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クベール・チュールという猫  作者: たかさば


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12/19

そのじゅうに

 ピッ…


「もしもし、小湊です」

『あ、お疲れさま、池下ですけど…お休みなのにごめんね。秋元さん出勤してこなくて』


 ああ、やっぱり駄目だったかあ…。秋元さん、このまま連絡付かずに辞めちゃうんだろうな。いやなことから逃げ出したくなる気持ちも、わかるけどね。こういうところが、若い人っていいなあって思う。なんていうのかな、いやなことから、逃げることができる勇気があるっていうのかな…。


「今日のシフトは誰でしたっけ。立花さんと、三宅さんでしたよね」


 レジは二本開いていたら、なんとかなるはず。金曜日だから、一本だと、ちょっときついかも。休憩回しが必要なのかな?


『三宅さんのお母さんが倒れたそうで、旦那さんが迎えに来ちゃって。一応僕が入るんだけど、昼ごはん食べたいから一時間だけでいいから応援お願いできないかなって思って電話したんです。』


 池下さんがレジ?金曜は週末発注があるからレジなんて入ってる余裕ないはずなのに。無理してるなあ…。


「わかりました、ごめんなさい、今ご飯食べるところなので、一時間後になりますけど、いいですか?」

『本当にごめんね、助かります、お願いします…』

「わかりました、失礼します」


 ピー、ピー、ピー、ピー


 電話を切ったら、ちょうどパンが焼けて。


 ピー、ピー


 ああ、グラタンも焼けたみたい。


 急いで、ミトンをはめて、熱々のグラタン皿とココット皿をテーブルへ。急いで、焼き立てパンをお皿に盛って、テーブルへ。バターと、お水と、キャットフードも持ってってと。クベール・チュールのグラタンは、大きめのお皿に広げて、冷まして差し出した。猫舌だもんね。


「「いただきます」」


 手を合わせて、猫と一緒に、出来立てのごはんを食べる。うん、美味しい!でも、ゆっくり食べてる時間は、ないのよね…。食べ終わったらお店に行かないと。


「…仕事に行くのかい?」


 ふかふかの焼き立てパンにバターを付けてたら、猫が目を細めて、私に声をかけてきた。


「そうね、ゆっくりクベール・チュールとお話したかったけど、困ってる人がいるからね。仕方ないよ」


 猫がすこーし、機嫌悪く、なってきた…。尻尾にゆらゆらに、勢いが付いてきたよ…。私はバターをたっぷりのせたパンをぱくりと食べながら、猫の機嫌を、伺う。


「綾香。君は確かに、やさしいよ。けれど、そのやさしさに、皆は頼るようになっているかもしれないね。君に頼めば、君は応えてくれるもの。そういう認識が、広がると、君はどんどん追い込まれて行ってしまうのではないかな」


 まあね、上田さんにも、似たようなこと言われてるからね。クベール・チュールの言いたいこと、わかるよ。断れない人に、私は、なってるんだよね。


「でも、困ってる人がいるなら、助けてあげたいって、私は思うよ?できる事は、してあげたいじゃない?」

「僕は君に、やさしさを分け与えてほしいと願ったけれど。やさしすぎるのも、問題だと、今、認識したよ。フム…」


 猫が何やら考え込んでいる。尻尾が騒がしい。なのに表情はこう、思慮深い。大人なんだか、子供なんだか、よくわかんないなあ…。お皿をなめる様子は猫そのものなんだけどなあ…。


「やさしすぎるというのが、よくわかんないかなあ…」


 やさしくしろと言ったり、やさしすぎるのも問題だと言ったり、何が何だかわかんなくなってきちゃった。やさしいと言ってくれているのに、やさしさを出す勇気がないと言われてみたり。パンにグラタンのチーズをのせてぱくりと食べながら、いろいろと思考を巡らせてみる。うーん…。


「ああ、そうか、君はやさしいこともあるけれど、人を甘やかしてしまう人なんだ。だから皆、君に甘えてしまうんだね」

「甘やかす…?」


 ああ、そうか。そうかもしれない。私は、誰かの言葉を、許すことが前提で。誰かの言葉を、受け入れるのが前提で。それはたしかに、厳しさのない、甘い対応だった。私は、他人に対して無気力である癖に、とても甘い対応をする人なんだ。


「甘やかすことと、やさしさは、似ているかもしれないけれど、違うものだと思うよ」

「違いが、はっきり分からないよ…。厳しいことを言わないのが、甘やかすってこと?」


 明らかに私は違うと思っていることでも、受け入れてしまう、それはたぶんやさしさではなく、甘やかしなんだよね。相手の都合のいい返事を返しているだけの、甘やかしという、私の意志が蔑ろにされた会話。


「相手が欲しがっている言葉を与えることは、甘やかすことなのかもしれないね」

「私、いつもそういう会話ばかり、してきたように思う…」


 私は人と話すのが、ずいぶん億劫で。会話を続けることが、面倒で。相手の望んでいる言葉を返したら、それで会話を終えることができる事を、無意識に理解していて、選び続けてきたんだ。そして、自分で自分を追い込んでいることに気が付かないで、疲れて、無気力になって。


「綾香、君は、少しだけ、先を考えるようにしてみたらどうかな。その場で、相手が望んでいる言葉を返したら、どうなるのか考えてから、言葉を伝えるようにしてみたらいかがだろうか」

「先を考える?私はあまり、そういうことをしたことがないけれど…具体的に、どうしたらいいのかな…」


 先を考えるなんて高等テクニック、私にはちょっと難しいよ。そもそも、頭の良さには、正直あんまり、自信が…ない!


「会話をするようにしなさい。相手の望む言葉を返して終わりにするのではなく、自分の考えを伝えたうえでお互いの納得がいくところで、話を終結させるように心がけてみたら、ずいぶん違ってくると思うのだよ」

「わ、わかりました、頑張って、みます…」


 クベールチュールの、まっすぐな目を見ていたら、できそうな、気がした。

 …うん、頑張ってみよう!



 私は、空になったお皿を片付けて、店に向かった。





「池下さん、変わりますよ」

「…ごめんね、すぐにご飯食べてくるから!!」


 タイムカードを切ってレジに向かうと、げっそりしている池下さんがいた。レジの列がすごい。金曜日は、混むんだよねえ…。うわあ、パンの所まで列が並んでる。これは的確かつスピーディーにさばいていかないと、ね!責任者番号をキャッシャーに打ち込んで、池下さんと入れ替わる。


「私。今日これから入れますから、ごはん食べたら発注入ってください」


 池下さんがレジから出る時に、一言、伝えておく。


「そんな!いいよ!」


 私は、山もりのかごを差し出したお客さんに笑顔を向けて。


「いらっしゃいませ!」


 レジを通し始めた。


 金曜日のレジはなかなかお客様の列が途切れることがない。週末特売があるので、かごの中も通常に比べて点数が多い。レジ袋有料化が始まったこともあって、少々オペレーションロスがあるっていうのも、あるんだけどね。それでもまあ、ミスもなく、順調に勤務時間は過ぎてゆく。


「ごめんね。ご飯食べてきたから、変わります」

「いいですよ、池下さんが発注終わるまではいますから。行ってきてください」


 夕方の学生バイトさんが来るまであと二時間くらい。それまでずっといますよって言ってもいいけど、うーん、そうだなあ、こういうのが、甘やかし、なのかな?


「でも…」

「話してると、時間もったいないですよ、私ずっといるとは、言ってませんからね。さ、早く」


 ずっといますよとは、言わないでおいて、返してみる。


「ありがとう、感謝します!」


 池下さんは、発注用の端末を持って、食品売り場へと消えた。


 その後も結局レジの列は途切れることなく、4時ごろに学生さんがやってきた。あれ?なんか早くない?5時からの勤務だったはず。


「小湊さん、変わりますね。店長から電話があって、早く来れないかって言われてきたんです」


 店長が電話をしてくれたみたい。そっか、自分が全部フォローしなくても…誰かほかの人がいたら、その人に頼ることもできるよね。


 自分一人がフルパワーで頑張らなくても、大丈夫なんだって、いまさら気がついた。


「ありがとう!助かります!じゃあ、お願いします!」

「はい!お疲れさまでした!」


 私はにっこり笑って、レジを後にした。




「あ、小湊さん、お疲れさまでした、今日は本当に助かりました、ありがとうございました」


 池下さんがニコニコして私の所に来た。良かった、発注は無事終わったみたい。なんか疲れてるみたいだなあ…。


「いえいえ、古川君呼んでくれたんですね、ありがとうございます。あの、あんまり、無理しないでくださいね?…疲れてますよね?」


 池下さんは目を丸くして、私を見ている。あ、にっこり笑った。


「ありがとう、その言葉だけで、元気出ました。無理せず、働きます!」

「ふふ、じゃあ私は帰りますね、お疲れ様です」



 この時間に帰るなら、晩御飯は手の込んだものが作れるはず。おいしいものいっぱい作って、クベール・チュールに喜んでもらって、いっぱい今日の出来事話して、いっぱいお話してもらおう!


 私は休日出勤したというのに、うきうきしながら、帰路に就いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 12/12 ・溢れ出るたかさばオーラ。『相手が望んでいる言葉』ってのがもう。 [気になる点] 休日出勤でウキウキなの、ほんとすごい。こういう話、難しい
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