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2話・横取り女カエレンがきて威張る

 ケリーヌは早くマイカルを返したい。

(追いつけない話だから。ちょっとは考えさせてよ)

 そこへ、牝猫が発情したような声。

「おーじさまぁーん」

 ケリーヌの目に映ったのは、艶やかな黒髪を揺らした女。大胆に開いた胸元は、ほんのりと朝露のような湿り気が残る。

(朝風呂の入ったのね、おそらく)

 シャボンの匂いが漂うドレスは、紫のフリルが絹のようにきらめいている。

(どこかの王族かしら。見覚えもないけど)

 女はマイカルの隣に滑るように立った。

(なるほど。婚約破棄の裏に、新しい縁談という茶番劇があったわけね。王家にも事情があるのかしら)

 ケリーヌは平静を装うことに努めた。

(女として比べられた感じ。いやな性格だね、この二人とも)

 予想しない女の登場に心臓は激しい早鐘を打つものの、父親譲りの強い目力と、母親に似た大らかで温和な表情で、微笑みを返す。

「お待ち合わせでしたのね。いまはイコイの時間。聖女様に、感謝を込めて」

 震えないように両手でカップを包み、そっと唇をあてた。

(わざわざ、引き合わせることもないでしょ)

 頑固なエルプレッソの苦さが舌に突き刺さる。

 女は威張った言い方で、歩み寄る。

「わたくしに話しかけてもよくてよ」

 マイカルが様子をみるように腕を組んだ。

(こいつは、この女が来るのを待ってたんだよ。なぜか威張ってるし、無視したいけど)

「たいそう、お偉いのね」

 それに、女は含み笑いで応えると、喋りたかったように自己紹介をする。

「わたくし、ユヌムン王国の王女、カエレンと申しますの」

 それだけでは止まらない割り込み女。

「まあ、田舎領地の令嬢にはお分かりにならないでしょうけれど。やはり、婚姻は王家同士でなければ格が保てませんもの。お分かりかしら。『格』が、ですわ」

 微笑む彼女の吐く息には、クロロホルムのように、甘く危険な香りがただよっていた。

「ご自由にどうぞ」

(そっちで切るなら、考えなおすこともあるから)

 三文芝居の茶番劇に興味はない。落ち着こうと現実を考えた。割り切るのは早い。

「もっとも、王子様がご婚約を破棄なさるのなら、あの婚姻契約書も、ただのチリ紙扱いでよろしいかと」

 腕を組み、椅子の肘掛けに腕を乗せる。磨き上げられた木肌は、冷静さをくれる魔術師だ。

(この男と添い遂げたいと、心底思っていたわけじゃないもの)

 ケリーヌの心を揺らせていた大波も、ゆるやかに静まり始めていた。恋愛感情があるわけでもない。それでも、マイカルは女性の心の中に思い至らないらしい。

「衝撃であろう、僕も身を引き裂く思い。王様は侯爵とも話し合うそうじゃ」

(いや、べつに。衝撃というより笑劇と割り切ったけど。おべっかは要らないし。ここで言い争えば、話に尾ひれがつく)

 ほうき星みたいに見かけが大きくなる。

「父と話し合うのはあたりまえでしょ」

 そっとカップの中を覗くと、ラテの泡がゆっくりと崩れ、その形を失っていく。


 おとなしくしていたら図に乗るカエレン。含み笑いをすると、自慢げに口を開いた。

「私が選ばれた理由を、お知りになりたいかしら」

(べつに。勝手に喋れば。早く帰って欲しいけど。縁談が、そんなに自慢することかしら)

「まあ、無視なさって。この器量と、ふさわしい気品。王子様が見る目をお持ちだった、ただそれだけのことですのよ」

 一人芝居に酔いしれたのか、マイカルへしなだれかかる。胸元の豊かな膨らみが、波のように揺らめいた。その破廉恥な態度に、ケリーヌの心にはさざ波が立つ。

(譲ってあげようと思ってるのに、色仕掛けで見せつける。インラン女かしらね)

 マイカルは、その波に溺れたクラゲのように、眉も口元もだらしなく緩ませている。

「カエレンに出会って、本当の愛を知った。僕たちは、同じ夢を持ってるんだ」

 男というのは、女のスキンシップを愛だと勘違いするのだろうか。

(うっとうしい)

 ケリーヌは深い溜め息を吐いた。一応は胸内で怒鳴りつける。

(朝の貴重な時間を邪魔するな)

 どれほどティーカップのように静かに微笑んでいても、この二人は立ち去るつもりなどないらしい。

(迷惑防止条例があるんだよ。警察を呼ぼうか。イチャイチャラブラブの見せびらかしも禁止条例が欲しいところだよね)

「わたくしに勝てまして。おほほ」

 なにかの反応を待ってもいるらしい。

(このマウント垂れ流し女!)

「だから、今は憩いの時間だってばさ」

 その一言には、美少女戦士が必殺技を放つときの険しい表情が伴っていた。

(うん、ちょっと待って。これはSNSに掲載する良いトピックになるかもしれないし。書類さえ持っていたら)

 子供じみた喧嘩をするのは避けたい。運営しているSNSで公開しようと考えた。冷静さを取り戻そうと、ひと息ついて言う。

「そうだ、王子様。婚約破棄要請書はお持ちかしら」

(こいつの夢と言ったら、もっと金を儲けて贅沢をしたい、だったかな)

 そのために周辺の国を統一すると打ち明けた。

(思いとどまらせようと考えてたけど。それに賛成する女までいるとはね。王女様も王様の領土欲を牽制していらっしゃるし)

 呆れている間に、マイカルはマントの内側から丸められた書面を取り出す。芝居がかった手つきで広げ、読み上げようとする。

「朗読はよろしいです。テーブルへ置いていただけますかしら」

(何度も庶民の前で言うなって)

 マイカルは演技が中断されて気まずそうな表情で、テーブルにA4判の和紙を置いた。

「たしかに、お渡しいたした」

「はい、もう勝手にして。これで終わりね」

 テーブルに置かれた書面へ目を通した。現実の証拠に怯む。

(ま、いいや。いまは、落ち着こう)

 日付と王家の印鑑も押されていた。

『国の防衛には、侯爵家よりユヌムン王国が頼れると判断した。ゆえに、私テーファー王国王子マイカルは、サイハーテ侯爵家令嬢ケリーヌとの婚約を、本日をもって破棄する』

 ケリーヌは内心で溜め息をつきながらも、すでに次の手を考えていた。

「それじゃあね。待ち合わせがあるから、さようなら」

 ふぬけたクラゲ王子と横取り女に用事はない。

 カエレンは、隠しきれない嘲りが混じる毒を含んだ蛇の舌をうごめかす。

「まぁ、なんてお育ちかしら。薄情で、品もないのですわよね。わたくしとは違って」

 何かと喧嘩を売りたがっているようだ。

(穏便に済ましたいのに、何なのさ)

「私が黙っているうちにお引き取り願えますか。どこかのお姫ちゃん」

 ケリーヌの怒りと悔しが、カエレンを睨みつけさせた。目力は強く、温和な人ほど、相手を恐れさせる表情になれる。

 マイカルが仲裁気取りで諭すように言う。

「ケリーヌ様。彼女は君より年上だよ」

(人を見下すのが趣味の男に言われたくもないね。威張りたがるところは変わらないし)

「あらっ、そうですか。お若く見えますね」

 ケリーヌは最大限の皮肉を込めて微笑む。

(王女としての教育さえまともに受けてないのかしら。もしかすると)

 ユヌムン王国には末っ子の王子と三姉妹がいるという。素行がわるい王女のことを聞いていた。次の女王として覚えたことは多い。隣国の内情も少しは知っていた。

(それより、もう、早く去れ。手続きは父に任せていいわよね)

 ケリーヌは、一刻も早く目の前の茶番劇に幕を下ろしたかった。静かに髪をかきあげて背筋を伸ばす。雑魚は寄せ付けない凛々しさが漂う。

「ちゃんと伝えたからな。それでは」

 ケリーヌの迫力に気圧されたのか、マイカルの言葉も歯切れがわるい。

 引き下がらないのがカエレン。

「無理して威張るなんて。さすが田舎者ですわね」

 おほほ、と上品ぶって笑う。

(首根っこを締めてあげようか)

 素行の悪い女だ、と悪魔のささやくように予想する。あくまでも親しそうな表情で話す。

「ヒバリ女王様はお元気ですか」

「なぜ知ってる」

 カエレンが不意を突かれたように一歩下がる。

「ユヌムン王国のヒバリ女王様とは国際親睦会でご一緒しましたのよ」

 王子の婚約者として出席したが、王女や女王と呼ばれる女性は、分け隔てなく誰とでも話す品格を持っていた。

「田舎の小娘でも名前ぐらいは、ご存じでしたのね」

「指が長いですよね、王女様たちも。あら、お姫ちゃんは」

 確かめるように視線を向ける。特別に長いわけでもないが、カエレンはふやけているようにみえる。

「わたくしを、お疑いなさるのかしら」

(ぅわっ。余計に挑発したかな。でも、下がれない)

「ご参加なさってたら、覚えてるはずですけど、記憶になくて。ごめんなさいね」

 下手に出る。あまり刺激はしないほうが良いだろう。

「参加した王族も多いでしょう。田舎の令嬢は初めてですものね」

(もしかして、知らないとか。それなら)

「親睦会と申しましても、ユヌムン王国とテーファー王国の集まりですけどね」

「知ってましてよ。男に捨てられた女を、試しただけですのよ」

(どこまで偉ぶるのかしら。このまま、ヒバリ女王様に返品しようか)

「お坊ちゃん王子はくれてやりますから。親睦会への参加を王様から止められた方が、あなた、なのね」

「なんのことかしら。庶民の噂ですのよ」

「ヒバリ女王様からお聞きしましたのよ。ちょっと困った娘がねー、と内輪話のついでにお話されていました。お姫ちゃん、何があったか知ってますのよ」

 意味ありげに微笑み、分かったふりをした。

「なっ」

 口を開けたまま蠢かすカエレン。見かねたようにマイカルが駆け寄った。二人は小声でささやき合うと、いそいそと帰って行った。

(なにかやらかしたんだね。ま、ゆっくり調べてみましょうか)


 ケリーヌは一人になると、長いため息を吐く。

(冷静ぶってたけど、将来が白紙になった)

 A4判の和紙に書かれた婚約破棄要請書をテーブルから拾い上げると、わしっ、と音がするほど握りつぶした。

 冷めきったカフェラテが捨てられたように見えて、まつ毛を伏せる。

 親が決めた縁談とはいえ、一度は将来を一緒に生きていく覚悟もしていた。

(ちょっと懲らしめたいけどね)

 勢いでSNSへ掲載するつもりだった。それでも、迷いが出てくる。

(婚約破棄をSNSに載せなくてもね)

 自分がスレをたてなくても情報はどこからか漏れて広がるとも考えた。

(あんな女の何が良いのやら)

 女としての存在が比べられたとの思いは、心を重くさせた。


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