淫靡な悪魔
彼女のことについて一つ断っておきたいのは、彼女はただの恥ずかしがり屋の女の子ではないということだ。彼女は僕と同じゼミに通う同回生で、国際関係学部の生徒だ。高校の時に一年間オーストラリアに留学していたらしく、僕より一つ年上で英語も流暢に話せるらしい。
クラスで見かけていた彼女は一見おとなしく、真面目で清純そうだった。服装もメイクも派手ではないし、むしろ控えめで、前髪を横の髪と同じ長さに伸ばし、おでこの上、真ん中より少し右側の位置で綺麗に左右に分けている。彼女が動くたびに、整然と切り揃えられた髪先が前後左右にリズミカルに揺れた。
また着用する服の好みとしては、身体にフィットするシンプルなティーシャツに七分袖のパーカーを羽織って、スキニージーンズを履いていることが多い。色も赤やピンクなどの女性的な色よりはむしろ、白やグレーといった淡色や、モスグリーンや薄いイエローなどを着ていることが多い。そして笑ったときの笑顔がとても可愛らしい。見ている人みんなが思わず嬉しくなってしまう、そんな笑顔だ。人畜無害の「ナチュラルな」という形容詞がぴったりの、一般的な日本人のオークル系の肌をした女性だ。そして痩せていて身長はあまり高くなく、大抵の人を見上げることになる彼女の目は大きい。彼女の目はくるくるとよく動き、笑うと見えないくらい細くなる。素朴で健康的な美しさを感じさせる才女だ。
でも、大学で見せるこの普段の彼女の印象と、今僕の目の前にいる彼女の印象は全く異なっている。今の僕に取って、彼女は想像を絶するほどの淫靡な悪魔だ。
さっき僕が彼女の唇を指で押さえたとき、彼女はしばらく何も言えずに僕を見つめていた……かのように見えた。しかしその後、彼女はおもむろに僕の人差し指を指の付け根から尖端に向かって舌先でそろりと舐めた。彼女が少し首を傾けて、彼女の両唇が僕の指を挟み込むように優しく包んだ。彼女の熱く湿っぽい温もりが、僕を指先から支配していく。彼女はいまや、僕の右手を両手でつかみ、僕の指一本一本をその唇で確かめていった。
僕と彼女が接しているほんのわずかな指先が、掌が、たまらなく熱く、急にそこが僕の性感帯になったかのように身体の内側からゾクゾクとする感覚が全身を駆け抜けた。
さっきまで僕の腕の中で恥ずかしがっていた少女が嘘のように、少女は飛び立ち、淫らな羽を広げる蝶となり、僕の手の蜜に夢中になっている。時折、魅惑的な表情を覗かせては僕の反応を確かめる。彼女は唇で僕の指を甘噛みしながらつぶやいた。
「あなたを受け入れる……か」
少し思案するような表情になり、彼女は僕の手を唇で弄ぶのをやめた。すると今度は、彼女は僕の右手をまた自分の頬に当てて頬擦りをして自分の鼻と口を塞ぐようにして掌にくっつけた。そのまま深く深呼吸をし、まるでヒトに首の後ろを撫でられている猫のように恍惚とした表情をした。僕はその彼女のしぐさや表情のひとつひとつに見入ってしまった。
「それもいいかもしれないけど……やっぱりごめんね」
そう言うと、彼女は上体を起こして僕を優しく退けた後、ベッドから立ち上がってキッチンの方へ歩き出した。
「どうして?」
僕は彼女の後ろ姿に投げかけた。
彼女は黙っていた。しばらくの間の後で彼女は言った。
「やっぱり、よくないことだと思う」
僕は開いた口がふさがらない。
「さっき僕とあんなキスをしておいて、いまさらそんなことを言うの?」
僕がそう言うと彼女はまた少しうつむいて顔を赤らめた。
「ごめん……。だって、あなたとキスしたら、どんな気持ちになるだろうって一瞬考えちゃったの。それにあなたの手が目の前にあると、なんか、私夢中になっちゃって……恥ずかしい……。でも本当にそんなつもりじゃなくて。だから、お礼にご飯を作るね。パスタでもいいかな?」
そう言うと彼女はブラックのシンプルなエプロンを付けた。
なんとも不思議な女の子だ。可憐で頼りなげな瞳で訴えてくるかと思ってこの腕に閉じ込めると、すぐに逃げ出してしまう。彼女は身体の内側に天性の魔物を飼っているのかもしれない。淫靡なサキュバスという悪魔を。
僕は少し考えた。彼女を本能のままに自由にしてあげるためにはどうすればいいだろうか。もう少し強引に行くのもいいかもしれない。それとも今日は黙って紳士のフリをするか。考える間に僕は楽しくなってきた。こんなに楽しいゲームを与えてくれる女の子はそうはいない。彼女に感謝しよう。そして僕はもっと彼女に貢献したいと思った。
「手伝うよ」
僕はそう言って彼女の隣に並んだ。
「座ってくれてていいのに」
彼女はそう言うが、僕は勝手にトマトを水で洗い出した。
「角切りにする?」
僕がそう言うと彼女は
「じゃあお願い」
と言った。包丁を受け取り、僕はトマトを1センチ角の大きさに切っていく。包丁はよく手入れされていて、切れ味がとてもよい。
「彼氏と最近会った?」
僕が聞くと、彼女のマッシュルームを切る手が少し止まった。しかしすぐにまた動かし始めた。
「もう一ヶ月会ってない」
と答えた。彼女は手元に視線を落として手を動かし続ける。
「彼氏は本当に忙しい人なんだね」
僕がそう言うと彼女はうなづいた。
「すごく忙しい……。毎日朝六時に起きて、夜十二時まで働いてる、休日も出勤してるみたいだし」
僕は驚いた。ブラック企業というやつだろうか。
「それは……、大変だね。でもLINEとか毎日してるんでしょ?」
僕がそう言うと彼女は沈黙した。
「するけど、最近あんまり返ってこないんだよね。やっぱり忙しいみたいだし、私もたくさん送ると悪いかなって思って、最近は二日に一回くらいにしてる」
そう言う彼女はとても寂しそうだった。だから僕は言った。
「じゃあ僕がLINEするよ。君もいつでも送ってくれたらいい。一日に何回でも構わないから。君が知ってるように、どうせ僕は時間を持て余してるからね」
僕がそう言うと彼女は笑った。
「そうだね、あなたに送ればいいね」
彼女は笑顔を見せたが、少し寂しげな表情だった。きっと本当に彼女は寂しいのだろう。彼氏にも甘えられず、一人で孤独な夜を耐え忍んでいるのかもしれない。満たされない恋心と報われない欲求を抱えて。そんな彼女の気持ちを思うと、僕が癒してあげたいと思った。それがすべての始まりだった。