゃいけないなんて、ひどいわ」
「結婚式じゃないだろ。爵位……ええと、じゅよ式だ」
してみると、クローディア姫は大広間をのぞきに行こうともくろんで、中庭を通りかかったらしい。侍女にもないしょでとは、見かけによらず、なかなかのおてんばぶりだ。
……ていうか、あれはやっぱり結婚式だったのね。
「わたくしね、エレメントルート卿に、素晴らしい魔法をいくつも見せていただいたの」
「ふうん」
テオドア王子は従姉と俺を見比べ、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「いいだろう、僕にも見せてみろ」
はい?
「僕もこのあいだ城に招かれたルシオン一座の『大花火』なら、見てるんだ。あの『流星』は、見事だった。クローディアも覚えているだろう?」
「え、ええ」
俺を見るクローディア王女の瞳が、少しばかり心配そうに瞬いた。テオドアはますます不満げになる。
「どうした、エレメントルート卿。できないのか? 早くしろ」
「ここで『流星』なんてやっては、お城中のみんながびっくりしてしまってよ」
あわてたように、クローディアが言う。
「もっとほかのものがいいわ。──ほら」
たおやかな指が、飛んでゆく赤とんぼを指した。「あのとんぼをやってみせて? ね?」
きっと彼女は俺に『流星』とやらができまいと思い、代わりの案を出してくれたんだろう。──それにしても、とんぼって。花のような火を見せるから、『花火』って言うんじゃない?
「クローディアは馬鹿だなあ」
テオドア王子は大いにあきれ顔だ。
「もっと強いのにしろよ。──エレメントルート卿、とんぼより、クワガタだ」
どっちだって、たいした変わりはない。
『流星』だろうが虫だろうが、俺にそんな業ができるだろうか。少なくとも俺はまだ、『花火』で具体的な絵を描いたことはないのだ。──首をひねっていると、意外な方向から助け船がやってきた。
「カイル」
来訪者の多い庭である。振り返れば、今度は俺の妻が立っていた。
どうやらエディットは、姿を消してしまった俺を探しにきたようだ。仮装を解いている俺を、じろ、とにらみつける。だが、すぐに笑みを浮かべ、俺のかたわらにドレスの裾を広げて膝をついた。
「これはこれは、思いがけないところでご尊顔を拝します。テオドア王子殿下、クローディア王女殿下」
「エディットお姉さま!」
クローディアが、うれしそうに腰を浮かせた。
「とってもすてきな旦那さまね! これからエレメントルート卿が、わたくしたちに魔法を見せてくださるのよ!」
「魔法」
エディットの形のいい眉が、少し上がる。──彼女の瞳の色を見て、俺の心臓は、どきり、と鳴った。
あれ、ひょっとして……ものすごーく怒ってる?




