そのじゅういち
ばんっ!!ばんっ!!!
キッチンに、豪快な音が鳴り響く。
今日はお休み。料理の楽しさを思い出した私は、久しぶりにパンを焼こうと、決めたんだ。こねるのがちょっと大変だけど、パンの手をかけて作る感じが、私はとっても好きだったりする。材料を合わせて、ねって、休ませて、ふくらんで、またこねて、休ませて。大切に過程を見守る感じ?変わっていく感じ?焼き上がりの香ばしさももちろん魅力だけどね!!
クベール・チュールは椅子の上で、私の豪快なパンこねを見ている。ばん、ばんとパン生地を打ち付ける度に、揺れる尻尾がびくっと直立して…ふふ、かわいい。
「豪快さの中に温かみを感じる、非常に良い腕をお持ちですね」
「そ、そうですか?ありがとう…」
今日作るのは、卵入りのちょっとやわらかいテーブルロール。今日のお昼に焼き立てを食べるんだ!電子レンジのオーブン機能も久々に使うなあ。…使えるよね?!…使えることを、祈ろう。
生地がずいぶんしっとりしてきた、伸ばしチェックして…と。パン生地をそっと伸ばして、薄い膜状になっているか確認する。…よし、大丈夫そう。久しぶりに作ったけど、結構手が動きとか覚えてるもんなんだね。これはおいしいパンができる気しかしない!!
パン生地を大きめのボウルにひとまとめにして入れて、ふわりとぬれ布巾をかぶせる。電子レンジの発酵ボタンを押して、スイッチオン。30分くらいかかるので、この隙にグラタンの準備にかかる。
グラタンはわたしの得意料理だったりするんだよね。市販のルーは、使わないのが私流。玉ねぎ、にんじん、エリンギ、鶏ささみにブロックベーコン。今日はパンを焼くので、マカロニは入れないで作る。
「今日は何を作るのかな?パンに合うものというと…シチューでしょうか」
「ふふ、残念!グラタンでした!」
猫の目が、細くなる。笑ってるんだよねこれ。こういうやり取り、すごくいいなあ…。猫との感情のやり取りがとても、心地いい。
「グラタンですか、難しいものをおつくりになる。綾香はやはり料理上手なのだね」
「難しい?そうかな、でも、ほめてくれてありがとう!」
言葉を受け止める事にも、だいぶ慣れてきたみたい。私はにこにこしながら、手早く材料をカットしている。楽しい。料理をするのも、猫と会話をするのも。
ベーコンを少し弱火で温めて、油を出して。そこにバターを入れて、香りが立ったら鶏ささみを投入。ここで少し、取り分けておく。クベール・チュール用のグラタンは鶏肉とベーコンのみで作ってみるけど、どうかな?気に入っていただけるといいんだけど。どうしよう、にんじんも入れた方が良かったかも。
全体的に軽く塩コショウをする。コショウは、黒コショウを使うのが私流。火が通るまで中火にして、玉ねぎを投入してしんなりするまで炒めて、エリンギを投入。さいの目に切ったにんじんはここで投入。玉ねぎが透き通るまで、炒め続ける。炒まったなと思ったら、火を止めて、バターを入れて、全体的にぐるりと混ぜて。小麦粉をフライパン全体にふわっとふりかけたらなじませるように混ぜ合わせる。ここできっちり混ぜないと、だまになっちゃうから、気を抜かない。真剣な私の様子を、猫が目を丸くして見つめている。
ここからが、さらに細かい集中力が必要なのよ。牛乳を少しづつ加えて、きれいなホワイトソースに仕上げなければ!!久々に感じる、緊張感。火をつけて、弱火にする。牛乳を四分の一程度、回しかけて全体を混ぜ込む。ふつふつと、白いソースができていく。…よし、牛乳の追加。ぐるりとまわしかけて、全体をやさしく混ぜ合わせる。ふつふつ、ふつふつ…。そう、この優しい火の入れ方が、美味しいホワイトソースの完成につながるのよ。全体的に混ざったら、残りの牛乳を入れて、少し火を強くしてみる。ふつふつが、ぐつぐつに変わったら、また少し火を弱めて、とろみがつくまで煮込んで。
「よし…あとは焼くだけ」
ピーッ、ピーッ、ピーッ
とろみがついたときに、発酵完了のお知らせが鳴り響いた。私は火を止め、電子レンジのパンを取り出した。
「うん、いい感じに発酵できてる」
指に粉を付けて、フィンガーテスト。うん、ちゃんと発酵したみたい。二倍に膨らんだ生地をやさしくたたんで、六つにカット、テーブルロールの形に成型する。クッキングシートを敷いた天板にきれいに並べる。あとはこのまま30分発酵させてと。
「ずいぶん膨らんだのに、また小さく丸めてしまうとは。パン作りはとても面白いものだね」
好奇心旺盛な猫は、パン作りにも興味津々の様子。
「ええ、このあとふくらむので、それを焼いたら出来上がるの。大きくなるんですよ、楽しいでしょう」
「楽しく作って、美味しくいただけるのですね、素晴らしい」
今日はね、お休みだから!一日中楽しいことしようって思ってるんだ。パン焼いて、美味しいもの作って。おいしいもの食べて、いっぱいクベール・チュールとお話して。
シンクに溜まった洗い物を一つ一つ片付けながら、しみじみと、思ったのは。
―――私、こんなにも休みの日を楽しめてる。
今までの私の休みの日って、こんなんじゃなかった。朝はだらだらと昼過ぎまで布団の中で過ごして。洗濯物が遅れて乾ききらないまま夕方に取り込んで。生乾きの洗濯物が溢れる部屋で、クラッカー食べながらぼーっとつまらないテレビ番組を見て。お風呂に入って、寝る。
…ねえ、私、何年そういう生活、送ってきた?
楽しめない休みの日を、どれだけ過ごしてきた?
クベール・チュールが私にくれた言葉が、私を変えて。こんなにも、私の生き方が変わっている。つまらなかった私の毎日が、こんなにも楽しみの溢れるものになっている。
ふと、クベール・チュールのいなくなる日を、考えてしまった。
いなくなってしまったら。
私はまた、あのつまらない日々を過ごさなければならなくなるの?
すぐ横にいる、尻尾を揺らす猫を見る。目を細めて、私が手を洗っているのを見ている。何をしていても、目に映る光景が楽しくて仕方がないというように、ゆらり、ゆらりと尻尾が揺れている。
パンをこねた後の手は、パン生地がまとわりついて、なかなかきれいに落ちない。ゆっくりと、水道水でパン生地をはがしながら、洗い流す。ふと浮かんでしまった、いやな気持ちも一緒に流す。…悪いことを考えるのは、よくない。楽しい気持ちが、かすんでしまうじゃない。
ピーッ、ピーッ、ピーッ
発酵完了のお知らせだ。私は電子レンジの中のパンを取り出す…ふふ!大きく膨らんでる!
「これはすごい。大きく育ったものだ。このまま焼くのかい?」
「卵でお化粧して焼くんですよ。あと12分焼いたら、美味しいパンの出来上がりです!」
ふわふわに発酵したパンを見て、猫の目が真ん丸になった。緑色の目が、外の光を反射していっそうきれいに見える。そっか、昼間猫の目を見るのって、今日が初めてだ。いつも朝一か、夜だけだもんね。夜は瞳が開いているから、少し落ち着いた感じに見えるけど昼間は結構緑色がきれいなんだね。あとで写真を撮っておかねば。
電子レンジのオーブン設定を200度の15分にして、私はふわふわに発酵したパンに溶き卵を塗り始めた。塗り終わる頃に、ちょうど余熱も完了する試算。
「卵でお化粧ですか、ふむ、確かにこれはつやつやとして、大変に魅力的だ」
「ふふ、でしょう?もっとつやっつやの美人になって焼き上がってきますよ!」
私は余熱の完了したオーブンレンジに、つやつやしたパンの並ぶ天板をそっとセットした。しばらくしたら、部屋中に美味しいパンの香りが広がるはず。
グラタンも完成させないとね。フライパンの中のグラタンをグラタン皿に移して、溶けるチーズを惜しみなくかけたらトースターへ。クベール・チュールの分はココット皿で作った。小さいグラタン、焦げちゃうかな?ちょっとよく見ておかないと。
あと十分後に、楽しい食卓を囲める。そう思っていた私のスマホが、着信を告げた。
♪ブーン♪ブーン♪ブーン
…ああ、店からだ。出ないと、ね。
久しぶり?
ううん、初めて楽しめていた休みの日が、終わりそうな、予感…。




