戦い
☆
樹の陰から姿を現したのは、二人。片方がユエの、片方がサラの知る人物であった。
長い茶色の巻き毛に、吊り目な赤の瞳、フリルでふくれた黒と白を基調としたドレス。無表情の仮面から、隠しきれていない怒りの感情が漏れ出ている、少女。ユエは瞠目する。
少女の隣に立つ、青の髪をひとつに束ねた、背丈の高い男。長身の刀を肩にのせて、こちらを静かに見つめている。そこに感情の揺れは窺えない。サラは、黙ったまま睨み付ける。威嚇。牽制。様々な意味の混じった視線が、真っ直ぐに交わっている。
「そちらの、女性の方」
底冷えした少女の声が、辺りに満ちる。ユエは思わず体を強張らせたが、サラは全く動じずに、わずかに視線を少女に移す。あくまで意識は目前の男に向けたままで。
「何でしょうか、お嬢様?」
「――あなた、大人しく引き下がって頂けません?」
サラは眉をひそめる。
「仰ってる意味がわかりません」
「――ですから。そこのパートナーを置いて、即刻立ち去りなさいと、そういうことですわ!」
音は無かった。サラはユエを抱えて地面を蹴り、右に避けた。ユエの視線は下に向いていたので、たった今ユエが居た場所が地割れでも起こったかのようにひび割れ、抉れているのを見て、戦慄する。もしサラがいなかったらどうなっていたのか、考えるまでもなかった。そしてそれが、先程まで少女の隣に立っていたはずの男が一瞬で間を詰めて行ったことなのだと知り、怯えの色を目に映す。――が、相手は待ってなどくれない。次なる襲撃がやってくる。サラは素早く動き、その攻撃を避けるが片腕が使えず、さらにユエを抱えて動いているため、得意の戦術を用いることができないのだった。
このままではやられてしまうと思ったサラは、何度も地面を蹴って相手との距離を取り、向かい合う。サラは開口する。
「何故ユエを狙うの?」
そう。そこが一番不可解であった。今までの敵はサラを狙って襲撃していたはずだ。なのに少女らは明確な目的はユエだと言う。
(明らかに今までの敵とは違う)
サラは構える。少女はサラの問いに心底つまらないとでも言いたげに、返答を投げた。
「何故って別にあなたに教える筋合いありませんから。――スピネル!」
スピネルと呼ばれた男が、彼女たちに向かってくる。サラは舌打ちし、短く詠唱した。彼女の杖から射抜くように風が噴出した。スピネルは剣を盾にして足を踏み込むが、じりじりと後ろへと追いやられる。サラは無駄な魔力を使いたくなくて、それなりに距離が開くと、すぐに魔法を解いた。
「話をしましょう」
サラは言う。
「あなた方は、私の知る敵とは、違う。ただユエ一人を狙っている。それは、どうして?」
少女は、嘲笑する。
「何故? 何故って貴女、知らないの? その隣に立つ男が何者かを」
「……ユエが?」
ふと隣にいるユエを一瞥する。彼は黙ったまま俯いている。その姿は全てを諦めてしまったかのように見えた。それほどまでに、彼の纏う空気は重く、冷たかった。
少女は言い放った。
「そいつは、大国ギルアを統べる王の第一子息よ!」
☆
アーティは銃を構えたまま、敵と対峙する。彼の前には、筋肉隆々の巨漢とその隣ににやにやと笑う少年が立っていた。
「シーヤちゃんっていうんだ。可愛いね」
少年はサラたちを探しに行ったシーヤを追いかけようとした。その足元の地面を、弾なき弾が抉る。
「残念だけど、二人とも俺が相手するんで。よろしく頼む」
「ふうん。ガンバるね」
「頑張り屋さんなんだ」
少年は巨体な男に指示して、二人がかりでアーティに襲いかかる。彼はまず、巨漢の方を狙った。それを見て、少年はにやにやと笑う。
「残念。狙う順番逆だわ」
少年は歌うように呪文を詠唱した。それに呼応するように、アーティの足元の地面が蟻地獄のように吸われてゆく。急なことに反応できなかった彼は、そのまま両足をとられて自由を奪われる。必死にもがいて抜け出そうとするが、それよりも早く巨体の男が迫り、アーティを思い切り殴り飛ばした。それにより彼の体は吹っ飛ばされて、周りの木々に叩き付けられた。そのあまりの衝撃に耐えられなかったのか、少年がかけた魔法は解けてしまった。「おい何してるんだよ」
「いやあ、すみませんねえ、お坊ちゃん」
「お前もっとちゃんとしねぇと、金払わねーぞ」
「はあ、次からはしっかり役目を果たしますんで」
「頼むぞ」
二人の男がアーティの方へと近づいてくる。巨体の男はバキバキと指を鳴らして、人の悪そうな笑みを浮かべている。少年は勝ちを信じ切ったのか、優越感に浸ってアーティを見下した。アーティは静かに銃を持つ手に力を込めた。それを見た少年は、歪んだ笑顔を浮かべたまま魔法を使った。すると、少年の足元の土が刃の如く尖り、アーティの腕ごと狙って、銃を粉々に壊した。それにより、またもや彼の体が軽く吹き飛ばされる。
少年は心底愉快そうに高笑いして、尋ねる。
「御気分は如何ですか? 騎士さん。もう全部諦めて、逃げちゃったらどう?」
アーティは静かに血の混じった唾液を吐き捨てた。樹にぶつかった瞬間に口の中を切ったのだろう。そして黙したまま、ゆっくりと立ち上がる。アーティの顔は前髪で隠れて、表情が窺えない。少年は同情するような言葉を吐いたが、その顔には嘲りの色しかなかった。
「もうやめときなよ。頑張たって無駄だよ。力の差が歴然なんだから。ま、仕方ないよね。だっておにいさんはさ、本当はここに居ちゃいけない人なんだから」
「――どういう意味だよ」アーティの乱れた髪の向こうから、相手を射殺すように開かれた瞳に、少年は思わずひるむが、自分の覆しえない絶対的な立場を思い出し、堂々と前に出て答える。
「この大会はね。魔族同士の頂上決戦みたいなものなんだよ。確かに一般の人間たちも参加している。数も彼ら人間の方が多い。――けれども、彼らは僕ら魔族により早々に消されている。何故かわかる? 邪魔だからさ。今回の大会は魔族の為だけに開かれたもので、人間はお呼びでないんだ。僕も僕のパートナーも魔族。僕らどちらも実は王侯貴族なんて立派なもんじゃないんだよねー。秘密だけど。……まあ君はもう消えてもらうし、別にいいよね! さようなら、非力で弱小な人間さん!」
男の巨大な拳が振り上げられる。アーティはそれを一瞥することもなく、ふらふらと立ち、そして、刹那。何発もの空包に似た音が響き、しばらく鳴りやまなかった。
「魔族ねえ」
アーティは両手に握る小型の銃を見つめて、もう一度辺りに目を戻す。そこには、脚や腕を重点的に狙われ、あまりの痛みに動けずにいる二人の魔族が転がっていた。アーティは来ていたマントを翻し、小型の銃をその中へと仕舞った。
魔族の少年が苦痛に顔を歪ませて見上げると、丁度彼のマントの中が視界に映った。
「っ!?」
思わず絶句する。そこには数え切れないほどの様々な種類の銃が仕舞われていたのだ。小型、中型、彼が最初に持っていた長身の銃ほどではないが、大きめのものまで揃っていた。それらはすべて実弾のない銃。しかし、永久的に撃ち続けることができる空砲だった。そしてその圧縮された弾の威力は、実弾とほぼ同等である。
けれども少年が驚愕したのはそこではなかった。それほどまでに多量の銃を持って動き回っているのだ。空砲といえど、重さは実際の銃と変わらないはずだ。
「銃を武器としてる以上、スペアがあるかもしれないと疑うのは当然だと思うけれど」
アーティは静かに見下す。浮かぶ表情は無い。サラのような人物であればおそらく、更なる絶望を与えようと歪んだ笑みの一つでも浮かべてみせるのだろうが、アーティはただただ黙し、相手を卑劣なものと見なし、冷ややかな視線を送る。少年はその感情の読み取れないそれに、たまらぬ恐怖を抱き始める。
「あんたら、詰めが甘いよ」
そうしてしゃがみ込み、呻く巨体の男の腹に思い切り拳を捻りこんだ。男の意識は一瞬で飛んだ。手足を貫かれた激しい痛みで既に朦朧としていたのだ。アーティは呪文を口にし、彼らの種を奪った。
それから、少年に無表情のまま近づいてゆく。少年はがたがたと震え始める。それほどまでに、彼の纏う空気はおぞましくあった。
「人間が非力だって?」
「ひっ……!」
胸倉を捕まれ、足が宙に浮く。その時、変に両足を動かしてしまい、抉られるような痛みが体中に走り、呻き声が上がるが、アーティはただ少年の目を見つめている。
「なあ。なんで人間を見下してるんだ、お前。そんなにお前、偉大な魔族なのか? なあ、俺の知ってる魔族は、お前なんかよりずっとずっと偉大だが、俺らを見下したりなんか一切しなかったぞ、一切も」
――なあ。
「サラは――、サラはお前ら魔族の為に戦ってるんだぞ、なあ、お前みたいな奴を守るために戦ってるんだぞ、おい、わかってるのかっ!? こんなくだらねえ奴の為にまで、サラは自分を犠牲にしてるっていうのかよ冗談じゃねえぞっっ!!」
俺は悔しいよ、サラ。お前が命を賭けて守ろうとしてるものの中に、こんな奴が含まれているだなんて。
「仲間の戦いを穢すな、仲間の思いを穢すな、魔族なら――!!」
魔族なら、お前も魔族の為に戦えよ、なんで、あいつ独りが、莫迦みたいに頑張ってんだよ。
「俺も――人間代表として生き残ってやる。ただし、俺が勝ち抜くんじゃない。――サラを優勝させてみせる、必ず」
――すまないシーヤ。俺は、お前を優勝させてやることはできない。でも。でもお前なら許してくれるだろう?
アーティは少年の胸ぐらから手を放して、シーヤを追った。
少年は遠くなる後ろ姿を、呆然として見つめていた。
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アーティが主人公ぽくなりました。次話はサラサイドです(^-^)