2.聖女マリーナの導き
ある日、料理人のジェスがいつものようにリチャードに料理を差し出す。隣にはマリーナをはべらせている。
ジェス:本日は肉料理でございます。上質な牛肉を焼き上げ、ソースをかけました。
リチャード:肉か……。
ジェス:何か?
リチャード:あいにく今脂っこいもんを食う気分じゃないんだよ。作り直してくれ。
ジェス:そ、そんな。先ほどは肉の気分だと……。
リチャード:やっぱりさぁ、今日は麺類の気分なんだよ。さっさと作り直してこい!
ジェス:分かりました……。
マリーナ:その通りです。リチャード様の好みも把握していないとは、全くダメな料理人ですね。
ジェス:くっ……!
リチャードだけならまだしもマリーナにまで暴言を吐かれ、忌々しげにマリーナを睨みつけるジェス。
リチャード:おおマリーナ、もっと言ってやれ言ってやれ。
マリーナ:はい、せっかくですのでこの肉料理、私が食べてもよろしいですか?
リチャード:ん? なぜお前が食べる?
マリーナ:食べて、このダメ料理人に味を酷評してあげたいのです。
リチャード:なるほど、それは面白い! やってみせてくれ!
ジェス:くそっ……!
悔しがるジェスの前で肉を一口頬張るマリーナ。ゆっくりと咀嚼する。
見ている二人はどんな罵倒が出てくるかと見つめていたが――
マリーナ:んん! ん~……おいひいっ!
リチャード:え。おいしい? 酷評するんじゃないのか?
マリーナ:噛むごとに肉汁がふわっとにじみ出てきて……たまりませんねぇ~。ほっぺたが落ちそうです!
ジェス:ど、どうもありがとうございます……。
予期せぬ反応にジェスは礼を述べ、リチャードは生唾をゴクリと飲み込む。
その後もマリーナは実においしそうに肉を食べ続ける。
居ても立っても居られなくなるリチャード。
リチャード:マ……マリーナ!
マリーナ:なんでしょう?
リチャード:俺に食わせてくれ!
マリーナ:あら? 今日は麺類の気分なのでは?
リチャード:い、いいから頼む! これは俺が食べるんだ!
マリーナから皿と食器を奪い取り、食事を始めるリチャード。
リチャード:おお……うまい! うまいぞ、ジェス!
ジェス:殿下……。ありがとうございます!
リチャードが料理を食べてくれて感激するジェスに、マリーナはウインクをした。
ジェスはマリーナが王子に料理を食べさせるためにこうしたのだと気づくのだった。
***
午後のティータイム、メイドのミアがリチャードに紅茶を淹れる。
リチャードはカップを一目見るなり、怒鳴り始めた。
リチャード:なんだこの紅茶はぁ!?
ミア:な、何か……?
リチャード:今日の俺はぬるくも熱くもない紅茶を飲みたいんだよ!
ミア:では冷たいものを……。
リチャード:冷たいのもダメだ!
虫の居所が悪いのか、いつも以上に横暴に振舞うリチャード。
こうなるとミアとしてもどうしていいか分からない。
リチャード:気の利かない奴だ。もういい、ミア。お前はクビだ!
ミア:お待ちください……! 淹れ直して参りますので……!
リチャード:必要ない。出ていけ! 二度と顔を見せるな!
ミア:分かりました。失礼します……。
突然解雇を言い渡され、暗い表情で部屋を出ていくミア。
マリーナはそんなリチャードを笑顔で褒め称える。
マリーナ:よく解雇なさいました。あんな無能メイドはリチャード様に不要ですよ。
リチャード:ふん……まあな。
マリーナ:ではリチャード様、私が紅茶を用意しましょう。あんなメイドよりもずっとおいしい紅茶を淹れてみせますわ。
リチャード:うむ、頼むぞ。
さっそく紅茶を淹れてくるマリーナ。
しかし、様子がおかしい。彼女の淹れた紅茶はグツグツと煮えたぎっていた。
カップの中に溶岩が入ってるかのようだ。
マリーナ:さあ、リチャード様どうぞ!
リチャード:ちょ、ちょっと待て。なんだそれは……。
マリーナ:私特製の紅茶です! さあ、どうぞ!
リチャード:いや、そんなもの飲んだら……。ていうか飲めるのかそれ。
マリーナ:遠慮なさらず!
リチャード:遠慮してるんじゃなく……。
マリーナ:あっ!
マリーナは転んでリチャードに紅茶をブチまけてしまった。
リチャード:あっぢいいいいいいいいいい!!!
マリーナ:申し訳ございません、リチャード様! すぐお拭きします!
マリーナが力任せにリチャードを拭く。
リチャード:いだだだだだだだ! 強い強い! 力が強い!
マリーナ:すぐ新しいお紅茶を淹れてきますね!
リチャード:淹れなくていい! 淹れなくていい! 淹れなくていい!
マリーナ:遠慮なさらず! 聖女の淹れる紅茶などめったに飲めるものではありませんよ!
満面の笑みを浮かべるマリーナに、リチャードは青ざめる。
リチャード:うわぁぁぁ! ミア! ミアーッ! クビは撤回する! だから戻ってきてくれぇぇぇ! いや、戻ってきてくださぁぁぁぁぁい!!!
***
いつしかリチャードは料理に文句を言わなくなり、ミアをいびることもしなくなった。
しかし、政務嫌いは相変わらずであった。
ロイズ:殿下、政務のお時間ですが……。
リチャード:ああ、興味ない。お前らで勝手にやっててくれ。
ロイズ:分かりました。
もはやリチャードを教育することは諦め、ロイズは説得することもしなくなっていた。
マリーナ:お待ちください、リチャード様。
リチャード:なんだマリーナ。
マリーナ:会議に参加された方がよろしいのでは?
リチャード:なにぃ? お前までそんなこと言うのか!
マリーナの思わぬ言葉に憤慨するリチャード。
マリーナ:まあまあ話を聞いてください。この国で最も優れているのはリチャード様、あなたです。
リチャード:ふん、いうまでもないな。
マリーナ:ならば会議に出て、重臣たちのバカさ加減を笑ってみるというのはどうでしょう? きっと楽しいと思いますよ。
リチャード:ほう、確かに……それも悪くないかもしれないな。
ロイズ:え、ということは……!?
リチャード:出てやるよ、会議に。バカどもを笑うためにな。
ロイズ:あ、ありがとうございます!
マリーナ:行ってらっしゃいませ、リチャード様。
リチャード:ああ、俺の優秀さを思い知らせてやる!
こうして実に久しぶりにリチャードが政務の会議に出席することになった。
これにはロイズ以外の重臣たちも大いに驚いたという。
***
これをきっかけに積極的に政務にも取り組むようになったリチャード。
ある日、マリーナにこんな相談をする。
リチャード:マリーナ、会議で予算があるから何か建てようって話になったんだが……。
マリーナ:それはいいことですね。市民に仕事を与えることにもなりますし。
リチャード:うむ、俺としては俺を称える黄金像……なんてものを建てたいんだが、どう思う?
実にダメ王子らしい発想だが、マリーナは呆れることなく笑顔で応じる。
マリーナ:それもよろしいですけど、私としてはもっと他の物がよろしいかと。
リチャード:言ってみろ。
マリーナ:思うに、この王国の民はまだまだリチャード様への尊敬が足りないと思うのです。
リチャード:その通りだな。
マリーナ:なぜだと思います?
リチャード:そりゃあこの国の連中はバカばかりだからだ。
マリーナ:ではバカばかりの国で、あなたが尊敬されるためにはどうすればよいでしょう。
リチャード:決まってる! 国民の頭をよくしなきゃならない!
マリーナ:となると?
リチャード:教育を施す必要がある……。
リチャードの頭の中に一つのアイディアが浮かび上がる。
リチャード:なるほど……学校か!
マリーナ:はい! ああ、今日もリチャード様は光り輝いております……!
リチャード:ふふふ、そうか。よし、俺は今度の会議で本格的な学校を建てることを提案するぞ! この国の教育水準を上げてやる!
さっそくリチャードは机に向かい、自分なりの「学校案」をまとめ始める。
次の会議には意見書を持って出席する。
ロイズ:殿下、先日の建築物を設ける件について何か意見はありますかな?
リチャード:ある。
自信満々のリチャード。
会議に出席している者達は「どうせろくな提案じゃないだろう」と思っていたが――
リチャード:俺は国立の学校を作りたいと思っている。
ロイズ:が、学校!?
これには皆が驚いた。
リチャード:うむ、この国の教育水準はまだまだ低い。しかし、国で学校を作り、もっと大勢の子供に教育を施すようにすれば、皆が俺を称えるようになるんじゃないかな。
ロイズ:『俺を称えるようになる』の部分は引っかかりますが、殿下らしからぬいいアイディアですな!
リチャード:お前わりと俺に失礼だよな。
ロイズ:ではさっそく学校の案、検討しましょう!
この日の会議は珍しく大盛り上がりとなった。
ロイズ:今日は実のある会議となりました。ところで殿下、学校のアイディアはどうやって閃いたのです?
リチャード:ああ、マリーナと話してるうちに閃いたんだ。
ロイズ:マリーナ……あの自称聖女ですか……。
リチャード:じゃあ、俺は自室に戻る。マリーナが待ってるからな!
ロイズ:はい……。
ロイズは独り言を漏らす。
ロイズ:いかにも詐欺師のようなあの女が来てから、殿下は明らかに変わりつつある。それもよい方向に。うむむ、いったいあの女何を考えているのやら……。