1:残った謎は、ただひとつ。
※ちょっとホラーっぽく見えるかも知れませんが、全く怖いシーンはないのでご安心ください!
気がつくと、ふわふわと宙を浮いていた。
今度こそは夢だろう。
理由はある。
はっきりしたものではないので、語ることはできないが。
と言っても、そもそも人間が理由もなく宙に浮くこと自体、普通じゃないだろう。
夢の中でこれは夢だと分かる……
いわゆる明晰夢ってやつだ。
自分自身の意識もなんだかふわふわしていて、正に夢見心地なのだ。
しかしその反面、この景色、起こっている事象が全て現実のものであろうということは、ほとんど確信できている。
理由はない。ただの直感だ。
夢の中で現実を見ている……感じ、なのかな?
今の自分は、事故に遭う前よりも自由だ。
物理的な法則を無視して、空中を浮遊しながらのびのび体を動かすことができる。
手も足もあって、視覚もはっきりしている。
まぁ体は半透明だけど。
ここはどこだろう。
暗くて、深夜帯であることだけは、手に取るように分かる。
くるくるっと宙を回転しながら、辺りを見渡す。
何かの建物の廊下……か。
非常出口を示す緑色の光が、リノリウムの床に反射している。
大量生産されたようなデザインも相俟って、小中学校の校舎内を彷彿とさせる。
けれどそれよりもっと無機質かつ閉鎖的で、均等に並んだ扉は檻のように硬く閉ざされているような気さえする。
そして、人々を労わるように配置された手すり……
……おっと?
突然背後から、扉を開く音がした。
聴覚も大丈夫らしい。
振り返ると、きっちり白いナース服を着込んだ看護師が、ずっと奥のほうの病室の扉を閉めているのが見えた。
確信。
ここは、病院だ。
とすると俺は、夜中に寝静まった本体・イモムシから抜け出した魂であろうか。
……幽体離脱。
ならば、早く戻らなければならない。
病院だし、状況最悪。
幽体離脱してたら死んだと勘違いされて本体燃やされたみたいなド定番展開にはなってほしくない。
戻ってもどうせイモムシだけど……
看護師は、ひとつひとつの病室を順番に見回っている。
俺の目の前にある病室も他と同じように見終えると、また次の病室へ。
彼女の様子を見る限り、俺の姿は他人の目には見えないらしい。
最後の病室を確認し終えた彼女は、エレベーターホールに向かって歩を進めている。
そこは唯一明るくなっていて、俺もなんとなく虫のように吸い寄せられた。
エレベーターの向かいにナースステーションがあって、雑務をこなす2人の看護師の姿が確認できる。
1人はさっきの、もう1人は初めて見た看護師。
やはり俺には気付いていない。
振り返ると、エレベーターが見える。
エレベーターの隣には、院内の案内板。
見やすいように整理されていて、理解がしやすい。
すぐ側の床に刻まれた数字は「6」。
この階はつい数時間、あるいは数十時間前に大事故に巻き込まれ、達磨になった人間が入院するような場所ではないようだ。
何科のモノかは分からないが、普通の病棟である。
そして、そんな人間が居そうな場所……
……集中治療室。は、すぐ下の5階である。
半透明の指を、エレベーターの下行きボタンに伸ばす。
看護師達には少々驚かれるかもしれないが、まぁ仕方ない。
……
むにっ……
んんっ??いまむにって……
確かに俺の指はボタンに触れている……というか、ボタンを貫通して壁に突き刺さっている?
驚いて、引き抜く。
存外簡単に抜けてしまった。
息を整えてから、今度は壁を手のひらで押してみる。
すると、今度は肘まで壁にのめり込んでしまう。
粘土とスライムの間みたいな、なんとも言えない感触。
なにこれおもしろい!
……考えていなかったわけではない。
半透明だし。
他の人に視認できないことが分かった時点で、薄々勘付いてはいたが……
やっぱり、モノに触れることはできず、壁はすり抜けることができる……のだろう。
多分。
ふわりふわりと天井のあたりまで上昇する。
物は試しだ。
『激突!!!』
床に向かって、ゴーシュート!
一瞬、イヤな感覚が全身を包む。
息ができない……
『ぷはっーー』
思わず息を吸い込み、目を開ける。
ここは……さっきとそれほど変わらない。
当たり前だ。エレベーターはどの階も同じ……
床には、「5」と刻まれている。
成功。やっぱり!
首を左右に動かすと、やはり違う風景が広がっていることが分かる。
ここ5階にあるのは、集中治療室や手術室。嫌でもいろんな機械の音が聞こえる。
フロア全体に不穏な空気が漂っていて、居心地が悪い。
ここに、俺が……?
いや……ここに、俺はいない。
なんでって、直感だ。
さっきから直感とか多分とか、当てのないものばかりを当てにして動いている。
そしてやはり大した理由もなく、ここには俺はいない、確実に。
しかしひとつ下の階に降りたことにより、ちょっと本体に近づいたような気がする。
これも、気がするだけ。
そんな気がするから、また天井まで舞い上がって、床に激突する。
着いた先は4階。
4、3、2階には、様々な科の診察室がある。
この階に救急患者はいないのか、あまり人は見当たらない。
まぁ、いても診察室に入ってたらわからないけど。
やはり、また近づいたように感じる。
3階、2階も同じように見ていく。
変わったところはなかったが、着実に本体に近づいていることが分かった。
でも、まだだった。
そして、ついに1階に到着した。
1階は……受付。
今までのどの階よりも近い。
確かに、近い。
だけど違う。ここでもない。
この時間の受付に重体の患者がいるわけもないし、この半透明の体がそう言っている。
もう一度案内板を確認する。
やはり、1階より下は存在しなことになっている……
通り過ぎてしまったのだろうか。
いや、ありえない。確実に近づいている。
そしてこの病院は、まだ下に、続いている……
地面の下に、空間があることが分かる。
やはり、この体は特殊なのだ。
上昇する。
1階の天井は、他の階より高いようだ。
それでも天井まで舞い上がって、思いっきり地面に向かって急降下する。
また同じ感覚が、少しだけ長く体を包み込む。
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……目を開けると、そこは広い廊下だった。
ずっと後ろの方には、エレベーターが見える。
今までのエレベーターとは、違うものだ。
ここに来るには、上の階とはまた別の入り口があるらしい。
ぼーっと考える。ここはどこか。
病院の地下。入り口は別。
そしてここに、俺の本体が。
ぶんぶん頭を振って、嫌な考えを振り払う。
そして……そして感覚に任せて、その一本の廊下を進んで行く。
祈るような気持ちで進む。あるはずもない心臓が、バクバク音を立てている。
廊下の先。
期待を裏切るように、その部屋は存在していた。
「霊安室」
その重い扉の向こうに、行く勇気がない。
鍵は閉まっている。
普段なら、逃げ出しても言い訳ができる状態。
しかし、いくら厳重に鍵が閉まっていようと、今の俺には関係ない。
確かめるまでは、逃げれない。
ゆっくりと扉に手をかざす。
一歩踏み出すと、腕の根元までが部屋に消える。
もう一歩踏み出すと、目の前に新しい光景が広がった。
思ったよりもずっと狭くて、「それ」もすぐに目に入った。
……白い布で覆われた死体は、それでも自分のものだと分る。
不思議と悲しさはなく、すっと死体に近づいた。
布の上から手をかざすと、なぜだかその姿がはっきり伝わってくる……
……身体中の骨は折れているが、腕も足もしっかりと胴体に繋がっている。
手は、胸の前で合掌している。
顔にもあまり、傷はない。
死因はやはり、内臓らしい。
腹は綺麗に縫合されているが、なかなかに痛々しい。
……あれは、見間違いではなかったらしい。
半透明の体が、だんだん更に薄くなっていく。
自分の死を確認して、やっと使命を全うしたからだろうか。
同じように、意識もどんどん遠のいてゆく。
悲しい、訳ではない。
いや、やっぱり少し悲しいのかもしれない。
言葉にできない想いで胸がいっぱいになって、涙が頬を伝う。
そのたくさんの想いの中に、悲しみがないと断言することはできない。
でも決して、悲しみだけではなかった。
頬から離れたそれは、地面にしみを作る。
涙はホンモノ、なのか……
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警察署の霊安室ではなかったということは、即死ではなかったのかもしれない。
心臓は動いてたからすぐ近くの病院に運び込まれたけど、結局すぐ死んじゃったパターンかも知れない。
そうだとしたら、病院側には悪いことをした。
今回の事故は俺にも非があったが、やはりあの暴走の仕方は普通じゃない。
だから死体も少しは調べられるのかも知れない。
まだ警察が死体を引き取りに来ていないことを考えると、そこまで時間は経っていないのだろう。
解剖されるのだろうか。
せっかく綺麗に縫合してもらった腹を、またこじ開けてしまうのだろうか。
短い人生の間、人の死に触れる機会はそれほど多くなかったから、詳しいことは分からない。
だが、俺の死体は確かにそこにあった。
それだけは、確かである。
若干の無念はある。
まだ両親に何も孝行をしていない。
それに、したいことだってまだあった。
流石に人生短すぎた。
けれど、生きている時に感じていた死ぬことへの漠然とした恐怖がないせいか、死をすんなり受け止めている自分がいる…………
…………じゃなくて。
よく考えたら納得できるわけもないし、そもそもおかしいよね?
ひとつ謎残ったまんまだよね!?
ほら、アレはなんだったの??
あの途中で挟んだアレ。
イモムシ人間の俺を誰かが抱っこしたやつ。
えっ何あの記憶??夢?あっちが夢なの??