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6話・不倫女をざまぁすることにした

 しばらくして届けられたのは、一枚の書状。香水のようなインクの香りが、鼻腔の奥で渦を巻く。

 御者が、子分ではないと言いたげに苦笑する。

「お忘れ物ですよ」

 席に忘れたらしいことを教えるように言う。それは聞かないふりで話すカエレン。

「こちら、新しい次期王女の結婚案内ですのよ。まさかとは思うけれど、拡散ぐらいはできるでしょう。あなたに残された、数少ないお役目ですもの」

 相手の感情を逆撫でするのは特技らしい。

「スレを立てるのは構いませんが、拡散するのは私じゃありませんよ」

 ケリーヌは涼しい声で返す。いちいち言葉に反応していられない。

 いま、夏ミカンを持て余して、転がして遊んでいる令息たちが判断すること。それがSNSという舞台の公平さだった。

 意味を理解しないで一人の世界なのがカエレン。含み笑いをした。

「何度も言わせないでくださる。わたくしがマイカル王子の婚約者。それが決まったというだけの話よ。ああ、念のため申し添えておきますけれど、それは命令。あなたの感情など、最初から必要としていませんことよ」

(さっそく、権力という名の鎖を振りかざしてきたか)

 時代の埃をまとったような古い考えに、ケリーヌはため息をついた。

 畳座から顔をのぞかせていた若い令息たちは、その空気を楽しむように口を挟む。

「まあまあ、悪い話じゃないだろ。お姫ちゃんがSNSに協力してくれるなら、ちょっと面白いかも」

「おひめちゃんですってぇ。滑稽な戯言ね。わたくしは王女。SNSの使い方を施してさしあげる立場なの」

「はいはい。一応、スレは立てましょうね」

 言葉を遮り、紙を受け取る。中身を確認すると、びっしりと書き込まれた細かい文字。読み手を拒む結界が張られているようだ。

(やっぱり来週、早すぎるよ。まさか、私とすり替わって結婚式を挙げるつもりなの)

 胸の奥がざわりと波打ち、目には見えぬ毒の花が静かに咲くような予感がした。

「お祝儀を請求してはるなー。あげるんは、気持ちでっしゃろー」

 サユリーは突っ込みどころを探しているらしい。

「お祝儀は常識でしてよ。わたくしの挨拶代わりのスレッドですのよ。王子様に代わり、情報を与えてもよろしくてよ」

 カエレンの声はまるで硝子を爪で掻くような不快さを伴っていた。

「おもしろいなー」

 サユリーが割り込むように笑った。

「発信したなら受けるでー。王子様と同じことを喋るんかー」

 サユリーが微笑む。挑発という名の針を、カエレンの心臓に向けて突き立てたのだ。

「お分かりいただけたかしら。この国をもっと大きくして、権力も財も手にいたすのですわよ。あなた方のような小者では到底できぬことだからこそ、私が導いてさしあげますのよ。おほほ」

 喋るときの情熱は凄いが、どこか壊れているスピーカーのように響く。

「ご自由に。炎上しないのを祈りますわよ」

(さすが、サユリーさんだよ。王子様が庶民に隠してる野望を、この女の口から暴かせようとしてるんだ)

 カエレンは相手の思惑を気にしない。

「炎上も注目されてる証拠。誉め言葉と受けとめましてよ」

 そう言いながら、カエレンは男たちへと歩み寄った。絹の裾を指で摘み、白鳥が舞い降りる優雅なカーテシーを披露する。

「親しくしてさしあげても、よろしくてよ」

(へえーっ。男へ媚びるところは一級の。いや、特急の遊女だよ)

 へんなところへ感心している間に、カエレンはドレスををひるがえして帰っていく。決まった、と思っているのだろう。

(SNSの邪魔はさせたくないけど。あいつの嘘を暴くのに都合がいい)

 唇の裏に小さく笑みが浮かんだ。


    ・


 昼食後のテラス。鈴の音を響かせて蹄を蹴る音。馬が近づく。

「メッセージが来たでー」

 話す間にも馬から降りた長身の貴族令息。卒業証書を入れるような丸筒を持っている。

「カエレンとかいうお姫ちゃんのこと」

 畳座に座る男性たちも待ってたように縁側から降りて来る。

「時間は。一分を切ったか」

「おっと、忘れたか。特ダネだからな」

 馬をいなしながら、ストップウオッチを押す長身の貴族令息。

「うん。あの女の情報なら勲章ものだよ。どれどれ」

 はやる気持ちを隠しもせずに、丸筒を受け取り、開けた。

 「ちょっと超えたか。でも、ケリーヌさんのいうとおり勲章ものだな」

 貴族令息たちはねぎらいながら、裏手へ馬をつないだ男へ夏ミカンをあげてはしゃぐ。

 SNSは千メートルづつ区切って設置された掲示板を使っていた。競馬のように時速60キロメールで走る馬が駅伝みたいにつないでいくのだ。

 しかし、それを思い返すどころではない情報だった。

「お騒がせ王女。ついにテーファー王国の王子と密会だって。なにこれ」

「去年のスレから拾ったらしいでー。婚約中やったなー」

 テーファー王国の王子といえば、マイカルしかいない。

「なになに、メイドは見た。カエレン王女がテーファー王国の王子と一夜宿での甘いひととき。デートじゃん」

 男と女がイチャイチャラブラブするのが目的の一夜宿は郊外に多い。紙を持つ指が固まる。頭の中で雷鳴が鳴り響く。

(本気なのは君だけと、あのときほざいていたから。だから、許したのに)

 ぎり、と奥歯が軋んだ。口角は上がったまま、顔は涼しげに保たれている。

「あの女は、お見合いするとかじゃなくて、前から不倫してるじゃん」

 今までが滑稽に思えるし、ケリーヌの心に線状降水帯の黒い雨雲が覆い被さる。

(家同士で決めた縁談なら、仕方ないとも思ったけど。婚約中に、許さない、あの女!)

 ほんのり香るオレンジピールのように、記憶の底からじわじわと苦味が浮かび上がってくる。

 思い出す夜の舞踏会。マイカルがケリーヌの腰に手を回したときの温度。あのとき彼が囁いた言葉は、いつか愛情というのが芽生えると思わせた。だが今、下手な演技を誠実と勘違いしただけと分かった。言葉遊びをしていただけだろう。

「遊郭ぐらいなら。貴族の男性の性と割り切って、大目にも見たけど」

 心のどこかで、妥協の仕方を覚えてきたはずだった。でも、あの女が相手となれば話は違う。

 木洩れ日がケリーヌの手の甲を照らしていた。白い肌に映るその光が、熱く赤く見えるのは気のせいではなかった。

 しかし、サユリーは潔癖主義だ。やや声を低めて空気を鋭く切る。

「不倫案件やでー。嫌う女性は多いしなー」

「たしかにね。あの女は、私を見下していたのよ。不倫しながら、自分こそが選ばれた存在だと偉ぶってたんだよ」

 ケリーヌは瞼の裏で、カエレンの所業と、これから始まるざまぁの場面が交差した。

「見せてあげないとなー、どちらが正統か思い知らせようでー」

 静かに爪を立てるように、サユリーの感情が研ぎ澄まされていくのが伝わる。

「ほんとにざまぁしなきゃね。もっとあの女の情報を集めてみよう」

 ケリーヌは微笑みながら言った。割り切りと決断は早い。すでに一つの歯車が、音もなく回り始めている。

「王都内の掲示板へ拡散だな。コピーをよろしく」

 貴族令息たちは襖を開けて、銅板で作られた箱を操作する。魔女の魔法で作られたカンジュクシという紙に文字や絵を写せるのだ。

「侯爵領ではゼンマイ式を使ってたけどね」

 歯車とバネを利用していた。神話時代のコピー機だ。いまの掲示板が手動なのは各地の掲示板でも使うために、軽くて小さい装置にしているからだ。

「大掛かりになれば、ゼンマイ式がいいでー」

 広場をつかってスレをたてるのが目標でもあり、スレ板を回転寿司みたいに動かす方法も考えている。

「参加を頼んでるけど、婦人会にも声をかけてみよう」

 大掛かりなネットワークを予定している。その人脈も頼りに、まわりから攻めて、カエレンが次期王女として相応しくないという状況を作りだしたいのだ。

「お坊ちゃん王子に未練はないし。いまは、あの女をざまぁすることが必要なのよ」

「よし。出かけるか」

 二人の貴族令息が紙筒を持ち、馬のほうへ向かう。集まる人数は増減するが、往復で入れ替えしていた。


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