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「──これがいかなる事態なのか、あなたはなにもわかっていらっしゃらない」


 長い中指で銀縁眼鏡を押し上げつつ、オーリーン=ショウが俺に(のたま)う。


「エレメントルート家は先代のみぎり、おそれ多くも先の国王陛下の姫君を娶ったお家柄。それはあなたもすでにご存じのはず。その家の、まもなく正式の当主になろうというおかたが、こそ泥まがいのやりかたで王宮へ侵入するなどもってのほか。世間に知られれば、奥さまがどのような目で見られるとお思いか」


 ……当主だなんて少しも思ってないくせに。


 俺は心の中で思いっきり舌を出す。すると、それがわかったみたいに、秘書のこめかみの青筋はびくびくとひきつった。


「まったく、お兄さまがたはご立派で有望な若者たちだというのに、この弟君ときたら──」


 先日アルノーへの帰路についた、マクシミリアンとレオンハルトのことだろう。見た感じ兄さまたちより年下なのに、じじむさい言いかたをする。中身が老けてるんだよね、この人。


「お若いとはいえ成人は過ぎておいでなのですから、軽挙妄動は慎んでいただかねば皆が迷惑します。おわかりですね?」

 

 はいはーい、わかりましたー。


 ……俺は、彼が履く手入れの行き届いた靴のつま先に目を落とし、極めて神妙にしていたつもりである。


 だがオーリーンは、ロバの耳元へ説法を垂れてみた大神官のような、あきらめに満ち満ちたため息をついた。俺、考えが顔に出ちゃうたちなのかなあ。いろんな人にいろんなことを見破られている気がする。韜晦(とうかい)するのって難しい。


 俺の()()がばれてから、まる三日が過ぎている。そのあいだ、俺は屋敷から一歩も外へ出なかった。


 ──あの翌日、昼食を終えたあと、俺は厨房へ足を向けた。


 巨体を揺らしながら鼻歌交じりに皿を洗っていたネロが、ちらりと目を向けてくる。俺は勝手口の扉の鍵穴へ、指をあてた。


「……『さえぎるものよ われこそは正当なる所有者』」


 深い迷宮の一番奥で、財宝がぎっしり詰まった宝箱(チェスト)を開けるための呪文。


「『開け そしてわが前へ示せ』」


 ……錠が回る音はしない。


 振り返ると、料理長のお月さまみたいなまん丸い顔には、気の毒そうな笑みが浮かんでいた。


「そこはゆうべ、鍵を替えましてねえ」

「…………」


 ほかの扉や窓を試す気持ちには、もう、なれなかった。


 出ていくつもりなんてなかった。俺はただ、俺にはこの扉を開けていつでも外へ出られる手段があるんだってことを、確かめたかっただけだ。


 エディット本人からおとなしくしているよう言い渡された以上、逆らうことはできない。俺の実家は、彼女から多額の援助を受けているのである。


 それと、もうひとつ。


 ──あまり心配をかけるな。


 はっきりいって、あれは反則だと思う……


「……ともかく」


 居間で俺を見下ろすオーリーンは、だめ押しみたいに、ふーっ、と息を吐き出した。


「奥さまから旦那さまへ、()()をお渡しするよう言いつかっております」


 俺は目を上げた。


 差し出されていたのは、四つに折りたたんだ白い紙。


「……私は賛成いたしかねるのですが」


 秘書の表情は、あくまで硬く、険しく、生真面目なままである。


「奥さまがどうしてもとおっしゃいますので。──さ、お受け取りを」


 ……エディットが?


 俺はそっと、手を伸ばす。安っぽいざらざらした紙には、幾人もの手を経てしまったために、無数のしわが寄っていた。それをていねいに、伸ばした跡がある。


 もう二度と放したくない。俺をまだ見ぬ世界へ(いざな)う呪文が記された紙。オーリーンの気が変わらないうちに、俺は急いでポケットへ押し込んだ。


「……よろしい」


 オーリーンはうなずいた。


「お出かけになりたいのでしたら、どうぞご随意に」

「え」


 今度こそ韜晦もなにもなく、俺は喜色を丸出しにしたと思う。


「ただし、これからは私の申し上げることに従っていただきます」


 ええ? なに?


「失礼ながら、同じディルク姓をお持ちとはいえ、当家とご実家とはいささか立場が異なります。当家には当家なりの()()というものがございます。次期当主にふさわしい立ち居ふるまいをなさっていただかなければ、奥さまの体面に関わります」


 なんだかいやーな予感がする……


 秘書は、くい、と銀縁眼鏡を押し上げた。


「もしも(いな)とおっしゃるのなら、私にも考えがある。たとえ奥さまがどのように仰せであろうとも──……………………」



 ◆◇◆


 これは、最悪の事態だけは勘弁してもらえたと考えていいんだろうか……


 さすがに変装めいた地味な服は取り上げられてしまった。代わりに、品はいいが場違いなほど派手ではなく、いかにも良家のぼんぼんのお忍びふうな衣装が用意されていた。


 幸い、例の()()をかぶらず()()を履きもせず、俺は無事、王宮までたどり着いた。とにもかくにも、めでたいと思おう。


「や、やあ、坊主……じゃねえな、坊ちゃん、二三日(にさんち)見かけなかったじゃないか」


 西口通用門の衛兵、ケンの野太い声が、うわずっている。


「で……そちらのお連れさんは? まさか、あんたの父親(てておや)だってんじゃなかろうな?」


 ケンの口ぶりに混じるのは、下町訛りだろうか。王宮勤めの軍人のわりに、彼は意外と庶民派らしい。


「──とんでもない」


 俺の斜め後ろから、負けず劣らず腹の底から響くような野太い声が返ってきた。


「それがしはただの供。どうかお気に召されるな」


 召されるな、って言われてもさー……


 通行許可をもらうために居ならぶ人々が、ざわついている。そりゃそうだ。紋章こそついていないとはいえ、わざわざ裏口まで二頭立ての馬車で乗りつけた子どもが、長剣を帯びた立派な剣士をお供に従えているのである。とりあえずみんな、なにごとだろう、くらいは思うに違いない。


 実際、()には独特の雰囲気がある。ずんぐりむっくりで背丈は低いし、身なりも当たり前の革服だが、鋭い目つき、太い眉、いかつい顔立ち。肌は黒く日に焼けて、まるで武者修行から帰った武芸者みたいだ。


 俺はこの人を見るたびに、ひげを生やせばいいのになあ、と思う。そうしたら、昔話に出てくるドワーフそっくりになると思うんだけど。


「そんなわけにもいかんのが、俺の役目ってやつでな」


 門番はペンの尻でこりこりと頭をかいた。


「お役所仕事と思うだろうが、実際ここはお役所だ。──お供の御仁、どうぞ、お名前を」

「これは大変失礼した」


 俺の()()()()()は、堂々と前へ進み出た。恐れげなど微塵も感じさせない態度で、大柄なケンを見る。


「主人が世話をかける。私はボリス=ボルボロスと申す。──以後お見知りおきを、衛兵どの」


 そうそう。そういえばこのおじさん、そんな名前だったっけ。





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