幸せを運ぶ黄色いウサギ(幸せを運ぶとは言っていない)
春休み3日目の午前中。世間が北上する桜前線や卒業したばかりの卒業生、4月から入学する新入生についての話題で賑わうなか、これから大学3年生となる俺はそんな話題に関わることもなく春休みの初日から祖父母の家で1日の大半を過ごしていた。
だが祖父母の家とはいっても当の祖父母たちは今この家にはおらず、家にいるのは俺1人である。
なぜならばこの家に住む祖父母たちは今よりもさらに年を取って体が動かなくなってしまう前の最後のチャンスとして数日間の夫婦旅行に出かけ、俺はそんな家に残されることとなったペットのウサギたちの面倒を見させられているのだ。
本当であればウサギたちを俺が両親と住んでいる家へと持ち帰って世話をしたいところではあるが、俺の家はマンションであり動物を持ち込むことが出来ない。
そこで俺が祖父母の家へと通ってウサギたちの面倒を見ることとなり朝に祖父母の家へとやってきては餌を与え、いちいち家に帰るのが面倒な俺はそのまま祖父母の家でテレビやゲームをしながら時間を潰して昼にカップラーメンを作りつつ餌を与えて夕方になると夜の餌を与えてから自分の家へと帰るのである。
しかしそうして祖父母の家に通うこと3日目。俺はこの祖父母の家に起きたある異変に気がついた。それは祖父母の家の庭、小さい庭の中央に巨大なタンポポの花が咲いているのだ。
少なくともあんな大きなタンポポが初日に庭には存在していなかったことだけははっきりと覚えている。だが昨日にはもうあったのか、それとも一昨日にはあったのか、それは全く俺には分からなかった。
それから俺は玄関から靴を持ってきてそのタンポポに近づくが、見たところそのタンポポは葉がなく茎1本が地面から直接生えていると言った感じで誰かが造花でも投げ捨てて運よく咲いたように地面に刺さったかのように見える。
「チリンチリン」
そしてその巨大タンポポを引き抜こうと手を伸ばしたところ、タンポポは俺の手が触れた瞬間に小さく揺れながらまるで風鈴のような音を放った。
とても自然のものとは思えない音にやはり造花なのかと俺は思ったが、次の瞬間、そのタンポポはカチャリという音とともに奥の方へと倒れていった。
「はいはい、何の御用でしょうか?」
「・・・」
巨大タンポポの根元を中心にまるで潜水艦のハッチのように開いた地面の穴、そこから現れたテディベアのウサギ版のような姿をした黄色いウサギと俺はまともに目が合った。
「・・・ここで何をやっているの?」
「それはこっちのセリフなのですよ。ぽぽちゃんのお家の呼び鈴を鳴らしておいて、そっちがいったい何の用なのですか!?」
俺が何とか絞り出した言葉にそいつは怒るように掲げた腕をブンブンと前後に動かしながらそう返し、再び言葉に詰まった俺とそいつの間にまたもや沈黙が訪れるが俺は先ほどの言葉を少し変えて聞き直す。
「人の家の庭で何をやっているの?」
「えっ!ここに住んでいる人がいるのですか!?」
「まあ、別にいいけど・・・」
別によくはないが、こうしてようやく落ち着いて話ができるようになったところで場所を祖父母の家のリビングへと移し、こっちが軽く自己紹介をすると次は黄色いウサギの自己紹介が始まることとなった。
「ぽぽちゃんは、ぽぽちゃんというのです」
「それで、ぽぽちゃんはここで何をしているの?」
「ぽぽちゃんは幸せを運びます!幸せを運ぶためにここにいるのです」
椅子に座る俺に対して目の前のテーブルの上に立つぽぽちゃんは着地を決めた体操選手のように腕を掲げてそう言うが、もはや話を聞いても訳が分からない。
もしかしたら俺にしか存在が見えないオカルト的な何かなのではないかと思いたくなるが、ぽぽちゃんが何者にしろすでに俺の目の前に存在しているのでそれはもう気にしないことにしようと俺は決める。
だがそれから続くぽぽちゃんの話は突然小難しい話となる。
「でもぽぽちゃん、幸せを運ぶのに一つ困っていることがあるのですよ」
「何が?」
「幸せって何なんでしょうか?」
ぽぽちゃんはそう言って顎に手を当てて首を傾げながら俺の方を見るが、俺を見つめられても困ったものである。
・・・・・
謎のウサギぽぽちゃんは幸せを運ぶと言いつつその幸せが何なのかは知らない。だが、そもそも誰に幸せを運ぶのか、その相手によって大分幸せの基準は変わりそうなものである。
とにかく現時点で幸せと聞いて俺が思い浮かべるものといえば・・・。
「幸せというと・・・食べることと寝ることとか?」
とりあえず今の俺に思いつくのはそれぐらいであった。
「確かにぽぽちゃんも食べるのと寝るのは大好きなのですよ。みんな同じなんですね。まさに幸せって感じなのです。特に食べ物はこのコロコロがおいしいのですよ!」
そう言ってぽぽちゃんが小さな袋から取り出したコロコロというもの。それはどこかで見たような覚えがあった・・・というよりどう見てもウサギの糞である。
そしてぽぽちゃんはそれを口の中へと放り込んでモグモグと食べ始め、しばらくして飲み込むと満面の笑みでこういった。
「やっぱりおいしいものを食べて出たやつはおいしいのです!」
ウサギには食糞という習性があり普通の糞とは別に食べるための糞をすることがあるが、それはぽぽちゃんも同じようである。・・・そして同じということは、ぜひ食べさせてみたいものが俺にはあった。
「ニンジンでも食べてみるか?」
「ニンジン?なんですかそれは?食べてみるのです」
こうして俺が台所へと向かうとぽぽちゃんは一緒についてきて棒状に切られていくニンジンを見つめていた。そしてニンジン1本を丸々切り、切ったニンジンを皿に盛ってリビングへ戻ると・・・。
「あー!ぽぽちゃんの幸せが食べられてるのですー」
リビングへ戻るなりそう悲鳴を上げたぽぽちゃん。
見ればあのコロコロという名の糞の入っている袋の口を閉じないままテーブルのうえに置いて台所までついてきたようであり、開いた袋の口から床へと落ちたコロコロが祖父母のペットであるウサギたちに食べられてしまっていた。
「うー、半分以上は食べられているのです」
テーブルの上に散らばったコロコロを袋に戻して中を見たぽぽちゃんは残念そうにそういうが相手は動物なので仕方がない。
「こうなったらニンジンというものをお腹いっぱい食べるのです」
それから気を取り直したぽぽちゃんはペットのウサギがやってくることがないテーブルの上でニンジンを食べることとなるが結果は考えていた通りであった。
「うまー」
まるでリスのように両手で大事そうにニンジンを持って噛り付いたぽぽちゃんは笑顔と共にそう言い、それから口を休めることなくニンジンに噛り付いていく。
そしてニンジンが瞬く間になくなるとお代わりのニンジンを皿から取って俺の方を見た。
「ニンジンがこんなにおいしいものとは。やはりみんな食べることが一番幸せなんですかね?」
突然そんなことを聞かれても困るものであるが、一番幸せといわれて思い浮かぶものといえば・・・。
「うーん、俺の場合は宝くじが当たること、かな・・・?」
「えっ!食べるのでも寝るのでもどっちでもないのですか・・・」
そう言って驚愕したような顔でこちらを見るぽぽちゃん。とは言ってもこれが俺の本音である。
しかしそれから宝くじというものがどんなものかを俺から聞いた自称幸せを運ぶぽぽちゃんはやる気満々であった。
「いいですか!宝くじというものを絶対に買うのですよ!絶対にですよ!」
「はいはい、分かったから」
そう詰め寄ってくるぽぽちゃんに俺はそう返し、この日ぽぽちゃんと俺はそれぞれが帰る場所へと戻ることとなるが、俺はぽぽちゃんに強引に約束させられた宝くじを買ってから帰ることを忘れなかった。
・・・・・
翌日、俺は祖父母の家のウサギたちに朝の餌を与えてから庭を見ると昨日のことはやはり夢でも幻でもなくぽぽちゃんの巣穴の呼び鈴である巨大タンポポが庭の中央にあった。
「おはようなのです!」
そしてタンポポを揺らして呼び出されたぽぽちゃんは巣穴から顔を出すなりそう言って巣穴から出てくるが次の瞬間、とても強い風が吹いた。
「あーれー」
強風に吹き飛ばされ、まるで西部劇の干し草のように転がっていくぽぽちゃん。その光景はどことなくコミカルなものである。
「大丈夫か?」
「まったく、ひどい目にあったのです」
風に吹き飛ばされたぽぽちゃんはブロック塀の端まで行ってようやく止まり、それから俺とぽぽちゃんは強風を避けて昨日と同じくケージから出された祖父母のウサギたちが走り回るリビングに場所を移すこととなる。
「もうコロコロはあげないですからね!」
床を走り回るウサギたちにそう釘を刺すぽぽちゃんは言いたいことを言い終えると本題へと入ってくる。
「そういえば、ちゃんと宝くじは買いましたか?」
「買ったけど週末にならないと分からないぞ」
「え、そうなのですか!?まあ、ぽぽちゃんの言ったとおりに買ったのなら大丈夫ですよ、たぶん」
当たらないフラグを堂々と立ててくれるが、そもそもそれほど期待してはないし300円のサッカーくじを1口買っただけのことである。
そしてここに来てぽぽちゃんはあることを俺に伝えてきた。
「そういえばぽぽちゃん旅に出ることにしたのですよ」
「旅?」
「そうなのです。昨日色々と知ったのですけど幸せというものはそれぞれ違って絶対的なものではないみたいなのですよ」
今さらそれに気がついたかと思うがぽぽちゃんの話はまだまだ続く。
「幸せというのはぽぽちゃんが考えている以上に複雑なものだったのです」
そう言って腕を組むぽぽちゃん。なんでも昨日、俺が帰った後に巣穴から出て近所に耳を澄ましてみるとピーマンの肉詰めについての話をとある家庭でしていたのだという。
「その時の話では1人がピーマンは嫌いと言っていたのです。ぽぽちゃんはその人が幸せなのかそうじゃないのか感覚的に分かるんですけど、ぽぽちゃんはその時になって初めて食べることが幸せではないことがあるということを知ったのですよ」
確かに嫌いなものを食べさせられたら不幸せにもなるだろう。
「でももう1人は同じものを食べて幸せだったのですよ。同じものを食べているのに幸せな人とそうでない人がいる。これはまったくもって不思議で複雑怪奇なのですよ!」
そこまで大袈裟なものではないと思うが、幸せというものが分からなかったぽぽちゃんはにとっては初めて知ることばかりなのだろう。
その後、ぽぽちゃんは昨日と同じようにニンジンを食べつつペットのウサギたちと遊んで過ごし、俺が帰るころになると巣穴へと戻り俺が祖父母の家の戸締りを終えて庭へと回ると穴から顔だけ出したぽぽちゃんと別れの挨拶を交わす。
「それじゃ、さようならなのです」
「はいよ。元気でな」
こうして庭に咲く巨大なタンポポを見届けた翌日、祖父母の家の庭に巨大タンポポは跡形もなく消え、試しに巣穴のあった場所に穴を掘ってもそこにあるのは土だけであり巣穴があった痕跡すらそこにはなかった。
ぽぽちゃんとは一体何だったのか。
今思えば、ぽぽちゃんの存在こそが不思議で複雑怪奇なだっただろうと突っ込みたくなるが、今となってはそれが分かる日は永遠に来ないだろう。
ちなみに、ぽぽちゃんから言われていた宝くじは300円が当たっていた。300円で買って300円の当たりでプラスマイナスゼロ。
ぽぽちゃんが人を幸せにするにはまだ時間がかかりそうである。