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☆
【私の声が聴こえますか】
ユエの耳に届いたのは、女性の声だった。快い、川音のように美しく流れる声。それが白い種の中から聴こえてくる。周りの人間はその声に気づいた様子がない。ユエだけに聴こえるのだ。彼は驚愕した。こんなことは初めてだったからだ。
ユエには、瞬時にものを記憶する能力の他に、もうひとつ、『言葉を聴く』能力があった。たとえば、動物や植物などの鳴き声は、人間からするとただの音でしかないが、ユエにはそれが人間の話す言葉のように聴こえるのだった。そしてユエもまた、彼らが使う言語を扱えるのだ。しかし、そのためには、注意深く彼らの言葉に耳を貸さなければならず、かなりの集中力が必要となってくる。それでもこの能力は非常に優れていた。何故ならば、人間の作り出した『もの』に対しても使うことができるからだ。人間の書いた文字、絵、建物であっても、それは例外ではない。ただ得手不得手がある。ユエは書物が好きだったので、動植物や建築物よりも文字の語りかける声の方が聴きとりやすい。ちなみにシャルの母国語を話せるようになったのもこの能力を用いたからだった。
つまるところ、ユエが集中して種の声を聴いたわけでもないのに、こうして話し掛けられたということが何より彼を驚かせたのだった。
【返事はしないでいて。私、今すごく危ない橋を渡ってるから。――時間もないわね。――簡潔に言うわ、あなたは、彼女から離れてはいけないわ。絶対に。この大会はただの国を挙げてのお祭りなんかじゃない。あなたと彼女は危険に晒されている。特に、あなたは。――ああまだ伝えたいことがあるのに――。仕方ないわ、あなたがすべきことは二つ。彼女から離れないことと、早くこの華を育てることよ……。また会いにくるわ】
そうして一方的に話が切られた。ユエは呆然とする。――彼女、とはおそらくサラのことだろう。自分はサラと離れることに対して、どうしてこうも強く忠告されるのだろうか。それに、だ。
(離れるつもりなんて、――少しもないのに)
「サラ」
「なあに」
ユエが呼ぶと、サラはにこにこと微笑んだ。
「僕から離れないでいて」
「ええ」
サラは聡い。ユエのえも言われぬ不安を機敏に感じ取って、その笑みでもってして安心感に変えてしまう。ユエは常に不安だった。恐れていた。近づきつつある陰に。今もまだ、怯えている。――けれどもそれが小さくなりつつあるのは、サラという存在のお蔭であった。そのことに、ユエも少しずつではあるがようやく気付くことができた。
「サラ」
「はあい」
ユエは言う。
「好きだ」
「わお」
あまりの急な告白に、咄嗟にふざけたサラに、ユエは慌てて誤解を解こうと口を開く。「いやそういう意味じゃなくて、あくまでその、パートナーとして」
「将来のパートナーですか坊っちゃん!」
「大会のパートナーだよサラ、君はちょっとふざけすぎだ」
「坊っちゃんもちょっと思いつきで発言しすぎですよ。シーヤちゃんが聞いてたらどうするの!」
「なんでシーヤが出てくるんだ……?」
これだからお子ちゃまは、とサラは大袈裟に息をつく。ムッとして相手にするのを止めて土を掘る作業に戻る。サラも自分の仕事をする。白と黒の二人はもうすぐ終わりそうだった。駆け足で鉢に土を入れる。
「魔法は使わないの?」
「こういうのは、手作業の方がいいでしょうよ」
アーティが、彼女たちとはやや離れたところから手を振る。種を今から植えるという合図らしい。これにはユエが応えて手を振り返し、同時に種を植えた。「なんで同時?」「なんとなく」
植えてから、せっかく水が近くにあるのだからと泉の水を注いでやると、すぐに芽が出てきた。真っ白な芽は、二枚の子葉を平行に広げた。太陽の光を浴びようと両手を伸ばしたようでもあった。
ユエは吃驚して声を上げて、サラはやはりと目を細めた。魔法だ。大会の開催期間内に華が咲くように手が加えられている。
ユエが恐る恐るそれに触れようと手をかざすと、植木鉢がまるで風船が萎むように小さくなっていき、手のひらサイズにまで縮んでしまった。どうやらアーティらも小さくなったらしく大声で騒いでいる。「サイズは変わっても、芽は大丈夫みたいだね。持ち運びやすく、ってことかな」
「でしょうね」
「じゃあズボンにでも引っ掛けておくよ」
「くれぐれも、潰したりしちゃ駄目よ」
「わかってるよ」
ふと、ユエはサラを見つめる。
「サラも、これを小さくすることが出来るんじゃないの?」
「ええ、出来るけど、芽に何らかの影響が出るかと思って……」
「そっか」
小さくなった鉢をもって、こちらへ駆け寄る二人に、サラは手を振った。どうやら魔法使い直々に起こった現象を説明してもらおうと思ったらしい。サラは独りごちる。
「これからどうしよう。華を咲かせるために世話すればいいってことよね? ゆっくりする?」
「とにかく一旦森を抜けるのはどう? ここだと何処から狙われるか分かりにくいから……」
「何処行っても変わらないと思いますよ、ユエ様?」
「――……そうだね」
「まあ、……気分転換程度に場所を変えてみますか。ね?」
「うん。そうしよう」
☆
アーティらも彼女らの意見に賛成し、森を抜けるまで一緒に行動することとなった。
「いい? あくまで私たちライバルよ? わかってるわよね」
「わかったわかった」
そんなことより、とアーティはまたも質問を口にする。ユエとしても尋ねたくてうずうずしていたので、彼の存在はとても助かった。サラは妙に自分を隠したがるのだ。特に、魔族絡みになると異常に。
「魔法使いはさ、どうやって魔法覚えるんだ?」
しかし、質問をぶつけられ続けた結果であろうか、彼女は意外にもすんなりと答えた。
「教えてもらうのよ」
「どんな風に?」
「……まあ、家で、親がお師匠さんみたいに魔法を教える――みたいな感じかしら」
「どうやって?」
矢継ぎ早な問に、サラはうんざりだと項垂れる。
「――……ほとんどは本を読ませて、呪文とかを覚えてさせられたわね。たまに実習を挟んだりして、魔法使いとして経験を――」
ユエが、間に入って尋ねた。
「優秀だった?」
「……あ、えと」
サラは答えにくそうに言葉を探す。「私はあまり勉強は――というか戦いに使えそうのない魔法はあんまり興味無かったといいますか、細かい呪文を重ねて作り上げてく魔法は苦手といいますか、あんまり呪文覚えてなかったといいますか……」
「だめじゃん!」
ユエから厳しいお叱りを受ける。
「うぐ、はい。すみません」
それを見て、アーティがけらけらと笑うので、女性二人がそれを制した。が、あまり効果はない。
「すげえなあ。魔法使いはやっぱり。じっちゃんの話してくれた通りだ!」
今度は自分の番だとサラは目を眇める。
「じっちゃん、って時々出てくるけれど、どんな方?」
「物知りなじいさんだよ。妖怪と人間が有難い経典を授かりに行く話とか、一人の男が雅やかな女たちと遊びまくる話とか、……あと、魔法使いの話とかよくしてくれたんだ」
「へえ。どんな?」
サラの目がすっと細くなる。それに気付くことなく、アーティは爛々と光る目でもってして、話し始める。
「この世界は大いなる魔法使い――その中でも最も優秀な三人の魔法使いが作り上げたものなんだって。風と水と火をそれぞれ司る、神様みたいなものだって、じっちゃんは言ってた。今ではもうなかなか見つからないけれど、昔はこの土地は魔法使いで占められていたんだって。だからこの世界は、魔法で発展した世界なんだって。すごくないか? 魔法で世界創っちゃったわけだろ? それで魔法で家とか建てたり、食物作ったり、遊んだり、戦ったり、すげえよ」
「お褒め頂き光栄ですわ」
「……? なんで怒ってるんだ?」
「昔話と現実の差に愕然としてるのよ」現在、魔族は原因のわからない魔力低下という病のようなものに蝕まれている。それは突然起こり、魔法を使う上で必要不可欠な魔力が年々消えていく。じわじわと。自分が魔族でなくなっていくのが、感覚でわかる恐ろしさ。魔力がなくなったからと言っても死ぬわけではないが、身体がすっかり弱ってしまい、寝床から起き上がることもできなくなってしまうのだ。
そんな恐ろしい状況が魔族たちを襲っているというのに、魔族以外の、つまりはただの人間たちは何をしただろうか。――残念ながら救いの手が差し伸べられることはなかった。代わりに手のひらを翻すように、魔族の権利を剥奪し始めたのだった。一部では魔族狩りという血生臭い行為も行われていたようだ。
けれども、人間たちの気持ちも分からないではなかった。人間たちは畏怖していたのだ。魔法という、自分たちに持ち合わせていない能力をもつ魔族らを。一部の魔族が多くの人間を支配下に置くために、その未知なる力を使用したのだ。サラは実際にそれを目にした魔族だ。だから、人間たちを目の敵にしたりはしない。ただこの状況を打開するために動くのだ。
「――昔みたいに、仲良くなれるといいね」
気づけばシーヤが、サラの近くに立っていた。サラのらしくなく厳しい雰囲気を感じ取って、たまらず彼女の方へと近寄ったのだった。シーヤは彼女を見上げて柔らかに笑ってみせた。サラは何だか救われるような気持ちになり、しゃがんで彼女と目線を合わせ、「ありがとう」と笑い返した。
「わたしたち、ライバル……だけど、敵同士になるのだけはやめようね。わたし、サラさんと戦いたくない」
「わ、私もよ!」
「一緒にがんばる仲間、ライバルだけど困ったときは助け合える仲間に、わたし、なりたい……です」
仲間。サラがやわらかにではあったが拒み続けた関係だ。
「仲間はね、あまり作りたくないの」
サラは正直に、シーヤの瞳を見て心中を吐露した。
「仲間って、大事な人たちって、ことでしょう? 大事な人が増えるとね、私、動けなくなるのよ」
「……どうして?」
「大事にしたくなるからよ。離れがたくなるの。私はやらなきゃならないことがあるのに、そこから動くことができなくなるのよ」
サラはぎゅっとシーヤを抱き寄せた。
「私は魔族の為に、命を賭けているから」
シーヤはぽつりと零した。
「……じゃあ、わたしたち仲間にはなれないの?」
「仲間と、いうことはできないけれど……、そうね、お互いに戦わない。それを約束しましょう。どうかそれで今は許して――」
シーヤは小さな手を彼女の背中に回した。そしてすがるように、力を込めた。彼女の決意は、ここまでに堅く、強いのだ。――。
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泉は森の奥深くに位置していたので、森を抜けるとなるとかなりの距離を歩かなければいけなかった。
「瞬間移動とかできないの?」
アーティの問いにサラはもう慣れっこになって、嫌々ながらも答えていた。
「莫迦ね。そんな魔法、弱体化した私たちとは無縁のものよ。魔力が足りなくなって――」
「足りなくなって?」
三人が息を呑んでこちらを見つめるのが可笑しくて、サラは笑った。皆、結局は魔族というものに興味津々なのだ。
「まあそんなこと絶対やらないわよ。魔族は予め、自分の魔力の残量を正確に把握できるよう訓練されるの。だから間違っても魔力が無い状態で魔法を使うことはないわ」
「魔力は回復するの?」
これはシーヤの問いだ。サラは幾分やわらかな声色で答える。
「ええ。眠ったり、美味しいもの食べたりしたらね」
そうして、わき上がる質問もひとまずは無くなったのか、しばらくは森の中を沈黙のまま進んでいった。緑の繁る道をかき分けるように進んでいくと、ユエは妙な違和感を感じた。何だか同じ場所をぐるぐる回っているような気がするのだ。慌ててサラに駆け寄ると、彼女はじっと目前を見据えて視線を逸らさない。
「サラ……」
「ねえ、アーティとシーヤちゃんは」
言われて初めて後ろを振り返ると、先程まで一緒だったはずの二人の姿が消えていた。ユエの戸惑う声に、サラはやっぱりと心中で舌打ちする。
「幻覚ね。いつからだったんだろう」
サラは口端を歪めて、誰かを睨み付ける。腰を屈め、ユエを庇うように立つ。
「嵌められた」
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「アーティ! どうしよう、二人がいないっ」
「……ちっ、バラバラにする作戦か」
アーティは銃を構えて静かに向き合う。
「どうも魔法関係みたいだな。是非ともサラ直々に教えてもらいたいもんだ。――と、いうわけだシーヤ、あいつらを探しに行って来てくれ。ここは俺に任せてな」
それを合図にシーヤは駆け出した。
――広い森の中で、二つの戦闘が、開始する。
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