俳優 達磨正人
「ちょっと、考えさせて下さい。」
「構わないよ、但し返事は明日までに頼むよ。こちらも、駄目なら早めに他の俳優に当たらないといけないから。」
「解りました。」
「じゃあ、連絡待ってるよ!」
そう言うと、男は見物人の群れを掻き分けて、人混みの中へ姿を消していった。
結局、その日、僕は高級履歴書を買わなかった。
というか、気が付くとソレを買わずに家に帰ってきてしまっていた。正直、自分が帰りの電車に乗った記憶もないのだが‥‥
ソレを買う目的だけの為に池袋まで出掛けた筈だったのにだ。
突然の俳優としてのスカウト‥‥、ドラマ出演‥‥
頭の中は、もはやその事だけで一杯だった。
(そもそも、経験のない自分に演技なんて出来るのか?)
(でも、人生においてそんな機会2度とないぞ。折角なんだからやってみたらいい。後々、いい武勇伝にもなるし‥‥)
(そんな事してる場合か?就活は?)
(もしかしたら、就活でのアピールポイントになるかも?)
(っていうか、この勧誘自体が胡散臭さくないか?)
自問自答が繰り返されていたが、なかなか決断が出来ずにいた。
それでも、明日までに返事はしなければならなかった。
ふと、佐々木が言った言葉を思い出した。
『達磨正人の面影があるんだよ。』
そう、僕がスカウトされた理由はこの1点だった。然しながら、実は僕は達磨正人について、ベテラン有名俳優という程度の事以外は殆ど何も知らなかった。
僕はパソコンを開き、『達磨正人』と入力し、インターネット検索をしてみた。
『達磨正人 東京都 俳優 51歳 (本名 小泉浩良) 平成13年に本名から改名。 個性派俳優として、近年はドラマや映画の主役も務めている。 既婚 子供無し』
当然と言えば当然だが、達磨正人というのは芸名だった。年齢的には丁度自分の親世代にあたった。
それから僕は、近所のDVDレンタル店へと向かった。
そして其処で、2枚のDVDを借りた。どちらも達磨正人が出演している作品で、1枚は比較的最近の主役を務めたもの、もうひとつは改名前の若手時代に脇役として出演したものだった。
まず僕は、先に最近の作品を観た。
この作品の中での達磨正人の役所は、難事件の解決に挑むベテラン刑事だった。刑事、検事、警察、弁護士‥‥この辺りは最近のドラマの流行りであり、少々題材としては見飽きた感もあった‥‥が、達磨正人の存在感はそんな飽和感を忘れさせ、僕をその世界に引き込んだ。
吊り上がった一重の目、浮き上がった頬骨に象徴されるゴツゴツと角張った輪郭‥‥外観的にも独特の存在感を醸し出していたが、僕を引き付けたのは其所ではなかった。
独特の台詞の言い回し、間の取り方、くせのあるイントネーション、落ち着きのない身勝手な所作、そして表現できない何か‥‥達磨正人が作り上げた主人公の一挙手一投足が、僕の好奇心を揺さぶり続けたのだった。
作品のエンドロールが流れ出した頃には、時計の針は夜中の1時を回っていた。
早送りを織り交ぜながら30分位で見終えるつもりだったが、結局ノーカットで見る事となった。
そして、見終わった僕は『俳優 達磨正人』の一ファンになっていた。
今回のスカウトの話に応じるかどうかを決める為に借りてきた2枚のDVD、その2枚目に僕が手を伸ばす事はなかった‥‥。
翌朝9時過ぎ‥‥スマホの呼び出し音が鳴った。
佐々木さんからだった。
「で‥‥どう?結論は出たかな。」
「‥‥はい。」
「よし、じゃあ『イエス』か『ノー』かだけ答えてくれ。」
「‥‥『イエス』です。」
僕は、スカウトに応じた。




