HITONEKO.01 / 悪夢…
幼き日に刻み込まれた記憶の傷……。
その傷は、身体の傷よりも深く、永遠に癒えることなく、残り続ける……。
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「――母さん…?」
先程まで自分に微笑みかけていてくれていた母親の表情が、一瞬の出来事により崩れた…。
健康そうな血色も良く、子供である彼にですら美しい唇……その唇から一筋の紅い糸のように鮮血が溢れる。
「…逃げなさい……っ」
母親の目の前に立つ少年が見たもの――
いや……見えてしまった。 母親の肩越しに余りにも冷た過ぎる眼差しで、まるで汚いものを見るような眼差しで、自分の愛したはずの妻である女性に鋭利なナイフで背中を突き刺し抉る…変わり果てた父親の姿を。
「っ…心護!!! 早く逃げなさい!!!!」
少年・心護は、後にも先にも母親に怒り口調で強く言われたのは……初めてで最期だった。
優しい母だった。心護は母の泣いた顔や怒った顔は今まで見たことがなかった。常に笑顔で、叱られることですら心護は温もりと幸せすらを感じていた。元々、感情的になるような人でもなかった。本当に優しさで出来たような人だった。
また、父も優しかった。身長も高く、少しおどけた顔が可愛くて、父も母が大好きだった。『俺は、優しくて綺麗な遊良に惚れて結婚したんだよ』そんなことを言いながら心護に『あっ!?お前、母さん取んじゃねぇぞ』などと照れ隠しに息子を小突く父。心護に妹が産まれた時なんて顔をグシャグシャにしながら喜んだ父。……しかし、それが崩れた。
「な…何でだよ……何でだよ! 父さん!!助けてよ!!」
少し前までいつも通りに優しかったはずの父は、母に刺さってるナイフを抜くと勢いよく鮮血が飛散する。しかし、大量出血をして力なく前のめりになる母を躊躇なく横から大振りに蹴り飛ばす。
「ぇ……ぱぱ?」
母は二階の部屋から出てきた娘を見て更に青ざめ、力を振り絞り声を出す。
「ゆず!!! お願い!! 逃げてっ!!!!」
父は不気味な笑みを浮かべると、階段の方へとゆっくり歩きだした。
「え?…ぇ? なんで……ままっ!?」
心護は立ち上がり、母を横目に階段まで急いで行き妹のゆずがいるところまで駆け上がった。
「ゆず…逃げるぞ」
そっと心護はゆずの手を握る。
「にぃ…… ぅん!!」
ゆずもギュッと心護の手を握り返した。
心護とゆずがやりとりをしているうちに、父はもうすぐで追いつきそうな位置まで来ていた。
心護は握った手は離さないようにしながら、妹を護り覆い隠すように抱きしめる。
「心護!!! ゆず!!! お願い!! 逃げてぇ!!!!」
父は実の息子と娘に目掛けてナイフを高く振り上げ、勢いをつけてナイフを振り下ろした。同時に、心護はゆずを抱きしめたまま二階の踊り場からリビングへと飛び降りた。ゆずだけは床にぶつけないように身を挺して足から着地したが鈍い何かが折れる痛々しい音を響かせながら……だが、心護の怪我はそれだけではなかった。父が振り下ろしたナイフが右肩に深くまで刺さっていた。
「し…心護……?」
「にぃにぃ!? にぃにぃ!?」
しかし、父の攻撃は止まなかった。階段を下りてきてとった行動とは、心護の肩に刺さるナイフに手をかけ蹴飛ばすという人間として考えられない行動だった。気を失っていた心護もナイフを抜かれた痛みと蹴飛ばされたで意識を取り戻した。
心護とゆずの身体は紅く染まりながらも、母の近くへ飛ばされた。
「あなた……なんで…なんでこんなことを?」
父は何も答えず、心護とゆずに向けナイフを振り下ろした。
「いやぁっ!! やめてっ!!!!」
母は最期の最後まで……子供を護り抜いた。死ぬ間際まで……痛みで動かないはずの身体を無理やり動かし、護った。
「かっ……母…さん……?」
「ままぁ!!! 死んじゃやぁあ!!!!」
心護は、息がなく大量の生温かい鮮血だけを流す母は何も答えてはくれなかった。でも…まだ、心護とゆずを抱きしめる母の身体は温かかった。
心護は何とも言えない怒りを抑えられずに、折れた脚を引きずり、血が出る右肩の痛みを我慢し、父の前へ出た。
「なんで父さ――…」
次の瞬間、心護の右肩を更に肉が切れ骨が断たれるほど強く、深く、母の血で紅く染まる鋭いナイフが切り込まれ、裂かれた。
「ぐ……ぅぁぁぁ……あぁぁ!!!!!」
激しい吐き気を催す痛みと、止まらない大量の鮮血……。
家から走り去る父の背中を睨みながら、次々に襲う激痛に床に伏せ耐える……。
息苦しい……っ。