21
おばあさまの崩御ののち延び延びになっていた爵位授与式だが、正式な日取りが決まってからは早かった。一生延期が続いてもかまわないんだけど──本音をいえば祈るような思いだったが、そんなことはありえない。
お天気もよくてうららかな午後である。俺は蒼の塔へ出かけた。
「……これまでに述べたように、『召喚魔法』における呪文とは、神々や精霊たちを呼び出し、力を借りるための約束ごとだ。だが、『想像魔法』における呪文は、似て非なるもの。なぜなら想像魔法の呪文とは、自らの想像を喚起するための触媒であるからだ。呪文によって想像を誘い、誘われた想像に魔力を加えれば、それは現象となる。──ゆえに、かつての偉大な魔法使いたちは、自らを『言葉に力を与えるもの』と、言い表した……」
このところの俺は、ユーリといっしょに魔法学を教わっている。
教師役は当然、この時代のアセルス王国にたった一人の王宮魔法士、ジュリアン=オドネルだ。妙に響きのよい彼の声が、俺を想像どころか夢の世界へ誘ってゆく。
──と、オドネルが言葉を切ったので、われに返った。見れば彼は煤けた天井を仰ぎ、片手で目を覆っている。
「おお、やんぬるかな……! ヨアヒム=ファーヴァーを導いた三人の賢者の背中のこぶにかけて、きみたちは私の話が退屈だと言うんだね?」
「ようやく気がつきましたかぁ……」
答えたのはもちろん俺ではない。机に頬杖をついたユーリが、大きなあくびとともに言う。
「師匠の催眠魔法は、すごい威力ですからね。ティ坊ちゃまなんか、白目むいてました」
え、本当? 俺、そんなつもりはなかったんだけど。
しかし、思い返してみれば意識がなかった瞬間は何度もあった。……オドネルさん、ごめんなさい。
近い将来魔法学院で教鞭をとるであろう魔法士は、しょんぼりとローブの肩を落とした。
「わかっているとも。いまどきの子どもたちが知る魔法は、見世物小屋だのサーカスだので演じられる、派手できらびやかなものばかりだというくらい……」
「そうですねえ、手品じゃなかったら、やっぱり『花火』とか、『夢幻』辺りが思い浮かんじゃいますね」
ユーリがうんうんうなずいている。
『花火』とは、魔法の光で絵を描く術だ。火薬の花火とは異なり、火をもちいない。天幕の中で演じられるから季節や時間も問わないし、定番の出しものといってよい。
『夢幻』なら、もっとこまやかな映像を見せてくれる。誰しも一度は行ってみたいと思う、有名な観光地の見知らぬ風景を描き出したりする、らしい。
らしい、というのは、俺が『夢幻』を見たことがないからだ。俺がサーカスで魔法使い──魔術師ともいう──を見たのは、今までに二度だけである。アルノーみたいな田舎町に、大きな一座はやってこないのだ。そして、サーカスで『花火』を演じる魔術師はしばしばいても、『夢幻』の演じ手はほとんど見ない、とユーリも言う。
「師匠、どうしてなんですか? どちらも絵を描く魔法なのに」
「それはね、魔法の種類が異なるからなんだ」
気を取り直した様子のオドネルが、右の手のひらを天井へ向けた。
「『花火』は、想像魔法の初歩である『成型』の一種だ。術者は自らの魔力を形にして、体外へ放出する」
彼の手の上に、白い光の玉が浮かんだ。以前見せてもらったときと同じように白光は宙を舞い、まるで秋桜みたいに、大きな花弁を開いて散った。
「対して『夢幻』は、想像魔法の中でも『対人魔法』と呼ばれる業に属している。相対する人の精神に働きかけて、まぼろしを見せるんだね」
今度は左手の人差し指で、机を指す。──と、こまかな傷のある天板の上には、彼の親指ほどの背丈の、三角帽子に顎ひげを生やしたこびとが現れた。
「きゃっ」
ユーリの声にこびとは目を丸くして飛び上がり、ちょこまか駆けまわると、じきにかき消えてしまった。
「魔法に対する耐性は、人それぞれだ。みんなに同じまぼろしを見せなければ、金を取ることなどできないだろう? 下手を打つと、見える客と見えない客が出てしまうんだよ」
たとえば、同じ講義を受けていても、俺は眠り込んでしまい、ユーリはあくびをする程度ですんだように、か。
「だから『夢幻』の使い手は、縁日などで少人数の客を相手にする大道芸人に多いね。むろん、例外はあるが」
「へえー、なるほどー」
オドネルは、栗色の瞳をらんらんと輝かせているユーリを見、おそらくは同じ瞳になっているであろう俺を見る。
「たやすいのはやはり、『花火』のほうかな。きみたちもやってみるかね?」
「「はい!」」
俺たちが間髪をいれず声をあげたから、オドネルは目をぱちぱちさせた。
「なるほど……講義よりも実践というわけか」
「もっちろんですよー」
ユーリが張り切って腕まくりをした。オドネルがあっちを向いたすきに、俺の耳元へ、こそっとささやいてくる。
「……ティ坊ちゃまにきていただけるようになって、本当に助かりました」
「え、どうしてですか?」
「なにせ師匠は前置きが長いので……今までにわたしが教わった魔法って、このあいだの火の術ひとつだけなんですから……」
◆◇◆
間違いない。実践するのは、楽しい。
「……『魔法の力はわが手に宿る 破る力は右の手に 護る力は左手に』」
これは、大昔から伝わる、術者の『想像』を呼び起こすための魔法の言葉だ。
「『言の葉は示すものへと伝わりぬ』……」
俺の右の手のひらの上に、透き通った丸い光が生まれた。シャボン玉のように、少しずつふくらんでいく。
「カイルくん、触れてみてごらん」
おそるおそるつついてみて、驚いた。本物のシャボン玉よりずっと固いし、弾力がある。
「それに色をつけて形を整えれば『花火』になる」
オドネルは右手で黄色、左手では濃い茶色の玉を浮かべる。──彼の頭上で二つの光が組み合わされ、大輪の向日葵を描いてはじけ飛ぶ。
「魔力って、物質化するんですね」
尋ねてみると、なぜかオドネルは困ったような笑みを浮かべた。
「そうだよ。今はまだ、きみたちにくわしく教えるつもりはないがね」
「どうしてですか?」
「物質化した魔力は、武器にもなるからだ」
どきり、とする。だが、考えてみれば当たり前のことだ。かつては多くの魔法使いが冒険者として迷宮に入り、魔法をもちいてあまたの魔物を屠ってきたのだから。
「今の時代に魔法士を養成するなら、世の人々に受け入れられるものでなくてはならない。私はターカンタスの大魔導師のごとき人間兵器を育てるなど、ごめんだからね。──それにこのほうが、ずうっときれいだろう?」
「物質でも非物質でもかまいませんけどね……」
と、オドネルの隣でぼそぼそこぼすユーリは、ご機嫌斜めもいいところである。
「師匠、ぜんぜん、できません!」
彼女もさっきから幾度となく呪文を唱え、右手を出したり、左手にしたり、はたまた握ったり開いたりとうなっている。けれど、魔力の玉は一度たりとも産み出されていない。
「うん、そうだろうね」
オドネルはこともなげにうなずいた。「ローランドくんは、ひたすら精進したまえ」
「どうしてわたしには出せないんですか?!」
「こればっかりは、始まりの大神の母たる、来し方と行く末を司る女神へ捧げた歳月の違い、とだけ言っておこう」
ようするに、俺とユーリでは魔法の稽古をしていた年月が違うと言いたいらしい。ユーリ=ローランドはますますふくれっつらになる。
「──おや、もうこんな時間だ」
時計の鐘が四回鳴り、五時を告げていた。
「カイルくん、今日はここまでにしよう。物質化した魔力をどのように変化させるかは、また明日説明するよ」
「すみません、僕、明日からしばらくこられないんです」
「おお」
オドネルは眉を上げた。ユーリも呪文の詠唱をやめて、俺を見る。
「ティ坊ちゃま、いよいよなんですね?」
「はい……」
きっと俺は、さっきのオドネルよりも、よっぽど肩を落としていただろう。
俺が正式にエレメントルート伯爵となってしまう日が、あと三日にまでせまっている。
爵位授与式が近くなると、俺の生活は一変した。それまではみんな俺のことなんかほったらかしだったくせに、突如として作法だの儀式の稽古だのを強いるようになったのだ。
……稽古が当然なのはわかってるけど。伯爵にならなきゃいけないんだから。
明日からはもろもろの準備が佳境を迎えるため、蒼の塔へくることは許されない。それは秘書のオーリーンからも、きつく言い渡されてしまった。
「そんなにへこたれるほどの事件は起きやしないさ。それに、なにごとも経験だ」
オドネルは笑い、ふと、思いついたように立ち上がった。
「カイルくんに、いいものをあげよう」
「?」
俺はユーリと顔を見合わせた。オドネルはいくつかの棚や引き出しの中をかき回し、やがてなにかを手にして戻ってくる。
「わがオドネル家に代々伝わる幸運の護符だ。これさえあれば、きみには素晴らしい運命が開けるだろう」
鈍い銀色の、小さなメダルを渡された。両面に刻まれているのは複雑な幾何学模様と、見たこともない文字である。はしには穴が開けられ、短い革ひもが本のしおりのように結んであった。
「書いてあるのは精霊の言葉だよ」
「どんな意味なんですか?」
「いかにカイルくんといえど、それを教えるわけにはいかないな。なにせ、秘伝だからね」
とはまた、なかなかにもったいぶった言いかただ。
「……ありがとうございます」
オドネルの心づかいが、とてもうれしい。
「ティ坊ちゃま、がんばってくださいね」
「カイルくん、きみに始まりの大神の加護があらんことを。──しっかりやりたまえよ」
ドワーフおじさんが扉の向こうで待っている。俺は立ち上がり、手の中の護符を握りしめた。
こうしてさえいれば、明日から起こるできごとに対して、勇気を出せるように思えてきた。