悪口
悪口が嫌いで嫌いでしょうがない。
なんでなら、意味もわけもないのに周りを不快にさせているから。
それを生きがいとしているような人間には嫌悪が止まらないし、そんな人にはならないと思っていた。
が、常に人というのは不満や不平が心に溜まっていくもので、それを口に出してしまいたくなる気持ちは分からんでもない。
けど、やっぱり私は悪口が嫌いで、口が悪い、口の強いことを一種のステータスやかっこよさの指針としているような人間を見ると、まるで別世界のモンスターを見ている気分になったりしていた。
そうやって生きてきて、私の口からはポジティブな言葉しか発さなくなって、無事、周りからは安心できる安全な人間だということになった。
ある日に、喧嘩している知り合い同士を見かけた。
内容はよく分からなかったけど、どちらも強い言葉を使って殴り合っていた。
耳が痛くなってその場を立ち去った。
トイレに入ると、そのうちの一人が入ってきた。涙を流していた。
私はトイレに入ったことを若干後悔しつつも、私の「みんなからの見られ方」的に声をかけるべきか少し迷って、声をかけた。
「どうしたの?大丈夫?何かあった?」
そうすると、待っていたかのようにその人は私に愚痴や不平をぶちまけた。
喧嘩相手にもいろいろ言っていた。
内容としては本当に些細なことだったのだが、今まで我慢していたことが限界を迎えたらしい。
よく分からない。
そりゃあ相手は人間で、自分と違う存在なんだし、合わないこともあるだろう。相手だってそうだ。
それなのに、自分だけが我慢していると錯覚して、怒りや悪口をぶつけていいと思っているその心がよく分からない。
社会生活を営むにあたっては、多少の我慢だけではなくて、許す心や笑って受け流す度量が必要なんじゃないのか、と思ったが、ここは聞き手に回ってフォローをするのが賢実だと気づいて、そうした。
そうすると、その人は私に向かってこう言った。
「あなたは誰かに怒ったことを見たことがないけど、どうやったらそんなに寛大になれるの?」
分からない。
というか、逆にそっちの心が分からない。
私は素直に「分からない」と答えた。
──そのとき、ほんの少しだけ違和感が残った。
なぜ私は、分からないままでいられるのだろう。
なぜ私は、怒らないのだろう。
考えたくなかった問いが、静かに浮かび上がる。
私はずっと、「悪口を言わない自分」を守ってきた。
正しい側に立っているつもりで、波の外に立っていた。
でもそれは、ただの安全地帯だったのかもしれない。
誰かとぶつかることも、
誰かに嫌われることも、
誰かの本音を受け止めることも。
全部、避けていただけなんじゃないか。
向き合わないことで、傷つかない場所にいただけなんじゃないか。
私は、人に向き合う覚悟も、
向き合われる覚悟も、なかっただけだ。
そう気づいたとき、胸の奥で何かがひび割れる音がした。




