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7: 悪変

 3歳になった。


 この一年間、本当に色々なことがあった。


 主に、悪い出来事が。


 順を追ってお伝えしよう。


------


 あのことがあってから暫く、「母親」は見るからに気を落として生活していた。


 唯一の頼みの綱を失くした、という感じだろうか。


 嫌な予感がしていた。


 その予感が見事に的中したことは、言うまでもない。


 2歳の誕生日から1ヶ月ほど経った頃だ。


 俺はその時、「母親」におむつを替えてもらう妹の姿を眺めていた。


 いつにも増してかわいい我が妹は、すっきりしたようでご満悦だった。


 しかし仕事を終えた母親が、ふと俺の方を見た。


「何をしているの? 」


 いつも構ってくれない「母親」から、久々に掛けられた言葉が嬉しかった。


「見てたの! 」


 わざと子供らしく答える。


 「母親」は俺の前で妹の名前を呼ばない。


 この前聞こえてしまったが、きっと悪魔である俺に名前を呼んで欲しくないのだと思う。

 だから、呼ばないことにしている。


「……見ていた? その、穢らわしい黒い目で?」


 「母親」が早口で言った。


 よく聞こえなかった。


 

 ……ケガラワシイってなんだっけ。


 汚いってこと?忌々しいってこと?

 穢れてるってこと?



 ワケわからんくて過呼吸になりそうなのに、「母親」のほうが息を荒げはじめた。


 ……また、あの顔だ。

 鬼のような顔。


 ……そんなに嫌、かな。


 悪魔には我が子に触れられるのも、名前も呼ばれるのも嫌。


 例え悪魔だとしても、俺も彼女の子供なのに……


 堪えた。言葉も、涙も。


 少しすると、「母親」は突然俺を抱き上げた。


 分かってくれたのか、そう思って安心したのもつかの間。


 今度は俺を脇に抱えて、大股でトイレに向かった。

 大きな足音に驚いて小さくなった俺を下ろすと、彼女はそこから出ていってしまった。

 そして勢いに任せて、扉を閉めた。


 一瞬状況が理解できなくて、呆然とした。


 置いてけぼりにされた事実を飲み込むには、少し時間が必要だった。

 ドアノブに手を伸ばし、捻りながら扉を前に押し出す。


 ……ビクともしなかった。


 耳をすますと、外から息の漏れる音がする。

 多分、「母親」が向こうから扉を押さえているのだろう。



 そう、俺はトイレに閉じ込められたのだ。


 今までは構ってくれないだけで、こんなことはされなかった。


 鼓動が加速して、息が荒くなる。

 まるでさっきの「母親」みたいに。


 胸で呼吸をする度、涙がぼたぼた溢れてくる。

 嗚咽を我慢すると、今度は吐き気がこみあげてきた。


 耐えきれなくなって、そのまま便器に吐いた。



 訳が分からなかった。



 それから暫く、また何事もなく月日が流れた。


 何事もないと言っても、その間にもどんどん「母親」は俺に無関心になっていった。


 流石に寂しくて構ってもらおうとしても、全くこっちを向いてくれない。


 まるで俺なんかいないかのような扱いである。


 彼女はずっと妹と遊ぶことに夢中だった。


 ……夢中であるふりをしていた。



 そして、2ヶ月ほどが経った頃だった。


 ついに食事が出てこなくなった。


 食べれるのは「母親」と妹が食べた物の残りカスのみ。


 それだけではない。


 これまでは俺の姿を他の人に見られぬよう、外の井戸から水を汲んできて室内で体を洗っていたのだが、それもしなくなった。


 「母親」は俺を家に閉じ込め、妹と井戸の側で水浴びをしてくるようになったのだ。


 生活はボロボロなので、元から着替えなどほとんどない。


 その上体も洗わなければ、気持ち悪くて仕方がなかった。



 「母親」は、時に辛辣な言葉を浴びせてきた。


「臭いっ! 近寄らないでちょうだい! 」


「なんであんたなんか産んだのかしら。」


「こんなにかわいくない子、見たことがないわ! 」


 そう言われても、どうすることもできなかった。

 子供の無力さを思い知らされる。



 もう、愛してくれてはいないのだろうか。


 そんなはずはない。まだ、まだ、少しは。

 だって俺は、彼女の子供なんだから……



 彼女の言葉は、日に日に酷くなった。


 そんな日々に耐えていた、ある日のことだった。


 激しい痛みに目を覚ました。

 暗闇にぽっと浮かび上がる、光が見える。


 知っている。

 これは、蝋燭の火である。


 何度も見てきた、ここに来てからは。


 蝋燭の光に「母親」の顔が浮かび上がった。


 外は暗く、蝋燭以外に闇を照らす物は何もなかった。


 こんな時間に何をしているのだろうか。


 暗さに目を凝らすと、彼女はなんと溶けた蝋を、俺の腕に垂らしているのだ。


 痛みの正体はそれだった。


 ぽたぽたと蝋が落下する度、余りの熱さに飛び上がりそうになる。


 見ると、皮膚は赤く腫れていた。


 堪え切れず、彼女の手から蝋燭を払い落とす。


 彼女は舌打ちをすると、懐からもうひとつ小さな蝋燭を取り出して屈んだ。


 そして床を焦がす蝋燭の火で、手に持つ蝋燭に火をつけた。

 そして新しい蝋燭を手燭に取り付けると、床の蝋燭を踏んでその火を消した。


 新しい蝋燭の光は弱い。


 さっきまでそこに転がっていた蝋燭も、「母親」の姿もすっかり闇に溶けてしまった。


 見えるのは、一本の蝋燭と「母親」と俺の手元のみ。


 これでは無惨に折れた蝋燭の姿を確認することができない。

 もちろん、彼女の表情も。


 なぜ彼女は、こんなにも変わってしまったのだろうか。

 

 部屋に静けさが広がる。


 それでも蝋燭は動かない。

 彼女はすぐそこで、俺を見ている。


 小さな炎はなんとか自分の手元を照らしている。


 腕を炎に近づけて見えやすいようにした。

 それでも「母親」は動じない。


 そして彼女も同じように俺の腕に目線を移すのが、手に取るようにわかった。


 さっきまで赤かったはずのそれは、もうすっかり元の肌の色に戻っていた。


 冷やしてもないのに。



「……自己治癒力強化……あんた! もしかして魔法が使えるのかい!? 」



 ……自己治癒力強化。


 それが俺の能力らしかった。


 なんかショボい。普通すぎて。


 そんなことはどうでもよかった。

 その時は確かにどうでもよかった。


 しかし後々後悔することになるとは、思いもしなかった。



 それからなんと、「母親」は毎日俺に暴力を振るうようになった。


 どんな暴力を振るわれても、俺の身体はすぐ元通りになる。


 それを面白がるかのように、「母親」の暴力はどんどんエスカレートした。


 余り食事を摂らなくても、少し痩せるだけで衰弱する様子はなかった。


 これも「自己治癒力強化」のおかげなのだろうか。


 分からない。


 そもそもこの能力がどんなものなのかも分からなければ、他にどんな魔法が使えるのか、それともこれしか使えないのかも分からない。


 5冊の本の中に魔法の本があるのを思い出し、広げてみたこともあった。


 「魔法の基礎」


 そこには基礎的な魔法と銘打たれているものが、ただ並んでいた。


 そもそもどうやって魔法を使うのか、この世界の魔法はどういうものなのか分からない俺にとっては全く無意味である。


 そりゃ、そうだろう。

 公式さえ分からない範囲の数学の問題集だけを持っていても、何も意味がないのと同じである。


 その場合、解答解説があればある程度は分かるが、今回はそんなご丁寧な物は用意されていない。


 やはり参考書か教科書がなくてはなるまい。

 もちろん、優秀な教師でもいいだろう。



 2歳半を過ぎると、今度は訪問者が増えた。


 周辺住民に加え、時々高価そうな服を着た人達が来るようになった。


 あの時の男も確かにここの周辺住民よりはいい服を着ていたが、それとはまた違った雰囲気を持つ人々だ。


 一言で言うと、もっとお金持ちっぽい。

 そして、彼らはきっと「戦えない」。


 1人だけ来ることもあれば、数人で来ることもあった。


 「母親」は彼らが来ると、隠さずに俺を見せた。


 すると彼らは決まって、何やら喚いて帰ってしまう。


「聞いていないぞ!悪魔の子なんていらん!」


「私に悪魔の世話をしろと言うのか!」


「ご主人様になんと伝えてよいのやら……こんなこと、明記してもらわないと困る……!」


 なんだか分からないが、彼らが俺を一目見て嫌な気分になったことは明確である。

 まぁ、俺もその言葉を聞いて嫌な気分になったけど。


 しかもその後は決まって「母親」の機嫌が悪い。

 暴力もひどくなるし、迷惑なもんだ。


 最近妹がなんとなく庇ってくれるそぶりを見せることが、唯一の心の救いである。



 暫く「母親」と彼らの会話を聞いていると、どうやらこういうことらしかった。


 魔法を使える人間は珍しく、利用価値も十分にある。


 俺が魔法を使えることを知った「母親」は、すぐに俺を売りに出したのだ。


 もちろん、俺の瞳と髪が黒いことは伏せて。


 それを知らずに俺を買いに来た人達が、ここを訪れたものの俺を見て怒って帰って行く、と。


 「母親」も手放したい、買い手も悪魔はいらない。

 俺は完全に不必要な存在である、ということだ。


 2歳半にして、この状況。

 お先真っ暗だ。

 この先、生きていて楽しいことなどあるのだろうか。



 死のうと考えた時もあった。


 死にたいと思うこともあった。


 「母親」がパンをスライスした後、ナイフを置くのを見た時。


 寝室の本の横に工具を見つけた時。


 近くに凶器を見つけた時、今なら死ねるとそう考えた。


 しかし実行に移すことはなかった。


 勇気がないから。


 死んだら、どうなってしまうか分からないから。



 こうやって生きているから、死んだらどうなるのかが分からない。


 また別の世界に転生するのかもしれない。

 でも、そうではないのかもしれない。


 同じだ。前世と、同じ。


 俺には勇気がなかった。

 急げば学校に間に合う状況で、ゆっくり歩いて遅刻する勇気がなかった。


 遅刻する時は遅刻するのに、そういう時にはやっぱり急いでしまった。


 同じだ。

 死ぬ時にはあっさり死んだのに、自ら死ぬことはできない。


 こんな俺に微笑みかけてくれる、妹に会えなくなるのが辛くて。


 今は暴力を振るっても、乳児の頃から愛してくれた「母親」をまだ信じたくて。

久々投稿!

日本にいないのです。

短期留学中で……

許してクレメンス……


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