02:見つからない猫
猫を連れてきた男女曰く、この猫は先程捕まえてきたばかりなのだという。どこかで喧嘩でもしたのか体に傷痕が幾つもあり、顔付きも険しい猫だ。フェリスを見るや威嚇の声をあげたが、まるで猛獣のような迫力である。
そんな猫を見て、フェリスが「うっ」と小さく声を漏らした。顔が嫌悪感で歪んでおり、ガトがそれを咳払いで咎めた。……フェリスが気付くことはないが。
そんなフェリスの態度にガトが小さく溜息を吐き、だがすぐさま表情を穏やかな物に変えて男女へと向き直った。
「ご協力ありがとうございます。では、猫は一度お預かりさせて頂きます。控えの部屋がありますのでそちらでお待ちください」
「は、はい……。ですが、あの、いったい猫を集めて何を……?」
女性の問いかけに、ガトが僅かに目を細めた。
当然の質問だ。だが話せないガトにとっては痛い質問である。
「国内中どこもこの話題で持ちきりです。最初は陛下の飼い猫が逃げたのかと話していたんですが、どんな猫なのか指定も無く……。懸賞金まで掛けて、いったい何をしたいのか……」
「それは……」
「私どもの減税の訴えはどうなりましたか? 道の整備の嘆願書も出していますし、お店からは商品や材料の流通が上手くいかないと訴えが出ているはずです。その返事が無いのに猫を探せなんて……。それに、懸賞金は元々私達の税金では……」
疑問というよりは不信感に近いのか、訴える彼等の声は弱々しい。
それも仕方あるまい。ただでさえ国内の情勢は悪くなる一方なのに、本来国を統べるべき王は働いている素振りも無ければ、どれだけ嘆願書を出しても見向きもしない。それなのに突然猫を探せと言い出したのだ。それも懸賞金をかけてまで。
いったい何がしたいのかと疑問を抱き、こんな国で大丈夫なのかと不安を抱く……。
だがその切実な訴えに対してもフェリスは興味も無いと言いたげである。もちろん問いに答えもしない。
不遜が過ぎるフェリスの態度に男女が落胆の表情を浮かべ、ガトまでもが溜息を吐いた。
「申し訳ありません。今回の件については他言出来ず……。協力には心から感謝しております」
「そうですか……。少なくとも、ガト様は感謝してくださっているんですね」
『ガト様は』とつけるあたり、フェリスが感謝していないのは分かっているのだろう。
なにせフェリスは身の丈に合わぬ大きな玉座に座ったまま、早く下がれと言いたげに長く垂れた袖を振っているのだ。ガトが非難の視線を向ければ「心から感謝してる」と言いはするものの、言葉にがまったく心が籠っていない。これなら言わない方がマシだ。
「では、控えの部屋へ……。コシュカ、コシュカ、来てくれ。このお二人を控えの部屋へ」
「はぁい。コシュカが案内しますので、どうぞこちらへ」
ガトに呼ばれて現れたコシュカが男女を別室へと案内する。
幼いメイドの登場に、不安そうな表情をしていた男女は少しだけ表情を和らげて部屋を後にしていった。
彼等が去ってすぐ、フェリスが「汚い猫だ」と文句を言うと同時に玉座から降りた。
王が座るための玉座。どんな体格の王であっても余裕を持って座れるよう大きく作られている。そして王の威厳を示すため造りも豪華で、細部にまで装飾があしらわれている。
今のフェリスには玉座は大きすぎるし、過度な飾りも不釣り合いだ。体格的な意味でも、年齢的な意味でも、……精神的な意味でも。
「随分と汚い猫だな。これに顔をくっつけないといけないのか……」
「すべての猫は陛下の前に連れてくる前に洗うようにしております。衛生的には問題ありません」
「……そうか」
話を聞いてもまだ嫌悪感があるのだろう。フェリスが怪訝な顔をする。
ガトの腕の中では布に包まれた猫が嫌そうに唸りを上げており、今この瞬間にも腕から脱して走り去ってしまいそうだ。フェリスが近付くと威嚇の声が激しくなる。
フェリスが動物に嫌われやすい体質なのか、それとも猫攫いとでも猫達の間で噂されているのか。あるいはあの不思議な猫が悪評を言い触らしているのか。どの猫も、飼い猫だろうと野良猫だろうと、フェリスが近付くと激しく威嚇の声をあげている。
「猫っていうのは好きになれないな……。でも仕方ない……」
嫌そうにフェリスが猫の体を包む布を捲った。
布の下では前足と後ろ足をそれぞれ別の布で括っており、頭と胴体だけが晒されている。
茶色の毛で覆われた腹部。威嚇するたびに小さな体も、毛も、細かに震えている。
そんな猫の腹部に、フェリスがそっと顔を寄せた。
ふわり、と猫の毛が彼の顔を擽る。
スンとフェリスが息を吸えば、猫用石鹸の香りがした。
……だがそれだけだ。
数秒待てども何も起こらず光りもしない。ただ猫が不快そうに威嚇の声をあげるだけである。
挙げ句、つには猫が身を捩ってガトの腕の中から逃げてしまった。前足と後ろ足を括られているというのにうまいこと着地する。もっとも、それ以降は動けずその場に蹲るだけだが。
ちょうど部屋に戻ってきたコシュカが慌てて「猫ちゃん!」と駆け寄り、拘束を解いてやった。先程までの激しい威嚇が嘘のように猫はコシュカに擦り寄っている。
「今回もハズレだ! せっかく一匹見つけたっていうのに!」
「落ち着いてください陛下」
「これが落ち着いていられるか! あと四日しかないのに三匹も見つけないといけないんだぞ! 一昨日から誰も猫を連れてこないのに、あと三匹もどうやって見つけろっていうんだ!!」
落胆と焦り、苛立ち、それらが綯い交ぜになりフェリスが声を荒らげる。
だが己の怒鳴り声が激しい猫の威嚇の声に変わると、慌てて己の喉を押さえた。その押さえる手も灰色の毛で覆われた猫の手だ。
フェリスが顔を青ざめさせる。額にツウと汗が伝い落ちていく。普段は縦一線の瞳孔が今は大きく丸くなっている。
「こ、こうなった僕が直接探しに行く……!」
「陛下自らですか?」
「もう国民に任せていられない! ガト、お前もついてこい! 準備をしろ!」
焦りを露わに訴えるフェリスに、ガトが何か言いたげな表情を浮かべる。
だが今更フェリスが自分の説得に応じるわけがないと考え、恭しく頭を下げて了承した。
フェリスの外出は変装したうえお忍びでという形になった。
今は猫探しで国民達を混乱させているのだから、そんな中に発端の王がのこのこと現れれば反感を買うだけだ。それを抜きにしても、今のフェリスの姿は世間には晒せない。
手がすっぽりと覆われるほど袖の長いローブ、首元にはスカーフ。足元はズボンとブーツでしっかりと隠す。
ローブのフードを目深に被って目元も隠す。これならばいつ猫の耳が生えてきても周囲に見られることはない。
幸い、季節は冬の真っただ中、全身を覆うフェリスの服装も防寒で説明が済むだろう。
そんなフェリスと、古着屋で調達した服で変装したガトとコシュカの三人で城下街を歩く。
「なんか……、妙に暗いな」
周囲を見回していたフェリスが怪訝な声色で呟いた。
城下街はどことなく陰鬱とした空気が漂っており、誰もが足早に通り過ぎていく。その顔にも覇気がない。
「父上と母上と来た時はもっと明るかったのに」
フェリスの記憶にある城下は、もっと活気に溢れて誰もが笑っていた。
あちこちで花が咲き誇り、そこかしこで子供達の笑い声や楽しそうな話し声が聞こえる。街も、空気も、そこで生きる者達の表情も、なにもかもが明るかった。
だけど今の城下街はどうだ。
あの時とは違い何もかもが暗く、まるで別の場所に迷い込んだかのようだ。
「両陛下がご存命の頃は国民も充実した生活を送れていたんです」
「充実したって……、今は」
「フェリス陛下が政を怠っているせいで、国内外問わず流通が滞り始めています。数年前に増税したのも響いていますし、誰もが己の生活を死守するのに必死なんです」
「だ、だけど、父上や母上が亡くなってまだ五年だぞ。そんな、たかが五年で」
「たかが五年ではありません。人生の貴重な一部です。その間に不安が募れば、当然、その先に続く未来に影を落とします。不安は人の顔を暗くさせ、空気は重くなり、国全体を覆うのです」
「…………そう、か」
ガトの話に、フェリスがポツリと静かに返した。
この返答にガトが「おや?」と驚いて彼を見たのは、普段ならばどれだけ話してもフェリスは「はいはい」だの「お説教は聞き飽きた」だのと適当に聞き流していたからだ。今回もどうせ碌な返事が返ってこないだろうと思っていたが、先程の彼の返事は低く重い。
だが生憎と今のフェリスはローブのフードを目深に被っており表情は見えない。そのうえ、「猫を探そう」と静かな声で告げると足早に歩きだしてしまった。
建物の隙間を覗き、草を掻き分け、餌を置き、子猫は産まれていないかと猫を飼っている家を尋ねて回る。
だが一向に猫は見つからなかった。居たと思っても既に試し終えた猫で、耳の内側に目印が付けられている。
今日まで六日間、国民が総出で探して回っていたのだ。今更たった三人が探したところで見つかるわけがない。
「あと三匹なのに……」
フェリスが悲痛な声色で呟いたのは、夜も遅く、六日目が七日目に変わろうとする時間帯。
周囲は既に夜の闇に包まれ、月明かりと街路灯がぼんやりとあたりを照らしている。
殆どの店はすでに閉め、開いているのは夜間も営業している酒場のみ。そこも以前であれば活気に溢れていたのだが、今はシンと静まり、営業しているのか閉めているのか覗かないと分からない。
こうも暗くては猫など見つけようがない。
「陛下、そろそろ戻りましょう。お疲れでしょうし、コシュカも立っているのがやっとです」
さすがにガトは疲労の色を見せてはいないが、逆にコシュカは見ている方が疲れてしまいそうなほどだ。
立ったままうとうとと船を漕ぎ、ベンチを見つけるとふらりとそちらに引き寄せられていく。座るや否やカクンと頭を垂れて寝入ってしまった。
見兼ねたガトが彼女を背負い「もう戻りましょう」と改めて告げる。
「そうだな……。もう、これ以上はきっと」
見つからない。
そう言いかけたフェリスの言葉に、
「見つけた! 捕まえたぞ!!」
と、大きな声が被さった。
次話は20:22更新予定です。




