三幕ノ三、難題
「右田宮君」
「んー?」
「ここは君のような元気な子が来るところじゃないよ」
医務室の寝台に寝転がっている右田宮に榊が声を掛けるが、右田宮はどうでもいいと言うように聞き流す。
「別によかやろ、他にけが人も病人もおらんのやし」
「や、そうなんだけどそうじゃなくてね」
「しゃあしか上司がおらん時くらい俺だってサボりたかっちゃん」
「そっかぁ」
諦めた榊は右田宮に背を向ける形で机に向き直る。
室内はしんと静まり返る……と思ったはずが、何やら後ろからボリボリと何かを噛み砕く音がするのに思わず榊は振り向く。
「……何食べてるんだい?」
「宇野さんの部屋からスってきた金平糖」
いるか?と差し出された瓶の中で淡い色の金平糖がカランと音を立てる。
「一応医務室は飲食禁止なんだけどなぁ。後で怒られても知らないよ」
「慣れとーけん大丈夫やって」
榊の忠告も聞き流し、また口の中に数粒放り込んだ。
右田宮にとっては噛み砕く音と食感を楽しむだけの物でしかないそれは、たちまち粉になって舌の上で消えていく。
「…なぁ、どこ行ったん」
「金平糖なら今君が食べてるじゃないか」
「そっちやなか、遥海屋と宇野さんや」
「……あー」
何気ないような右田宮の質問に榊の表情が一瞬陰りを帯びる。
「視察って言ってたかな、播磨の」
「なんでそげんとこに行っとーと?」
「椎山さんからの"お願い"だろうね。あそこ、10年前に帝国軍の爆撃被害にあってから復興が進んでないから……って、右田宮君聞いてる?」
ふと視線を向けると右田宮は寝台から起き上がり靴を履き始めている。
「なんや難しかことはようわからん」
「自分から聞いておいて……」
我が道を行く右田宮に榊は呆れ混じりに言葉を零す。ブーツのファスナーを上げ、トントンとつま先を床に打ちながら、ふいに何かを思い出したように右田宮は顔を上げる。
「なあ」
「今度は何?」
「榊はさ、"戦いたくない"って思ったことある?」
「………え」
唐突な問いかけに、書類作業に戻ろうとしていた手が止まる。
「俺、分からんねん。戦争が嫌とか西も東も一緒とか
………誰も殺したくないとか」
「……」
「西が正義で東は悪やろ?俺はずっとそげんして教わってきた。元帥さんも他の人もみんなそう言うとった。やのに…」
「…誰が言ってたの?」
珍しく見せる真剣な表情に緊張感が走る。
床に落とされていた視線がゆっくりと榊に向けられる。
「遥海屋」
躊躇いなく名前を口にする。
それだけ言ってしまうと右田宮はさっさと医務室から退散してしまった。
自分1人になった医務室に沈黙が落ちる。
戦いたくない
万が一この場に過激な右翼でもいようものならとっくに叩かれて強制退役だ。
それを時折うわ言のように呟くのは遥海屋の悪癖でもあった。本人もまずいのは分かっているらしく誤魔化そうとしてはいるが、ずっと一緒にいる右田宮はよく聞いているらしい。同じ兵士階級とはいえ、物心着く前から軍国主義で生きてきた右田宮とそうではない遥海屋とでは、いくら歳の差を超えた仲とは言っても食い違いが起こるのだろう。特に、経歴が不明な彼の達観したような読み取れない思考は周りを困惑させることも多い。
「……そういう所なんだよなぁ」
苦虫を噛み潰したような表情でため息混じりに呟いた言葉は静かな部屋に消えていった。