寮監の朝は早い
アルカディアアカデミー、ペルディティン寮寮監である舞田幸司の朝は早い。
朝四半時、まだ太陽も登りきっていない早朝。セットしていた目覚まし時計が鳴るよりも数十秒だけ早く目を覚まし、眠気の名残りを感じさせない俊敏な動きでベッドから抜け出しカーテンを開ける。
早起き自体は得意だ。日本に居た頃も食材の買い付けや仕込みなんかで朝早くに活動することが殆どだった。朝特有の青みがかった静けさと、人いきれが無いせいでどこか清浄に感じられる空気が好きだった。
——まあ、ここは俺がかつて住み慣れた日本ではなく、不思議と魔法と化け物が跋扈するオムニテラなので、あの光景はもう二度と見る事は出来ないのだが。
「……居るな」
目を閉じて魔力の残滓を辿って行けば、寮の中に見覚えのない気配が一つ。恐らくアクライズが昨日一夜を共にした女性だろう。
淫魔である彼に人間の倫理道徳を説くつもりはないが、年頃の女性を誑かして褥に連れ込むのは教育者としてはあまりいい顔をできない。ま、この世界の異物である俺は何も言えないのだが。
部屋に備え付けのシャワールームで身なりを整えて着替える。
テレビでは羽の生えた女性が『本日はところにより夕方から飴が降るでしょう』とにこやかに告げている。飴が降る日は厄介だ、今日は洗濯物は早めに取り込むとしよう。
手早く規定服に着替えて部屋を出る。俺は学生じゃないから制服ではなく、学園から指定されている「白いシャツに黒いスラックス」といういで立ちだ。別にブランドは問われていない。ので、俺はそこら辺の量販店で適当に買っている。
ダイニングキッチンまで移動すれば、聞き慣れたいびきが聞こえてきてため息をつく。俺がドアを押し開ければそのいびきはひたりと止まった。
相変わらず些細な物音で目が覚める。俺の気配で目覚めなくなっただけマシだが、それでも彼の不眠症はまだまだ治らないだろう。治る気もしないし、治そうとしている気配もない。
それが彼なりの懺悔のつもりなのか、破滅願望からくるものなのかは分からない。彼の中に渦巻く感情のことを、俺なんぞが理解しようとするのは烏滸がましいとも言える。
躊躇いなくドアを開ける。むわり、と部屋に立ち込める重ったるい紫煙の匂いとアルコールの香りに顔を顰めた。
仮にもここは学生寮だぞ。大っぴらに煙草を吸うな酒を飲むな、子供の成長の妨げになるだろうが、と思うのは異世界人で日本人ながらの感性なのだろうか。
「……ガラク、寝るときは自室で寝ろと何度言ったら分かる。学園長から警備員室も自室も与えられてるだろう」
どうせ起きているだろうから小言を言いながら談話室の窓を開けて回れば、「キスで起こしてくれねえのかよ、王子様」とざらついた声でふざけたことを抜かす。
「目覚めのキスは呪われた姫君に与える愛の目覚ましだ、お前はもうとっくに起きている。あと普通にお前は姫じゃない、二メートルある熊みたいな男だ」
「俺のことは愛してくれないのか! 悲しくって泣けてきた。寝る」
「寝るな自認プリンセス。自室に戻れ。あと寝タバコと寝酒はやめろ、火事になったらどうする」
「そんなヘマはしないさ」
俺がエプロンをつけてキッチンに立てば、ソファに沈んでいた大男がのそのそと起き上がってくる。ソファの背もたれに顎を乗せてこちらじっと見つめてくるのは、ひどいクマと無精髭で彩られた、無気力ながらも濡れた色気を纏う顔立ちの男。
窓から差し込む朝日に反射して、凛とした新雪のような髪がキラキラと輝く。
これが彼がポーラーベアと呼ばれる所以だ。我らが希望のポーラーベア、炎に飲まれた哀れな大熊。魂喰らいの呪われた男。
シロクマちゃん、と呼ばれて噛みつくように怒っていたのが遥か昔のように思える。かつてはあんなに元気で力強かったのに、今じゃあすっかりしなびた風船みたいに地面で蠢くことしか出来ない。
「味噌スープ」
酒焼けた声のシロクマが、常連の店にいうみたいな気楽さで指を一本立てる。
「昨日の残りがある。でもあとでな、お客様が先だ」
本来であれば先に洗濯物を回してから朝飯の準備に取り掛かるが、お客様がいるなら話は別だ。洗濯よりも先に彼女に持たせる朝食を作ることにした。




