そのはち
…少しだけ、いい夢を見たような、気がする。
外は、今日もいい天気みたい。
洗濯もの、今日も出しっぱなしでいいかな。
私はベッドをそっと降りて、洗濯に取り掛かった。
猫は、まだぐっすり眠っているみたい。
起こさないようにしないとね。
洗濯機をセットして、昨日の夕飯で余った、残しておいたものを使って、雑炊を、作る。
ほぐした鮭に、さやえんどうをトッピングして。
ああ、卵買っとけばよかった。
今日、帰りに買ってこようかな。
…ふふ。わたし、やっぱり、料理好きみたい。
だって、こんなにも、作ることに夢中になってるじゃない。
出来上がった雑炊をテーブルにおいて、洗濯物を干していたら、足元にクベール・チュールがやってきた。
「おはよう、お嬢さん。とてもいい香りがしたので、気持ちよく目を覚ますことができました」
「おはようございます。クベール・チュールの分もありますよ。冷ましてあるから」
洗濯物を、手早くぱんぱんと広げて干しながら、足元の猫を、見る。
日光に当たると、より一層毛並みが艶やかに見えて、チョコレートっぽい。
チョコレート、かあ。
久しぶりに買ってみようかな。
鮭のほぐし身部分をお皿の上に広げ、少しばかりの米粒と刻んださやえんどうをトッピングしたものをクベール・チュールの前に置く。小皿には、キャットフードを少し。
「やさしい食事だね。とても、美味しそうだ。いただいても、よろしいかな?」
「はいどうぞ、一緒にいただきましょう」
「「いただきます」」
猫と一緒にいただきますかあ。
なかなかできることじゃ、ない。
スプーンで、雑炊をすくって、一口。
…うん、美味しい。
でも、卵あった方がもっとおいしかったかな。
絶対帰りに買ってこよう!
「ああ、丁寧な下処理をしているから、とても香りがいいね。おいしいよ、お嬢さん」
「ありがとうございます」
褒められることに、慣れて、ゆく。
言葉を受け止めることに、慣れて、ゆく。
自分がどんどん変わっていることに、驚きと、期待のようなものが、広がってゆく。
「お嬢さん、今日は、少しだけ、感謝の気持ちを、伝えてみませんか」
「感謝?」
「昨日は、確かに大変でした。しかし、救われたこともあったはずです。それを、伝えてみてはいかがかな」
確かに、昨日私は、いろんな人に、助けてもらった。
いつもならば。
前日のことは、終わったこととして。
終わったことを振り返るようなことは、しないように生きて来ていたような気がする。
でも。
クベール・チュールが、言うなら。
私が変わる、言葉をくれるクベール・チュール。
「そうだね、うん…私、伝えてみるね」
「ああ、それが、いいと思うよ」
久しぶりの朝食を食べた私は、いつもより、力が沸いてるみたい。
昨日の恐怖は、おそらく、乗り越えることができたはず。
今日は、感謝を伝えよう。
「おはようございます」
「ちょっとちょっと!!聞いたよ!!大変だったんだってね!!」
タイムカードを切って更衣室に行ったら、上田さんが食い気味に私に声をかけてきた。
あ、立花さんもいる。
昨日の感謝を、伝えないとね!
「ううん、大丈夫。昨日のおなか、めっちゃおいしかったよ!ありがとう!」
「でしょ?!あたしも炊き込みご飯にして食べたもんって…ほんと大丈夫なの?無理してない?」
「大丈夫大丈夫!」
あ、ヤバイ、立花さんが行っちゃう。
「立花さん!昨日、店長呼んでくれてありがとう!昨日ちょっと気持ちが落ち着かなくて、しっかりお礼言えなかった、ごめんね?」
「そんな!私、レジ中でマイク取れなくて、遅くなっちゃって…すみませんでした」
ああ、昨日レジで簡単にお礼言ったとき、目が伏し目がちだったのは、罪悪感もっちゃってたから、なのかな。なんか、助けてもらったのに、逆に悪かったなあ…。
「ううん、本当に、助かったんだよ?ありがとう」
ありがとうという、感謝の気持ちを込めて。
しっかり、目を見つめて。
気持ちをのせて。
言葉を、伝える。
「…どういたしまして!」
にっこり、笑ってくれた。
気持ちが、伝わったんだね。
…気持ちは、伝えるもの。
クベール・チュールが、教えてくれた、事。
今日も一日、頑張れそう。
お昼、上田さんと一緒にお弁当を食べていると。
「おい!昨日の落ちたやつ、どうした?!」
私と上田さんの横を通りがかった藤田さんが声をかけてきた。
「ああ、買ってって美味しく食べたよ」
「けっ!きったねえ床に落ちたゴミ食って満足してんのかよ!ビンボくせえなあ…」
「なんだとゴルァ!!うちの鮮魚ディスってんのか?!」
ああ、まずい。
うちの店トップツーの気が強い人同士がまさに今、一発触発なんだけど!!!
「藤田さん!昨日声かけてくれてありがとね!あの一瞬があったから、私助かったの」
「ああ?なに言ってんだあんた」
「お客さんにつかまってて、困ってたから」
あの一瞬があったから、落ちつけたんだよ。
その、感謝を。
「ふん!どんくせえからクソみたいなやつにつかまんだよ!バーカ!!」
「てめえがクソなんだろうが!!!」
上田さんが藤田さんに容赦ない言葉を浴びせる。
この二人いつもケンカしてるんだよね…。
「…けっ!!!」
藤田さんは悪態をついて、向こうの端のテーブルに行ってしまった。
伝わったかな?感謝の気持ち。
伝わってないかも…。
「あいつ一体何なん!!なんであんなにクソみたいなやつが存在してんだか!!!」
「まあまあ…でも、私あの人いたから、ちょっと助けられたし。」
「男だったら間に入るとかさあ!!何もしなくてスルーだったんでしょ?!」
上田さんはカンカンだ。
あの場に上田さんがいたら、絶対あの老人に殴りかかっていたに違いない。
「小湊さん!!」
あ、池下さんだ。
良くお礼言っておかないと。
「池下さん、昨日はありがとうございました。私一人では対応できなくて。来ていただけて、本当に助かりました。」
「何言ってんの!!助かったのはこっちだよ!ほんとごめん、ありがとう。あの後警察来たりして大変だったんだよ。あの人、出禁になったから。もう来ないから、安心してね?!辞めないでね?!」
なんだ?なんか池下さんの様子がおかしいような気もする。
いつもだったら目を見ないからわかんなかったかもだけど、今はばっちり、目を見てるからね。
こういう、なんていうんだろ、焦燥感?伝わってくるな…。
「あの、なんかあったんですか」
「なんかね!秋元さん連絡付かないんだって!!」
「電話通じなくて…。昨日、タイムカード切らずに、帰っちゃったんだよ」
ああ、そうだよね、そうなっちゃうかなって、思ってたんだよね…。
「小湊さん!気にしないでいいんだよ?明日休んでね?!レジシフトは何とかなるから。」
そういう池下さんの顔色は、あまりよろしくない。
今人員足りてないからなあ…。
「無理だったら呼んでください」
「こみちゃん!!そういうとこだってば!!すぐいいように使われる!!」
上田さんが機嫌悪くなってきた。
ヤバイ。
「あはは、休む、休むって!」
「「そうしてください!!!」」
見事にハモった。
なにげに息がぴったりなんだよねえ…。
少々の不安はあるものの。
今日は特に問題も起きず。
私はチョコレートと、卵、キノコや小麦粉。
久しぶりに食材をいろいろと買い込んで帰路に就いた。
明日はお休み。
いろいろ美味しいもの、作りたいな!
クベール・チュールは、何が好きかな?
でもなあ、猫だからなあ…。
クベール・チュールが、人間だったら、よかったのにね。