カエレンがSNSを知っているらしい
屋根瓦の建物があり、テラスが設けられている。スレッドはA4判用紙が貼れる幅で長さ約180センチメートルの板を立てたものだ。その縦長の板が周回するように並び、それぞれの板から言葉の息吹が感じられた。ここが『SNSヒトコト掲示板ホーム』だ。
ケリーヌとサユリーは片隅の縁側で新たなスポンサーの名前を確かめている。
「夏ミカンの差し入れだ」
障子が開け放たれた座敷から貴族令息が知らせる。向かいのファミリーレストランからだという。柑橘系の爽やかな香りがほのかに漂う。「剥けるか」「包丁はあったか」などと華やぐ男たち。舌が酸っぱく甘い味を蘇らせる。
「果物ナイフがあるでー」
サユリーが台所へ向かいながら、ぎょうさんやなあー、と感激した。
テラスの縁に人影が見えた。
「あの女だよ」
ケリーヌは緩やかに立ちあがる。カエレンは靴音をひとつ刻んだ。乗って来たらしい、小型の市民幌馬車がテラスの前で停まり、馬の面倒くさそうな鼻息を御者が宥めていた。
「暇なんやなー」
サユリーが夏ミカンを手にして隣へきた。苦い酸っぱさを感じながら並んで、縁側の影から外の光へと視線を送る。
カエレンが掲示板のスレッドを見渡すが、詳しく読むようすもなく曖昧な軽さがあった。夏ミカンに誘われたか、アゲハ蝶が座敷を窺うように舞う。カエレンは、それより、という表情で近づく。
「まぁまぁ、庶民のお遊びですわね。ご自分を主役に戯言を並べては、愉快なことですわね。婚約破棄の件までスレ立て遊ばすとは、恥という概念はお持ちでなくて?」
ケリーヌはイモリに舐められたように耳がひきつる。
「やましいことはありませんので」
(あいつが勝手に破棄したんでしょうが。なにを得意げに絡んできてるのよ)
「まぁ、そんなにお怒りなさって。ごめんあそばせね。でも仕方ございませんわ、何せ、格が違いますもの」
笑う口元とは裏腹に、能面みたいな無表情にも見える。
(シャボンは香水だったのね)
華やかさの奥に隠された貴族の臭い消し。今の匂いは、体臭も混ざり腐れかけた果実だ。アゲハ蝶も逃げる匂い。
「はいはい。どこかの王女さまでしたね。そうは見えませんけど」
笑顔を浮かべて返すケリーヌの声は澄んでいた。いまのところ、まだ用事は無い。
(わざわざ、ここまで来るのはなぜかしらね)
「女王になりたいんかー」
サユリーの声が、ネットの海を駆け巡り関連情報を見つけるAIのように聞こえた。
「ユヌムン王国の王子様と、姉弟で婚約を企んでるって噂やでー」
その言葉は、玉ねぎの皮をむいたときに鋭く鼻をつくように刺激的な情報だ。サユリーは静かに唇を閉ざし、獲物を捉えた牝ライオンのように微笑む。
カエレンが眉をぴくりと跳ね上げ、露骨に不機嫌な顔で応じた。
「あらあら、また庶民の悪い癖。偽りで噂を飾るなんて、お里が知れますわね」
眉間に浮かぶわずかな皺が、言葉よりも雄弁に、本音を言い当てられた不快感を物語る。
(図星でしょうが。サユリーの情報は確かだからね)
「でもご覧なさいませ、私がマイカル王子と結ばれること、それこそがすべての真実でしてよ。動かぬ証拠。お判りになって」
(判ってあげないんだから。へえー、弟とね。この女の権力欲って、どこまで貪欲なのかしら。だけど、それが私と何の関係があるの。ないでしょ。マウントをとりたいだけかしら)
応じるように響くスレのざわめき。無数の声が、真実と虚構を織り交ぜてささやく。
窓の外、空は流れ雲が駆け足で競争している。頬をかすめた風が、黒髪をさざ波のように撫でていく。その肌触りは優しかった。
(うん。いまもシルフは来ている。ちょっと落ち着こう)
「庶民を見下していらっしゃるし、SNSも戯言だとおっしゃってる。でも、そんな方が何の御用ですの」
声は淡雪の結晶を指先で丁寧に並べるように繊細だった。
「あら、まぁ。致し方ありませんわね。わたくしがSNSの使い方をお教えいたしますわよ。少しはお学びになって」
カエレンの声には、アナログ時計の響きがあった。律儀に音を刻みながらも無機質なゼンマイ仕掛け。
ケリーヌは眉根をほんの少しだけ寄せた。
(知ってるというのかしら。それならね)
「勝手になさったら。聖女様から許可を貰えば開設できますから」
突き放すような一言。辞典の文字列を思わせる冷淡さで話を終わらせようとする。声の余韻が空気の温度をひとつ下げた。
「私を誰だと思って。王女である以上、それくらい承知しておりましてよ。よろしい、この場の管理人になって上げます。僕となり、忠実に役目を務めることですわ。光栄に思いなさいませ」
その考えに、ケリーヌは目を細めた。言葉にするのは控える。
(ちょっと頭が、あれじゃないの)
まるで春の陽光のなかで、唐突に冷たい雨粒が頬を打ったかのような、嫌な違和感。
「あなたには無理。人脈を利用した、言葉の仮面舞踏会です。ご存じなら、あなたのお国でやりなさいな」
(こんな女、敬う理由なんてないけど、こういうのに下手なこともいえないでしよ)
ケリーヌは微笑みすら見せず、視線を窓辺へ逃がした。遠く揺れる庭の薔薇が、風のなかでわずかに震えた気がした。
「そんなに取り乱して、お可哀想に。理性というものをご存じなくて」
カエレンのくすくすとした笑いは、どこかで破れた風船の音のように虚ろで、違和感の層を重ねる。
「優しく助言してるつもりだけど。相手を怒らせて楽しむなんて、最低の趣味だよ」
「教えて差し上げますわ。SNSとは、金儲けと情報操作のための高等な道具」
(金儲けだけ考えていたという神話時代のことかしら)
二十一世紀の使い方を知っていたらしい。
「だから。ご自分で開設してみれば。ご提案ですのよ」
(よそでやるならかまわないし、うまく行くと思えない。仲間を集めるのも時間がかかったんだから)
ただ、感情という繊細な温度に無頓着なカエレン。鏡のように感情を映さない瞳。
「ええ、ここで教えてさしあげましてよ。下々の子供が暇つぶしに触れるようなおもちゃとは、格が違いますのよ」
「はいはい。ご自分で開設なさってからね」
早く追い返したいが、カエレンは思いだしたような口ぶりで、きょう来た用事らしいことを話す。
「あら、そうそう。わたくしから渡すものがありましてよ。貴方にも、せめて、扱われる側、としての心得くらいは持っていただかなくては困りますもの」
乗ってきた馬車の御者に指を立てて合図を送る。命令することが呼吸であるかのような自然さだった。
(この女がSNSを分かるというのかしら。それとも、ただの知ったかぶりなの)
なにか目的を持って近づいたのはまちがいない。




