第五章 道香の内省
彼が帰った後、当たり前だけど私は部屋に一人になった。
『最後にまたキスされちゃった……』
唇を指でなぞり、その感触を思い出してみる。途端にベランダで彼からキスされたこと。その後、部屋の中でまた抱きしめられてもっと激しいキスをしたこと、ベッドに押し倒されたこと、私が彼にしたこと、それらのことが次々と頭の中にフラッシュバックしてきて、私は恥ずかしさで頭がパンクしそうになった。洗面所に行き自分の赤い顔を確認した後、ヘアゴムで髪の毛を簡単にまとめ、水でバシャバシャと顔を洗った。顔を上げてもう一度鏡で自分の顔を確認してみる。そこには濡れて火照ったような女の顔が映っていた。私さっき、彼の前でこんなに恥ずかしい顔をしてたんだ。また思い出して胸がきゅうっと締め付けられた。
健くん、ごめん……。
途端に虚しさがこみ上げてきた。
「何やってるんだろ、私……、バカだ」
私はそのまま洗面所の壁に寄りかかってずるずると座り込んだ。彼氏以外の人を家にあげて、勢いであんなことまでしちゃうなんて終わってる。最低の女だ。きっと彼は最初そんなつもりはなかったはずなのに。私だって別にそんなつもりはなかった。
ただ、私がなんとなく彼の手を触った時、耐えがたい誘惑が生まれたんだ。彼の私より大きな手の温もりが、スベスベとした気持ちの良い肌触りが、押し返してくる弾力が、ゴツゴツとした節くれだった指が……、その全てが私を誘った。あの瞬間、私の身体の中に棲む何者かが毛を逆立てて、私はその手に頬擦りしたくてたまらなくなり、頬擦りすると今度は、その手に顔を埋めてみたくてたまらなくなった。そして、彼の戸惑う顔が見たい……彼を自分のものにしたいと思ったんだ。
いや、きっとその前から。彼が苦労しながらわたしのタンスのネジを締めてくれている真剣な横顔がなんだか可愛くて、見ているうちにだんだんくすぐったいような、嬉しいような気持ちになってきて、彼がカッコよく見えた。彼ともっと仲良くなりたいって思ったんだ。
そして、私を虜にした彼の掌のぬくもりと匂い。ふと我に帰った時にはもう遅かった。彼の顔が私に迫っていた。私は一瞬でまずいと悟り、彼の顔を押しのけたけど、彼はまるで何かのスイッチが入ってしまったかのように私に向かってきた。そして私も。彼への興味が抑え切れないほどに膨らんでしまった。彼とのキスはどんなものなんだろうと頭に思い描いてしまった。だから一度は拒めたけど、二度目は拒めなかった。
「素直になって」
そう言われて、私はますます身体に力が入らなくなった。つい、彼になら甘えてもいいかなと思ってしまった。そして彼とキスをしていると、私の身体はどんどん熱くなり、ふわふわと浮かんでいくようだった。
彼は最初気になる存在ではなかった。三回生で選んだゼミが一緒で、それで存在を知ったけど、友達が話題にするとそんな人がいるなと思う程度だった。それがゼミの新歓コンパのときに席が近くなったことで変わった。彼はクールな印象で淡々と話す人だった。でもいつも人の話をちゃんと聞いてあげていて、その人の話がうまく運べるように的確な相槌や質問をしていた。とても頭が良い人だなと思った。それでいて、たまにする発言が人の心をえぐるような、人の心理をつくような発言をするので、彼を見ていると私はどうにもハラハラしてしまうのだった。彼は一見みんなに同調しているようでいて、一人違う世界を見ている、そんな気がした。
彼は私のことをどう思ったかな。……きっとエッチな女の子だと思っただろうな。そう考えると私はその場にじっとしていられないほど恥ずかしくなり、急いでベッドに行き、枕に顔を押しつけて声を殺して叫んだ。