This is no longer a love.
長くなりましたが、話の流れを切りたくなくて、そのままうpします。
よろしくお願いいたします!
☆
「そいつは、大国ギルアを統べる王の第一子息よ!」
少女の声が辺りに響く。サラは黙ったままのユエに問う。
「本当なの」
「――……本当さ」
ユエはかすかに頷く。
「――彼女は、ダリア=ギルティア。この国の第三王女、――僕の血の繋がった兄妹だ」
そして、ユエは一度もサラを見ることなく告げた。
「そして僕は、――ユエ=ギルティアだ。……ずっと黙ってて、ごめん」
ギルアの国名をもじったセカンドネーム。ユエもまた同じものを背負っている。そしてそれは、あまりにも重く、彼にのし掛かっている。その一切の感情を堪えるような姿にサラは言葉を失った。代わりに、ダリアは刺々しい口調でもってして吐き捨てた。「この大会は国を挙げての伝統あるお祭だから公にはできなかったけれど、これは魔族の為に設けられた戦いの場なのよ。国王派と女王派に分かれた魔族がユエ=ギルティアの命をめぐって争うの。下らないとは思わない?」
「……どういうこと?」
ダリアは冷たい一瞥を投げて寄越した。
「あんたは格好の獲物だけれど、本当の狙いはユエ=ギルティアってことよ」
「――違う、何故ユエの命が狙われているのってことよ!」
「貴女、ギルアの王女になんて口きいてるのよ。――。まあいいわ、お情けとして答えてあげましょう。
ユエ=ギルティアは今から五年前に、この国を狙う魔族に呪いをかけられたの。そいつはユエ=ギルティアの命の代わりに大国ギルアを統べる権利を渡せと交換条件を突きつけてきた。猶予は三年。悠長なものよね、王子の命を握っているという余裕からかしら。――まアともかくこの三年間、国王は必死にかけられた呪いを解く方法を探し回った。――でもどれも全て無駄骨。さらに悪いことに、ユエ=ギルティアの恐ろしい、知られざる過ちが浮かび上がってきた。国王は憤怒した。そりゃあ当然よね、手を尽くして救おうとした息子が過ちを犯していたなんて。それも国を揺らがすほどの。――だから国王はユエ=ギルティアを処刑することに決めた。けれど国王、犯された過ちが世間に露見するのを恐れた(だってそれは国民たちを不安のどん底に陥れるほどのものですもの)。だから、この大会で不遇の事故という扱いでもってして、ユエ=ギルティアを亡き者にするつもり。
実際に手をかけた者は、必然的に王族殺しの罪を被る。でもまあ、処刑の時は代理を立てて行うのでしょうけれど。影では褒美でも与えるのではなくて? 興味ないから、よくは知らないの。――まあそこで、そのことに反発したのが女王よ。実の息子の命を奪うだなんて、といったところ? 莫迦らしいの一言に尽きるけれど。だって然るべき罰は受けないといけないじゃない? ……さて。貴女はどうするの、レイチェル=カールースさん?」
サラは静かに首を振った。
「わからないわ。どうして全てを秘密に、闇に葬ろうとするのよ」
「貴女が知るべきことではないわ」
サラはぎっと相手を睨み付けた。
「残念だけど、くだらない派閥争いに参加した覚えはないの」
「あら意外。魔族は皆そうだと思ってましたわ。――だとしても、そんなことどうでもいいわ。大事なのは、貴女がどの立場に立つかだけよ!」
風を切る音がした。あまりの速さに反応できなかった。サラの首筋に鉄の刃が突きつけられた。低い、狂気が押し殺されたような声が、サラの耳許で囁く。
「いつまで待たせるつもりだ? このまま殺されてもいいのか?」
「……まさか」
サラは呪文を唱えた。いつもより長めの、相手を攪乱するための、時間稼ぎの呪文を。
辺りは濃い霧に包まれる。彼女はユエを抱えながら素早く、その場を離れて草陰に隠れる。そしてユエと向き合う。そして簡潔に言い放つ。
「私が時間を稼ぐから、あなたは逃げなさい」
ユエは大いに戸惑う。
「サラ、彼女の話ちゃんと聞いてたの」
サラはふっと微笑んだ。普段と何も変わらない、優しい笑みだった。サラは言う。
「私の立場は何も変わったりしないわ」
――あなたを守るわ。
呆気に取られるユエを置いて、サラは自分の帽子を彼の頭に被せ、逃げる算段などを指示した。ユエは潤んだ瞳でサラを見た。ゆるゆると首を振る。
「きみをひとりにしておけない」
「あなたはアーティたちと合流をして。助けを呼んで欲しいのよ。私ひとりでは……正直、無理かもしれない。あなたにしかできないことなのよ、お願い」
「い、やだ」
「ユエ」
「な、んで……? 死んじゃうかもしれないんだよ? さっきの人、サラを殺そうとしてたじゃないか。――なんで、なんでそこまでしてくれるの、僕なんかを、どうして……」
今にも崩れ落ちそうになるユエを、そっと優しい両手が支える。サラは笑う。
「あなたが、私を選んでくれたからよ」
ユエは顔を歪めた。
「それだけのことで?」
サラは花の咲くような笑顔で、ユエに笑いかけた。
「――あなたにとってはそれだけのことでも、私にとっては何よりも大事なことなのよ」
そう言って、サラはユエに優しいキスを落とした。それは一瞬だけのものだったが、そこから沢山の思いが伝わってくるようだった。
「行って、ユエ」
サラはもう振り返らなかった。
「ここは私に任せて」
☆
サラは霧の魔法を解いた。スピネルが口許を歪める。
「お別れの言葉は済んだのか」
「おかげさまで」
サラは杖についた赤い石を回した。刃。それでもって自身の服を破ってみせた。これでかなり動きやすくなった。ブーツの踵を地面にぶつけて、ヒールを引っ込める。そして刀を握る。
「へェ、準備万端じゃないか」
「お待たせしてしまったお詫びにね」
「――ユエ=ギルティアの気配すべて消したのか」
「さあね」
サラは身構える。サラは、目前の男を知っていた。候補者を選ぶ試験で、サラよりも早く、誰よりも早く敵を倒した人物。武器は刀。なのにその太刀が見えなかった。――サラでさえ。
(だから全力で)
サラは思う。(ここで退くことはできない)
「お互い魔族でも、魔法を捨てた身ってわけだな。面白い」
「何も面白いこと無いわ」
「――じゃあ少しでも楽しめよ!」
刀と刀がぶつかる。幾度も鳴る、甲高い音が辺りを支配する。男と女ではさすがに力負けしてしまう。かといってダリアを狙うことはできない。彼女を一瞥する余裕までもサラには与えられなかったのだ。サラは一旦身を引いた。そしてしゃがみ込み、一気に地面を蹴り上げて飛び掛かる。しかしそれも優に受け止められてしまう。糸が張られたような緊張感の中で、スピネルは口端を引き上げ、歪んだ笑みを浮かべる。
「レイチェル=カールース、実は俺はなァ、あんたが狙いなんだよ」
拮抗する中、スピネルは言葉を囁く。
「お前が犯した神殺しの罪を裁くためにいる。あの姫様はユエ=ギルティアを、俺はレイチェル=カールースを。不思議な縁だなァ」
サラは黙した。力を受け流し、刀を上に弾いた。
「しかしなァ」
サラは再び宙に浮かび、刀を振り上げる。受け身を取るスピネル。そこから素早く体を展開し、彼の背後に回った。そして一気に突こうとして、振り向いた彼の剣にぶつかる。
「あんた本当にレイチェル=カールースか? いやなア、俺も結構あんたを探したんだが、あんたの名を騙る奴とか結構ぶつかっちまっててよ。名前に呪いがかかってるから改名できないっていうんで、探知魔法使ってみても、当人には引っ掛からない。偽物ばかりだ。何がある? それともお前も偽物か?」
サラは浅く息を吸い、刀を突き出し、畳み掛けた。凄まじい速さの突きをこれまた凄まじい速さでいなす刀。二つの刃から、激しく火花が散る。あまりの速さに刃の重なる音が連綿として聴こえる。ダリアは思わず耳を塞いだ。それほどまでに二人の戦いは激しかった。
また、その中で交わされる会話もまた、戦いの一部でもあった。相手の動揺を誘うような言葉を。スピネルは口を動かす。
「レイチェル=カールース、俺はお前と戦うのを楽しみにしてた。だって、神殺しだぜ? そんな大罪聞いたことなかった。余程の腕利きだろう。俺は強くなりたかった。だからお前と戦い、さらなる上の道を目指す」
「――くだらない」
サラは嘲笑した。
「あなたはまだ、強さの上を知らない。究極の強者が得るものを知らない。だから、そんなことが言えるんだわ」
「なにが?」
「強さの上にはね――何も無いのよ!」
サラは思い切り腕を振った。ガチン、と剣の重なる大きな音が鼓膜を揺さぶる。風が強く吹いてきた。サラの金髪が、スピネルの青の髪が、風に揺れる。
「何もない。虚無よ。孤独よ。強さってね、極めても無意味なの。――そこに、人を守るという思いを伴わせない限り!」
スピネルはサラを最も下等なもののように見た。呆れ、失望。声色も心底冷えきったものに変わる。
「その程度かよ、レイチェル=カールース」
「あとね、あなたに悪いから言わなかったけれど。――私、レイチェル=カールースじゃあないのよ」
サラは意地悪く嗤う。
「サラ=ステュアートっていうの。よろしくね、スピネルさん!」
サラは思い切り踏み込んだ。それは半ば命を捨てたようにも思えた。が、サラはぼそぼそと呪文を唱え出した。すると、サラの握る剣がみるみる彼の剣を押し退け始めたのだ。彼は戸惑う。今にも形勢が動きそうなこと以上に、彼が探し求めていた人物ではないかもしれないという疑惑が、彼の動きを鈍くした。
(こいつはレイチェル=カールースではないのか――?)
――いや、とその思いを否定する。
(今まで戦ってきた中で、こいつが群を抜いて強い……。ならばやはり――。でも何故改名できた? 魔法が効かなかったとでも言うのか?)
サラはぎっと歯をくいしばる。
「レイチェル=カールースは死んだのよ……。あなたは死人を探しているに過ぎないわ!」
「だ……、まれェ!!」
剣が大きく振るわれた。サラは彼女の剣ごと薙ぎ倒された。地に倒れ込んだところを、スピネルは剣を突き刺し、激しい感情を称えた瞳で見下ろした。サラの首許に刃に擦れ、赤い筋ができた。そこから、流れるように血が出ていった。
「なァにが、人を守るだ。なんだ? 誰かに巨大な力があれば、その力は全部他人のために使わなきゃならねェ定めでもあるのか? 他人のため他人のためって自分の命犠牲にするのが正義か? 美徳か? あ? 莫迦らしい! 失望したよレイチェル=カールース、いや――サラ、だっけか? まァいいどうせ死ぬんだ。いいかよく聞け、俺の力は俺のもんだ。自分を犠牲にしてくだらねェ他人助けるくらいなら、死んだ方がマシだ」
スピネルはサラの手を踏みつけた。痛みに思わず手の力を抜いてしまったことで、握っていた剣を彼によって遠くへ蹴飛ばされてしまった。
さて。と刺したままだった剣を抜き、そのままサラの身体めがけて貫こうとした刹那、サラは柔軟な体を最大限に利用して避け、不安定な体勢のまま相手の腹を思い切り蹴飛ばした。この蹴りは深く入った。が、スピネルは素早く彼女の頬を殴り付けた。それでも彼女は怯まず叫んだ。
「私も! 私もそうだった!」
「あ!?」
「あんたと同じ、人助けなんてくそくらえって思ってた! ただの偽善者だ、命の無駄遣い、意味なんて皆無! そう、思ってた!」
なのに!
「今、どうしてこんなことしてるのかって思う? ――それはね、そのことを教えてくれた人がいるから。莫迦みたいにまっすぐに、自分を犠牲にする偽善者がいたから。敵を倒す強さなんかひとっつも持ってない弱者が、守られる側の弱者が、誰かを守ろうと懸命になったから」
サラは立ち上がる。そして地面を蹴り、自身の剣を拾い上げる。
――私はその偽善者が大事だった。大事な存在になった。大事にしたいと思った、初めて、心から、思ったの。
「なのに奪われた」
サラは口内の血を吐き、まっすぐにスピネルを見据えた。しかし彼女が見ているものは彼だとは限らなかった。
「だから、サラ=ステュアートの名に誓った。私はもう、私だけの強さを欲したりはしないと。――そして。」
そして。
「もう二度と、何人たりとも私の大事な人を奪わせたりなどしないと!!」
決めたの。すべては、貴方のために。
☆
シーヤは森の中を駆け巡った。地面からではなく、遠くを見渡すために木々の上を走った。それなのに彼の姿は見つからない。たまらぬ不安に狂いそうになる。シーヤは情けない声が上がりそうになるのを必死に噛み殺して、足だけを動かした。
(ユエ様……。わたしが側にいたのにも関わらずっ)
シーヤは身軽に森を走り回る。彼女は特別の訓練を受けていた。すべては、そう、ギルア国第一王子・ユエ=ギルティアを護衛するために。
シーヤは焦る。彼女はユエの母親――つまりはこの国の女王直々に任命された身であり、生まれは貧村で親は既に他界していた。それを拾ったのが女王であった。その出逢いは奇跡としか言えないもので、あと五分遅ければ、シーヤは飢餓のあまり死してしまうところであった。シーヤはこの出逢いに並々ならぬ感謝の念を抱き、女王に揺るがぬ忠誠を誓い、その息子であるユエを特に敬っていた。他の兄妹たちとはあまり関連がなかった。といってもユエとも一・二度目にかかったくらいだが。それでもシーヤにとっては女王と同じくらい大事な人であった。
「シーヤ、貴女もまた、この大会に王侯貴族として潜り込み、ユエを数々の脅威から救って下さい」
シーヤ以外にも潜り込んだ者たちはいた。勿論彼女は知っていた。が、それに対する嫉妬心は皆無。ただそれだけの重い任務を自分に任せてくれた女王への感謝で胸が一杯であった。
シーヤは必死になる。そんな中、姿は見えないが、がさがさと足音が聴こえた。シーヤは不思議に思って、その場に一旦降りたってみる。すると視界が少し、歪んでいるように思えるのだ。膨らんでいるような、へこんでいるような。じっと目を凝らしていると、次の瞬間には息を切らしたユエの姿が現れた。シーヤは驚愕のあまり言葉を失った。
ユエはむちゃくちゃに話し始めた。
「これ、サラが僕に被せてくれて、なんだか、敵に、見つからなくて……。透明? 樹とかすり抜けていけて、なんだろ、やっぱり魔法、だよね! いやそんなことより大変、なんだ!」
「ユエ様……」
シーヤは彼の説明も頭に入って来ず、その場で泣き崩れてしまった。
「ご無事で何より……です」
「そんなことより、アーティは――」
すると彼の後ろから、アーティの声が聴こえた。手に酷い怪我を負っていた。それに気づいたシーヤは真っ青になってすぐさま手当てをしようと持っていた鞄から救急道具を取り出す。
「サラは?」
開口一番、アーティは尋ねた。ユエは弾む息を抑えようともせず、なんとしても自分の使命を、果たそうと口を開いた。
サラが大変なんだ。スピネルっていう剣術使いと戦ってる。僕はサラに助けてもらったんだ。だから、アーティに今すぐ助けに行ってもらいたい。サラが待ってる。
そう、言おうとした言葉が。そのためだけに開いた唇が発したのは。
「サラは大丈夫。サラたち魔族だけの戦いが始まったんだ。邪魔はしないでってサラは言ってた。僕はもう少しで殺されそうだった。だから、僕を頼むってサラが言ってた。必ず戻ってくるからそれまで待っててって」
――恐ろしいまでの嘘が、彼の口から流れ出た。ユエは瞠目する。恐れおののく。戦慄する。首を力無くゆるゆると振る。……違う。ちがうちがうちがう! 僕が言いたいのは、言わなければならないことは違う、こんな言葉なんかじゃない!
そう思って何度も声を出そうとするのに、息が、ただ何の意味も為さない息だけが漏れる。頭が壊れそうになるほどに混乱する。意味がわからない。ユエは何度も出た言葉を否定しようとする。しかしアーティらはそれを彼が恐怖のあまり気が動転したものだと取った。シーヤは彼を抱きしめ、アーティは彼の頭を撫でた。大丈夫だ、俺が必ず守る。
違う。
違う。
アーティに守ってもらいたいのは僕なんかじゃない。
気が狂うかと思った。今、この瞬間にもサラが殺されていたら? 奴らは躊躇いもなく彼女を殺すだろう。バックに国王がいるのだ。それにダリアの国王崇拝は狂気に近い。何でもする。ユエはそれを知っている。だからこそ一刻も早く、アーティを増援に行かせたかったし、それをサラも望んだはずだ。
「っあ」
――望んだはず、か?
ふと唇に触れてみる。あまりに一瞬なことだったから気づかなかったが、かすかに魔力を感じる。ユエは驚愕する。まさか、まさかまさか。
サラは僕に魔法をかけたのか? 助けを呼ばせないために?
『大事な人は作りたくないの』
サラが言った言葉が思い出される。
『動けなくなるから』
「っ、サ、ラ」
栓が壊れた。たまらずわあわあ喚いた。
「サラッッ!! サラ、サラはサラははじめから……、まさかそんな、そんな!」
初めから決意していたのか。独りで戦うことを。誰も、助けを必要とせず、独りで戦い、――死ぬことを。
「大丈夫だユエ、サラを信じろ」
ちがう。
「大丈夫ですユエ様、もう大丈夫」
ちがう。
「サラ――」
ちがうっ!
目から涙が零れた。サラは今独りぽっちだ。そして今にも死のうとしている。
――僕が。
せめて自分だけでもと、もと来た場所へ引きかえそうと思うが、今度は足が言うことを聞かない。ぽろぼろと落ちる涙を踏みつけるように、足で踏み込むが、前には進まない。そのままつんのめって、地面に頭を突っ込んだ。
「ユエ!」
「ユエ様!」
僕の心配はしなくていい! そんなものいらない! だから、だから。
「サラ……サラを」
「――ユエ、お前いい加減にしろ」
アーティはユエを見据えた。
「お前が信じてやらなくてどうするんだ」
「っ、サラ、サラは――アーティ、サラは」
「お前が、お前だけはちゃんと、信じてやれよ!」
「サラが、アーティ、お願いだ!」
サラを助けて!
「僕を助けて!」
――愕然とした。首を振る。否定したい。何もかも根こそぎ、拒絶したい。なのに。なのになのに。
「大丈夫だって言ってるだろ……!」
「ち、が」
「何が違うんだ莫迦野郎!」
ついにアーティはユエを殴った。シーヤは二人の間に入る。ユエは喚いた。残酷だった。ここにいる全員は誰も何も悪くなかった。
――サラ!
☆
スピネルは刃を彼女の肩口に埋めた。すんでのところで身を捻ったため、急所は避けられたが、決して浅くはなかった。倒れた彼女に向けて湧き上がる怒りをそのままに、刃で貫こうとした瞬間。
「!」
バチバチ、と火花が散った。サラを中心に守るように貼られた円形の赤い盾。思わずスピネルは刃をおさめ、素早く離れた。
「魔法……か?」
それにしては、サラが全く動かないのはおかしい。むしろ痛みにより気絶しているようにも思える。スピネルは再び近づく。そうして剣を振り上げようとして。
気付く。サラが持っていた剣に飾られた赤の石が、眩しいほとに光輝いているのを。そこから放たれる魔力の量を肌で感じ取り、なるほどとスピネルは呟く。
「そいつが俺らの探知魔法を遮ってたってわけか」
スピネルは吐き捨てる。
「莫迦らしい。あんたらは守ってばっかだ」
俺は誰も守ったりしない。スピネルは背を向ける。今、彼女に攻撃をしてもすべてあの盾が吸収してしまうだろう。ダリアを放って、どこかへ去ろうとする。
ずっとうずくまっていたダリアは、慌てて彼を追った。
サラの周りには優しい風が吹き渡っていた。その風が、彼女の肩口から流れる血を、すっと止めてしまった。
【女の子なのに】
声がした。懐かしい、声がした。
【莫迦ねえ、レイチェル】
☆
ユエは走った。サラが気絶したことにより、彼女の魔法が解け、真実を口にすることができたのだ。走る。走った。手遅れだったらどうしようと恐れながら、手足が固まってしまいそうになりながら、それでも走った。走ることしかできなかった。
「――ユエ」
そんな時、ユエの名を呼ぶ声がした。ユエは足を止め、ふっと呼ばれた方を見つめた。そこにはボロボロに傷ついた彼女が立っていた。
「――大丈夫、だった?」
サラの問いに、ユエはこれ以上なく傷つけられた。顔が歪む。涙が零れる。アーティに殴られた頬が痛む。かまうもんか。ユエは思い切りサラに泣きついた。すがった。サラは何もしなかった。ユエは叫んだ。むせび泣いた。何かを言葉にしようにも、何も言葉にならなかった。何も言いたくなかった。なのに何かを言いたくて仕方なかった。涙を止めようとは思わなかった。サラも泣くなとは言わなかった。言えなかった。
「サラ、」
ユエは涙でいっぱいのぐちゃぐちゃの顔を上げ、サラを見つめた。サラの表情からは何の感情も捉えることができなかった。
ユエは、ひとこと、吐き捨てた。
「きみは、むごい」
ユエは泣き続けた。サラは虚空を見つめ、ただ繰り返した。
「ごめん」
本当に。
「――ごめんなさい」
☆
お待たせしました。サラ編です。
第一部、完結です。第二部へいきます。