第06話 魔王は少女と手を繋ぎたい
行商人は日が暮れる前に露店を畳み、村を出て行った。
どうやら今日中に次の集落へと向かうらしい。
アリーゼは他にも村人からいくつかの生活に必要な品を買い込んでいた。
いつもよりも多くの収入を得たことで必要なものを買い揃えられたらしい彼女は、満足げな表情を浮かべて帰路に着く。
そんな太陽が傾きかけた帰り道、俺はアリーゼに尋ねた。
「……ところで村の人間共とは何かあったのか? 奴ら、遠巻きにこちらを見てくるばかりで話しかけようともしてこなかったが」
俺の言葉にアリーゼは頷く。
「……ババ様が『山奥の魔女』と呼ばれて、村の人達との交流を嫌ってたのもありますけど」
アリーゼはぽつぽつと話し出す。
「度々山の中で倒れた人を見つけたとき、解毒の為に血を飲んでもらっていたんです。でもその噂が広まって、『自身の血を飲ませて呪いをかける魔女だ』って……」
「……ふん。恩知らずな奴らだ。そんな奴らには二度とそんなことはしてやらなくていいぞ」
「……えへへ」
俺の言葉にアリーゼは苦笑する。
「なんだ、なぜ笑う」
「……わたしの代わりに怒ってくれてるんですね。ありがとうございます」
「……そういうわけではないが」
アリーゼの言葉に、俺は視線を逸らして遠くを見つめた。
きっとこの女はまた倒れてる人間を見つけたら、自身の血を飲ませるのだろう。
……なんてお人好しな奴だ。
俺がそんなことを考えながらアリーゼの家へと向かい歩いていると、突然木々の後ろから飛び出てくる影がいた。
――人間。
それは二人の人間の男だった。
彼らは道を遮るように立ち塞がると、その顔ににやけた笑みを浮かべる。
後ろの男はこちらを見て眉をひそめつつ、口を開いた。
「……おいちょっと待て。話が違うぜ。女が一人なんじゃなかったのか?」
「まあいいだろ。一人も二人も変わらねぇ」
二人の男は内々で会話をする。
……どうやら野盗の類いか何かか。
男たちは改めてこちらに視線を向けると、懐からナイフを取り出してこちらへと見せつけた。
「……おい嬢ちゃん、ちょいと一緒に来てもらうぜ」
「抵抗しねぇならそっちの兄ちゃんも見逃してやるからよ」
俺は不安げな表情を浮かべるアリーゼの前に出て、男たちの視線から彼女を隠す。
「――貴様ら、何が目的だ。人さらいなら他をあたれ。こいつは俺のものだ」
「……えっ!? あ、あの、俺のものって……」
後ろから抗議の声を上げるアリーゼを無視して、男たちを睨み付ける。
男たちは下卑た表情を浮かべて笑った。
「ああん? ……へへ、もしやあんたも同じ目的かい? その嬢ちゃんの血が万能薬になるって噂を聞いて、捕まえたってわけか」
俺は自然と眉間にしわが寄るのを感じた。
――どうやら男たちは村人から噂を聞きつけて人さらいにやってきたようだった。
噂を流した者に悪意はないかもしれないが――何にせよ、目の前の男たちは蹴散らしても良い存在に思える。
……いい機会だ。
見せしめの意味も含めて、二度とこんなことを思いつかないよう全力でこらしめてやろう。
俺は振り返り、アリーゼに小声で話しかける。
「――アリーゼ。少しだけ、血を分けて欲しい」
「……へ? あ、はい、いいです、けど――ひゃぅっ!?」
返事を待たず、彼女の首筋に口付けする。
そして軽く牙を突き立てた。
「んっ……!」
痛みにか、アリーゼが声をあげる。
申し訳なさが心の奥からこみ上げてくる。
滲むように傷口からうっすらと血が溢れ、その血を一滴もこぼさないように吸い付く。
「んんっ、あっ……! リンド、さんっ……! んんんっ」
くすぐったさを感じてか、彼女は声を漏らした。
血が喉を伝い、胃に落ちていくのがわかる。
そして同時に体の奥から、熱が滾っていくのを感じた。
――魔力が溢れてくる。
「な、なんだこいつら……!」
「別れが惜しくなったのか? やっちまおうぜ……!」
男たちがそんな言葉を放ち、近付いてくる足音が聞こえた。
――愚かな。
俺はアリーゼの首筋から口を離し、そして男たちに振り返る。
体中に活力が溢れて、今にも勝手に暴れ出しそうだった。
俺が男たちを睨み付けると、後ろの男は怯み、その足を止める。
一方の男は卑しい笑みを浮かべたまま近付いて来ていた。
――標的は決まった。
俺は近寄ってくる男に目標を定め、腰を深く落とす。
男はナイフを振り上げながら声を上げた。
「お別れの挨拶は済んぼごぅぁっ!」
言い終わる前に、俺の魔力を載せた右の拳が相手の顎を砕いた。
骨が折れる感触と共に、数本の歯が宙に舞う。
まるで時間が遅延したかのようなスローモーションで視界が動く。
溢れた膨大な魔力によって俺の時間が加速していた。
追撃する暇は十分にあったが、殺してしまいかねないと思い、左腕の動きは抑える。
――生き証人は多い方が良いからな。
「ぶごぉ、ぎゃあっ!」
顎の骨を粉々に砕かれた男は、二度地面を跳ねて後ろへと吹き飛んでいった。
もう一人の男がぽかんとそれを目で追い、その後こちらを見る。
俺は僅かな返り血で濡れた手を振って血を払うと、残りの男を睨み付けた。
「――失せろ」
「……ひぃっ!」
男はその場に尻餅をつき、震え始める。
腰が抜けたのか、そこから逃げることもできないようだった。
「い、いえね、旦那! あっしも止めたんですけど、こいつが聞かなくって! 全部こいつが悪いんですよ、ね? あっしは全然、旦那にもそちらのお嬢さんにも危害を加えるつもりなんてこれっぽちもなくって」
男は早口でまくしたて、俺に殴り倒され一撃で気を失った男に全責任をなすりつける。
「え、ええっと、そう! あっしは故郷に女房と子供がいまして、その女房が不治の病で余命一ヶ月、いや一週間! もう明日にでもおっ死んじまいそうでして、本当に薬が欲しくてつい出来心で……!」
……こいつは世渡りが上手そうだな。
俺は男を睨み付けたままゆっくりと言葉を告げる。
「……もう一度は言わないぞ。そいつを連れて失せろ。二度と俺たちの前に姿を見せるな」
「はっ、はい! ただいま!」
男は気を失った男を引きずりつつ、大きく迂回して俺たちから遠ざかっていく。
男たちが視界から消えるのを見送った後、俺はアリーゼの手をとって歩き出した。
「……あ、あの、リンドさん」
「どうした」
「……ありがとう、ございます。助けてもらって」
「助けてなどいない。世界征服の道に、ハエが立ち塞がったので振り払っただけだ」
俺はアリーゼの手を引いて歩き続ける。
……彼女もまた、俺の手を握り返してくれた。
「あの、その……手……」
後ろからの彼女の声に、俺は振り返らないまま足を止めて尋ねる。
「……手を繋ぐのは、嫌か?」
「い、いえ、全然!」
彼女の言葉に少しだけ安心しつつ、また帰り道を歩き出す。
「手を離すなよ。また変な奴らが狙っているかもしれん」
「……はい」
俺の言葉に、彼女はただ一言そう応えた。
それからの帰り道、ずっと言葉もなく二人で歩き続ける。
その間、なぜか俺は一度も振り返って彼女の顔を見ることはできなかった。