第05話 魔王は薬を高く売りたい
「朝からどこへ行く。アリーゼ」
「わ、リ、リンドさん。その恰好は」
薬の作成を手伝った翌日。
俺たちはちゃっかりと、連日彼女の家の厄介になっていた。
彼女の了解も得たことだし、しばらくは潜伏用の拠点としてと彼女の家を使わせてもらおうと思う。
その日、俺は朝早くから近くの川から汲んできた水で体を洗っていた。
魔王だからこそ、身だしなみには気を付けなくてはいけない。
……だが、アリーゼが起き出してくるのを想定していなかった。
「すまん、余としたことが礼を失していたな」
俺は上半身裸のままだった為、慌てて上着を羽織る。
アリーゼは少し顔を赤らめたまま、目を伏せた。
「あ、いえ、お気になさらず。見慣れていないので少しびっくりしてしまって……」
「わかった。気を付けるようにしよう」
「いえ全然嫌ではなくてむしろ見ていて楽しいぐらいですけど、リンドさんが嫌かなって……えへへ」
「ふ、魔王たるもの、見られて困る肉体などしていない」
俺の言葉にアリーゼは柔和な笑みを浮かべた後、東の方を指さした。
「今日はちょっと近くの村まで行こうと思ってて」
「ほう、人間の集落か。道中危険かもしれん、ついて行ってやろう」
「そ、そうですか? じゃあお願いしちゃおうかな……」
「わかった」
俺は頷くと、滴る水を拭う。
服を着て身だしなみながら、アリーゼに疑問を尋ねた。
「アリーゼよ、近くの村とやらにはなんの目的で行くのだ」
「ええっと、必要なものの買い出しと、昨日作ったポーションの販売に……」
「なるほどな。お前の手腕、拝見しよう」
俺はマントをフードを深く被り、角が見えないようにする。
人間の集落に行くのであれば、人間とはバレない方が良いだろう。
俺とアリーゼはまだ寝ているモニを放置しつつ、東の村へと向かうのだった。
* * *
その村は寂れた村であった。
家屋は三十もない小さな農村だが、その日は普段よりは少しばかり賑やかならしい。
「今日は交易商の方が来てるんです」
アリーゼはそう言って、大きな馬車が止められた村の広場へと向かった。
彼女の言う通り、そこには馬車の主であろう恰幅の良い商人らしき男と、それを囲う何人かの村人らしき者たちがいた。
村人たちは村の畑で採れたのであろう農作物を換金したり、地面に並んだ商品を物珍しそうに見ては購入しているようだ。
俺とアリーゼがそこに近付くと、村人たちはこちらの姿を確認して道を空ける。
一瞬俺の素性がバレたのかとも思ったが、特段騒いだりはしない以上そういうわけでもないらしい。
……しかしどこかよそよそしいな。
「あ、あの、お薬買ってもらえませんか……?」
アリーゼはそんな周囲の様子も気にかけず、商人に向けて革袋に入れたレッドポーションを二袋差し出す。
商人はそれを見て目を細めつつ、彼女の言葉に答えた。
「いつも通り一つ銀貨五枚でいいかい?」
……銀貨五枚?
銀貨五枚、とは……。
「――待て」
商人の言葉に頷こうとするアリーゼを、俺は手で制した。
商人とアリーゼが怪訝そうな顔をする。
当然魔王である以上、俺は人間側の経済も学んでいる。
……それ故に、この取引は成立させられない。
「いくらなんでも安すぎるだろう。正真正銘のレッドポーションだ。金貨二枚、いや三枚出してもいいぐらいの相場のはずだ。銀貨五枚というなら、代わりに余……じゃなかった、俺が金貨一枚で買い取る」
俺の言葉に、商人は露骨に嫌そうな顔をした。
「……いやいや物を運ぶのにもお金はかかりますからねぇ。町に持って行って売らなきゃ行けないし」
「そうか。ならやはり俺が買おう。金貨一枚で買えるなら、お前の代わりに俺が運んでも十分な儲けが出る」
白々しく言う商人に対して、俺は譲らない。
俺が人間どもの町に行くのは正体がバレる危険があり難しいが、少なくとも捨て値で売っても金貨一枚ほどの価値はあるはずだ。
俺と商人の間でおろおろするアリーゼを無視して俺は商人とにらみ合う。
商人はため息をつきながら口を開いた。
「……ですがね、いくらポーションは日持ちするとはいえ、一年二年と経てば劣化もしますし、在庫を抱えるリスクってやつがあるんですよ」
たしかに商人の言うことは真っ当な正論ではある。
……それにしても少々ぼったくり過ぎな値段だとは思うが。
商人も多少は罪悪感は感じているのが、こちらから視線を逸らしていた。
――ふん、だが魔王たるこの俺がこのぐらいで引くものか。
「ならば耳寄りな情報をやろう」
「へぇ?」
間抜け面で聞き返す商人に、俺は静かな声で話を続ける。
「魔族側と人間側の境界線で最近双方の防衛の兵の数が増えているのは知っているか?」
「……そいつぁ、たしかに噂で聞きましたね」
モニの話では、魔族側が防備を増強しているはずだ。
人間側はわからないが、魔族側の戦力が増強されていると知れば、人間側も当然防衛力を増強することだろう。
人の流れが発生するとき、必ず金が動く。
よほど勘の悪い商人でなければ、そんな噂はすぐに嗅ぎつけるはずだ。
「――近々魔族と人間の間で、小競り合いがあるかもしれない。そのときポーションを大量に抱えていれば……?」
「……なるほど。戦争に合わせてレッドポーションがあれば一儲けできる、と」
商人は腕を組んで、悩む姿勢を見せた。
……実際は魔族側は新しい体勢が固まるまで攻められないよう防備を増強しているだけだと思うので、そうそう動き出すとは思わない。
しかしそこは伏せておこう。
この商人も今までアリーゼの薬でさんざん儲けたのだろうし。
商人は一つ大きく頷くと、懐から金貨袋を出した。
「……一本金貨三枚、二本で六枚。これでどうでしょうか。代わりといっちゃなんですが、今後もポーションは私に卸してくれるということで一つ」
商人の提示した金額は申し分ない金額だ。
当のアリーゼは慌てたように、俺と商人の顔を相互に見る。
「え、え……!? そんな大金、もらっちゃ悪――もがっ」
「――いいだろう、売った!」
余計なことを言おうとしたアリーゼの口を押さえて、商談を成立させる。
ポーションと金貨を交換した後、一端アリーゼと共にその場を離れた。
アリーゼがひそひそと話しかけてくる。
「あ、あの、リンドさん、いくらなんでも金貨六枚は……」
「もらっておけ。技術に対する当然の報酬だ」
「……ほ、本当にいいんでしょうか」
「良い。魔王たる余が許す。それに嘘は言っていないし、完全に騙しているわけでもない」
実際いつの時代も、レッドポーションが腐るほど余ることはないだろう。
俺の言葉にアリーゼは感心したよう目を丸くした。
「はわ……。す、すごいなぁ金貨六枚。毎晩りんごが食べられちゃう……」
「……もっと贅沢な使い方をしてみたらどうだ」
俺はそう言って、改めて商人が広げている商品を眺めた。
その中に一つ、翡翠をあしらった髪留めを見つける。
俺は胸ポケットを確認する……が、人間の通貨など持ち合わせていない。
しょうがないのでポーションを売った金貨の中から一枚、俺の取り分としてもらうことにする。
「交渉代行の料金だ。一枚もらうぞ」
そう言って残り五枚の金貨をアリーゼに押し付けた後、再び商人の親父に話しかけた。
「この髪留めをもらおう。金貨一枚で間に合うか? 間に合わなかったらまけろ」
俺の言葉に苦笑しつつ、商人は髪留めを手渡してくれる。
「銀貨八枚でいいですぜ。釣りは銀貨二枚で――」
「――釣りは取っておけ。この髪留めには金貨一枚の価値があるのだと俺が決めた」
俺はそう言いながら髪留めを受け取ると、アリーゼに向けて差し出した。
アリーゼはこちらを見つめる。
俺もアリーゼを見つめる。
二人の間に沈黙が流れた。
……なんと言えばいいんだ! こういうときは!
おのれ! 剣術の師匠も、魔術の家庭教師も、こんなときどうしたらいいのか教えてくれなかったぞ!
「………やる」
「え、あ、はい……」
俺の手からアリーゼへと手渡す。
……なんだか違う気がする。
そうだ、父の姿を思いだそう。
こういうとき、魔王たる王は――。
「――褒美だ。受け取るがいい」
「へ?」
配下に褒美を与えるときの姿を真似したのだが、アリーゼにはしっくりこないらしい。
彼女は困惑したように首を傾げた。
「ええっと、なんのご褒美なんでしょう……?」
「なんだろう……いや、違う。ええと……そうだ! 俺を救ってくれた礼だ!」
うむ、そういうことにしておこう。
こんなものではまだまだ礼を返したりない気はするが、今できる精一杯の礼だ。
俺の言葉にアリーゼは少し迷う様子を見せる。
しばらく手の上に載せた髪留めを見つめた後、その表情をふにゃりと崩して笑顔となった。
「ありがとうございます……。とっても嬉しい……!」
その笑みに少しだけ心臓を刺されたような錯覚を覚え、俺は胸を押さえた。
……大丈夫。まだ胸に穴は空いていないようだ。
俺は命の危険を感じつつも、そうして彼女と二人、行商人の並べる商品を眺めるのだった。