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20

「──嫌です」


 と、俺は言った。きっぱりと言い切った、つもりだ。


 エディットは胸の前で腕を組んだまま、じーっ……と俺を見下ろしている。


「……………………」


 長い長い無言の()に耐えきれず、俺は彼女の横をすり抜けようとした。そこへ、すっと白い手が伸びてくる。


「待て」

「……なんですか?」

「話はまだすんでいない」


 じゃあ、すませればいいでしょう。一刻も早く。


 思いきって彼女を見上げてみる。庭に盛りのサルビアの花よりも濃い紫の瞳。透き通った虹彩が目の前までせまってきて、俺は大きくのけぞった。


「どこへ行く」

「図書室へ」

「なにをしに」

「本を読もうかと」


 愚問じゃない? 図書室にほかの用事なんて、あるわけがない。


 俺は一歩、後ろへ下がる。エディットは一歩、前へ出る。


「あとにしろ」

「すぐに続きを読みたいんです」

「ふーん……今はなにを読んでいる?」

「なんだっていいでしょう」


 エディットはじりじり俺にせまってくる。俺はじりじり後ずさる。ついには、壁ぎわまで追い詰められてしまった。


 まるで俺を閉じ込めるみたいにして、彼女は壁へ両手をついた。退路は完全にふさがれた。こんなふうにのぞき込まれると、どうしても目をそらせなくなってしまう。


 瞳の圧力に負け、俺はとうとう口を割った。


「ひっ……『東の皇国の皇女』……」

「ああ、あれか。東方からきたはねっかえりの皇女が、頭の悪い王子の嫁になる話だろう?」


 ……あれ、意外。この人、あんなドタバタ話、読んだりするんだ。


 驚く俺を見て、エディットは微笑んだ。それも、思わず思考が停止してしまいそうになるくらい、甘やかで蠱惑的な笑みだ。どうして彼女はこんなにも美しいのか。


「……聞きたいか?」

「なにをでしょうか……」

「あの話の、()()だ」


 ──なっ、なんてことを……!


 俺は顔をそむけた。


「いいえ……聞きたくありません……」

「カイル、あなたは今、あれをふざけた喜劇(コメディ)だと思っているはずだ。だが、じつは──」

「わかりました!」 


 もう、好きにして!!


 ──ふいに、顔の前から圧迫感が消えた。


 エディットは勝ち誇ったように俺を見下ろすと、ひとつにたばねた長い黒髪をひるがえした。


「オーリーン!」

「はい、奥さま」

「奥さまはやめろ。()()()ぞ。連れていけ」

「かしこまりました」

「どうだ? わたしなら五分ですむと言っただろう」

「ええ、さすがです。少なくとも倍の時間はかかると考えておりました」


 意気揚々と引き上げる女主人に対し、平然と秘書は答えた。しかし、中指で押し上げる眼鏡がキラリと光ったのを、俺は見逃さない。


 絶対に仕返しだ。俺は三十分余りに及んだオーリーンの説得には、()()と言わなかったのだ。


「──まああ、ご主人さま!」


 屠所(としょ)の羊、いや、()けすに入れられた鱒でもいい。とにかく、そんな気分で俺が階下へ引っ立てられてゆくと、居間では()派手な身なりをした男女がひと組、満面の笑みで待っていた。


「お待ちしておりましたのよー!」

「さあさあ、どうぞこちらへ!」


 どっちがどっちだかわからない甲高い声で叫んだ二人に、俺はたちまち上着をはぎ取られた。


「あらあ、お(せい)が伸びてらっしゃるんじゃございません? ねえ、リリィさん、そう思いませんこと?」

「あらまあ、マリィさん、本当ね!」


 ほっといてくれないかな……どうせ五ミリとか、そんな程度なんだから……


 彼らは王都アセルティアで一番の、()()()()なのである。



 ◆◇◆


「いいんじゃないか?」


 エディットは、仕立て屋の片割れが俺に着せかけた上着の見本をながめ、大きくうなずいた。


 そうかなあ……


 と思いつつ、俺は黙って、されるがままになっている。いったいなにごとかというと、近々俺が爵位を授かるために王宮へ出向くとき用の、衣装を新調するのだそうだ。それで朝っぱらから仕立て屋が呼ばれてるってわけ。


 エディットもやはり女性だったということか。それとも単に面白がっているだけなのか。結局彼女は居間までついてきて、あれもこれもと俺を着せ替え人形あつかいだ。本来は秘書が仰せつかっていた役目のはずが、オーリーンのほうはせいせいしたと言わんばかりに、とっくに姿を消している。


 俺は大将軍の出馬を招いてしまった自らの不明を悔いていた。オーリーンなら、口うるさくはあっても過剰なまでの合理性を発揮し、結果、俺の苦行の時間は半分以下ですんでいただろう。


「──二センチ!」


 巻き尺を手に、背後でなにかしていたもう一方の仕立て屋が、驚嘆した声をあげる。エディットは手にしたティーカップを卓上へ戻し、長椅子から身を乗り出した。


「どうした?」

「ご主人さまの背丈でございますよ! やっぱり(せん)だって測らせていただいたときよりも、一センチ以上伸びてらっしゃいますの!」


 ……最初に言ったときより低くなってない?


「まだ十五だからな。──カイル、よかったじゃないか」


 そりゃね。兄さまたちはみんな俺より大きいもん。俺だってまだ伸びるでしょうよ。多少は。


「これではすべてのお衣装を作り直さなくてはなりませんわねえー」

「そうか。任せるから、好きなようにしてくれ」

「はい! かしこまりましてございます!」


 仕立て屋の夫婦、いや、よく見ると顔も似ているから兄妹か。リリィとマリィは目と目を見交わし、うふふふ、と笑う。


 ……本気(まじ)


 エディットは当たり前のような顔をして、チョコレートがけのビスケットをつまんでいる。──たかだか一センチなのに()()()()()()()って、ものすごい量になりますけど……お金持ちの考えることはよくわからない。


 おばあさまが亡くなってから、エディットはこうして屋敷にいる時間が増えた。


 それで俺は、初めて知った。彼女の帰りが毎晩のように遅かったのは、仕事が終わったあと、郊外の離宮まで出向いていたからだった。おばあさまに会うために。


 国葬だったというおばあさまの葬儀に、俺は参列していない。オーリーン(いわ)く、今の俺の立場は微妙なのだそうだ。俺はエレメントルート伯爵家の相続人、エディット=エレメントルートと結婚した。その時点で俺は()()エレメントルート伯爵、国王の義理の甥である。だが、正式の叙爵がまだであることを理由に、おばあさまとの最後のお別れを許されなかった。


 だから俺は、お葬式のとき、エディットがどんな顔をしていたのか知らない。──葬儀の日の朝、黒衣に身を包んだ彼女が、いつもと変わらずきびきびと屋敷を出てゆく後ろ姿を見ただけだ。でもなんとなく、今の彼女が不自然にはしゃいでいるように思え、痛々しく感じてしまう。


「──ああ、いいな」


 仕立て屋兄こと、リリィが俺の肩にかけた布地を見て、エディットは満足そうな面持ちである。そうかなあ、と俺はまた思う。暗いけれど真っ黒ではなく、わずかに緑がかった繊細な色合いの布。これで作った服って、かなり立派というか、大人っぽい感じになるよね……


「まああ、さすが、お目が高うございますのねえ、エディットさま」


 仕立て屋妹、もとい、マリィとエディットは、襟の形はあれだとか袖口がこうだとか、なんだとかかんだとか、俺には意味不明の会話を続けている。立ちっぱなしのこっちの身にもなってほしい。


 しかも仕立て屋兄妹は、俺には「ご主人さま」と呼びかけるのに、彼女へは「エディットさま」だ。どうやらエディットは「奥さま」と呼ばれることを好まないようだ。へーえ、ふーん、そーお。


「カイル、あなたはどう思う?」


 ようやく彼女がこちらへ顔を振り向けた。俺の意見を()いてくれるんですか。どうもありがとうございます。


「はい……」

「ん? なんだ?」

「ええと、とてもいいと思うんですけど……でも……」


 俺が蚊の鳴くような声で言ったから、エディットはもちろん、リリィとマリィも俺を見る。


「僕には少し、派手じゃないでしょうか……」

「そんなことはない」


 エディットは断言した。きっぱり、なんてものじゃない。リリィの捧げ持つ布地をなでた手が、俺のほうへ伸びてくる。


 ちょっと、なにするのさ。


 顎に指がかかり、くい、と持ち上げられた。これは、いつか通った道。なにがくるかと身構えると、彼女はまっすぐなまなざしで、俺を見つめて言い切った。


「この生地なら、あなたの瞳の色がとてもよく()える」


 えっ。


「ええ、ええ、とても! わたくしどももそう思いますことよ! ねえ、マリィさん!」

「そうですわね! わたくしもそう思いますわ! ねえ、リリィさん!」


 仕立て屋兄妹は手を取り合い、声を震わせてさえずり続けている。俺は完全に固まっていた。──こちらが抵抗できないと見るや、エディットはすました顔で微笑む。


「では、これに決めることにしようか」


 彼女の指が、するりと俺から離れた。絶対に遊ばれている……


 まあ、でも、人前で()()をされなくてよかった。俺はよかったと思うよ、うん。






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