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SNSの始まり、貴族学院時代のこと

 仕事前の短い打ち合わせには、決まってこのガーデンパラソルの下を使っていた。

「貴族の令息たちも手伝ってくれるしなー。SNSはええ考えやでー」

「貴族学院の頃から、仲間集めはしてきたからね」

 ケリーヌはカップを持ち上げながら、自慢じゃないけど、と照れ笑いした。冷めたカフェラテの苦味も、風の妖精シルフがどこかへ吹き飛ばしてくれた。

(貴族の家柄や身分の壁を超えるのは祖母様の願いだからね)

「ハンドルネームだから、貴族と庶民の違いも分からへんしなー。分け隔てなく話せるって、すごいことやと思うでー」

「それが目的だもん。祖母様の願いを、ちゃんと叶えたいの」

 ケリーヌの声は、雨粒が葉に落ちる音のように静かだったが、その奥には作物を豊かに実らせる情熱が秘められていた。

 思いだしてみる。ほんの数年前のことだ。


    ・


 貴族学院ではアルバイトが許されていた。その制度を利用して、祖母が侯爵領で運営していたSNSを真似たのだ。

 涼しい図書室の窓辺、陽の光が差し込む木製デスクの上に並ぶメモ書き用紙の束。スイートピーの香りと、革の書物の匂い。春だから入学とか学院では先生と呼ばれる新しい修道士の紹介など、学校掲示板の延長みたいな物だが、小話も聞き取っていた。情報を区分けして並べる。その作業が、まるで花びらを一枚ずつ選ぶように思えた。指先に、木漏れ日が揺れていた。

 サユリーは最初の頃から興味津々だった。その瞳は、初めてお人形をもらった子どものように輝いていた。サユリーは話しかけるタイミングをうかがってもいたらしい。

「噂話を集めるのは面白いなー」

 お喋りな噂好きと評判で、一部の同級生から重宝がられている。

「ちゃんとした情報じゃなきゃ、意味がないしね」

 静かに返すその声には、紅茶の香りのような穏やかさと、心の芯に宿る凛とした熱があった。ケリーヌは生真面目なところがあり、真剣だ。言葉というのは、甘いようでいて、時に鋭く心を刺す毒にもなる。だからこそ、責任を持って扱いたい。噂だけの話に興味はなかった。

「ちゃんと証拠も集めてるでなー」

 ドレスの内ポケットからオペラグラスを取り出す。

「新しいカワイナ先生はなー。スグソコ男爵家に出入りしてるでー。恋人がおるんやろー」

「確かに持てるし、何かの用事とか、親戚とか」

「でもなー、ひょうたんから駒って言葉もあるやろー。火のないところに煙は立たないって、昔から言われとるでー」

 サユリーの笑い声は、草花の間をすり抜ける風のように軽やかだった。

「神話時代の言葉に詳しいね。たしかに、あの頃の教えは的を射てる」

 ケリーヌは、なにか吹っ切れたように笑った。普通に考えれば恋愛関係にしたがる年頃だ。

「祖母様から教えられた遊び心って、そういうことなのかもね」

 ちょっかいを出して白状させるのも、背伸びしたがる若者の特権だろう。お互いに納得するところだ。新任の紹介にヒトコト『スグソコ男爵家とは仲が良い』と付け加えた。

 反応したカワイナ先生。結婚はまだ先ですが……と白状した。そういう話は喜ぶのが学院生。こうして、優等生で物静かなケリーヌと、噂好きなお喋りレポーターのサユリーは、最強のコンビを結成したのだった。


「さっそくやけど、噂があるでー」

 アチラノ伯爵家のイケメン令息が庶民学院の女の子と付き合ってるらしい。そのスレには女性が反応した。

「私たちもいるのになんでさ」

 反感を持つ女性もいた。

「商店街でアルバイトしてる女の子だよ。可愛いかったぜ」

 男にも噂好きの情報屋はいた。

「顔で選ぶなんて、最低。心が大切でしょ」

 恋の一般的な話題へ広がっていく。

「いやいや。最初から心は見えないって」

「なんとなく分かるものなのよ」

 掲示板の投稿には、賛否両論のコメントが付き、時には嵐のように炎上することもあった。言葉という石を投げ込んだ池の波紋のように、人々の心を揺さぶる。

 若い子にアドバイス、と考えたのか、ふたつ先輩が体験も豊富な文面で参加する。

「恋は四捨五入するもの。きみたちはどうかな」

 これは恋だと気づくコメントも現れる。アチラノ伯爵家のイケメンについても確かめるようなスレ。

「それで、本人はどうなの」

 ほんと、噂は当事者がいないところで広がる。それで今更だが、本人へ確かめることになった。

「いや。付き合ってるわけではないけど」

 片想いらしい状況が分かると風向きも変わる。

「告白しちゃいなさいよ」

 それは男女の共通した意見。振られてざまあみろ、と言いたい人と、自由恋愛に憧れて庶民とも付き合えると希望を持つ人がいた。

 庶民学院を巻き込んだ騒ぎは、その女性の登場で幕を下ろす。

「はっきりしない男は大嫌いです」

 このスレに、戸惑うというか、ちょっと慌てたイケメン。

「優しくしたし、プレゼントもあげたから。俺の気持ちは分かるだろう」

 男は直接に言えない質らしい。

「言葉にしないと分からないよ」

 そういうコメントを何人もの女性が送る。

 結局は、ちゃんと告白しに男はでかけていった。噂話や恋の話に関心を持つ人も多い。だが、そこには確かに熱があった。これは、市場と学院をつなぐ実況中継を実現させた。侯爵家のようにSNSに馬を利用した方法で試すことにもなった。

 貴族学院の生徒たちは、ただ、親が爵位を持つという身分にしがみついていた。名前を隠した自分の声が、王都の片隅で誰かの心に届く。それは、若い貴族にとって、一種の解放だった。


(サユリーが仲間になって、本当に助かったよ。私、へんに特別扱いされてたから)

 ケリーヌが次の女王とされているのは、学院では周知の事実だった。それでも、サユリーが、お喋りレポーターの特技を発揮した。

「大らかというより、天然ボケやでー」

 婚約とコンニャクを平気で取り違えるのは大らかというよりボケだろう。早とちりな部分もあるのは確かだ。温和な雰囲気は、自分たちとは違う世界、と受け取られていたケリーヌの印象も変わる。

 十六歳で正式に王子と婚約しても、学院での対応は変わらなかった。むしろ、SNSを一緒に広げるなかで、仲間意識が芽生えて、卒業しても協力していこうということになった。

 学院内で広がるネットワークを、馬を駆り侯爵領の祖母ともつなげ、全国へと広げる。SNSの波は縦の糸、横の糸で、見えない絆の布を織り上げていく。


   ・


(十八歳になったけど。こういうことも、あるんだね)

 目を細めると、ふわりと、ガーデンパラソルの布地が揺れた。風の妖精シルフが空で遊んでいた。

(お母ちゃん、頑張るからね。私が夢は叶えるから)

 ケリーヌが幼いころに、実母は流行り病で風になった。祖母のSNSを手伝い、文字と会話するときは、実母が身近にいるようにも感じられた。思いだすとジャスミンの白い花の香りと、懐かしい庭の土の匂いがよみがえる。

(新しい母上はね。ちょっと距離の取り方が分からないけど。うまくやってるよ)

 報告するみたいに心でつぶやく。他人には言えないが、いつも実母の影を追ってもいる。それが風の妖精シルフだと信じていた。

 本格的にSNSを立ち上げたばかりの今。

「婚約破棄なんかで、立ち止まっている場合じゃないよね」

 ケリーヌは自分にも言い聞かせるように呟いた。貴族と庶民が、肩を並べて語り合える場所をつくること。それは、祖母と実母、それにケリーヌの夢だった。そして今、理想が静かに芽吹き始めていた。


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