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 なにがどうなったらこうなるの?


 強く抱きしめられていた。やわらかな髪が頬に触れていた。苦しい──と思った直後、彼女が俺から離れた。


 だが、透き通った紫の瞳は目の前にあった。そのことに俺は安堵する。


 音楽はまだ続いている。だとしたら、今のは息を吸う間もないくらい、短い時間に起こったできごとなのか。


 くすくすくすくす──静かな曲の調べに乗って、さざ波のように笑う声が広がってゆく。それを耳にすると、俺の顔は意志に反してもっと熱くなる。


「──まあ、可愛らしいこと」


 遠くないところから、貴婦人らしい女性の声。


「本当。とても初々しいのねえ」

「まだお若いのですもの」


 しかし、目の前にいる俺の妻は、ひどく真摯な瞳で俺を見る。美しい刺しゅうの入った手袋をはずし、人差し指の先を、そっと俺の唇へ載せる。紅をぬぐってくれているのだ、と気づくのに、また少し時間がかかる。


 エディットが両腕を後ろに回す。まるで小さな女の子がいたずらをたくらむみたいな上目で、小鳥が餌をついばむように、ちょこんと俺の唇へ口づける。


 同時に、音楽が終わった。


 わあっ、と人々が沸いた。エディットの最後のしぐさ──と、若干は俺──が、大人たちの目には、なかなか愛らしく映ったらしい。


 どこからか拍手が起きた。次第に大きくなり、やがて歓声が加わって、とめどない勢いになる。


 エディットは俺の手を取り、周囲に向かってお辞儀をする。俺もあわてて彼女にならう。それでまた、大広間は上品で悪意のない笑いに満ちた。

 

 再び、楽曲が始まった。


 優雅なワルツの調べとともに、着飾った男女が続々と中央へ進み出てくる。俺たちは輪の外へ向かった。エディットが、上気した顔で俺を見る。


「カイル、いいか。なにも気に──」

「エディット!」


 彼女の言葉は途中でさえぎられた。若者が一人、人混みをかき分けて近づいてくる。俺はいきなり右手をつかまれて、ぶんぶん振り回された。


「やあ、色男! 伯爵どの! 叙爵の儀、おめでとう!」


 どうやらこれは握手のようだ。エディットの瞳が丸くなった。


「リュカ! よくもぐりこめたな!」

「ああ、父上に頼み込んだんだ」


 すらりと背が高く、絵に描いたような好青年は白い歯を見せて笑う。いかにも生粋のアセルス人らしい明るい茶色の髪をさわやかに整え、同じ色の瞳を輝かせてエディットを見る。


 ちょっと印象に残る二枚目は、披露宴に出席していたから俺も知っている。リュカ・なんとか・かんとか・ディルク=サーヴェイという、サーヴェイ伯爵の次男坊だ。


 本日の式典は、盛大といえるほどの規模ではない。招かれているのは王族と貴族の半数以下だろうか。爵位を持たないばかりか跡取りですらないリュカ=サーヴェイは、わざわざ父親のコネを利用して大広間に入れてもらった、と言っているわけだ。


「カイル、覚えているか? リュカだ」


 俺の妻が俺を見返って言う。──覚えていますとも。同僚で、幼年学校からのお友だちかなんかでしょ。


「しかしまさか、エディットにダンスができるなんて、思ってもみなかったよ」


 ()()()だけでは飽き足らず、()()()まで付けてリュカは笑った。「いつのまに踊れるようになったんだ?」


「失礼だな。ダンスくらい、前からできる」

「嘘つけ。しかもちゃんと、女性パートを踊っていたぞ」

「当然だろう」


 エディットが不服げな上目になった。リュカのほうが、彼女よりずっと背が高いのだ。

 

 ──ふと、リュカは端整な(おもて)を曇らせ、声をひそめた。


「なあ、エディット、証拠の手紙があるって、本当なのか?」

「証拠? なんの?」

「だから、お父上のことさ。うちの馬丁のレジー、わかるだろ? あいつがゆうべ、街で聞いてきたんだ。ずいぶん評判になってるみたいだけど──」

「カイル」


 エディットが、ちらりと俺の顔を見た。


「すまないが、席をはずす。そこでくつろいでいてくれないか」

「……はい、わかりました」

「リュカ、こちらへ」

「ん? あ、ああ」


 どうやら察しがいいたちとは言えないらしいリュカの腕を取り、エディットは俺に微笑みかける。──けれど、瞳がまったく笑っていない。


 ()()()()()()

 ()()()()()


「……………………」


 ……ま、俺もあまり、察しがいいたちじゃない。


 かろやかな音楽が流れる中、ワルツを踊る人々の輪に二人が加わると、再び歓声があがった。


 その場に一人残された俺は──


 多少は周囲を見回す余裕ができた。堅苦しい式典は終わり、このあとはただの宴会だ。出席者の多くが同伴者と踊っている。同伴者のいない人や年取った人たちは、壁ぎわにならんだ椅子に座って歓談中。ひと通りの挨拶はすませているので、今のところ俺に注意を払うものは誰もいない。


 そろり、そろり、と、窓辺へ向かってみる。


 俺は一応、本日の主役である。しかし、こんなときの俺は人目につかない自信がある。影のように、空気のようになにげなく、人の中にまぎれ込める。アルノーの実家でつちかった技だ。


 いかにも当然のように、俺はテラスへ出た。ちょっと外の空気を吸いたいから、それとも中庭で知った顔を見つけたから、というふうに、ぶらぶらと生け垣のあいだを歩いてゆく。


 だが、まだ近くで話し声がする。俺はいよいよ足早になり、奥へ進んだ。──中庭といっても広い。いつのまにか、大広間の音楽は、かすかに聞こえるのみである。俺は葉先が黄色くなり始めたブナの木の下へ、腰を下ろした。


 周りを緑だけにかこまれて、ようやく息をつくことができた。


「…………」


 地面に足を投げ出す。金髪のかつらをつかんで、思いきり引っ張る。──ベリリ、と(のり)のはがれる音がする。侍女のバルバラががっちり止めたものだから、はっきりいって、痛い。


 なんとかむしり取り、その辺に放り投げた。次は靴だ。ひもを解き、両足とも脱いでしまう。ズボンの裾の余った部分を折り返す。これでやっと、いつもの俺のできあがりだ。


 ……まったく、どうして爵位授与式でこんな格好をしなくちゃならないのさ。


 結局、俺はまだ、エディットになにひとつ尋ねられずにいる。


 かつらのせいでぺたんこになった頭をかき混ぜながら、長くはない髪をつまんでみる。──夜ならそうでもないのに、日に当たるとやけに明るく見える、おかしな赤毛。


 脱ぎ捨てた靴に目を向ける。十センチも底上げしないと、背丈さえ釣り合わない年下のちび。


 なら、どうして俺を選んだの?


 さっきのリュカだって、ディルク姓を持つ家の次男坊だ。俺の兄さまたちもみんな俺より背が高いし、こんな色の髪じゃない。


 いったい、どうして。


 ダンスのとき、彼女は俺を助けてくれた。ようするに俺がしでかした失敗を、あんな形で取りつくろってくれたんだろう。


 ブナの木によりかかる。堅い幹を背に感じて、思い出す。──お母さんと、二人の女の子が森を行く物語。彼女たちは確か、家に帰ろうとしていたんじゃなかったかな。暗い森を歩いて、誰かが、そうだ、おじいさんとおばあさんが待つわが家へ。


『ティ、覚えてるか? つらくなったら口笛を吹け!』

『違うぞ、レオン! さびしくなったら歌を歌え、だ!』


 兄さまたちにはああ言われたけど、俺は口笛なんか吹けない。歌も歌えない。俺が知ってる()は、


「……『ことのはは しめすものへとつたわりぬ』」


 これ以外にない。


 俺は自分の手のひらに、意識を集める。言葉は想像を(いざな)う。誘われた想像に魔力を加えれば、それは現象となる。


 固めた魔力に、色と形を与えよう。そうすれば、『花火(ふろらーど)』になる。季節は秋。木々はところどころ色づき始めている。それでも、いまだに残る深い緑を。


「『(べるた)』」


 つぶやくと、手の中の光は松葉色に変わった。──なんだ、意外にできるじゃないか。


 常緑樹のみどりではなく、時季によって移り変わる紅葉のほうがいい。俺がそんなふうに思ったとき、玉の色にうっすらと黄みが差す。


 思いきって、オドネルのように玉を高く、空へほうってみた。


「……『舞い落ちろ(ふぉーりお)』」


 とたんに、玉は俺の頭上ではじけ飛んだ。俺が思い描いた通りに、そこかしこに落ちている小さなブナの葉の形をとって、黄色から橙、やがては赤く変化しながら地面に散り、消えた。


「…………」


 少しだけ、うれしくなった。


 よし、もう一回やってみよう。もっときれいな色で。今度は俺が一番美しいと思う色を──


「だあれ?」


 ごく近くで、高く澄んだ声がした。


 思わず息をのんでしまった。しかし、驚きはしたものの、怖くはなかった。誰何(すいか)の声にはまだあどけなく、幼い響きがあったからだ。


「誰か、そこにいるの?」


 カサ、カサ、と茂みが揺れる。


「……まあ!」


 生け垣のあいだから現れたその人は、俺を見て声をあげた。だが、逃げ出す様子はない。この中庭に、自分を(おびや)かす悪漢がひそんでいるなどありえない、そう信じ切っているようだ。


「あなたは、どなた?」


 と、()()は俺に問うてくる。年齢は十歳にも満たないだろう。うずまく巻き毛は銀色に輝き、大きな瞳は今日の高い空のような薄い青。身にまとう真っ白なドレスよりも透き通った肌には、驚いたためか、ほんのりと朱が差している。


 毛織りのケープを大切そうに抱きしめた少女は、ほっそりした指先を唇へあてた。


「……あなたは、魔法使い?」

「え」

「わたくし、知っていてよ。さっきの美しい光は、魔法でしょう?」

「…………」


 俺の無言を肯定と受け取ったのか、少女は微笑みを──淡雪でも砂糖菓子でも、いや、(はがね)でさえも溶かしてしまいそうな、やわらかくて温かな笑みを浮かべた。


 ──俺は、ただちにその場で片膝をついた。


「いいえ、殿()()。私は魔法使いではありません」


 少女へ向かい、深く(こうべ)を垂れる。式典に彼女のような子どもの姿はなかった。なのに王宮の真ん中にあるこの庭へ、こんなふうに足を踏み入れられる人物は、限られている。


 国王であるマティウス二世に王女はない。だとしたら──


「私は、カイル・ティ……キトリー・ディルク=エレメントルート、と申します、クローディア()()殿()()

「わたくしをご存じなの?」


 少女──王弟シベリウスの第三王女、クローディア姫の澄んだ声が、いっそう驚きを帯びる。


「やっぱりあなたは魔法使いだわ。だって、わたくしはあなたを知らないもの。──待って。今、エレメントルート、とおっしゃった?」

「はい、殿下」

「ではあなたは、エディットお姉さまの旦那さまになったかた?」


 つい、許しも得ずに顔を上げてしまった。けれど、まるで月の光が凝り固まって、しずくの精になったような少女は、まったく頓着していない。ケープのはしを握りしめたまま、俺の前の芝生に膝を折った。


「あなたが今日おいでになっているという、新しい伯爵さまなのね?」


 空色の瞳を輝かせ、俺をのぞき込んでくる。


「さっきの魔法をもう一度見せてくださる?──ね、エレメントルート卿、いいでしょう?」






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