ここは異世界じゃないので王女様を連れ歩く近衛騎士は犯罪者です、ぶひぃ
ヒッチハイクなんて、久々に見たぞ。しかも、
幼女。
夜明け間近の府中街道。散歩している老人も見かけないような時間帯。
『東京方面』と書かれた紙を両手で頭の上に掲げて仁王立ちして、こっちを見ている。いや、睨み付けている。自販機の明かりに、背後から照らされた姿には、「絶対に、お前を止めて乗ってやるからな」という気迫を感じる。
ちょっと声かけただけでも、事案になるというのに。幼女を助手席に乗せてドライブなんて、事案を通り越して犯罪だ。略取誘拐だ。起訴も裁判も不要で死刑だ。ロリロリ法違反の大犯罪。
でも、そいつの前に車を止めた。止めてしまった。幻覚か、幽霊かなあ。昨夜は飲んでないんだけどなあ。犯罪者にはなりたかないし、ロリロリのコンコンチキ野郎でも無いんだけどなあ。
言い訳をするならば。俺は王女と騎士の物語が大好きなのだ。異世界転生したいくらいに。王女がピンチなら、助けるのが騎士の務めだろ? 決して、下心から行動しているわけではない。
だって、俺は王女を護衛する近衛騎士なのだから。彷徨う殿下を回収するのは任務だ。
もっとも、ここは異世界ではないから、犯罪になるけど。
行き先も決めていない旅だ。旅の仲間が増えたところで、困ることはない。犯罪だけど。
自販機の前に車を止め、車内に流れていた音楽も止める。俺は、運転席から車外に降りると、助手席に回り込み、恭しくドアを開けてやる。
「いい車ね」
王女殿下は、よじ登るようにして助手席に乗り込んだ。主君が、シートベルトを締めるのを見届けてから、近衛騎士の俺は、そっとドアを閉じてやる。大丈夫、ドアロックの操作は内側だ、まだ軟禁でしかない。監禁罪は成立していない。
車を降りたついでに、目の前の自販機に向かう。ホットの缶コーヒーを買う。70円で変える温もりだ。長引いたデフレの影響で100円玉で買える温もりが激安だ。
少し迷ってから、いくつかある清涼飲料水のうちピーチ味を選んだ。
「これでよければ飲むか?」
ぴちぴちピーチな妖精のイラストが描かれたペットボトルを、助手席に差し出す。決して、ビチビチビッチーではないぞ?
「ふん。ナニソレ? 子供向け?」
殿下は鼻で笑うと、俺の缶コーヒーを没収した。いや、だって子供じゃん。子供の年齢はさっぱり分からないが、6歳前後だろう。
髪型にも服装にも、これといった特徴もなければ、華やかさも無い。クラスの中で目立たず、ひとりでじっと読書でもしてそうな雰囲気の幼女。6歳なら幼稚園児だっけ?
殿下は、缶コーヒーのプルタブを開けると、ゆっくりと飲み干した。いつからここに居たのか知らないが、体が冷えていたのだろう。
俺は、ぴちぴちピーチ味一口だけ飲んだ。冷たい飲み物なんか買うべきではなかった。
ペットボトルをドリンクホルダーに置くと、それも強制的に殿下に献上させられた。
俺のは? とは口には出さず、車を発進させる。近衛騎士が殿下に逆らうなどとんでもない。
がっくん
エンストしてしまった。マニュアル車に乗るのは久しぶりだとはいえ、かっこわるい。助手席を、ちらっと伺うと、ちょっと驚いた様子ではあるが、クビを刎ねられたりはしなかった。気を取り直して、エンジンを再始動。アクセルを気持ち強めに踏んでやると、どうにか車は走り出した。制限速度に達したところでアクセルを弱め、助手席の殿下に声をかける。
城を抜け出して町へと遊びに行く王女と、護衛の近衛騎士は、夜明け前の街道を走る。実態としては、幼女を連れ去る事案だけどな。彼女の親が親告すれば未成年略誘拐罪が成立する。いや、走り出してしまったから既に監禁罪が成立。殿下は御自分のご意思でご乗車あそばされたが、それを証明するものが皆無だなあ。
「なあ、どこまで行くんだ?」
東京方面というからには、多摩川の向こう側に行きたいのだろうが。最終目的地は、何処なんだ? こっちは、暇を持て余した35歳児だ。彼女の、行きたいところまで、運んでやろうじゃないか。まっとうな大人なら、交番にお届けするのだろうけどな。
「おじさんは、どこまで行くの?」
俺の問いに答えることなく、彼女は同じ事を問い返す。おそらく彼女には、問いに対する答えが無いのだろう。俺にも無い。だが、俺はおじさんではないぞ。
「冬コミでも行くか?」
幼女が、同人誌に興味があるとは思えないが。年末に行くところを他に思いつかなかった。少しは気の利いた事が言えないものかと、我ながら思う。
「荷物増やしたくない」
そういう彼女は、小さな肩掛けの鞄しか持っていない。すぐ家に帰るつもりなのだろうか。それとも、明日のパンツと、ちょっとのお金があればいいとでも考えているのか。コミケに行くと荷物が増えてしまう少女は、何を求めて夜明け前の府中街道に仁王立ちしていたのか。
コミケで彼女の買い物に付き合ってみたい。どんなジャンルのものを買うのだろうか。逆カプだと主従といえども殺し合いなのだが。この車にナビは無いが、スマホさえあればなんとかなる。おっけーぐーぐる、コミケ会場へ案内して。そういえばコミケ会場ってどこだっけ?
車は、多摩川を越えて行く。昇り始めた太陽に照らされた朝焼けに向かって。夜が明けると、何かが終わる気がする。夕陽こそが、何かの始まり。幼女の共感は得られそうにない。
彼女にとっては、朝の光こそが、始まりの象徴だろう。歳が30近くも違えば、別の生き物みたいなものだ。共感できることなんて、ほとんど無いだろう。
目を細めて進行方向を見つめる彼女には、今何が見えているのだろうか。きっと、俺には見えない何かが、そこにはあるのだろう。知らんけど。
多摩川を越えると、川崎では無い違う場所に行くんだな、と感じる。多摩川を越える前から都内に入っているにも関わらず。横浜に行っても、隣に来たな、としか思わないのに。この感覚は川崎市民なら分かるんじゃないだろうか?
「多摩川越えると、アウェイって感じすよるよな」
「どこだってアウェイよ」
35歳児は、幼女に共感してしまった。今まさに、自分の車の中でさえ、アウェイ。異世界に行きたい。おっけーぐーぐる、異世界へ案内して。
多摩川を越えたところで、最初に見つけたコンビニに入る。腹も減ったし、さっきコーヒーとられたしな。
コンビニに入る前に、王女殿下は俺の左手をとると、自身の右手を繋いだ。親子を装うつもりなのだろう。彼女も、この状況が事案に該当していることは、分かっているのだ。
しかし、店内に入ってすぐ、殿下はトイレに向かった。俺は、買い物かごを手にすると、まずはパンコーナーを物色。サンドイッチ、おにぎり、弁当と眺めて周り、お菓子を買うのもいいかもな、と店内をひとしきり巡ってみる。そうしている間に、殿下はトイレから出て来るだろう、と思ったのだが、一向に出てこない。
俺は、レジで肉まんとコーヒーを買うと、店内のイートインスペースに腰かけて、犬の様に殿下を待った。
もう1人で食べちゃおうかなー、なんて思い始めた頃合いに、殿下はトイレから出てきた。レジに真っすぐ向かい、ピザまんを買うと俺の隣に座った。そして、俺のコーヒーにミルクと砂糖を加えると、勝手に飲み始める。王女様は、身勝手だ。
「お小遣いは電子マネーで貰ったりするのか?」
先程、殿下はレジでスマホを取り出して支払いをしていた。俺の子供の頃は、硬貨を数枚渡されたものだが。今はスマホのアプリで送金する、とか十分あり得る。俺には子供が居ないし、子持ちとの交流もないので分からない。そもそも、友達が少ない。
「お小遣い…というか、まあそうね」
お小遣いとは違う何かのニュアンスを感じたが、それ以上の回答は無かった。両親が共働きで、食事代も貰っているとか、そういった事情だろうか。家出の動機には、なりそうもない。もっとも、動機を探ったところで、どうにもならない。近衛騎士は王家の家庭の問題には介入できない。王女様の気まぐれには付き合うだけだ。
コーヒーは、先に俺が飲み干した。あたしの、みたいな顔をされたけど、なんでだよ。
昨今は、「髪切ったの?」なんて声をかけただけでも、セクハラ扱いされるという。俺はそもそも、同僚の女子達と関わる気すらないので関係ないが。そんなわけで、一旦はスルーしたのだが。
「その方が、かわいいよ。王女様って感じだな」
言わずには居られなかった。トイレから出てきた彼女は、髪型を整えただけだが、別人かと思うくらいに印象が変わっていた。まさに俺の妄想の中に居る王女様のよう。先程までの地味っ娘な感じは、近所の目を欺くための擬態だったのだろうか。多摩川を越えてしまえば、川崎市民が近所の住民と遭遇することなどまず無いから、本来の姿に戻ったわけだ。知らんけど。
「………」
彼女は目を見開いて、こっちを見つめ、「何言ってんのこいつ?」という感情を醸し出した後、今度は細目で顔を逸らし、「こいつ大丈夫か?」と横目で窺ってくる。無言で、ここまで感情を表現できるのって、きれいな女の子だけの特殊能力だよな。
しかし、そんなにひどいこと言ったかね。ちょっと痛かったかもな、とは思わないでもないけど。思ったままを言っただけだぞ。
「まあね。もっと褒めてもいいわよ。特別に許すわ」
まあいいか、って感じで軽く溜息をつくと、きっとした顔で、そう返してくれた。王女様っぽい感じが、意図的な演出だったら嬉しい。もちろん素でも嬉しい。いっそ、愚民が私に口を聞くな、でもいいぞ。私は、殿下のブタです。ぶひぃ。
「そろそろ、行こうか」
そう声をかけ席を立つと、俺は殿下に右手を差し出す。
「お手をどうぞ、殿下」
こういうのは真剣にやることが重要だ。幼女とのごっこ遊びを侮ってはいけない。遠い記憶を辿ってみれば、幼児の頃の俺は本気で1号ライダーとして暮らしていたのだ。
殿下は黙って、俺の手を取ってくれた。差し出した右手を無視して、左手を掴まれたけどな。入店した時と同じく、手を繋いで車に向かう。
擬態を解いたってことは、俺に気を許し始めている、という事であって欲しい。身分を明かした以上は、いつでもオマエのクビを刎ねられるぞ、という意思表示かも知れないが。
王女様には許可をとっていないが、車を多摩川に向けて走らせた。俺のホーム、川崎に戻るのだ。今度はエンストしなかった。
多摩だって東京だろ? 東京方面じゃないか。それに、昇り始めた太陽が眩しすぎる。
朝焼けを背にして走る。再び多摩川を越え、府中街道も越えて、そのまま直進して行く。
「なんで軽トラなんかに乗って来たんだ?」
いい車ですね、なんて言っていたが、この車は軽トラだ。いい車なのは確かだが、幼女に響くとは思えない。軽トラが活躍する異世界ものラノベでもあるのだろうか?ある気がする。
「ちょろそうなおじさんだったから。車種は関係ない」
ひどいことを言われた。まあ、軽口を叩いてくるということは、少しは気を許してくれているんだろう、と前向きに捉える。でも、俺はおじさんじゃない。
「お前には、おじさんに見えるのかも知れない」
「お前じゃない」
食い気味に抗議された。そうだな、王女様だもんな。
「あー、殿下…」
そこで区切って、王女様の様子を伺う。よし、殿下と呼ぶのはお許しいただけたようだ。
「なに?セバス」
それは執事なのでは?俺としては王女様直属の近衛騎士の役がいいんだが。というか、こいつの世代でも執事と言えば、セバスなんだろうか。昔のアニメも配信で観られるもんな。都会暮らしに馴染めず発狂する山育ちの少女、かわいいよな。
「行きたいところあるんだけど、いいかな?」
「いいよ」
王女様にため口を利いてしまって居るが、打ち首にすることもなく、同意してくれた。どこへ? とも聞かずに。
道中は、あの羊飼いはどういうポジションだったのか、とか、犬が意外と強いのいいよな、などと盛り上がった。あれは百合モノだった、ということで結論が一致した辺りで、目的地に着いた。
世代を越えて話が合うのは、俺が幼いのか、相手が大人なのか。後者なんだろうな。俺は他人と話を合わせる事が苦手だ。
「お風呂?」
俺達を乗せた軽トラは、スーパー銭湯の前に居た。遊園地の観覧車が見える。かなり近い位置にあるので、結構な迫力がある。夜になると、ぴかぴかと光って、もっと見応えがある。何故か2つあるのだが。やはり、俺はずっと幻覚を見ているのか? それともここは、川崎市ソックリの異世界? あり得るぞ!
川崎を離れるなら、その前に、黒い湯舟に浸かりたくなった。15年前初めて入ったときは、黒いお湯に驚いたが、今では、温泉といえば、これが普通だと感じている。
そんな、俺の心情を見透かそうとするかの様に、助手席から王女様が、じっと見つめてくる。そこに見えているのは、邪悪な心情の様な気がするが。そんなものは、その視線の先には一切存在しないんだぞ。
「あなた、私と一緒に、お風呂に入りたいの?」
彼女は、何故か俺の左手に視線を落とし、何か考えている様子になる。やがて、顔を上げると、ふーん? って感じの顔をしてから、軽く睨んできた。なんで睨むの。これは別に、いけない事ではないだろ?
「いいよ。でも、閉まってるみたいだけど? ここ」
そうなのだ。いつの間にか、閉館していた。俺が引き籠っている間に、世間は変わっていたのだ。観覧車だって、これは建て替えで2つあるのだそうだ。スマホでググった。
峠道を下って行く。登って来た時もそうだが、下る方はよりスリリングな感じだ。この峠道も、前に比べると多少は走り易くなっている。それでも、先の見通せない曲がり角が多く、若干緊張しながら軽トラを操作する。車体が軽くて視点が高いのはいいが、荷台の荷物のせいで、若干重心が高いのだ。
十分に減速してから曲がろうとしたところで、後ろからやかましい音と共にバイクが追い越していった。この道は30キロ制限のはずだが、その倍以上の速度が出ているように見える。センターラインを大きくはみ出しながら、視界の向こうに走り去って行った。
やつが1人で事故るのは勝手だが、こういう狭い峠道だと、多くの場合は、他車を巻き込む事になる。近寄りたくない手合いだ。
「ああいうことする奴、しにゃあ…にゃあーん」
幼女らしからぬ物騒な事を言いかけ無かった? まあ、王女様なのだから、愚民の一人は二人はスナック感覚で打ち首になさるのだろうけども。
「いや、そこまで言わなくても。近寄らなければいいんだ。ああいうのは片っ端から潰して回っても、滅びないから」
「積極的に、やりに行く発想は無かったわ」
物騒な会話は辞めよう。彼女も、そう思ったのだろう、話題を変えてきた。
「クラスにも居るけど、ああいうの。あれで、本人は要領がいいつもりなのよね、きっと。周りが割を食っているだけなのに。ほんと、あいつら…」
クラス? ということは小学生? バカバイクみたいな小学生ってどんな?
彼女には具体的に思い浮かんでいる連中が居るのだろう、忌々し気に言う。
「残念ながら、社会に出るともっとひどいのが沢山いるんだよ」
幼女に言って聞かせる話ではなかったかな。
「そう…。そういうのに慣れるための機関なのかしら?学校って」
ほんと、大人だよ、この子。
「あー、まあ、高校に行けば居なくなるぞ。入るとこ間違うと、むしろそういうのしか居ないけど」
「ふーん…」
これは偏見だろうか? いや、そういうもんだろ? 俺は、入るとこを間違ったヤツだ。「俺は未来のロックスターだぜ」と思い込んでいたから、受験勉強を一切しなかったのだ。
窓枠に肘を置いて、頬杖をついて、外の景色を眺める彼女。もうちょっと、夢のある話はないのか?俺は。王女様を絶望させてどうする。
ただ、何となく分かってきた。彼女が家出している動機が。こいつ、俺と同じ種族なんじゃないかな? だとすれば、この王女様を救う事が出来るなら、俺も救われるのだろうか。
軽トラは西へと進んで行く。今度は大丈夫。スマホで営業時間を調べて、年末でも営業していることを確認した。八王子に向かう道を走りながら、今度は推しのバンドの話をした。何故、その話題になったかというと、軽トラのキーに、そのバンドのロゴが入ったキーホルダーがぶら下がっているのに彼女が気付いたからだ。キーホルダーは、軽トラの前の持ち主が、付けた物だ。当然そいつも、そのバンドのファンなわけだが、俺よりもずっと年上だ。
「私は第3期が、いちばん好き」
「確かに3期はいいな。4期もいいが」
「おじさんは1期以外認めない老害なのかと思ってた」
まさか、推しのバンドが同じとは思わなかった。6期ですら、生まれる前だろうに。彼女はスマホを操作して、4期1枚限りのアルバムを再生してくれた。この車にはナビは載っていないが、ブルートゥース接続のスピーカーはある。スマホは彼女のではなく、俺のだ。運転する俺が動けないのをいいことに、勝手に顔認証解除された。どんどん、彼女の態度が気安くなっていくのは、喜ばしいことだ。今は、カメラロールを勝手に見ているが、抗議せずに、好きにさせる。王女様に近衛騎士は逆らえないのだから。
4期の音源は、ライブアルバムを入れても2枚しかない。再結成して欲しいけど、もうメンバーの内2人が、この世の人ではない。そのライブ音源は、川崎のライブハウスでの演奏も含まれている。一時期、そのライブハウスのすぐ近くに住んでいた事がある。でも、一度もそこには行かなかった。もう見ることの出来ないバンドだって来ていたのにな。俺には、後悔しかない。
自分の人生に、暗い想いを馳せていると、聞かれたくはなかったことを聞かれる。
「おじさんも、こういうのやるの?」
「やってた」
「もう、やめちゃったの?」
「なんで俺がギターやってたの分かった?」
「左手の指の先、固いから。それに、この車。バンドの機材運ぶのに使うんじゃないの?」
そういう察しの良さが、彼女を苦しめているのかも知れないな。そこは、俺とは違う。俺は察しが悪い。いわゆる空気読めないヤツだ。
「なんで、やめちゃったの?」
彼女の追求は止まらない。こいつには、これから先の長い時間しか見えてないんだろう。俺は、残された時間しか見えなくなってしまった。その問いに、答えられる言葉を俺は持っていない。
ライブアルバムも聴き終わった頃に、目的地付近までは来たが、まだ時間が早い。営業開始までは1時間程ある。俺達は、カフェの店内で会話をした。彼女は、クリームが大量に乗った何かを飲んでいる、というか食べている。俺は、ケーキとコーヒーだ。早朝に食べた肉まんだけでは、ちょっと足りなかった。
俺のスマホは、待受画面が彼女の自撮りに変更されていた。いつの間に、こんな事したんだ。嬉しかったので、抗議はしなかった。大変結構なものを、王女様に下賜されました。ありがたき幸せ。ぶひぃ。
カフェでは、ラノベの話をした。彼女は、友達が少ないラノベが好きだといい、お気に入りのシーンをいくつか上げて、でも私ならこうする、とか語ってくれた。
こうやって共通の話題で誰かと盛り上がるのはいつぶりだろうか。そもそも、最後に他人と話したのが、いつなんだ。
似たような趣味を持つ幼女と会話しながら、こういう子供が自分に居てもおかしくはないんだなと、そんなことを思う。プリティでキュアな彼女と違って、自分はダークでデストロイな、夢を諦めたつまらない大人になってしまったんだな、とも思った。
同じラノベを読んでいても、彼女の感想は「私なら、こうしたい。私もこういうことがしてみたい」だが、俺は「あの時こういう風にできていれば」なのだから。
目的の場所の営業時間が近づいてきたので、移動する。
スーパー銭湯だ。俺は、あきらめが悪いんだ。軌道修正するべきなんだろうな、という時でも、意地になってやり遂げようとする傾向がある。最終的には、目的は達成するのだが、多くの場合は、時既に遅しって状態になっている。
例えば新刊を発売日前日に手に入れてやろううとして、深夜のコンビニを何軒も回って探し出し。せっかく入手した頃には夜が明けており、疲れ果てて寝てしまい、起きたら貴重な休日は終わっていた、とかね。最近は、コンビニで新刊なんて買えなくなったけどな。本はすべて電子書籍を買うし。
「どれだけ、私とお風呂に入りたいの?」
と言いながらも、彼女は俺の左手を掴んで着いて来てくれた。決して、そういうわけじゃありますん。
入館方法が俺の知っているものと変わっていた。ここも何年振りなんだっけな? 2人分のタオルとタグを受け取ると、ひと組みを彼女に渡し、手を繋いだまま館内を進む。脱衣所の暖簾をくぐっても、彼女は何も言わずに着いて来た。
「おばさんだったの…?」
おばさん言うな。女湯の脱衣所に入った時点で分かっただろ。いや、男湯だと思っていたのなら、なんで一緒に入れると思った? 最近は幼女でも男湯はダメなんだぞ。
なによりもだ。なんで、俺が服脱いでから気付くの? まあ、俺はこんな喋り方だし、髪は短いし、こわもてだし。たまに「きれいですね」とか言う奴が居るけど、お前みたいな何かをこじらせた女だけだよ。一応、胸だってあるだろ? ギターを弾くのに邪魔になるほどじゃないけど!
互いに背中を流し合ってから、露天風呂に浸かる。朝早いので、俺達の他には老人が2人しか居ない。誰も居ない余裕のある湯舟の中で、彼女は触れそうなくらいに近くに居る。
黒いお湯の上を漂う湯けむりを、ぼんやりと眺めながら、これからどうしようかと漠然とした不安に押し潰されそうになる。今日これからどうする、もそうだけど。明日から、来年から、そして10年後、20年後、俺はどうすればいい?
「ねえ? なんで、まだ死んでないの?」
なんて言い草だろう。俺っていつの間に死刑確定しちゃったの?
「あ、違った。なんでバンド辞めたの?」
何をどう間違ったのだろう。王女様の視点は理解できない。
「メンバーが集まらなかった、端的に言うと、ただそれだけ」
「なんで? みんながうんざりするくらいに、あなたギター下手なの?」
「テクニックの問題じゃない。俺の性格の問題なんだろうな。何度やっても、長くて半年、最短だと初日で解散した」
「…? だからって、なんで辞めるの?」
何故か、彼女は腑に落ちないようだ。なんでだ? メンバー無しで、どうやってバンド活動するんだ?
「デジタルなら1人でもバンド出来るでしょ? ライブハウスには出られないだろうけど、動画配信とかあるじゃないの」
それは確かにそうなんだが。そういうのは、やろう、と思いながらも、ずっと手付かずのままだ。機材だけは、一度も使われないままパソコンの脇に転がっている。もう、付属ソフトのライセンス切れちゃったんじゃないかな、あれ。
動画配信だって、もっと早くやっておくべきだった。今から手を出しても、完全にレッドオーシャンだ。ろくに再生数を稼げないだろう。つくづく、後悔だらけの人生だよ。
「まだ、挑む時間はあるでしょ? それとも、やっぱり死ぬの? 私は、やりたい事があるのに、やれないなんて、とても耐えられない。あなたは、誰にも邪魔されずに、やりたい事が出来る大人なんでしょ?」
さすが王女様だ。いや、もうおどけるのはやめよう。彼女の言う通りだ。子供に話すことでもないかな、なんて思ったけど、まさか説教喰らって、励まされるなんてな。
「そういう殿下は、何に邪魔されてるんだ? 親か?」
そう聞く俺に、彼女は家出の理由を教えてくれた。
「ラノベを、勝手に捨てられたのよ」
ひどい親が居たもんだ。俺だったら、どうしただろう?もう少し上の歳になれば、逆らうことも出来るだろうが。6歳の頃は、親に逆らうのは難しかった記憶があるが。そういえば、俺もパンツだけをリュックに詰めて家出した事があったっけ。ばあちゃんの家に。
「電子書籍にしておけばいいんじゃないか?」
「イラストはスマホの画面よりも、紙で見たいじゃない?」
分かる。俺は、6畳ワンルームで本棚を置くスペースも無いから、電子書籍一択だけど。スマホの画面だと見開きのイラストが特に見づらいよな。特殊な書体を駆使する作家も居るし。紙の本の方がいい、というのは分かる。
「スマホごと捨てられても困るし」
そこまではしない、とは言い切れないな。今朝からずっと彼女のスマホは一度も鳴っていない。彼女の親は、家出した娘を探していないのか、それともまだ気付いてもいないのか。 ラノベの勝手な処分は、とどめになっただけで、これまでにもいろいろな想いを溜め込んできたのかも知れない。
たかがラノベと侮ることなかれ。彼女にとっては、世界の全てだったに違いない。俺にとっての異世界妄想と同じだ。周りが全て敵に見えるのは、治療不可能な病だ。逃げ込む先が必要なんだ。
「ラノベなら、俺の部屋に来て読めばいい」
「電子書籍なんでしょ?どうやって借りるのよ」
「まあ…そうだな」
「買い直した本を、あなたの部屋に置くのは?」
「あー、そうだな…」
俺は、引っ越しをするつもりで居た。と言っても、軽トラに家財道具を積んで車を走らせ、川崎から離れてみる事で、そういう気分に浸りたかっただけだ。部屋の賃貸契約を解約してもいないし、仕事を辞めてもいない。要するに、俺も彼女と同じで、家出中だったのだ。もう大人なのにね。
「王女様が遊びに行ってあげるのよ。感謝しなさい、セバス」
「畏れ多いお言葉でございます。殿下」
こういうのは、真剣にやることが重要だ。だから、今、彼女が笑顔を見せてくれているのも、真剣であるに違いない。俺も、笑顔になってしまう。笑うと怖えとか、人コロしてそう、とか言われるけどな。
「じゃあ、家出は辞めなさい。私もやめるから」
「仰せの通りに。殿下」
彼女が、遊びに来るというのであれば、引っ越しをするわけには、いかないな。
彼女は、俺の車に乗った本当の理由も教えてくれた。
「あなたが、とてもつらそうな顔しているのが見えたから。あんな時間だし、もしかして…と思って」
多摩川に身投げするとでも思ったのだろう。だから、あんなに必死の形相で俺の車を止めようとしていたのか。
なんだ、守られていたのは最初から俺の方だったんだ。
こうして、王女と女騎士の家出は終わった。クッコロ。
「なあ、ここでいいのか? 家近いのか?」
「歩いて5分くらいだから、大丈夫」
最初に彼女を乗せた場所で降ろす。
「じゃあね、セバス」
そう言って微笑むと、王女様は去って行った。俺はずっと見送っていたが、彼女は一度も振り返らなかった。
もちろん、引っ越しは取りやめたよ。
軽トラに一度積んだ荷物を、また部屋に戻すのは、ばかみたいだったけど、案外楽しい気分だった。異世界から帰還した俺の新生活の始まりだ。
俺が引っ越しを辞めたところで、彼女が来てくれるわけもないけどな。お互いに住所も名前も伝えないままに別れたから。王女様と女騎士の物語はもうおしまい。めでたし、めでたし。
年始早々、仕事で炎上案件に巻き込まれたが、それも消し炭となり果て、久々の休日。部屋でラノベを読んでいたところ、インターホンの呼び出し音が鳴った。今日は、宅配が届く予定はないはずだ。読んでたラノベが最終巻の山場だし、居留守を決め込む。
トシをとると涙脆くなる。こんな顔、他人に見せられるものか。
しつこく鳴らすので、玄関に向かう。宗教の勧誘だったら、逆に、ラノベの布教をしてやるからな。あなたは、ともだちが、いますかー?
こいつ、俺のスマホから個人情報抜きやがったな。
「セバス。遊びに来てあげたわよ」
こういうのは、真剣にやることが重要だ。だから、これは事案などでない。ここは異世界ではないけれど、王女様と女騎士の物語だ。
「殿下、今日はどちらへ行かれますか?」
カクヨムに移動して続きを書いています
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