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18

 建ちならぶ倉庫のあいだの細い通路。俺はほとんど駆け足になって進んだ。手入れを(おこた)ったでこぼこの石畳につまづきそうになる。視界が開けて目を上げると、金属の枠を打ちつけた分厚い大きな木の扉。丸い輪の取っ手をつかみ、力いっぱい引いた。すると、そこには──


「おお、カイルくん! よくきてくれたね!」

「ティ坊ちゃま、お待ちしてましたよー!」


 ローブにたすき掛けのオドネルと、埃よけの布を頭に巻いたユーリが歓声をあげた。見れば、この前まではなかった大量の書物が、大机の上に今にも崩れ落ちそうに積んである。


「この本、どうしたんですか?」


 俺が急いで駆け寄ると、二人は顔を見合わせて、にやーっと笑う。


「とうとう開いたのだよ! いにしえの宝物殿の、閉ざされし大扉が!」


 瞳を輝かせたオドネルが、両手を大きく広げ、その場でくるくる回り出した。


「ああ、なんということだ……! 偉大なる竜王、ニコデムス・トニ=ルクトレアが五人の仲間とともに黄金竜を(ほふ)り、巣穴の奥で宝の山を目にしたとき、こんな心地がしただろうか?」

「朝からずうっと、こんな調子なんですよ」


 ユーリもとてもうれしそうだ。


「昔の魔法士の子孫がまた一人、ご先祖の蔵書を提供してくれたんです。しかもそれが──」

「かつて王立魔法学院で、教授を務めた人物の末裔なのだよ、カイルくん!」


 回り終えたオドネルは、ガシ!と俺の手を握りしめた。


「どれも百五十年前まで実際に使われていた教本なんだ」


 オドネルは手近な一冊をうやうやしく取り上げ、いとおしそうに表紙をなでる。


「見てごらん。これは『初等魔法学』──ルーエル=ライト教授の名著だよ。当代のライト侯爵はすっかり政治家だが、名誉ある先祖の偉大な功績を忘れたわけではなかったらしい。こうしてわれわれに協力してくれたのだからね」

「魔法の教科書ばかり集めて、どうするんですか?」


 俺とユーリ二人のために、ここまでたくさんの種類は必要ないだろう。


 すると、ジュリアン=オドネルは、胸を張って宣言した。


「メイサゴスの翼より巨大な(つの)にかけて! むろん、いつの日にかきたる生徒たちに読ませるのさ!」


 ()()

 

「坊ちゃまには、まだお話ししていませんでしたっけ?」


 本に()()()をかけながら、ユーリが言う。


「師匠はこの塔に、魔法学校を作ろうとしてるんですよ。王弟殿下のご命令で」

「教本は、今の時代に即した内容に書き換えねばなるまいがね」

「……いいなあ」


 つい、口から出てしまった。「その学校、僕も入りたい……」


「──旦那さま」


 背後で気配を消していた俺の従者が、無表情に口をはさんだ。


「私は外でお待ちしております」

「あ、はい」

「……どうぞこちらを」


 渡されたのは、中年男にそぐわない、可愛らしい(とう)のバスケットである。


「ありがとうございます」


 ドワーフおじさんは黙って一礼する。じろじろと室内をながめまわし──そのまま扉を開けて出ていった。


「……なんだか迫力のある人ですね」


 ユーリが栗色の瞳をぱちくりさせている。オドネルもようやく、彼の存在に気づいたらしい。


「カイルくん、今のかたは?」

「ええと、なんていうか、僕の……護衛みたいな人です」

「……すっかり忘れてましたけど」


 感心したように、ユーリが口を開けた。


「ティ坊ちゃまって、()()()()ですもんねー」


 そんなふうに言われると、いたたまれなくなってしまう。それに俺はまだ、厳密にいえば伯爵じゃない。


 ──バスケットの中身は、いろんな種類のベーグルの詰め合わせだった。


「え、なにこれ、おいしい……!」


 たっぷりのクリームチーズと焼きりんごをはさんだのをひと口かじり、ユーリが口元を押さえた。


 ブルーベリージャムのやつを二つも、ものの二分でたいらげたオドネルは、ティーカップを片手に、うっとりと目を閉じている。


「……どうやらお宅の料理長は、神々に愛されし腕の持ちぬしのようだ」

「そうですね」


 ネロの作るものは、なんでもおいしい。──それは、その通りなんだけど。


 オドネルが薄目を開けた。


「浮かない顔をしてるじゃないか」


 俺は、机の天板にうずを巻く木目へ、目を落とした。


「僕、今はまだ、正式の伯爵じゃありませんが……」


 もうすぐ俺は、爵位をもらわなければならないらしい。それは秘書のオーリーンからも、くどいように言われてしまった。


「爵位など、王制の中での、単なる住所録のようなものだと思えばいい」


 オドネルが言う。先日彼は、自分のことを貴族階級の出身だと言っていた。


「はい、でも……」

「…………」

「もうすぐ爵位の授与式で、僕は王さまにお会いしなくちゃならないんです」

「国王陛下にお会いするのはお嫌なんですか?」


 口をもぐもぐさせながら、ユーリが尋ねてくる。見かけによらず度胸のある彼女なら、きっと平気なんだろう。そう思うとなんだか恥ずかしい。


「いえ、それはそんなに……」


 エディットが口にした「光栄」という言葉も、俺にはまだピンときていない。いずれにしろ、彼女と結婚するとは、そういうことだ。──まあ、このところ忘れていたけどさ。


「じゃ、なにが憂鬱なんです?」

「えーと……爵位授与式のときは、もっと違う格好をしなければいけないので……」


 俺は今日の自分の服装を見下ろした。誰のおさがりでもない、真新しい衣装。これで充分過ぎるほどなのに。


「もしかして」


 ユーリは眉間にしわを寄せた。「また()()ですか?」


 俺はため息をついた。「ええ、また()()なんです」


()()とは、なんのことかね?」


 一人オドネルだけが、けげんな顔である。そこにユーリがさらりと言う。


「ティ坊ちゃまは結婚式のとき、金髪の長髪で、背丈もずっと高かったんですよ」

「ほう!」


 黒衣の魔法士は、勢いよく椅子から身を乗り出した。


「確か、前にもそんな話をしていたね。姿変えの魔法なのかね?」

「そんなわけないじゃないですか。()()ですって」


 そうかもしれないけど……お願い……仮装って言わないで……


「なぜ結婚式や爵位授与式で、わざわざ仮装をするのかね?」

「そういえばそうですね。坊ちゃま、どうしてなんですか?」


 ──え、そんなふうに言われちゃうと。


「さあ……? どうしてなんでしょう……?」


 と、俺が首をかしげたそのとたん。


「尋ねたまえ!」「()けばいいじゃないですか!」


 二人がそろって大きな声を出したので、俺はものすごくびっくりした。


「カイルくん、口は呪文を唱えるためだけについているのではないのだぞ」


 重々しい口ぶりで、オドネルが言う。


「おいしいものを食べるためだけについているんでもありませんよ」


 ユーリは最後のベーグルに手を伸ばす。


「だいたいティ坊ちゃまは、ご自分の身にわけのわからないことが起こったら、どうしてなんだろう、って考えないんですか?」


 ……確かに。


 俺が()()()()なのは、自分でも認めざるを得ない。


 アルノーの実家にエディットが現れた日だってそうだ。俺に婿養子の話があることも、その日彼女が訪れることも、当事者の俺だけが知らなかった。俺は家族の変化になにひとつ気づいていなかった。


 ユーリ先生が俺の家庭教師を辞めた理由も、きっとみんなは知っていたんだろう。なのに俺は、誰に尋ねるわけでもなく、ただ──ああ、もう先生は戻ってこないんだな、と思っただけで。


「そうですね……」


 これじゃあ「他人に興味がない」って言われちゃっても、無理ないかも。


「……今度、訊いておきます」


 これからは、もう少し注意深く生きよう……


「それがいいと思いますよ」

「ぜひ、そうしたまえ」


 とはいえ、尋ねる機会なんてないんだよなあ──と、どうしても俺は思ってしまう。


 エディットとは、あれきりだ。それに、また食事どきにでも会えたとして、前には目力のワトキンス、後ろにはグレイのにやにや顔か、ドワーフおじさんのしかめつらだ。話しづらいことこのうえない。


 ──あ。


 この前の晩は、王都にきてから初めて二人きりで、エディットと話をしたんだ……


「ティ坊ちゃま、どうかしましたか?」


 気がつくと、ユーリの不思議そうな顔が目の前にあった。


「え?」

「なんだか顔が赤いですよ」

「……え?」


 そうだろうか。俺は自分の頬に触れてみる。──熱いような気が、しなくもない。


「今日のティ坊ちゃまはいつもと違いますね。おうちでなにかあったんですか?」

「な、なにもないですよ。──そういえば」


 話をそらすつもりはないが、せっかくなので俺は二人に尋ねてみた。


「どうして僕が三日もこなかったのか、二人ともなにも訊かないんですね」


 別にすねてるわけじゃないけど、もしも忘れられていたんなら、俺、ちょっとさみしいかもよ。


 すると、オドネルが笑った。彼の口の端には、思慮深げなしわが深く刻まれた。


「知っていたからね」


 え?


「お使いの人がきましたから」


 と、ユーリも言う。


「ちりちりの金髪の、男の人です。さっきの護衛の人よりもう少し若いかな? 下男だって言ってましたよ」


 ──マイルズだ。


「旦那さまはおうちの都合で何日かこられません、って。ねえ、師匠?」

()()()()とはいったい誰のことなのか、しばらく考えさせられたがね」


 なにを思い出したのか、二人とも苦笑いしている。


「……それ、いつですか?」

「ああ、きみが炎の(わざ)を披露してくれた、次の日だよ」


 オドネルがお茶の残りを飲み干して、すっくと立ち上がった。


「さあ、カイルくん、ローランドくん、英気を養ったところで、もうひと仕事といこうじゃないか!」


 ──それから俺たち三人は、いくつかの棚を整頓し、空いたすきまへ新たな本を押し込めるのに数時間を費やした。


 オドネルはすきあらば手にした本を広げ、なにがしかの講釈を垂れようとする。それを聞きとがめたユーリが、彼をガミガミ叱っている。


 あんなふうに言ったのに、エディットははじめから俺を、ここにこさせてくれるつもりだったんだろうか。


 ……どうして?


 やがて日がかたむき、従者が俺に帰宅をうながした。扉の前に何時間も立ちっぱなしでいたらしい彼は、なかなかすごい男だと思う。


 通用門の脇には、下男のマイルズが御者を務める馬車が待っていた。十分もかからない道のりを揺られ、屋敷へ帰る。夕食後、俺は自分の部屋に戻った。


 今夜はエディットの帰りを待っていよう──俺はそう思っていた。


 俺は彼女に尋ねてみたいことがある。それに、言わなければならないことがある。 


 夜が更けるまで、俺は美しい湖の精霊と一頭の水竜の物語を読み続けた。水竜が精霊のために尾を失う悲しい結末を迎えても、彼女はまだ帰ってこない。俺はとうとう耐えきれなくなり、明かりはそのままで着替えもせず、ベッドへ倒れ込んだ。


 どのくらいの時が経っただろう。


 枕元に、人の気配を感じる。ああ、エディットが帰ってきたんだ──俺にはなぜか、それがわかった。この世で一番美しい女性(ひと)が、俺のすぐそばにいる。


 ──カイル。


 彼女が俺を呼んでいる。でも、起き上がろうと思っても、俺の体は動こうとしない。


「……カイル」


 今度こそ、俺を呼ぶ声がした。


 どうにか目を開く。夢じゃなかった。本当に、ベッドのそばにはエディットが立っていた。ランプは燃え尽きたのか消えていたが、室内は薄明るい。夜明けが近いのだ。


 彼女は制服の腰にレイピアを帯びた、いつも通りの姿だった。ひどく疲れた顔をしている。たった今、戻ったんだろうか。


「カイル、いっしょにきてくれないか」

「え」


 俺は目をこすり、起き上がった。


 エディットは俺を見下ろしたまま、ささやくように声を出した。


「おばあさまが……」






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