僕たちの軽薄な掌
君と僕との関係はきっと軽薄なカラメルのようなものだ。僕は君を愛し、君は彼を愛している。けれども僕は知っている。君は僕のこともほんの少しだけ愛しているのだ。
「なんで一人の人としか恋愛しちゃいけないんだろうね?」
いつかの君はそう言っていた。不道徳で利己的な愛。そんなものが許されてたまるか。そんな理屈なんて……考えることすら馬鹿馬鹿しい。
だから僕は君に会うまで考えたこともなかった。誰か他の人のモノを愛することなんて。
ある日、君は僕の心を叩き壊すように、僕の一番過敏なところに手を伸ばした。まるで僕が理性というものを失う、その瞬間を見るがためだけに、あえてその行為をしたような気すらした。挑発的で、憎らしくて、官能的な瞳。僕はこれから先、いやがおうでも何度もあの瞬間を思い出してしまうだろう。
ある日、僕は彼女に引っ越しの荷物の片付けを手伝ってほしいと言われた。彼氏がいるのになぜ僕を?と思って聞いてたみたら、「彼は忙しくて頼めない」という返事だった。僕はその理由がなんだか少し腑に落ちなかったが、特に断る理由もなく、結局その日の講義が終わってから手伝いに行った。
彼女の真新しい部屋にはたくさんの荷物が荷ほどきもされずに積み上がっていた。カーテンとベッド、机と椅子、そんな最低限の家具が設置された生活感の無い部屋。そこに、自分で組み立てなければならないタンスが、まだ組み立てられる前の状態で床に広げられていた。
「これを頼みたいの」
彼女は言った。それならそうと言ってくれれば電動ドライバーを持ってきたのに、と僕が少し困って言うと、彼女は「ごめんね」と謝った。口では謝っているものの、その顔には「よろしくね」と書いてある。
仕方なく僕はタンス作りに取り掛かった。ところどころネジを締めるのにとても力が要り、僕は汗を掻きながらもくもくと作っていった。そんな僕を彼女は時折じっと見つめている。
「なんでそんなにジロジロ見るのさ」
僕が手を止めてそう言うと、彼女は言った。
「男の人が力を込めてる姿を見るのが好きなの。なんか、とてもセクシーに見えるんだよね」
そう言われて僕はドキッとした。そんなことを言われるとやりづらい。彼女が僕を見て楽しんでいるかと思うと、むず痒い気持ちにもなる。チラリと彼女を見ると、目があって彼女はニッコリと微笑んだ。僕も思わず笑った。
「これはたっぷりお返しをしてもらわないと割に合わないな」
僕がそう言うと、彼女は言った。
「いいよ」
彼女にとっては何の意味もないやり取りかもしれないのに僕はつい意識してしまう。そしてついにタンスが完成した。一仕事終えた僕はかなり疲れていた。ちょうどそこへ、彼女が冷たいお茶を入れて持ってきてくれた。喉が乾いていた僕はそれをすぐに飲み干した。彼女はまたそんな僕をじっと見ている。そして「ありがとう」と言いかけた僕の手を、急に彼女は触った。
「まめができてるね」
僕の掌の指の付け根の辺りを興味深そうに見ながら撫でている。たしかに、さっきドライバーを握って力を込めたときにできたみたいだ。そして彼女は、そのまま僕の手を彼女の頬に当てた。驚く僕に彼女は言った。
「あなたの手、好きだな」
僕は戸惑って視線を逸らした。
「そうかな、ありがとう」
かなり彼女との距離が近い。これは少しまずいかもしれない。こんな雰囲気は……。次の瞬間、彼女が僕の掌にキスをした。温かくて柔らかい彼女の唇の感触が直に掌に伝わってくる。驚いて思わず彼女の顔を見ると、彼女は目を閉じて僕の掌の感触を堪能しているかのようだった。
「ごめんね、つい……」
そう言って僕を見上げる瞳は、あまりにも官能的だった。悪戯っぽくはにかんだ唇に、僕は吸い込まれるように顔を近づけた。
次の瞬間、彼女は掌で僕の顔を押し戻した。
「やっぱりダメ」
そう言うと彼女は逃げるように背を向けて、ベランダの方に行ってしまった。
いまさら何がダメなんだか。僕は彼女の元へ行き、僕に背を向ける彼女を後ろから抱きしめた。
「お礼がまだなんですけど」
僕がそう言って彼女の顔を覗きこむと、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「ごめん、なんか……やっぱり」
彼女は一体何を考えているんだろう。もしかしたら葛藤しているのかもしれない。でも僕を引き入れたのは彼女だ。僕はいまさら後戻りなんてしない。僕は彼女の手を取り、僕の頬に当てさせた。そして僕は彼女にキスをする。