伯爵令嬢で、こう見えても婚約解消には慣れてます。
「私はエリザとの婚約を解消する!」
その日、お城の舞踏会で第5王子のマークが突然こんな事を言い出した。
まわりにいた貴族達のあいだにはざわめきが広がり、華麗なドレスに身を包んだ令嬢たちは、好奇の眼で今まさに婚約を解消された無様なわたしを哀れ見ている。
そんな中、毅然とした態度でわたしは殿下の前に歩み出る。そして、殿下に向かってきっぱりと言った。
「わたくしとの婚約を解消されるのに異論はございません。殿下が考えた末に出された結論であるならば、わたくしはそれを受け入れたいと思います」
自分で自分を褒めてあげたいほどの見事なカーテシーを披露して、わたしは舞踏会を後にする。
まったく動揺することのない堂々とした態度で出て行くわたしを見て、まわりの貴族たちは驚いているようだ。
動揺なんてするわけないでしょう。大体これで何回目の婚約解消だと思ってるの。
わたしの記憶に間違いがなければ、確かこれで6回目の婚約解消だ……
「7回目でございます。お嬢様」
「ちょっと少なめに言っただけじゃない」
「どんな時でも数字は正確にとお教えしたはずですが」
いちいち揚げ足を取ってくるこの男は執事のロイ。たまに説教のような小言を聞かされるのには閉口するけど、基本的には執事としても優秀極まりないし、頭の回転も速いし、暗殺者としても凄腕で、しかも見た目もすこぶる良いときている全く可愛げのない執事だ。
「上手くいかないわね」
「あの方に見る目がないだけですよ。お嬢様」
「わたくしよりも好きになったご令嬢ができたとか?」
「そんな人はいませんでした」
「わたしに天才的な商才があって殿下よりも金儲けが上手かったから?」
「それは間違いないですが、それだけではないでしょう」
「それではわたしが美しすぎるから?」
「否定はしませんがそれだけではないでしょう。というかご自分で言わないでください」
「わたしの方が剣の扱いが上手かったから?」
「それも認めますがそれだけではないですね」
「わたしが魔法学校を歴代最高の成績で卒業して王国最高の魔法使いになったから?」
「それはほんとに凄いと思いますがそれだけではないです」
「百年もの間、誰にも抜くことが出来なかった聖剣を内緒で抜いたこととか?」
「あれはまずかったですね」
「それとも、勝手に勇者になって勝手に魔王を倒してしまったこととか?」
「あれはみなドン引きでした」
「一体わたしのどこに落ち度があると言うのです!!」
「落ち度なんかありません!というか、なさすぎなんですよ!!」
「お嬢様」
ロイが憐れみを含んだ真剣な目で声をかけてくる。
「お嬢様は完璧過ぎるのです」
「完璧の何がいけないわけ? 殿方を支えてあげたくてずっと努力してきたのに」
「男というものは、劣等感を感じさせる女が苦手な生き物なのですよ」
「わたしにだって欠点くらいあるわ!」
「たとえば?」
「料理が駄目だし、掃除も苦手」
「貴族の令嬢には必要ないですから意味がないですね」
「お風呂に入るのが面倒くさい」
「そこは入ってください」
「ちゃんとこの本だって読んでたのに!」
【王太子にプロポーズされたらすぐゼクジー!】
表紙をめくると、巻頭記事には【彼に婚約破棄されないための十か条】が載っている。
「この記事も隅から隅まで読んで勉強したのに!」
「お嬢様ちょっと見せてください。えーと、なになに? 彼に天然の可愛い女の子が近づいてきた時はどうしたらいいか? 「すぐ殺す」 なんですこれ?」
「王族や貴族と婚約した令嬢のあいだでは大人気の本よ?」
「これ書いてるやつ、絶対婚約してないでしょう。それに、こんなの読んでる時点で悪役令嬢決定ですよ」
「全ての女は婚約した時点で悪役令嬢なのよ」
「そんな開き直られても。しかも今月の付録は、【邪魔な女を抹殺するための秘薬】ってこれ毒じゃないですか!」
「令嬢の嗜みだって書いてあるもん」
「それに、お嬢様が婚約破棄されたのは他に女が出来たわけじゃないですよ」
そう言われれば確かにそうだ。せっかく持ち歩いていた秘薬も使う場面は一切なかった。ちっ。
「お嬢様にはドジっ子成分が足りないのです」
「ドジっ子?」
「はい。男性の前でドジなところを見せてあげてください。そうすれば男性も「おっ、この子にも可愛いところがあるじゃないか。守ってあげないとね」と勘違いして安心されますよ」
「ほんとかよ」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
わたしにも欠点があるということを証明するために、ロイと色々相談した結果わたしにはギャンブルの趣味があり、家の金を使い込んでいるという設定を考えてみた。
「ドジっ子はいいと思うんだけど、ギャンブル中毒ってやり過ぎじゃない? 別の意味で婚約破棄されそうなんだけど」
「お嬢さまは完璧過ぎますから、そうそうのドジ加減ではプラスマイナスが0になりません。ギャンブルに熱くなって男性に借金の申し込みをするくらいでないと」
「そ、そうなの?」
「ええ、それに男というのはそういうシュチュエーションに大いに興奮する生き物なのです。借金のかたに女を自由にできるなんて男の夢ですよ。お嬢様の体を求めてくることも十分に考えられます!」
「な、なるほどー! そうなれば既成事実もできるもんな! まったくおまえは天才だな!」
「それほどでも」
そうと決まれば話は早い。わたしはロイと一緒に王国のカジノに乗り込んだ。
「あれは何?」
「あれはカードゲームですね。絵札を揃えてカードマスターとチップを積んで勝負するんですが、相手の手札とブラフを読む力が必要とされています」
「じゃあそれをやってみましょう。わたしのような素人はあっという間に負けてしまいそうだから好都合だわ」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「どういうこと?」 カジノからの帰り道。馬車の中でわたしはロイに聞いた。
「あのカジノはお嬢様の名義になったということですね」
「なんで?」
「だってお嬢様が、持ってるチップを全部かけてカジノのオーナーと勝負されたから」
「大負けするにはそうするしかなかったじゃない」
「あそこであの絵札を引いてしまったのが失敗でしたね。まわりにいた有名なギャンブラー達も息をのんでましたよ。大陸最高峰のラスガべスにもあんな強いギャンブラーはいないって。お嬢様が亡くなられたら、お嬢様の墓石は世界中のギャンブラーにお守りとして削られまくるでしょうね」
ちょっとロイが何言ってるか分からない。それよりもギャンブル中毒の放蕩娘という計画がこれでパァだ。最強のギャンブラーなんて、気の弱い殿方にますます嫌われてしまう。
「そんな事より次の手を考えましょう。このままではお嬢様の評判が上がり続けるだけですよ」
「そ、そうね。それは困るわ。何かよい手はないかしら?」
「こういうのはどうでしょう?」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
領地経営の才能が私には無いということを証明するため、穀物投機に手を出して大失敗するという設定を考えた。これならわたしには領地経営など無理と分かり、ただのお飾りとして婚約者がわたしに引け目を感じることもなくなるはず。
「今度はほんとに大丈夫なんでしょうね?」
「間違いありません。特に小豆相場は絶対に素人が手を出してはいけないと言われているんです。昔、キタハーマで小豆相場に手を出した私の祖父は、一代で家を没落させましたからね」
「ちょっと大丈夫なの? 婚約破棄どころか家が没落とか洒落にならないわよ」
「大丈夫です。こう見えても私は昔、小豆相場でちょっと痛い目をみてますからね。そこそこのところで損切りしましょう」
そう言って穀物新聞を手にとり耳に赤ペンをはさんでいるロイはちょっと怖い。
「今年は天候が良くて豊作間違いなしです。しかも別の大陸から小豆が輸入される情報も掴んでます。小豆相場は間違いなく暴落すると思います」
「お前が言うなら間違いないでしょう。買いです買い! これで大損間違いなしですわ!」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「この長雨はいつまで続くの?」
「さあ」
「海も荒れて大陸を行き来している船が沈んでいるそうじゃない」
「そのようです」
「あまり聞きたくはないのですが、小豆相場はどうなっているの?」
「高騰してますね。このままいけばお嬢様は天文学的な利益を得ることになるでしょう」
「どうしてこうなった?」
「でもお嬢様も途中からノリノリだったじゃないですか。パーティーの合間に買いの指示を出してる令嬢なんて見た事ありませんよ。「買いや!買いや!」と魔法通信に叫んでいるお嬢様の姿には鬼気迫るものがありました」
「だって仕方ないじゃない。相場は動いてるのよ。大体ロイがいけないんでしょう。「令嬢の嗜みです」とか言ってわたしに投資の勉強をさせたのはロイでしょ!」
噂ではキタハーマでは私のことを「最後の相場師」とか「小豆令嬢」とか言ってるらしい。
「はい、小豆を取り扱っている商店では、お嬢様の絵を飾ったり、お嬢様の名言を書いてあったりするそうです」
名言なんて言った記憶はまったくないんだけど。どんな言葉が書いてあるのかは非常に気になる。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「なんとなくこうなる気がしてたわ」
「まさか戦の才能もお有りになるとは」
「ロイが『ここはお嬢様があわてんぼさんだとアピールしましょう! 国王の命令を無視して我先に戦場に飛び出すんです!』って言うからその通りにしたのに」
「ええ、無様に負けて帰ってくることを期待していたのですが」
「勝っちゃったしね」
「しかも大勝でした」
「隣国を征服して、危うく大陸も統一してしまうところだったわ」
「お嬢様が止めなければ間違いなくそうなっていましたね。そうなれば今頃、お嬢様ではなく皇帝陛下とお呼びしないといけないところでした」
今では救国の勇者として都の広場にわたしの銅像まで立っている有様だ。
「あんな銅像があったら、ますます殿方に敬遠されてしまうのでは?」
「たしかに。あの銅像はお嬢様の美しさを表現できていませんからね。すぐに作り直させましょう!」
「そういう事を言ってるんじゃない。ロイの言うことを聞いてたら、ますます婚約から遠ざかるわ」
「最近ではお見合いの話すらないですからね」
「なんで嬉しそうなのよ!」
ロイが右手を握りこんで見えないようにガッツポーズをしたのをわたしは見逃さなかった。執事のくせにわたしの将来を考えてくれないのかしら。
「お嬢様は理想が高すぎるのでは?」
「そんなことないわ。わたしが殿方に求めているのは多くはないわよ」
「たとえば?」
「わたしだけに優しくて、いつも一緒にいてくれて、いつもわたしを優先してくれて、頭の回転が速く、剣の腕もわたし並みで、そこそこイケメンで、わたしの我儘をすべて受け止めてくれて、生涯わたしに寄り添ってくれれば……家柄は問わないわ!」
「ハードル下げてるみたいに言ってますけど、めちゃめちゃハードル高いですからね」
自分では高望みをしている気はまったくない。恋する女の子ならこれくらい普通だし、ましてや貴族の令嬢なんだからわたしの望みなんて慎ましいものだと思うんだけど。
「今のお嬢さまのすべてを受け止めきれる男がこの国の貴族の中にいるとは思えません」
「いないかしら?」
「いませんね。美人で仕事のできる女性は意外にモテないんです。ましてや今のお嬢様は救国の勇者であり伝説の魔法使いであり相場の神様であり王国一の美女ですからね」
「ちょっと待って! いるじゃない!」
「はっ?」
「わたしの目の前にいるじゃない!」
「はっ?」
「ロイならわたしのすべてを受け止められるでしょう?」
「まあ、それは、執事ですから」
「わたしのことを優先してくれて、わたしの我儘を聞いてくれて、頭もよくてイケメン。なんで気がつかなかったのかしら!」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ロイとの婚約は解消させていただきます!」
「ちょっと待ってください」
辺境伯である父に頼みこみ、父の友人の貴族にロイを養子縁組してもらい、ロイの返事も聞かずにロイと婚約した。ロイならば絶対に婚約破棄はしないと信じていたので、それからのわたしは何の遠慮もなく存分に自分の能力を振るいまくった。
「嘘よ。一度でいいから言ってみたかったのよ」
「心臓に悪いんでやめてもらってもいいですか?」
「わたしなんて6回も言われたのよ!」
「7回ですよ、お嬢様」
「そろそろお嬢様は止めてほしいんだけど」
「正式に結婚したら名前で呼ばせていただきます」
「もう決まったようなもんじゃない!」
ロイが少し俯いて視線を逸らす。
「ちょっと待って! まさか婚約解消なんて考えてるんじゃないでしょうね?」
「どうでしょうか」
ロイのその言葉を聞いてわたしの心臓が締め付けられる。
「お願い! ロイにまで見捨てられたら、もうわたし生きていけない。お願いだからわたしとずっと一緒にいて!」
ロイがにっこりと微笑み、わたしを抱きしめた。
「当然だ。お前は誰にも渡さない。髪の毛一本から足の先まで、お前のすべては俺のものだ」
ロイは正式に結婚するまでは、かたくなにわたしのことを「お嬢様」と言い続けていたけれど、結婚してからはわたしをエリザと呼んでくれ、わたしのすべてを受け止めて愛してくれている。
ほんと、もっと早くこうしていればよかった。
ただ、ひとつだけ気になることはあるけど、何度聞いてもロイは絶対に認めないし詳しいことも教えてくれない。
「ロイ」
「なんだいエリザ」
「わたしの婚約解消はあなたが裏で糸を引いていたんでしょ?」
「なんのことか分かりかねます、お嬢様」