#5
「ひとつ目。吾輩に名前をつけてほしいのだ」
「自分で考えるっていうのはダメだったの?」
彼(?)はやたらとよくわからない理屈を捏ね回しながら喋るのだし、頭すかすかヘチマスポンジと名高い私よりもよっぽど頭がいいのではないだろうか。
私、頭を振ったらリンゴンって鳴りそうなくらいには空っぽだし、実質鈴なんだけど。
「いや、もちろんそれも考えたのだがやはり最初の名は他者より与えられるものであるべきだという結論に落ち着いたのだ。己で名付けをするとどうしてもそこには余計な邪念とでもいうか、見栄え聞き栄えを思う自我が邪魔をする。何よりも、本当にふさわしい名とは何かという考察の沼に沈んで帰って来れんのだ。クロカは思い切りの良い御仁だとみた。名が先か体が先か、答えは出ないが初めの名が決まらぬことには先もない」
「何言ってんのか全然わかんないけど……まあいいよ」
リュックを漁る。
電子辞書でも適当に引いて探したいところだけど今日、持ってきてないし。
教科書もない。
あるのはぐしゃぐしゃの問題用紙だけ。
ざっと目を通す。
それなりに短くて都合の良いカタカナ名は、割とある。
「……パンセ」
「ふむ。その意は?
「知らない。今日倫理のテストだったから、そんだけ」
話の眠い元社会科教師の校長先生に似てるし。
なんか美味しそうな名前だし。
ガーリックバターが合いそうだ。
ガチョウは咀嚼するようにその名前を繰り返す。
歯なんてないけど。
「なるほど。意味が判明しない名というのは自分では中々決められんな。これはこれで意外に良い。礼を言おう」
「なら良かった」
私、ガチョウ呼びの方がいいんだけど。
ダメかな。
ダメか。
私も人間って呼ばれたら反応に困る。
パンセはばさりと羽を震わせた。
人間で言えば足を組み替えたみたいな感じのなんてことない動作だろう。
「二つ目と三つ目の頼みは一揃いなのだが。吾輩を共に連れて行ってほしい。そして話し相手となってほしいのだ」
「なぜ?」
「クロカは人里を目指しているのだろう?」
「ひとりで……一羽?で行くって発想はなかったの」
「それはその、踏ん切りがつかなくてだな」
まあ行き先もわからないまま家から出るのは億劫なものだしね。
「いいけど。ただ……」
私は考える。
「私、あなたのこと食べるかもしれないよ」
パンセがびくりと身動いだ。
「ここから人里までどれくらいかかるかもわからないんでしょ。ついでにこの森がなんだか変なことはわかる。私にとってあなたは多分お荷物だし、あなたにとって私も足を引っ張る存在だと思う。この先どうなるかなんて何もわからないよ」
未だに景色は夕暮れのままだしね。
呻るように鳴く。
「吾輩は喋るぞ……?」
「でもあなたはガチョウだから」
「飢えない限りは友達でもいいけど。私が飢えたなら、食べるよ」
「どうする? それでも一緒に行く?」
彼は黙り込んでいた。
「……ああ。かまわない。どうせこの泉のほとりで誰にも会わずに朽ちる身だ。どれだけ思索を巡らそうと言葉を捏ね回そうと行くあてがない」
「それは生きているとは言えんだろう。ならばクロカの論理のひとつくらい飲み込んだ方がよっぽどましというもの。もちろん大人しく食われる気はないがその時になってみないとわからないものだしな」
肩をすくめるように羽を収めなおしてぽてぽてと私の方へと歩いてくる。
「何より友とは実にいい響きだ」
「えー、ちょろいなあ。悪い人に騙されないようにね」
「クロカは騙しはせんだろう?」
パンセはぱちりとつぶらな目を瞬いた。
茶目っ気らしい。
「失礼な。私、良い人だっての」