そのご
「もーさ!!ほんとあのクソじじいむかつくんだって!!」
「ハイハイ、お疲れ」
お昼休憩の時間。
私は、従業員仕出し弁当を、鮮魚担当上田さんと食べている。
少々広めの従業員用食堂には、お昼ご飯を食べる人たちがちらほら。
上田さんはここにきて10年目。
強気が身上の、元気の良すぎる中年女性だ。
いつも気弱な私の気力を底上げしてくれる、貴重な人だったり、する。
なにやら同じ鮮魚のパートさんともめたらしい。
「そういやさ、傘見つかったの?」
昨日散々、帰る時に無い無いと言って探してたのを覚えてて、気にしてくれてたみたい。
鰆の塩焼きを豪快に食べながら、上田さんが私に声をかける。
ああ、骨、のどに刺さりそう。大丈夫かな。
「ううん、なんか間違えて持ってった人がいたみたいでさ、傘立てに入ってたよ」
「ほんとかよ!!昨日風邪ひかなかったの?私送るって言ったのに!」
完全反対方向の上田さんに送ってもらうとか、無理でしょ。
そもそも、私、人の車に乗るのって苦手なんだよね…。
「走ったら結構近いんだって!ほら、今日も私、元気でしょ?中年女子の体力舐めんなって!」
「まあ、こみちゃんが良ければいいけどさ!!あ、このオクラでかくてまずそう!いる?」
「まずそうなもん人にくれるのかよ!!」
まあ、もらうけどさ!!
でっかいオクラ、うまいじゃん。
もぐもぐとオクラを噛み下しながら、私のテンションが上がってくる。
上田さんは、私をいつも、引っ張り上げてくれるんだよね。
こう、沈み込んでいく私を、泥沼から引き揚げてくれるというかさ。
怒りのパワーとか、やりたいことのパワーっていうのかな。
そういうのがものすごくつよくて、とにかく、パワフル。
にじみ出る闇を、蹴散らしてくれる、私にとっては、恩人みたいな人。
ま、たまに理不尽に怒鳴られたりもするけど、そこらへんはほら、長年の付き合いでうまいことかわせるようになってるっていうか…。
「朝方もちょっともめてたじゃん!なんなん?あのおっさん。男のくせにカボチャ放棄とかマジ舐めてんな!」
「まあまあ・・・。誰だって、苦手なもんはあるでしょ。上田さんだってハチ見て逃げ出したくせに」
「虫と仕事の選り好みは違うでしょ!!大体ね、こみちゃんは優しすぎるんだってば!」
箸を掲げて熱弁が始まった。
こうなるともう、止まらないんだよねえ…。
「そんなことないって!私いつもみんなに助けてもらってるし、できることはしておきたいって思うタイプだからさ」
「こみちゃん…いい人過ぎて、疲れない?なんか最近、痩せてきたしさあ…」
あれ。気が付かなかったけど、痩せてきたのか、私。
年を取って、体がしぼんできたんだとばかり思ってた。
「そお?じゃあ、今日は鮮魚の廃棄分、買い込んでいこうかな!イイのある?」
「あるある!サーモンのおなかとかあるよ!あとで買ってってね!」
よし、クベール・チュールに、おいしいもの、食べさせてあげたいし、奮発するか!
あ、でも一応、キャットフードも買っていこう。
「ん、じゃあ、タイムカード切ったら買うから、冷蔵庫の端に置いといて」
「りょーかい。」
私は、食べ終わったお弁当箱の蓋を閉じ、食堂入り口の仕出し弁当回収ボックスに入れようと、席を立った。
「いいな、俺も買いたい」
クリーンの藤田さんが、声をかけてくる。
「はあ?あんたの分なんかないよ!この前もそういってこみちゃんの買おうとしたもん横から持ってったくせに、ロッカーに忘れてって腐らせてたじゃん!あっちいけよ!!」
「そういうなよ、これって差別じゃね?店長にチクるぞ!」
「まあまあ…。どうしても欲しいなら、譲るから。ね」
もめ事は、自分が折れたら、それでいい。
自分が折れたら、丸く収まる。
「こみちゃん…」
「おー!ありがてー!じゃ、買ってくわ!ははは!!!」
豪快に笑って、カラの仕出し弁当の蓋も閉めずに回収ボックスに放り投げて、藤田さんは喫煙所へと向かった。
「こみちゃんさ、こういうの、あんまりよくないよ。悪いやつが、増長する。もちろん一番悪いのは、クソ藤田なんだけど、こみちゃんも、悪い」
「うん、そう思う。でも、私には、ちょっと戦う勇気がね…」
せっかく上がったテンションが、下がっていく。
ああ、なんか、なんかないか。
テンションの上がる、何か。
あ!
「ねえねえ!これ見て!うちにね、今猫がいるんだよ!」
「え!!マジで!!見たいみたい!!」
上田さんの猫好きは、この店で一番なんだよね!
ひとしきり猫自慢をした私は、午後の仕事を乗り切れるだけのテンションを獲得し、レジへと向かった。
五時、私はタイムカードを切り、クベール・チュールのキャットフードと、お徳用野菜、上田さんの魚を買うため、レジに並んでいた。
私の並んでいるレジは、秋元さんが入っている。
「おいおい!!何やってんだよ!!弁償しろ!!」
「・・・」
一番前で、何かもめている。
「うんとかスンとか言えねえのかよ!!何やってんだよここのレジはよお!!」
高齢の男性客が、秋元さんに怒鳴りかかっているが、秋元さんはぶすっとして、お詫びも言わず、レジを打ち続けている。
どうしよう、声かけようかなと思ったら、秋元さんが私を見つけて…
「小湊さん!助けてください!」
「ああン?オメーは何だ?母親か?!」
ざざっと、レジに並んでいる人たちが、散っていく。
私に注意が移った老人は、秋元さんから、目を離した。
その隙に、店長呼び出しボタンを押してくれるのかと思ったんだけど。
一目散に、スタッフルームに、逃げていった。
え、これ、どうするんだろう。
「あんたが弁償するのか?!俺のブランドもんの財布だ!!早く金出せよ!!」
「え、私は…」
「うるせえ!!」
がしゃんと、私のかごを、蹴り上げられた。
右腕に走る衝撃で、かごの中身と、私のカバンが、宙を舞う。
私は、何もしてないよ?
ただ、買い物をして、並んでいただけだよ?
どうして、私に、そんなに、攻撃的になるの?
そんなことを思いながら、老人の目を、見つめる。
こわい。怖いよ、クベール・チュール。
でも。
謝ることじゃ、ないはず。
伝えたい気持ちは、言葉に出して。
「私は、並んでいたので、状況がよくわかりません」
「ばばあは早く金だしゃいいんだよ!!」
「私は、あの子の親では、ないです」
「あんたを置いてあいつは逃げた、だったらあんたが責任取るもんだろうが!!」
何を言っても、激昂する老人には、通用しないみたい。
ああ、誰か。
だれか。
「おい!!俺の魚!どこやったんだよ!!」
藤田さんだ。ああ、今日は早上がりだって言ってたっけ。
助けに来て、くれたのかな?
「あ、あそこに、飛んでった」
かごから投げ出されて、床に転がる、サーモンのおなか。
「ちょ!!きったねえなあ…俺もういらね!!」
そのまま、店の出口にはけて行ってしまった。
助けに来たわけでは、ないみたい。
そっか。
そうだよね。
私、お金払わないとだめかな?
老人が、私をにらみつける。
私、お金あんまり持ってないよ?
老人から、目が離せない。
私、あなたが怖くてたまらないんです。
「お客様!スタッフがご迷惑をおかけしたようなので!こちらまでお願いしてもよろしいですか?」
あ、池下さんが来てくれた。
誰かが、呼んできてくれたのかな?
ああ、二つ向こうのレジで、立花さんが呼んでくれてたみたい。
助かった…。
池下さんは、サービスカウンターまで老人を連れて行き、私は恐怖から、解放された。
ああ、秋元さん、明後日から、ちゃんと来てくれるかなあ…。
私、明日の休み代わったけど、明後日も出勤になんて、ならないよね…?
私は飛び散った商品をかごに入れ、立花さんのレジで、買い物をして、家路についた。
不安は残ったけど。
明るい顔をして帰らないとね。
かわいい猫が、私を待っているから。