新たな風
大きな食卓テーブルに並べられた料理をよそにスジンの気持ちは冷めていた。
またしても、父親不在での母親との二人っきりの食事。
「スジンさん、食欲が無いの?」
母親の言葉にハッと我に返る。
「い、いえ、大丈夫です。」
変わり映えの無い風景にスジンの心は、すさんでいた。
どんなに美味しい食事でも、味が無い。
家族なんて名ばかり、心の中はいつも一人なんだと・・・。
母親の見てる手前、食べない訳にはいかない。
皿に載ったパンを一つ手に取り、ちぎったパンを口に運んだ。
(!?あれ、美味しい・・・。)
いつもと仕入れているパンの味違う事に気づきスジンは目を丸くする。
よく見ると料理もいつもの物とは見た目から違っていた。
「どうしたの?スジンさん。パンの味が気に入らなくて?」
母親はさりげなく口に出す。
「このパン、いつものと違いますよね?」
スジンはとっさに口を開いた。
「パンだけではないわ料理もよ。今日は、キミの料理ではなく、お父様がホテルから引き抜いてきたシェフの作ったものよ。若くて、素晴らしい腕の持ち主よ。美味しいでしょ!」
確かにこのふんわりとした食感と何とも言えない甘味。虜になりそう・・・。
「入ってらっしゃい。」
母親の言葉と同時に背がスラッとした一人の男が部屋に入って来た。
「この人が今回うちに来てもらった、チャン・ジンフさんよ。どう、スジンさん?稀にいない色男でしょ!」
「お久しぶりです。お嬢様、チャン・ジンフです。覚えていられますでしょうか?」
スジンは顔をじっと覗き込んだ。
「・・・!?あなた、あのジンフなの?」
「はい、覚えていただけましたか?」
ジンフはさわやかな笑みを浮かべ答える。
「あら、スジンさん知り合い?」
母親は少し不服そうである。
「あっ、すいませんお母さん。実は彼とは留学時代の友人でして。」
「まぁ、それなら話は早いわ。これからは、彼にレストランを任せるようだから、スジンもそのつもりでね。」
「はい、お母さん。」
スジンは、懐かしさのあまり笑みをこぼしていた。
母親は食事を済ませると立ち上がり、スジンにこう言った。
「スジンさん、私はお父様に用事があるから出かけてくるわ。後の事はお願いね、キミ。」
「はい、奥様。」
そう言い残し母親は、部屋を後にする。
二人は顔を見合わせると、お互いに吹き出した。
「ププッ!あっはっはっ〜!シィ〜!!」
「あんまり笑うなよ。」
「だって、お嬢様って!あのジンフがだよ!クックックッ。」
「笑いすぎ!ほら、食べないとせっかくの料理が冷めてしまうだろ!」
「ごめん、ごめん。」
二人はまた顔を見合わせるとお互いに笑みを浮かべていた。
「あ〜、美味しいかった。ご馳走様でした。」
ジンフはそんなスジンを見ながら、ゆっくりと片付け始めた。
「ねぇ、ジンフ?」
「はい、何でしょうか?」
スジンは舌打ちをしながら喋り始める。
「ジンフ、ちょっと堅くない?」
ジンフは顔を近づけ小さな声で呟く。
「しょうがないでしょ!俺は雇われシェフなんだから。」
「では、お嬢様。失礼します。」
ワゴンに食器を載せ終えたジンフは、静かに部屋を後にする。
そんな後ろ姿をスジンは寂しそうに見つめていた。
部屋に戻ったスジンは、また一人になっていた。
(ジンフかぁ、何年ぶりかな。せっかく久しぶりに会えたのに・・・。そぉだ!)
スジンは立ち上がると部屋を出た。
キミに見つからないように玄関先をくぐって行った。
外ではジンフと相方で貨物車に食器などを載せていた。
車の影に身を潜めゆっくりとジンフに近づいていくと小声でジンフに呼びかけた。
「ジンフ〜、ジンフ〜。」
囁くような呼びかけにジンフは気付くと驚いた表情で近寄った。
「ス、お嬢様、こんな所見られたら何言われるか。」
「これ、これ。」
スジンは一枚の紙切れをジンフに手渡した。
手渡したのは彼女の携帯の番号とメルアドである。
「じゃあ、またね。」
スジンはそう言い残し家の中へと戻って行った。
ジンフはそんなスジンの行動に笑みを浮かべていた。
彼らの上には、綺麗な夜空と大きな月が顔を出し輝いていた。
そんな夜空を眺めるもう一人の男もまた彼と出会う日が近づこうとしていた。