04:王様の呪いと七匹目の猫
六日目の夜に見つかった猫は、呪いを解くための七匹の猫の内の一匹だった。これで残りは二匹。
そんな夜が明けて七日目から、フェリスの態度や行動はガラリと変わっていた。
今までは好きな時間に起きて、好きなものを食べて、公務は全てガトや臣下に押し付けていたというのに、それらが真逆になったのだ。
朝は誰よりも早く起き、食事も臣下と同じものを摂る。食事が終わるや公務に取り掛かり、夜まで執務机に向かう。稀に休憩時間を取るものの、城内で働く者達に今までの無礼とわがままを詫びて回っていた。
この変わりように城内の誰もが驚いていた。
人が変わったようだ、いったい何があったのか、ようやく陛下も国を治める者の自覚を持ってくださった……。と、皆が口々に話して、公務に励むフェリスを喜び見守っていた。
次の猫が見つかったのは八日目の昼、まだ日が登って間もない時間帯。
いったいどこをどう探し回っていたのか泥だらけの幼い姉妹が連れてきた子猫だ。姉妹は懸賞金を受け取ると「これで隣のおばあちゃんにお薬が買える」と嬉しそうに話す。
次いで姉妹は減税の嘆願書についてを尋ねだした。
大人達に頼まれたのだろう、丸暗記したのが分かるたどたどしい言葉遣い。もしかしたら自分達が何を尋ねているのか理解しきれていないのかもしれない。
その問いにガトが言葉を詰まらせた。代わりに答えたのは玉座に座るフェリス。
「減税案は今急ぎで通している。来月の税は減らせるはずだ」
「……減るんですか?」
「今すぐに叶えられず申し訳ない。だけど来月には必ず」
謝罪の言葉と、そしてはっきりとした断言。
フェリスの話に姉妹はぱちくりと目を瞬かせ、 「わかりました」「失礼いたします」とぎこちなく頭を下げて去っていった。
「……陛下」
「来月、か。その時には僕は王じゃなくて猫になっているかもしれない。そうなったら、ガト、お前がこの案を最後まで見届けてくれ」
託すフェリスの声色には未練の色も自棄の色もない。あるのは事実を受け入れた潔さだけだ。
フェリスの態度や言動が変わった事に誰もが喜んでいたものの、八日目が終わる頃には、あまりに根を詰めて仕事をする彼を心配する者も増えていた。
八日目の午後からは部屋から出なくなり、その部屋にもガトを始めとする数人しか入らせない。
中には扉越しに少し休んだ方がいいと訴える者もいたが、扉は開かれず、返ってくるのは断りの言葉のみ。
以前であれば仕事をしろと言われても適当にあしらうか文句を返していたというのに、今では心配させたと謝罪までしてくるのだ。まるで別人ではないか。
この変わりように城内の者達は驚きを通り越して疑問を抱き、九日目の午後には城内の全員がフェリスを案じるようになっていた。
日中夜問わず猫を探し回るガトやコシュカ達の必死な姿も、彼等の疑問と心配に拍車を掛けていただろう。
『あれじゃあまるで何かに追い詰められているようじゃないか……』
そんな声すらあがっていた。
そうして迎えた十日目。
夜空高くに満月が登り、黒猫が金色の目でこちらを見下ろしているかのような深夜。
静かな部屋の中に大時計の音が妙に大きく響く。
時計版では長針と短針が距離を詰め、十二の数字の上で重なろうとしていた。
日付が変わるまであと数分。
「もう、ほとんど……、猫、だ」
喋りにくそうにフェリスが話す。
彼の姿はもはや猫としか言いようがない。二足歩行はしているものの、それだって猫らしい後ろ足でバランスを取って立っているだけだ。
全身は灰色の毛で覆われ、身長もすっかりと縮んで今ではもう大きな猫程度の背しかない。着られる服もなく、せめてとコシュカが用意したスカーフを首に巻いている。
仮にこの部屋に事情を知らぬ者が入ってきても、後ろ足で立つなんて器用な猫だと感心するだけだろう。
「コシュカ、いままで、ありがとう。たのしかったよ」
フェリスがたどたどしい言葉でコシュカに感謝を告げる。
次いで二人の騎士それぞれに感謝を告げ、今度はガトへ。
「いままで、めいわくを、ごめんなさい。ありがとう。このくにを、なくなっても、どうか」
「フェリス陛下……」
伸ばされたフェリスの右手。すっかりと猫のものになってしまった手をガトが掴む。
反対の左手はコシュカが握った。今から一時間前、最後の一匹が見つからないと泥だらけで訴えるコシュカにフェリスが「もういいよ」と言った時から、彼女はずっと泣きっぱなしだ。子供らしい大きな目は泣き続けて溶け落ちてしまいそうなほど潤んでいる。
それでも涙は止まず、掠れた声で「フェリス陛下、へいか」と呼び続けた。
「陛下が猫ちゃんになっても、コシュカはずっとそばにいます。大きなクッションとふかふかのベッドを用意して、遊ぶ道具もいっぱい用意します」
「ありがとう、コシュカ」
「フェリス陛下、確かに貴方は未熟な王でした。ですがこれから学んで成長すれば、きっと良き王になる道があったはず。私は貴方を信じて、貴方を支え続けたかった。他の国ではなく、他の王ではなく、貴方を……」
「うん、ありがとう」
二人の訴えに、フェリスは落ち着いた声色で感謝を示す。
彼等に続いて騎士達がフェリスを呼んだ。
「最後まで貴方を護り続けたこと、誇りに思います」
「これからもお護りし続けますので、どうかご安心を」
「うん、うん。ありがとう」
フェリスの感謝の声に、コシュカの嗚咽、ガト達の苦し気な声が重なる。
そんな中、フェリスがそっと二人の手を放した。二本の後ろ脚で立ち、猫らしくなくスッと背筋を伸ばした。
「いままで、ごめんなさい。ありがとう」
謝罪と感謝の言葉を口にし、ニャーンと猫らしく高い声で鳴き、フェリスが深く頭を下げた。
ぐっと背を丸めて。今までのわがままを恥じて、悔やんで、心から詫びるために。もう殆ど猫になってしまった、猫らしく柔らかな体で。
深く深く、頭を下げた。
顔がお腹についてしまうほどに深く。
悲しを堪えるため、スン、とフェリスが小さく鼻を啜った。
「陛下!」
と、誰もが声をあげた。
次の瞬間、眩い光がフェリスの小さな猫の体を包み込んだ。
まるで彼自身が光り輝いているような明るさ。咄嗟に全員が目を瞑る。
そうして恐る恐る、慣らすようにゆっくりと目を開ければ……、
そこにはフェリスの姿があった。
灰色の猫。……ではなく、人間の姿で。それも王族の正装を纏って。
彼の足元に、先程まで巻いていた猫用のスカーフがひらりと落ちた。
「フェリス陛下!」
コシュカが彼を呼んで抱き着く。
フェリスは彼女からの抱擁を受けてもどうして良いのか分からず、目を丸くさせて自分の手足を見下ろしていた。
その瞳にある瞳孔も縦一線の猫のものではなく、呪いを受ける前の人間のものだ。手足も同様、人間の肌に覆われ、爪も指の先に収まっている。手のひらに肉球もない。
「どうして、さっきまで僕は猫で……。猫になったと思っていたのに……」
フェリスが動揺の声を漏らす。
これにはもちろんガト達も答えられずにいた。フェリスを囲み、いったいどうしてと疑問を抱く。
そんな中、楽しそうな声が割って入ってきた。
「暴君だと思ったけれど呪いを解いたとは。いやぁ、これは意外だったね」
場違いな明るい声に誰もがぎょっとし、声のした方を見た。
高いお城の最上階にあるこの部屋の、外の景色がよく見通せる窓。もっとも今は夜なので外の景色はあまり見えず、代わりに満点の星が窓枠の向こう側に広がっている。
そんな窓の縁に一匹の黒猫が、闇夜からぬるりと現れ出たようにちょこんと座っていた。
呪いをかけた猫だ。
満月のような金色の瞳が、フェリスを見つめてにんまりと細められる。
「あ、あの時の……、僕に呪いをかけた猫……」
「おめでとう王様。これで呪いは解けたよ。もうわがままな猫にはならないね」
「でも……、僕は最後の一匹を見つけられなかった。だから猫になったんじゃ」
「見つけたよ。見つけて、ちゃんとそのお腹に顔を埋めて吸ったよ。灰色の猫のお腹をね」
黒猫が髭袋をぷっくりと膨らませてクフクフと笑う。十日前と同じように。だが十日前の笑みと比べて少し嬉しそうでもある。
そんな猫の話を聞き、フェリスは「灰色の……」と呟いた。次いで「あっ!」と声をあげ、自分の腹部を押さえた。
「七匹目の猫は僕だったんだ!」
フェリスの言葉に、ガトやコシュカもはっと息を呑む。
黒猫だけはいまだクフクフと笑いながら「大正解」と嬉しそうな声をあげた。次いでゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあさようなら、わがままだった王様。猫の人生も良いもんだけど、今のあなたには王様の人生が似合ってるよ」
「……はい。気付かせてくれてありがとうございました」
窓の外に飛び立とうとする黒猫に、フェリスが感謝の言葉を告げて深く頭を下げた。
黒猫が金色の瞳でちらと彼を横目に見る。にんまりと目を細め、「もう大丈夫だね」と告げるとぴょんと窓から飛んでいった。
次の瞬間には黒猫は黒い鳥に姿を変え、バサバサと豪快に羽を広げて空高くに舞い上がっていく。夜の暗がりの中、黒い鳥はまるで夜空に溶け込むようにあっという間に消えてしまった。
その姿を最後まで見届け、次いでフェリスはガト達に向き直った。
良かったと安堵し涙を拭う二人の騎士。
フェリスが巻いていた猫用のスカーフを握りしめて嗚咽をあげるコシュカ。
そして目を潤ませ苦笑するガト。
最後になると思いきや最後にならなかった瞬間を見届けた彼等に、フェリスが気恥ずかしそうに笑った。
「まだ未熟な王だけど、これからもどうかよろしくお願いします」
フェリスが頭を下げる。先程のように深く。
これに対しての返答など決まりきっている。誰もが頷いて返し、フェリスを抱きしめた。
突然懸賞金を出して猫を探させたと思いきや、たった十日で中止する。フェリスの行動に国民はもちろん、話を聞いた国外の者も疑問を抱いた。いったい何を考えているのか、冗談にしても理解しきれない、と不満を口にした者も少なくない。
だがその疑問も不満も、フェリスがすっかりと変わったことへの驚きで上塗りされてしまった。
なにせ、わがまま放題だった王様は、いまやどの国の王様よりも努力家になったのだ。
国民からの嘆願書はどれもしっかりと目を通し、政も真面目に取り組む。もちろん外交もこなす。
まだ幼いながらに未熟で粗削りな部分はあるものの、それを隠さず素直に教えを乞う姿は好印象を与えた。
振り回された国民達も、地方にまで足を運んで自ら詫びるフェリスを見て彼を許す事にした。
大変な五年だったが、きっと彼が成長するのに必要な五年だったんだ。これから彼は良き王になり、きっとこの国を良い方向に導いてくれる。そんな期待をフェリスに対して抱くようになっていた。まるで先代王に抱いた信頼のように。
「フェリス陛下、少し休憩をしたらいかがですか?」
そうガトが告げたのは、フェリスが執務机に向かって数時間経った頃。
以前の彼は少しでも公務をと訴えていたのに、あの一件以降は休憩をと促すようになっていた。まったく執務机に着かないのは問題だが、座りっぱなしもそれはそれで健康に悪い。
フェリスが手にしていたペンをペン指しに戻し、ぐっと背筋を伸ばして紅茶を飲む。だが一口飲み終えるやすぐさまペンに手を伸ばしてしまった。
「今のが休憩ですか?」
「うん。今ので十分だ」
「さすがにそれは……。少し庭で遊んで来たらいかがですか? コシュカがフェリス陛下が遊んでくれるのを今か今かと待っていますよ」
ほら、とガトが部屋の扉を見るように促した。
扉の前には左右を護る二人の騎士。……それと、扉の隙間から顔を覗かせるコシュカ。
部屋に入っては公務の邪魔になってしまう、だがフェリスの休憩時間を逃したくない。そんなジレンマを感じさせる表情だ。見られていると分かるや一度引っ込むも、少し待つとそろそろと再び顔を覗かせた。
これにはフェリスも思わず笑ってしまう。見ればガトも、扉を護る二人の騎士も笑みを噛み殺している。
「そうだな、少しぐらいは良いか。コシュカ、庭で遊ぼうか」
「はい!!」
フェリスに誘われ、コシュカが跳ねるように部屋に入ってきた。
「ボール投げでもしようか。それとも紙飛行機を飛ばして競争するか。コシュカは何がしたい?」
「お城の裏に行きましょう!」
「裏に? 別に良いけど、何かあったっけ」
城の裏手は普段あまり人が行き来しない場所。これといって面白いものは無かったはず。
そうフェリスが疑問を抱く。ガトを見れば彼も首を傾げることで分からないと訴え、二人の騎士も顔を見合わせ「何かあったか?」「さぁ」と不思議そうにしている。
そんなフェリス達の疑問に、コシュカが楽しそうな声で答えた。
「お城の裏には猫じゃらしがいっぱい生えていて、猫ちゃんがたくさん遊びに来るんですよ! 撫でさせてくれる猫ちゃんもいるんです!」
だから行こうと誘ってくるコシュカに、フェリスが目を丸くさせた。
次いでなんとも言えない表情を浮かべる。「ね……」と上擦った声が漏れ出たが、喉が震えてそれ以降の言葉が出てこない。
猫……。
今はまだあまり耳にしたくない単語である。口にするのも同様。本物を見るのはもってのほか。
だけど、
「初心を忘れないために、猫のお腹に顔を埋めるのも良いかもしれない」
うんうんと頷き、コシュカに手を引かれてフェリスは部屋を出て行った。
扉がパタンと閉まるや、室内からガト達の笑い声が聞こえてきた。
それと、微笑ましそうなクフクフという猫の笑い声も、どこからか風に乗り、城の中を通り明るく活気づく城下街を軽やかに抜けていった。
…end…
『わがままな王様は、七匹の猫のお腹を吸わないと猫になる呪いをかけられました』
これにて完結です!
2に拘る猫の日の新連載、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
少しの不思議と、教訓、優しく穏やかなハッピーエンド……と童話らしさを目指してみました。
とても楽しく書いていたんですが、猫のぷっくり口元を『髭袋』と書くか正式名称の『ウィスカーパッド』と書くかだけは唯一にしてかなり悩みました。
結果、分かりやすいかなという思いで髭袋を採用です。
そんな物語、いかがでしたでしょうか? 楽しんで頂けたら幸いです。
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