17話 じゅにあ
お久しぶりです。
帝国を中心に四方にはそれぞれ東の国、西の国、南の国、北の国が存在する。
東西南北に位置する四国は、長い戦乱の後に、平和協定を締結した。
しかし協定など、いずれどこかの国の勝手で破られることは明らかである。
そのため、当時の国王たちは、4国の中央に位置する土地を開拓し、絶対的な権力を持つ政府を樹立することで、4国を平等に支配する制度を作った。
そうして建設されたのが、帝王治める帝国である。
毎年、平和協定記念日を含めた5日間は、4国の重鎮が帝国に集まりパーティが開かれる。
パーティーには巨額の税金が投入される。恒久の平和を誓うための大切な式典である。節約などできない。
納税する市民たちに不満を持たれては叶わないので、パーティーに伴い帝国領の街々でも盛大な祭りが開かれる。
市民もまた平和を喜ぶのである。
平和式典パーティーの2週間前には、各国の王族たちは仰々しいほどの警護をつけて森を抜け、帝国の城で待機していた。
だが、一部の重鎮たちは、普段の職務のため遅れて到着する。
西の国第3継承権を持つ女、カリエスの一行は、領土内の不作な土地の視察へ出向いていたため、式典の2日前に帝国に到着する予定である。
現在カリエス一行は、あと一晩森を賭ければ到着する地点で野営している。
鬱蒼とした木々に囲まれた野営地。焚いた火の周りに集う人々の影が木のカーテンに写していた。
ひときわ清潔なテントのなかで、王女カリエスは干し肉を齧る。
「……相変わらず保存食で作るごはんはまずいわね。帝国についたらひたすらに食らうわよ」
「お嬢様、食欲旺盛なのは喜ばしいことですが、その言葉遣いは帝国では自重くださいませ」
側近の男マリスが諌める。王女は口を尖らせた。
「ふん、人前に出るときくらいちゃんとするわよ。私。黙ってれば可愛い女のこなのよ」
マリスは皮肉で返す。
「お口についたチャックはさぞ高貴な品なのでしょうね」
カリエスは逆に口の端を引っ張って笑ってみせた。
「にこー。ってね。なにやらすのよ。不敬よ不敬。まったくあんたみたいな失礼な男、有能でなければ側に置いておかないわ」
「お褒めに預かり光栄でございます」
王女は干し肉をまたかじって、ため息をつく。
「まったく、農民のあんたがよく出世したものよ。もう1人の側近が貴族なだけの無能だったせいで、急遽必要になったポストに滑り込むなんてね」
マリスは苦笑いする。
「あの男のおかげでこの地位を得られたと考えると私もあまりヤツを悪く言えませんね」
「まったくよ。私が政治に関われるようになったら、全員に登用試験を受けさせるわ。あの男みたいなのは、絶対に落としてやるんだから」
王女が噂する、「あの男」は、焚き火のまえで酒を飲んでいた。王女の側近だというのに、テントのなかに入るのを拒否されたので、やけ酒を仰いでいたのだ。
「くっはー。ちくしょー。なんでマリスはよくて俺はダメなんだよ、くそ」
酔いながら愚痴を叫ぶ男。
護衛のトップ、騎士団長ルーベルトが冷めた目でその醜態を見る。
「すぐ酒に頼る、そういうところだと思うぞ?」
「ぐっ……!いや!俺だってこんな扱い受けなきゃ酒も飲まねえよ!」
「……先代があなたの姿を見たら悲しむな」
「……はん!親父の話はやめろ!」
男の名前はリベンジ・jr。
かつて騎士団を率いた勇猛な男、先代騎士団長リベンジの息子である。
リベンジは、西の魔王城を征服し、国の領土と化したことを認められ、貴族の位を与えられた。
その息子、リベンジjrは、親の威光をもって、王女カリエスの側近になった。
「ちょっとションベンしてくる」
リベンジjrが立ち上がると、棒のような影が木のカーテンに伸びる。18歳ながら自堕落な生活をしてきた彼は元々騎士の家系だったとは思えぬほどに貧弱な肉体をしていた。
細いからだに合う鎧はなく、王女の側近となってから特注で作らなければならなかったほどである。
火の明かりからはなれ、暗い森の空気を吸うと、リベンジjrの酔いはわずかに冷めた。尿意に従い、木の幹に放尿している間に、混濁していた感情がひとつにまとまる。
すなわち自己嫌悪の念である。
「どーしてこんな人間になっちまったんだか」
生まれたころはそれほど裕福ではなかった。しかし父が手柄を立てたことで生活はいっぺん。望むものはなんでも手に入るようになった。
Jr.は周りからのチヤホヤに乗せられて、生意気な少年に成長した。
鍛えもせず、ただ環境に甘んじて育った彼は、気づけば同じ歳の人間と比べてもひょろい体格になっていた。
なにもできないコネだけの男。それがリベンジJr.だった。
Jr.はズボンを履き直し、皆の元へ戻ろうとする。が、そのとき森が揺れた。
周囲の木々がおぞましい悲鳴をあげたかのような奇怪な風音。頭を上げると、巨大な影が覆いかぶさった。
「あれは……!」
怪鳥ギガ・ラニバ。
ラニバ属の鳥のなかでも、凶暴性に定評のある害鳥である。
街に出たときなどは、騎士団総出で討伐する必要のある超危険種。
手元に剣はない。Jr.は地面にしゃがみこみ、脅威が過ぎるのを待つ。肩が震えていた。
ここをやり過ごせば、仲間たちがなんとかしてくれる。だから、気づかないでくれ……!
他力本願なJr.だが、力無きものはそうする他ない。
しかし、残念ながら、怪鳥は、ギョロリと巨大な目玉をJr.に向けた。
ボタン、と頭上から粘性のある液体が溢れる。ギガラニバのクチバシからこぼれた唾液である。つまり、怪鳥は腹を空かせている。
餌と定められたのが自分自身だと理解するのに、時間はかからなかった。
Jr.は屁っ放り腰で、木の影に駆け込む。
「死んで……たまるかっ」
みっともなく、逃げるJr.。背後には、地面に降り立ったギガラニバのクチバシがせまる。
「くそおおお!!」
ぎょええええ!!!!
ギガラニバの奇声が辺り一面に響く。
そして、数瞬ののち、静寂が訪れる。
瞑った目をゆっくりと開くJr.。
「な、なんだ?あれは……」
目の前の光景が理解できなかった。
ギガラニバは、クチバシを伸ばしたまま、白目を向いて絶命していたのだ。
「弱い……」
どこからか、そんな声がした。中性的で、男女どちらとも取れないような声だった。
はっとして上を見上げると、ギガラニバの頭の上に、全身に包帯を巻いた小柄な人間が立っていた。
状況から推察するに、このギガラニバを殺したのは、彼に違いなかった。
包帯人間は、手になにも武器を持っていない。信じられないことだが、彼は素手で巨鳥を殺したらしい。
「なんなんだ……あいつは」
Jr.が目を擦ると、人影はいつのまにか消えていた。音もなく姿を消した。まるで、妖精に出会ったかのような不思議な出来事であった。
木陰から出たJr.は、絶命したギガラニバのからだを見る。
傷跡はひとつも存在しなかった。
腕が立つと評価されている騎士団員やカリエス側近のマリクですら、剣で切ったり刺したりを何度も繰り返して、魔物を討伐する。
それに対し、いま目の前に現れた人間は、素手で、一撃で魔物を殺したのだ。いったいどのようなトリックを使ったのだろう。
Jr.は、茫然自失としたまま、野営地に帰る。
あまりにぼうっとしていたので、同僚のマリクに呆れられた。
「酔っ払いすぎです。もう見張り以外は寝る時間ですよ」
「あ、ああ……」
その日、言い知れぬ高揚感を抱いたJr.は、しばらく眠れなかった。