表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/19

そのなな

 お風呂から上がって、髪を乾かそうとドライヤーのスイッチを入れたら、眠っていたクベール・チュールの目が、開いた。

 ベッドわきの小さなドレッサーコーナー、すぐ近くで大きな音立てちゃってごめん…。


 緑の目。

 ふふ、きれいだな。ドライヤーのスイッチを切る。


「ごめんなさい、クベール・チュール。うるさいかな?」


「いいえ、私のことは気にせず、どうぞ、乾かしてください」


 ぶぉおおお……


 ドライヤーの風を当てる私の髪が、ふわりふらりと揺れる。

 ずいぶん、伸びたなあ。

 時間見つけて、切りにいかないと。


 髪を乾かしつつ、すぐ横のクベール・チュールを見る。

 ふふ、しっぽが、なんだかうきうきしてる。

 髪がふわふわしてるから、つられちゃってるのかな。



 …よし、乾いた。

 ドライヤーを片付けて、ベッド前に、座る。

 クベール・チュールの、目が、正面から私を捕らえている。


 うん、きれいだなって、思うよ。

 怖くなんかない。


「お嬢さんは、少し、元気がないように思うのですが、いかがでしょうか」


 うーん、まあね、今日あんなことがあったからね、テンションは、低いかな。

 でも、私、本当は。


「もともと、こんな感じなんですよ。クベール・チュールに出会った昨日は、怒り心頭で、テンションがおかしかったの」


「怒りの感情というよりも、明るい感情が前に出ていたような気がしてね」


 ベッドの上で、香箱を組みながら目を細めているクベール・チュール。


「ああ…怒りついでに、口数が増えていたせいだと、思いますよ。テンション上がってて」


 尻尾が、ぱったんぱったん、揺れている。


「お嬢さんは、怒りの感情で、口数が増えるとおっしゃるのですか、フム…」


 思慮深い猫は、目を閉じて何やら考え込んでいる。


「お嬢さん、君は、君の感情のまま、君でいていいと思うのですよ」


 目が、ゆっくり開いてゆく。


「無理に、テンションをあげずとも、穏やかに過ごしてゆけたら宜しい」


 ああ、目が、緑色の目が、私を、見つめている。

 …昨日は真正面に座ることに躊躇したけど、今日は、平気。

 むしろ、緑色の目を見ていると、心が落ち着いて、来る。


「あげていかないと、口数の少ない私を見たほかの人たちが、心配するかもしれません」


 もともと口数の少ない私。…ううん、違うか。

 昔はおしゃべりだったような、気もする。

 でも、その頃の記憶が、遠すぎて、いまいち、思い出せない。


「…もちろん、胸が高鳴るような時は、喜んでテンションをあげていいのだよ?けれど、怒りの感情は、気分を高揚させる感情ではないと、私は思うのです」


 尻尾が、だんだん、派手な動きになっていく。

 ああ、これ、もしかして、説教パターン…?


「心の安息と、気分の高揚を同じくしては、とても疲れてしまうよ。心を疲れさせるような考え方はおやめになった方がいいと、私は思うのです」


 少しだけ、おかしいな。

 ふふ、私、また怒られちゃうのか。


「テンションを無理やり上げることを、やめた方がいい…?」


 ぱった、ぱった……尻尾が、揺れる。


「君の心が、とてもかわいそうだ。自分の気持ちに、素直におなりなさい」


「素直、ですか」


 素直な、気持ち。


 いつからだろう、穿った考え方をしがちになったのは。

 人の言葉の裏を読むようになり。

 人の表情の裏を読み取り。


 自分の感情を偽り。

 ねじ曲がった思い込みをするようになった。


「今から、私、素直になれるでしょうか」


 尻尾が、揺れる。


「なれるでしょうか? …綾香、なるんだよ。君は、素直になるんだ、今日から」


 今日から、素直に、なる。


 クベール・チュールは、昨日、私に、目を見る勇気をくれて。

 今日、私は、目を見ることができるようになっている。


 私は。


 今日、今から。


 素直に、なる。


「クベール・チュール。わたし、今日、とても、怖かったの」


 クベール・チュールは、ただ目を閉じて、今日起きた事件の詳細を聞いてくれた。


 傘のこと。休みのこと。かぼちゃのこと。店長の顔に驚いたこと。

 上田さんのこと。藤田さんのこと。クベール・チュールを自慢したこと。

 怖かった、事。


 ああ、誰かに、話すことで、こんなにも、胸が晴れるんだ。

 話すことで、ずいぶん、気持ちが、変わるんだ。


 …話せて、よかった。


「大変だったね、お嬢さん。がんばったね」


「クベール・チュールが、私に力をくれたんだよ。ありがとう」


 クベール・チュールの言葉がなかったら、私はきっと、何もできなかった。

 クベール・チュールが、私に目を見ることの大切さを、教えてくれたから。


 多分、あの時、私が目を逸らしていたら。

 きっと私はもっと大変なことになっていただろうと、思う。

 真剣に、目を逸らさずにいたからこそ、あの程度のダメージで、すんだはず。


「お嬢さんが、どんどん魅力的になっていくから。私はとても、うれしいよ」


 私の長い話を聞いてくれた猫は、目を細めて、ぐるぐる、のどを鳴らしている。

 ふふ。とても、かわいい。


「クベール・チュール。少し、なでてもいいですか」


 目が、半分開く。なんで猫って、こういう表情、色気があるんだろう…。


「かまいませんよ。あまり触り過ぎると、パチパチするかも、しれませんが」


 私はそっと、クベール・チュールの背を、なでた。

 手の平に伝わる、のどの、ぐるぐる。

 ふふ。


 なんだか、とても幸せな気分。


 時刻はもう、23:00を回った。

 ずいぶん、話していたみたい。

 あ、猫が、あくびをした。


「おやすみ、クベール・チュール」


「いい夢を。お休み、綾香」



 今日は、いい夢を、見ることができるかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 7/10 ・癒し系イケメン。ああ、素晴らしい [気になる点] ぱったんぱったん。やっぱり飼い猫のしっぽはそんな音するんでしょうか? [一言] なでなで
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ