100億円と映画とゾンビとすみっこのコ
例のボタンを見て思いついた一発ネタ
「このボタンを押せば、あなたに100億円をお渡しします。ただし条件として、こちらで入場記録を確認させていただき、あなたには『最後に観た映画の世界』で1年間暮らしていただきます」
昼飯を食っている最中に自宅のリビングに突如現れた黒スーツの男は、赤いボタンがついた奇妙な装置をテーブルに置いた。
ドッキリかと思って鼻で笑うと、男は無言で手元の黒いアタッシュケースをパカリと開けた。そこには、見たこともないような分厚い1万円札の束が隙間なくギッしりと敷き詰められていた。
「こちらはほんの一部です。ボタンを押して1年を生き抜いた暁には、これを含む100億円すべてがあなたのものになります」
男はパタンとアタッシュケースを閉じ、自分の脇に抱えた。
100億円。目が眩むような金額だ。だが、俺の背筋には冷たい汗が伝っていた。
よりにもよって、俺はつい1時間前まで映画館にいたのだ。しかも観ていたのは、『絶叫しながら全力疾走する凶暴なゾンビから逃げ惑うパニック映画』である。
「あ、あの……それって、今すぐボタンを押さなきゃダメですか?」
震える声で尋ねると、黒スーツの男は懐中時計を一瞥して微笑んだ。
「いいえ。本日の23時59分まででしたら、いつでも構いませんよ」
「わかりました。期限までには必ず押します」
俺が頷くと、男は分厚いアタッシュケースを持ったまま、空間の歪みへとフッと消えていった。
摩訶不思議な現象に、言われたことの現実味が出てくる。
残された俺は壁の時計を見る。現在時刻は13時12分。
(……いける!)
俺は心の中でガッツポーズを決めた。残り時間は10時間以上ある。これだけ時間があれば、もう一度映画館へ走って別の安全な映画を観ることだってできる。
……いや、待てよ。わざわざまた着替えて外に出るのも面倒くさいし、映画館でチケット代を払うのもなんだか馬鹿らしい。そうだ、今から家の動画配信サイトで何か別の映画を観て「最後に観た映画」の履歴を上書きしてしまえば、タダで済むし一歩も外に出なくていいじゃないか!
自分の天才的なひらめきにほくそ笑みながら、俺はテレビをつけ、光の速さでリモコンの動画配信アプリボタンを押した。
「よし、1年間快適で楽しく暮らせる世界を選ぼう!」
まず目に入ったのは、世界中で大ヒットした『四角いブロックで何でも作れるクラフトゲームの映画化作品』だった。自由気ままなスローライフ!……いや、待てよ。
「楽しそうだけど、これって確か夜になると緑色の自爆する化け物とか、弓矢を撃ってくるガイコツが湧くんじゃなかったか!? 素手で木を殴って家を建てるのも普通に重労働すぎる! 色々と困難がありすぎるから却下だ、却下!」
危ないところだった。次は趣味に走ろう。俺が大好きな『巨大ロボットが戦うアニメ映画』はどうだ。最新作は映像も綺麗だったぞ。
「……いや、あれは反政府テロリストが主人公の作品だ! 市街地にビームや機体の破片がバンバン降ってくるし、一年以内に確実に死ぬわ!」
ロボットものは総じて治安が世紀末すぎる。なら、いっそ洋画の王道はどうだ。『遥か彼方の銀河系で、黒い武装の騎士がライトセー……赤い光る剣を振り回すスペースオペラ』とか!
「……ダメに決まってるじゃないか!! 惑星ごと吹き飛ばす巨大要塞がある世界だぞ!? 辺境の砂漠の星に飛ばされたら水分不足で死ぬし、酒場に入ったらならず者に撃たれるわ!」
SFもダメだ。ファンタジーにするか? 『魔法学校に通うメガネの少年の映画』なら、美味しいご飯も出るし楽しそうじゃないか?
「待てよ、俺に魔法の才能があるとは限らないよな……? ただの人間としてイギリスの片田舎で1年過ごすだけならまだいいが、鼻のない闇の魔法使いが復活するタイミングだったら真っ先に犠牲になるぞ!」
なら、現代日本が舞台のアニメ映画にしよう。『見た目は子供、頭脳は大人の名探偵の映画』なら、日本のどこかの街だし生活水準も変わらないはずだ!
「……バカ野郎! 俺が巻き込まれて死ぬ可能性がある! あの世界の致死率を舐めるな! 1年もいたら確実に何らかの密室殺人事件に遭遇するし、ホテルや新幹線が100%の確率で爆破されるじゃないか! モブキャラとして一番生き残りにくい世界だぞ!」
じゃあハリウッドの『アメコミヒーローが大集合する映画』は?
「ニューヨークが毎週のように宇宙人に壊滅させられるし、紫色の巨人が指パッチンしたら50%の確率で塵になるだろうが!」
『豪華客船で身分違いの恋をする感動作』は!?
「後半で氷山にぶつかって沈むわ! 北大西洋の冷たい海で1年どうやって過ごすんだよ!」
次に目に入ったのは、『絶滅したはずの恐竜たちを蘇らせた、南の島の最新テーマパークの映画』だった。壮大な音楽、南国のリゾート! 観光気分で1年過ごすには最高じゃないか?
「……いや待て、あのパークは100%の確率でシステム障害が起きて高圧電流の柵が止まるやつだ! 嵐の夜にティラノサウルスにトイレごと食われるし、キッチンに隠れても知能の高い肉食恐竜がドアノブを回して入ってくるだろうが! 恐竜の餌になるために1年暮らすなんてまっぴらごめんだ!」
動物・生物系はパニックになりやすい。なら、純粋な現代劇はどうだ。『スキンヘッドの屈強な男たちが、高級スポーツカーで爆走する大人気カーアクション映画』なら、宇宙人も魔法も出ないぞ!
「ダメだ! あいつら『ファミリー』のためなら市街地で巨大な金庫を引きずり回すし、高層ビルからビルへ車で飛び移るし、挙げ句の果てに車で宇宙まで行く連中だぞ! 一般市民として普通に交差点で信号待ちしてるだけで、空から降ってきた戦車や潜水艦に踏み潰されるわ!」
ハリウッドのアクションは街の破壊規模がデカすぎる。なら、落ち着いた裏社会のハードボイルドものならどうだ? 『伝説の殺し屋が、愛犬の復讐のために黒いスーツで戦う映画』とか! カタギの一般人として暮らしていれば無関係でいられるはずだ。
「あの世界はすれ違う通行人やタクシーの運転手、駅のホームレスに至るまで、街の住人の半分くらいが暗殺者ギルドの人間じゃないか! 鉛筆1本まで凶器になる連中が街中で殺し合うんだぞ! 巻き添えが怖くて文房具屋にも入れないわ!」
日本の美しいアニメ映画ならどうだ! ちょうど画面に『圧倒的に美しい背景美術で描かれる、男女の入れ替わりや不思議な少女との出会いを描いた青春恋愛アニメ』が並んでいる。キラキラした高校生の恋物語なら、俺はただのモブの通行人として平和に暮らせるはず!
「……バカ野郎! この世界は、映像が信じられないほど綺麗な代わりに、100%の確率でデカい彗星が割れて落ちてきて町ごと消滅するか、何年も豪雨が降り続いて東京が水没するだろうが! 綺麗な空を見上げてる場合じゃない、インフラが崩壊して1年間ずっと避難所生活になるぞ!」
なら、日本の伝統的なファンタジーアニメだ! 『不思議なトンネルを抜けた先にある、八百万の神様たちが集まる温泉宿の映画』なら、毎日温泉に入って美味しいものを食べて、湯治気分で1年暮らせるんじゃないか!?
「待てよ、あそこはちょっとでも許可なく屋台の飯を食ったら、両親みたいにブタにされる世界だぞ!? しかも働かなきゃ動物にされるし、働くにしても名前まで奪われるんだぞ!? ヘドロまみれの巨大な神様の掃除なんかさせられたら過労でぶっ倒れるわ! ブラック労働は現実世界だけで十分だ!」
じゃあ、もっと子供向けの日常系アニメの劇場版はどうだ! 『嵐を呼ぶ5歳の幼稚園児の映画』とか、『青い猫型ロボットの映画』なら、基本的には平和な日本の住宅街じゃないか!
「……いや、危ないところだった! 日常系アニメは『劇場版』になった瞬間、急に世界滅亡レベルの危機や大事件が訪れるお約束があるんだった! 大人たちが全員幼児退行させられたり、戦国時代にタイムスリップして合戦に巻き込まれたり、ゲスト声優が演じる悪役に地球を支配されかけるから、テレビシリーズより圧倒的に危険度が高いぞ!」
次だ、次! 『総理大臣や官僚たちが、ひたすら会議室で対策会議を続ける日本映画』! これなら会話劇メインだし、地方で大人しくしていれば安全だろ!
「会議してる理由が『東京湾から巨大不明生物が上陸したから』だろうが!! 口から熱線を吐いて首都圏が火の海になるし、世界中から核を落とされそうになる世界だぞ!」
俺は頭を抱えてソファに倒れ込んだ。
ダメだ、名作映画にはろくな世界がない。
普段は何気なくポップコーンを頬張りながら楽しんでいた映画たちが、いざ「自分が1年間住む物件」として査定した瞬間、すべて凶悪なデスゲーム会場に見えてくる。
おすすめ欄にはろくな映画が並んでいない。
「頼む……誰か、誰も戦わず、誰も叫ばず、街も壊れない映画を作ってくれよ……!」
血走った目でさらに深いカテゴリーの底へとスクロールを続けたその時――ついに、パステルカラーの「あの作品」が俺の目に飛び込んできたのだった。
画面に映っていたのは、『すみっこが大好きで、ちょっぴりネガティブだけど可愛いキャラクターたちの映画』だった。
「……これだ!!」
あらすじを読む。ほのぼのとした日常、ちょっとした冒険もあって、心温まる優しい物語。パステルカラーの柔らかい世界観。ここなら絶対に誰も死なないし、すみっこで丸まってタピオカでも眺めていれば、平和に1年が過ぎるはずだ!
俺は迷わず再生ボタンを押した。
♢
およそ70分後。俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔をティッシュで拭いていた。
「な、なんて優しい世界なんだ……」
心まで浄化された俺は、清々しい気分でテーブルの上の赤いボタンに歩み寄った。
外出の手間もチケット代もケチって、履歴は完璧に上書きされた。
待ってろ、パステルカラーの癒やし空間。そして1年後の100億円!
「よし、行くぞ!」
俺は迷いなく、赤いボタンを力いっぱい押し込んだ。
視界が真っ白な光に包まれ、浮遊感が全身を襲う。やがて光が収まり、俺はゆっくりと目を開けた。
「……ん?」
パステルカラーの可愛い部屋ではなかった。
鼻を突くのは、むせ返るような血と硝煙、そして腐敗した肉の悪臭。見上げれば、黒煙が立ち上る曇り空。崩れかけたコンクリートの建物の向こうから、ガラスの割れる音と、人間の断末魔の悲鳴が響いてくる。
「え……? なんで……?」
呆然とする俺の目の前に、黒スーツの男がホログラムとなって浮かび上がった。
「転移完了を確認しました。それでは1年間、頑張ってください」
「ま、待て! バグってるぞ! 俺が最後に観たのは、すみっこが好きな可愛いキャラクターたちの映画だ! なんでゾンビの世界になってるんだよ!?」
俺の絶叫に対し、男は不思議そうに首を傾げ、やがて納得したようにポンと手を打った。
「ああ、私は入場記録を確認すると言いましたよね? 私どもの規約における『映画』とは、『映画館のスクリーンで鑑賞した作品』のみを指すのです。テレビやスマホの配信で観たものは『配信映像』扱いになりますので、カウントされません。時間はたっぷりあったのですから、もう一度映画館へ足を運ばれればよかったのに」
「なっ……!?」
「つまり、あなたが最後に『劇場で観た映画』が正しく適用されています。では、良い1年を」
ホログラムがプツリと消えた。
2000円ばかりの映画代と外出の手間をケチった自分を呪う暇すらなかった。直後、背後の路地裏から「グオオオオオッ!!」という身の毛もよだつ咆哮と、複数の足音が猛スピードで迫ってきたのだ。
俺は100億円のことも忘れ、ただひたすらに絶叫しながら、荒廃した大通りを全力で走り出した。




