クリスマスの後に (某美術部小説番外編)
息が白い。寒い。
毛糸の手袋をはめた手をさらにこすり合わせて頼りない暖をとりながら、私はこぼれ落ちてきそうに星がきんきらした夜空を仰いだ。どうして寒い日に限って、こうも空がきれいなんだろう。それは空気が澄んでいるからに決まっているけれどそんな当たり前の理由はどことなく癪に思えて、私は舌打ちと共に勢いをつけて、氷のように冷たい鉄製の校門に手をかけた。
鉄棒をするときのように、ふわりと身体が宙に浮かぶ。膝を門の上にかけて、上半身を持ち上げる。どう贔屓目にしたって校門を乗り越えようとしているようにしか見えない私は、はたから見たらたいそうな不審者に違いない。でも幸いに今は夜の十一時過ぎ。夜間部のない高校に面した道に人通りは皆無だった。
手袋をしていても痺れるほどに冷たい門から飛び下りたところで、侵入は成功。お金持ちの私立とは違って、県立の笠平高校にたいした防犯システムは導入されていない。だって侵入したところで、泥棒が期待するようなものは何もないのだから。化学室に品揃えの貧相な薬品類が、少しだけ奮発したようにみえる二重鍵の棚にしまってあるくらい。
私はテニスコートのほうに回り込むと、終業式にあらかじめ鍵を閉めずにおいた美術室の右から二番目の窓を開けて、失敬して土足のままで入り込んだ。もちろん月と星明りでやっと物の判別がつくくらいの外に比べて、室内は真っ暗。ショルダーバッグをまさぐって取り出した懐中電灯をつけると、美術室の中に、きれいに飾り立てられたクリスマスツリーの姿が浮かび上がった。
手作りのオーナメントに、綿の雪。巻きつけた電飾。
キャプテンとマネージャーの提案により、美術部のみんなで終業式の前日に飾り付けをした。そのキャプテンたちが来年卒業してしまったら、正式に次のキャプテンは斗和子で、マネージャーは私。今の二年生はほとんど全員が幽霊部員だから、先輩たちを飛び越えて私と斗和子が一年なのに次期幹部職を拝命することになって。じゃあ次期幹部の私たちの初仕事として、クリスマスが終わったらこのツリーをお正月飾りにこっそり変えてみんなを驚かせようと斗和子と一緒に企んでいたのだけれど。……あいにく、約束の今日、斗和子は風邪を引いてしまった。でもそのためにあきらめてしまうのも、せっかく作った松竹梅のお正月飾りも使えないのも、なんだかとても悔しい気がして。元日までに時間もないし、それまでに斗和子の熱が下がる保証もない。だから私一人でも、企画を実行するためにこうして来ている。
本当は日中に来るつもりだった。でも、斗和子の分の飾りも作っていたら結局夕方になってしまって。冬至も過ぎたばかりの今では外は真っ暗。そんな時間から家を出るなんてことは、とうてい母さんが許してくれるはずもなく。明日は大晦日だし、家のことが忙しくて外出なんてできない。――考えあぐねた結果、早く寝ると嘘をついてこっそり忍び出てきました。神様母さん父さんごめんなさい。
「……さて。とっとと仕事を終わらせて、ばれないうちに早く帰ろう」
ひとりごちて懐中電灯を上向きに置くと、私は早速ツリーの片付けに取り掛か――――ろうとした、のだけど。
「だーれだ?」
突然、楽しそうな声と両まぶたにひやりと冷たい感触がして。
一瞬、心臓がひっくり返って、息の仕方を忘れた気分だった。
「こんな時間に女の子一人で出てきただなんて、危ねーどころの騒ぎじゃないと思うんだけど」
くつくつと息を殺した笑い声。耳になじんだ喋り方。私の両目を覆っているのは、華奢な指と、しっかりと広い手のひら。
――ああ、なんだ。学校の怪談に登場するような幽霊や化け物のたぐいではなくて。後ろ髪にかかる息吹が温かな彼のことを、私は良く知っている。
「灘」
「あたり」
冷たい指先がすっと遠のいて、懐中電灯に照らされたほの明るい空間に見慣れた灘の顔がひょっこりあらわれた。
「早音さん何やってるんだよ、こんな時間にさ」
「君こそなんでこんなところにいるのよ」
「オレはコンビニで雑誌の立ち読みしてたらガラス越しにどっかに行こうとしてる早音さんを見つけたもんだから、それでこっそり追いかけてきただけ。早音さんがいかがわしい酔っ払いにでも絡まれたら飛び出していって助けてやろうって思ってさ」
「へえ。それはそれは紳士なことで。ありがとう」
「早音さんそれ感情入ってねーぞ」
「だって棒読みだもの」
ひでーなあとか言いながらからから笑ってる灘をよそに、私は電飾のコードに手をかけた。早く片付けて帰らないと、万が一寝るのが遅い兄さんに私の不在がばれて母さんに告げ口されでもしたらたまらない。
「あ、ちょっと待った」
「何?」
灘がコードを引き抜こうとしている私を止めた。そこにいるだけならまだ許すけど、片付けの邪魔をするのはやめてほしい。むしろ手伝うべきでしょう? 同じ美術部員としてせっかくここにいるんだから。
「待ったって何よ。手伝ってくれないのだったら静かにしてて」
「いや手伝うよ。手伝うけどさ」
灘はツリーのてっぺんから植木鉢の根元までをしげしげと眺めて、その大きな瞳をすっと細めた。
「……一度だけ、点灯してみねえ? 飾り付け終わったときに電飾スイッチ入れたけどさ、当然今みたいに真っ暗じゃなかったし。せっかくなんだから一度点けてみたあとだって片付けるのはいいじゃねーか」
「今、点けるの?」
「おう。きっときれいだぜ」
子どもみたいな笑顔で彼はくしゃりと笑う。灘は私の手もとからコードを奪って、私が何も返事をしないうちに点灯スイッチを押した。
赤、青、黄、緑、白。
ちかちか、ちかちか、光が星のようにまぶしくまたたく。
私は黙って、懐中電灯を消した。
青、緑、黄、赤、白。
光のまだらになった顔で、灘が嬉しそうにほお笑んだ。
「ほら、きれいだ」
「……うん。きれい」
真っ暗な美術室。感覚のなくなった指先。冷たくなった鼻の頭。ちかちか光るツリー。
寒い冬の夜に獣がただ体温を分け合おうとして寄り添うように、私と灘はぴったりお互いの肩と腕をくっつけて。頼りない暖をとりながら、色とりどりの電球とオーナメントに飾られた木を見つめた。
クリスマスの後、何日も経ってから、私たちは本当の意味でツリーに見とれていた。