家族という名のもとに
あれからスジンは、ミンジュと待ち合わせる為、ある場所で一人佇んで待っていた。
「スジン、ごめん!遅くなっちゃって!」
息を切らせながら、ミンジュが駆け寄ってくる。
「ミンジュ、遅くなるなら電話くれればよかったのに!待ちくたびれたわ。」
スジンは口をとがらせ、すね始めた。
スジンの性格から言って、待つ事など有り得ないが、いつもと違う彼女にミンジュも何かに気づいたようだった。
「今日は何かスジンらしくないわね。待ってるなんて、今まで無かったわ!不思議〜。」
スジンは、ミンジュの言葉を聞き、慌てて言い返した。
「ミ、ミンジュが時間を守るって言うから待ってただけよ!大体、あなたの言った時間に私が来たのに、いないなんておかしいじゃない!もういいわ、帰る!」
とうとうふてくされたスジンは、その場を立ち去ろうとするがミンジュは引き止めた。
「スジン、帰るとあれ買えないよ、どうするのかな?」
スジンはミンジュの言った言葉に立ち止まり、しばらく考え込んだ。
(くっ、ミンジュったら・・・。)
「せっ、せっかく待ってたんだから、しょうがないわ。行きましょ!」
そんな見慣れぬスジンの姿に、ミンジュは笑みを浮かべていた。
ミンジュはスジンに駆け寄ると、スジンの腕を引っ張りながら、ある店へと向かい始めた。
僕は、母の手伝いもありいつもより仕事がはかどっていた。
母は、久しぶりの仕事に少々疲れ気味だったが、僕にとって、両親と仕事をする事は、何より楽しく嬉しかった。
「ふう、しばらくやってないと、こんなにしんどいもんかね?」
白髪まじりの髪を一つにまとめ、シワの増えた手や顔に小さな手拭い、そんな母の縮こまった背中が、妙に寂しく見えた。
母の持っていた箱を取り上げ、僕は母に話しかけた。
「母さん、後はやっておくからいいよ。休んでなよ。」
「今日はいいんだよ。最後まで一緒にやるから。」
「その言葉だけでもういいよ。久しぶりに母さんと仕事できて嬉しかったけど、後は僕一人で十分だから。」
いつの間にか、僕が気が付かないくらい成長していた事に、母はうっすらと笑みを浮かべた。
「そうかい?なら後は頼んで、わたしゃ買い物にでも出ていこうかね?」
母は首にかけたタオルを下ろすと、一人店の奥へと入って行った。
僕は母が無理をしないか、心配でならなかったのだ。
僕が成長した分、母も老いていく。
父のようにだけはなって欲しくない、妹の為にも、僕の為にも・・・。
そんな僕も病み上がりのせいか、少し疲れ気味になっていた。
僕は何かを思い出したかのように、店の奥の台所に向かった。
台所のわきにある紙袋を、おもむろにさばくり始めた。
紙袋から取り出したのは、栄養ドリンクである。
(あった・・・。)
僕は取り出したと同時に、ホッと肩をなでおろす。
蓋をあけ一気に飲み干した後、何故だか妙に嬉しさを感じていた。
ほろ苦く甘い味が、僕を元気にさせる。
「さて、もう一踏ん張り!」
威勢よく声を張り上げ、僕はまた店に戻って行った。
その頃、スジンとミンジュは、ようやく目的の店にたどり着いていた。
「ミンジュ、本当にここなの?」
「ええ、そうよ!さっ行きましょ!」
見た目は、古びた瓦作りで出来た小さな料理屋。
いかにも、今にも潰れそうな店にスジンは不安を隠せない。
スジンはミンジュに腕を引っ張られながら、しぶしぶ店の中へと入って行った。
店の中に入ると、泥臭い匂いと、生臭い匂いが鼻を直撃する。
スジンは鼻をつまみながら、店の中の光景を見回していた。
「おじさ〜ん、おじさ〜ん!」
ミンジュは大きな声で、店の奥へと呼びかける。
「お〜い。」
微かにかすれた声が聞こえたかと思ったら、奥から一人の老人が姿を現す。
「おじさん、頼んでいた物、取り置きしておいてくれた?」
老人は、黙ったまま奥から大きなバケツを運んで来た。
老人が蓋を開けたその中身とは、スッポンであった。
「ミ、ミンジュ、これがそのスッポンなの?」
スジンは、初めて見るその姿にかなり引いていた。
彼女自身食べた事はあっても、その姿を見るのは初めてだった。
「あぁ、ありがとう。ほら、スジンも御礼を言わないと!」
ミンジュは、スジンにけしかけるように言い放つ。
「あ、ありがとうございます。」
バケツの中身を横目で覗きながら、スジンは小さな声で御礼を言った。
スジンの情けない姿に老人もミンジュも笑っていた。
夕暮れも近づき、妹のスギョンが帰る頃だ。
僕は一人そわそわしながら、帰りを待っていた。
母は、家で食事の用意をし始めていた。
母も落ち着かないからだろうと、母の気持ちを察していた。
「ただいま〜!」
そんな、僕や母の気持ちをいざ知らず妹は元気よく帰ってきた。
「スギョン、おかえり。」
今の僕に言える精一杯の言葉だった。
「お母さんは?」
「中で、夕食の用意をしてるよ。」
「えぇっ!もう?せっかく一緒に作ろうと思ってたのに〜!お母さん!」
ふくれながら、妹は家へと入って行く。
まだ、蒸し暑さが漂う夕暮れ前が異様な雰囲気をかもち出していた。
僕は店を早く閉める為に、片付けを始める。
「あれ?今日はもう終わりなの?」
通りがかりの客が、尋ねてきたが、僕は申し訳なく言う。
「すみません、今日はもう終わりなんです。」
いつもならここで、残りのパンを分けてあげるのだが、今日の僕にはそんな余裕も無かった。
(心苦しい・・・。)
残念そうに帰る客の後ろ姿は、いつ見ても嫌だ。
僕は気持ちをグッとこらえながら、片付けを終えようとしていた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!」
店の中から怒ったように妹が出てきた。
妹にようやく気付いた僕は我に帰る。
「ん、どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないよ!何回も呼んだのに〜!」
妹は呆れた顔で僕に言った。
「ごめん、ごめん、ちょっと考え事してたんだ。謝るよ、スギョン。」
妹に謝るが、僕の胸中は複雑なままだった。
妹は、僕のちょっとしたいつもと違う仕草に、何か気付き初めていた。
そんな妹の目を尻目に、僕は店の片付けを早く終えようとまた働き始めた。
「お兄ちゃん、お母さんが終わったら家に来てって・・・。」
「あぁ、わかった。」
妹は僕に一言、言い残し家の中へと戻って行った。
日も暮れ出す時間になった頃、ようやく店の片付けにケリをつけた僕は、母達の待つ家へと戻った。
妹は母の手伝いをしながら、楽しそうに笑みを浮かべていた。
母は僕の姿に気付くと、さっきまでの笑みが嘘のように消え去った。
妹もそんな母の表情に気付き、自分の知らない何かに疑問を抱いていた。
「スギョンや、ご飯を運んで頂戴・・・。」
「あっ、はい、お母さん・・・。」
妹は、母に言われた通りに夕食の準備を始める。
母は黙ったまま、出来上がったチゲをお椀に注いでいった。
夕食の準備も整い、皆がテーブルを囲んで座る。
料理は美味しそうに並べられているのに、家族の間には異様な雰囲気が漂っていた。
「ね、ねぇ、二人共どうかしたの?」
最初に、話を切り出したのはスギョン。
母と僕は顔を見合わせると、神妙な顔つきで黙ってしまった。
僕はスギョンの顔を見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「スギョン、実は今日はお前に話があるんだ・・・。」
スギョンは二人の顔を見回しながら不安げな表情へと移り変わる。
「何の話?」
「父さんの病気の事だ。」
「お父さんがどうかしたの?」
妹の健気な表情に僕は、胸が痛い。
「父さん、もう永くはないんだ。癌なんだ・・・。」
妹は、僕の言葉を聞くと表情が一変する。
「えっ?癌?でも、お母さんやお兄ちゃんは、お父さんの病気は、只の胃潰瘍だって言ってたじゃない!二人して嘘ついてたの?」
二人の会話を聞いていた母は、スギョンに話始めた。
「スギョン、お前には嘘ついてたんだよ。
父さんにお前には学校を卒業するまで黙っておくよう言われてたんだよ。」
「三人して、私を除け者にしてたの?酷い!」
妹は、目に涙を溜め二人を睨みつけた。
「俺も母さんもお前に言おうか、どうか迷っていたんだ。お前の顔を見る度、心を痛めてた母さんの気持ちも分かってやって欲しい。」
「そんなの勝手だよ!お兄ちゃん、私だって家族だよ。お父さんの体の心配をしなかった日なんて無かった・・・。
病状が悪いのなら、はっきりそう言ってよ。もう私だって、分かってるつもりだよ・・・。」
妹は、本当の事を言われ無かった事をとても悔しそうに訴える。
「スギョン・・・、悪かったよ。母さんもヒョンも謝るから、本当に本当にごめんよ。」
母は涙ながらに妹に謝った。
「も、もう、お父さん永くないの・・・?」
僕は黙ったまま首を縦に振る。
「お、お、お父さんが、お父さん・・・。う、う、うわぁん。」
妹は一気に泣き崩れその場に座り込んだ。
母はそんなスギョンに近寄り、泣きながら抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね、スギョン・・・。」
僕はそんな二人の姿が、涙で霞んだ。
「ガタッ!」
突然、何かに当たった物音に僕は気づいた。
店の方からだ。
「誰かいるのか?」
僕は思わず、店の方に怒鳴った。
店の入口の影から、バケツを持ったスジンが姿を現す。
「ス、スジンさん・・・。」
「あの、ド、ドアをノックしたけど返事が無くて・・・。開いてたからつい・・・。あっ、こ、これ、体にいいって聞いたから、そのうまだ調子が悪いって聞いて・・・。」
スジンは、精一杯の言葉で僕に気遣っていた。
「いつからそこにいた!」
スジンの想いとは裏腹に、僕は突然頭ごなしに怒鳴った。
「えっ、そ、それは・・・。」
僕の突然の態度に、スジンはたじろぐ。
「まさか、さっきの話聞いてたのか?」
スジンは顔色を変えながら、頑なに否定する。
「な、何の話?」
疑いの目を向けるが、彼女はしらをきる。
「そうか、聞いてないんならいいよ。すまない、突然怒ってしまって。」
「そんなぁ、私が勝手に入ったのが悪いのだから、謝るのは私の方です。すみません。」
お互いに謝っていると、奥から母が出てきた。
「あら、あなたは・・・。」
「勝手にお邪魔してすみません。」
母はスジンの姿を見ながら僕を呼びつける。
「ヒョン、知り合いかい?」
「ん、ま、まぁ。」
そんなやりとりの中、妹も奥から顔を出すがショックで、元気をすっかり無くしていた。
妹は、黙って歩き始め家を出ようとした。
「スギョン、どこに行くんだい?」
母の言葉にも反応せず、ただ黙って外に出て行った。
「おい、スギョン!ちょっと待・・・。」
僕の言葉にスジンは表情を変え、僕達に言った。
「私がついて行きます。」
スジンはスッポンの入ったバケツを僕に手渡すと、スギョンの後を追い外に出て行った。
「お、おい!ちょっとって、このバケツ何が入ってるんだ?」
母と二人で恐る恐る蓋をあけると、中には一匹のへんな生き物が元気に動いていた。
「う、うわぁ。何だ?」
「ヒョン、これスッポンだよ!」
母の言葉にバケツの中にもう一度、目を向ける。
「スッポン?何でスッポンなんだ?」
スジンの行動に僕は、へんな意味で驚いていた。
スジンはふらつき歩くスギョンの後をついて歩いていた。
通行人に当たりひざまずいたスギョンに慌てて、駆け寄る。
「大丈夫?」
スジンの言葉に気づいたスギョンは、彼女の顔を見るなり、思わず泣きついた。
スジンは、そっとスギョンの肩を抱き寄せる。
「どうしたの?大丈夫?」
スジンは、本当は先ほどの話を全部聞いていた。
だから、スギョンの泣く理由も知っていた。
スギョンの泣く気持ちを彼女自身も共感する事が過去にあったからだ。
スジンは、スギョンが泣き止むまで、そっと抱きしめていた。
それから、時間が経って、二人は公園にいた。
スジンが買ってきた飲み物をスギョンに渡す。
「どうぞ。遠慮しないで、おごりだから。」
「ありがとう、スジンお姉ちゃん・・・。」
小さなベンチに二人は肩を並べながら、周りの景色に目を向けていた。
辺りが暗くなり始めているにも関わらす、見知らぬ父親とその娘は楽しそうに、ボールで遊んでいる。
その光景を見るスギョンの表情は暗かった。
スジンは、そんなスギョンを見ると突然、昔の話を切り出した。
「私ねぇ、小さい頃に大好きなお母さんを亡くしたの。」
暗かったスギョンは顔を上げ、スジンの話を聞き始める。
「お母さん・・・、お亡くなりになってたんですか?」
「うん・・・。私ね、兄弟とかいないの。一人っ子なんだ。いつもお母さんに引っ付いていたんだ。お父さんは、仕事で忙しかったからほとんど家にいなかったんだ。
よくある話よね・・・。
でも、お母さんは、そんな事を忘れさせてくれる、大切な存在だった。
ある日、学校から帰って来たら、いつもいるはずのお母さんが家にいなかった。
家にいたのは、知り合いのおばさんだけ。
おばさんは私の姿を見ると突然、泣き顔で私を抱きしめた。私には何が起こっているのか分からず、思わずおばさんに聞いたわ。(おばさん、どうしたの?お母さんは?)おばさんに連れられ向かった所は、病院の慰安室だった。お母さんの横たわるベッドの横で、お父さんが一人震えながら佇んでいた。私が近寄り声をかけると、お父さんは私を抱きしめ泣いていた。お父さんの涙を見たのはそれが最初で最後だった。お母さんの横たわるベッドの横で私は、泣けずに黙って立っていたわ。悲しみを通り越した感情に、私は泣けなかった・・・。」
「お姉ちゃん・・・。」
「ごめんなさい、実はあなた達の話聞いてしまってた。昔を思い出しながら・・・。スギョンさんは、幸せね。」
「えっ?」
「だって、お兄さんもいるし、お母さんだって。お父さんも重い病気だけど、まだ何かしてあげられるじゃない。私は、頼れる人もいなかったし、結局お母さんに何もしてあげられなかった。その事が今でもずっと心残りなの・・・。スギョンさんには、今を大切にして欲しいの。」
スジンは目に涙を溜めながら話した。
「うん、お姉ちゃん。私、頑張ってお父さんの病気を治してみせる!お姉ちゃん、ありがとう。」
スギョンの元気が戻りスジンはうっすらと笑みを浮かべた。
「そういえば、さっきお姉ちゃん何持ってきたの?」
「帰ったら、分かるわ。」
「教えてくれたっていいのに・・・。」
スジンとスギョンは顔を見合わせ互いに笑っていた。
「じゃあ、私はここで。」
「お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
「うん、用事も済ませたし、お父さんがうるさいから。」
「う〜ん、せっかく逢えたのに・・・。」
「また、今度行くからね。」
「本当?約束だよ。」
「ええ、約束。」
スジンとスギョンは、小指を交え約束をすると、スジンは街の中へと消え去って行った。
スギョンは、小さな溜め息をした後、母と僕の待つ家へと帰って行った。
綺麗に染まり始めた夕焼け空を眺めながら・・・。




