エピローグ
ある年の春──
王立魔法学院に、一人の少女が入学してから一週間が過ぎた。夢と希望でささやかな胸をふくらませている彼女の名は、シェリー=シーモア。成人したての十五歳だ。
歴史ある魔法学院の学長は、ジュリアン・コーネリアス=オドネル。彼の尽力のもと、蒼の塔が再興を果たしてからもう六年。いまだ新入生は年に十名ほどだが、すでに一期生、二期生は卒業した。講師として学院に勤めるものもいる。魔法士として騎士団に配属されたものもいる。シェリーもいずれその一人に……なれたらいいな、と思っている。
シェリーは広い王都のはずれにある、農村に毛が生えたような街で育った。すなわち田舎ものだ。なのに、入学早々大変なことになってしまった。
「シェリー! 晩ごはんの時間よ!」
にぎやかな足音と、澄んだ高い声がして、とんでもない美少女が部屋へ駆け込んできた。彼女は当年とってまだ九歳。雪のように白い頬と、ぱっちりと大きな菫色の瞳。市場で売られる鷹の爪みたいな真っ赤な髪を真ん中で分け、二つ結びにしている。名前は、エステル=エレメントルートという。
彼女が小さな体にまとう灰色のローブは、魔法学院の生徒の証だ。それは、シェリーも同じなのだけど。
「早く行こう! おかわりできなくなっちゃうわよ!」
早く早く、と言いながら、エステルはシェリーの手から本を取り上げた。──隔てのない口ぶりは大変うれしく思う。美少女は正真正銘のお嬢さま、貴族のご令嬢なのだ。お城近くのお屋敷街に住まいがあるにもかかわらず、ほかの生徒たちと同様、寄宿舎で暮らしている。
そのエステルが、シェリーと同室になってしまった。彼女のあまりの元気のよさに、前途多難な日々が始まったと思わずにはいられない。
生徒たちの私室は、蒼の塔の三階にある。シェリーはエステルにぐいぐいと腕を取られ、らせん階段をめぐって一階の食堂へと向かう。──その幼い腕の力強いこと。こちらのお嬢さまは将来「魔法剣士」になるんだそうで、魔法の勉強だけではなく、木剣を持ち出して素振りをするのも日課である。家来の一人に、そんなのがいるんだとか。さようでございましたか。
「エステルはお嬢さまなんだから、お婿さんをもらったりするんじゃないの?」
などと、シェリーは問うてみたことがある。「魔法剣士」のご令嬢に婿のなり手がいるのだろうか、と他人ごとながら心配になったからだ。すると、エステルは元気いっぱいかぶりを振った。
「ロイがいるから、わたしにお婿さんはいらないの!」
はあ、なるほど。そういえば入学式のとき、月光のような銀のまき毛のおちびちゃんが、緑の瞳を真ん丸にして塔の中を見回していたっけ。いささか気弱げに、母上の足元に見え隠れしていたが、あれが跡取り息子か。
三つになったばかりだという小さな弟の話になると、エステルの可愛らしい唇は、たいそう不満げにとんがった。──弟に祖母譲りの銀の髪を取られてしまい、やきもちを焼いているのだ。アセルス人にありがちな、茶色の髪のシェリーから見れば、破天荒なまでに明るい赤毛も個性的でよいと思うのだが。
上級生もふくめ、生徒にシェリーほど大きな子は一人もいない。いっしょに食事をするのは、おおかたがエステルと似たり寄ったりのちびっこたちである。これまでの生徒は、全員十歳になる前に入学したためだ。──いや、違った。一人だけ、シェリーのように成人を過ぎてから入学し、しかも優秀な成績で卒業した生徒がいた。それがエステル嬢のお父上、『エレメントルート伯爵』だ。
『赤毛の伯爵』である。彼も入学式には姿を見せていた。優しい顔立ちの物静かに見える青年で、魔法学院が開校した時の一期生の一人だ。彼が入学したのは、なんと二十歳を超えてから。シェリーが入学を決意したのも、『伯爵』のうわさを耳にしていたからだ。
魔法を覚えるには、小さければ小さいほどいい。以前おばあちゃんが言っていた。シェリーは女の魔法使い、つまりは魔女の娘である。ものごころつく前から母や祖母に教わって、魔法に慣れ親しんできた。詠える呪文もいくらかあるし、薬草を煎じて薬だって作れる。だから魔法学院への推挙を受け、審査も通った。
年下の子ばかりの学校に入ったことに不安はある。でも、自分には下地がある、と彼女は思うことにしている。
「エステル、シェリー、おかわりは?」
シェリーと同じように、地味な栗色の髪をひっつめた女の人が、ワゴンを押してきた。子どもたちの皿にシチューのおかわりをそそいで回っている。彼女がユーリ先生だ。
シェリーは優しいユーリが大好きだ。いかにも大人の女性らしい落ちついた雰囲気で、寄宿生全員のお世話を担当している。
「ください!」
パンにかじりついていたエステルが、挑むような勢いでユーリの前に皿を差し出した。──この子は本当によく食べる。きっと大きくなるんだろう。
「エステルは、魔法剣士になれたら、なにがしたいの? 迷宮探索とか?」
と、シェリーは尋ねてみた。これから五年も苦楽をともにする同室者である。相手のことはよく知っておきたい。それに彼女は、はんぱな勤めでは収まるまい。──そうしたら、またしてもシェリーの想像の斜め上を行く回答が返ってきた。
「ううん。王后さまの騎士になるのよ」
「お、王后陛下の?! 騎士?!」
「そうよ。アントニエッタおばさまと約束したんだもの。お母さまに代わって、わたしがおそばでお仕えしますって」
そうだった……時々忘れてしまうが、この子は単なる伯爵令嬢ではなかった。祖母が王女という、王族にも等しい高貴な血の持ちぬしなのである。こんなところで町娘と相部屋にして、本当にかまわないのだろうか。両親の方針と本人の希望が合致したそうだが、ざっかけない貴族もいたものだ。
エステルの母上は、かの有名な『菫の君』である。アセルス王国に一人きりの、初めての女騎士。もう三十歳に近いはずなのに、国一番の美女は健在だった。今は士官学校の助教を務めているそうで、軍服に剣を帯びてさっそうと現れた姿に、シェリーは入学式そっちのけで目を吸い寄せられてしまったものだ。──ご夫君とならんだら、どちらが背が高いのかが少々気になる。
「ごちそうさまあ!」
エステルはおかわりも瞬く間にたいらげて、勢いよく立ち上がった。
「シェリーもいっしょに剣のお稽古しない?」
しないしないしない。シェリーは大急ぎで首を振る。うっかり付き合ってしまったら、こちらまで魔法剣士にされかねない。彼女がなりたいのは、あくまでも「王宮魔法士」だ。シェリーは小さいころから本好きの、おとなしい少女なのである。剣はいらない。
伯爵家の家来にはかなりの使い手もいるらしく、エステルの剣才は九つの女の子にしては相当なものだと思う。ここの魔法好きの軟弱な男の子たちは、この一週間で、彼女にちょっかいを出すと大変なことになる、と思い知らされてしまった。
外で素振りしてくる! と勇ましく宣言し、伯爵令嬢は木剣を手に、腹ごなしへ出かけてしまった。
(元気よねえ……)
赤毛の二つ結びが飛び跳ねる後ろ姿を見送って、にぎやかな食堂の中、シェリーは、ふう、と息を吐く。
子守を兼ねているような気がしてならないが、これからいったい、どんな日々が待ち受けているだろう。怖いような楽しみなような──シェリー=シーモアのあわただしい学院生活は、まだ幕を開けたばかりである。
おしまい。
これにて本編完結いたしました。
読者の皆さんのおかげで最後まで書けました。長い間お読み頂き、ありがとうございました。
今後は不定期になりますが、はみ出た部分の回収と後日談を中心に、番外編をぼちぼち投稿する予定です。お付き合い頂けたらうれしいです。
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それではまた近いうちに。日曜朝の投稿を目指してがんばります。どうもありがとうございました!
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