2―1 社畜というのは実に気の毒な生き物です。
私の朝は……遅いです。
今朝は九時に起床しました。
怠けているわけじゃありませんよ?召喚術というのは、莫大な魔力を消費するんです。だから召喚は一日一回まで。そのくらい休ませてもらわないと、困ります。
ちなみに出勤時間は決まってません。一日一度、異世界人を召喚すればそれで仕事を果たしたことになります。
ですので今日は昼の十二時に出勤する予定です。
いやー、近年稀に見るホワイトな企業ですね!
国家直属の組織ですから当然といえば当然なんですが、一日の平均労働時間はなんと二時間!
……召喚士で良かった……!
まあ時間が有り余るというのは以外と暇になるもので、独学で薬の調合をしてみたり、読書を嗜んでみたり、転職前では出来なかったことにも色々挑戦しています。
今はこれといってやる事もないですし、そろそろ家を出ますか。
あ、そうそう。言い忘れてましたが、もうこの仕事に就いてから一週間が経ちます。
七回の召喚の内訳は……じゃん!
一回成功、六回失敗です! はい拍手〜。
……とはいきませんよね。はい。
召喚できる回数は一日一回なので、若者以外の者が召喚されてしまった日は"失敗"という形になります。
失敗したからといって給料減額とか、上司からの視線が冷たくなるとか、そういうことはないのですが……そもそも上司は居ませんし。
でも……なんか悔しいので、今日こそは成功するといいですね。
***
ドンッ
大量の荷物が入った鞄をベッドに投げる。
一日の仕事がやっと終わって家に帰ってきた。既に時刻は夜の十二時をまわっている。
もう後は寝るだけと言いたいのだが……そうにもいかない。
一日の仕事が終わったと言った。確かに言った。しかしそれは、職場での仕事が終わったということ。これから残業を家で済ますのだ。
ベッドに投げつけた鞄を開くと、その容積の大部分を占めていたのはPC。机に置くと、すかさず起動する。これからどれだけ早く仕事を終えるか。それによって今日の睡眠時間が決まる。
いわばこれは、PCとの死闘。昨日と一昨日は惨敗だった。つまり二徹目。なんとしても三徹は避けなければ。
──篠原一。今年で二十五になる。ここまでで分かったと思うが、私は社畜だ。紛れもない社畜。
最近健康診断の結果が帰ってきたのだが、酷かった。
どのくらい酷いかというと、むしろ良い所を見つけるのが困難なくらい酷い。
……すまないけど自己紹介はこれくらいにさせてくれ。仕事に集中したい。
カタカタカタッ
午前三時。うっすらと陽が昇っているのが分かる。やっと寝れるのか。
忘れずにPCを充電してベッドに倒れる。
明日の起床時間は午前六時。目覚まし時計をセットすると、三日ぶりの睡眠に幸福を憶える。
目を閉じきる寸前、部屋いっぱいに光る模様があった。
どうやら疲れきっているみたいだ。
──そろそろ三時間たっただろうか。仕事に就いてから俺に内蔵された、セルフ目覚まし時計が意識を覚醒させる。
……ベッドが妙に固い。
寝返りでもうって床に落ちたのか?
移動するのは面倒くさいが、ベッドに戻るため起き上がる。目を開けるが、辺りは暗くていまいちベッドの場所がつかめない。
……暗い!?
カーテンは全開にして寝たはずだ。寝る前から多少の朝日が差し込んでいたし、出勤時間前なら部屋に光が差し込んでいることに間違いはない。
まさか……寝坊!? 次の夜までずっと寝ていたとか?
本当にそうなら、まずいなんてもんじゃない。一刻も早く会社に電話してお詫びしなければ。
携帯携帯……暗くてよく分からないな。先に眼鏡が必要か。
「眼鏡はどこだ……」
「眼鏡ですか? それならここに……どうぞ」
「あ、どうも……!? 」
……誰だ今答えたやつは? まさか泥棒?
取り敢えず何も見えない状態じゃ仕方がない。泥棒から手渡された眼鏡をかける。
てか、なんで答えてきたんだ? 本当に泥棒なら無視して逃げればいい。
眼鏡をかけて視界が開ける。
……と見えてくるのはベッドや机に乗ったPCではない。ただなにもない、無駄に広い空間。明かりはないが、誰かが立っているのが分かる。きっと眼鏡を渡してきた男だろう。
「え……と、この状況理解できてますか? 」
少なくとも、ここは自分の部屋ではない。
そして目の前には見知らぬ男。
眼鏡を渡された感触があったということは、夢でもない。
「誘拐……ですか? 」
「……誘拐とは少し違うのですが……まあ否定は出来ないんですけどね」
「それなら手っ取り早く済ませてくれませんか? 私だけでなく会社のみんなにも迷惑がかかるので」
我ながら誘拐犯に向かって強い物言いだったと思う。
しかし今の発言は事実だ。こんな所で油を売っている場合ではない。今日が締切の作業が三つもある。
「……これはどうするべきなのでしょうか……違う意味で心のケアが必要なのでは? 」
「身代金はいくらですか? できれば百万円以内がいいのですが……現時点ではそれが払える最大の金額です。」
「だから誘拐ではないんですってば! 異世界転移ですよ。い・せ・か・い・て・ん・い! 一度くらい聞いたことありませんか?」
……異世界転移? 名前くらいは知っているぞ。漫画やラノベを全く読まないわけではないからな。
尤も、ここ三年程はそんなものを読んでいる時間などなかったのだが。
にしてもなんだ? ちょっと言い訳としては無理があるんじゃないか? それとも単に頭がおかしい人とか? だとしたら余計に怖いな。
「……信じられないって顔をしてますね。どうしたらここが異世界だって納得してくれるでしょうか……。あ、そうだ これなんかどうです? そちらの世界にはないでしょう?」
誘拐犯が差し出してきたのは、フラスコに入った青い液体。沸騰しているように泡を次々と出している。
「さあ! どうぞ!」
どうぞって……飲めってか? この得体のしれない液体を。
まあ飲まなければなにをされるか分かったものではない。フラスコの先を口につけ、思い切って胃に流し込む。
お腹の中で液体が音を立てているのが分かる。なんというか……炭酸飲料を飲んだ後のガスが溜まった感じをさらに酷くしたような。
ゔっ…………気持ち悪くなってきた。やっぱり毒だったのか?
「あっ、気持ち悪いと思いますけど絶対に戻さないで下さいね。吐いてしまうと効力が現れないし、なによりこの部屋を汚して怒られるの、私ですから 」
そんなこと言われても……ヤバい、もう限界だ。
ゴォォォォォォォォォォ!
お腹の底からでたのは吐瀉物ではなく、燃え盛る炎。
あまりの出来事にただただ立ち尽くす。
不思議と、口が火傷した様子はない。
「良かった……思ったより早く効き目が現れたようですね。ともかく、これで信じてくれましたか?」
こんなの……信じるしかないでしょう。
現実世界では有り得ないことだ。
……じゃあ本当に、俺は異世界転移したということか?
「納得してくれたところで、そろそろジョブの決定に移りたいんですけど、そうですね……警備員なんてどうでしょうか? 市民の暴動が収束した今、警備員の仕事は殆どないに等しいですよ 」
……警備員。異世界なのにいまいちファンタジー感がないな。
にしても仕事がない仕事だと? それは仕事と呼んでもいいのか?
「向こうの世界では忙しかったみたいだし、こちらでは少し休むというのを覚えてみては?」
……うーん。まあそれもそうか。
「じゃあ、それで……」
「決まりですね! ではでは、篠原一さん。改めて異世界へようこそ! 充実したセカンドライフをお過ごし下さい! 」
周囲が眩しく光り出す。
いよいよ異世界に転移ってか。
……目が覚めると、そこは事務室のような埃まみれの部屋。
湧き上がる衝動に耐えかねて、気がついたら掃除を始めていた。
どうやら俺の仕事癖はしばらく抜けないみたいだ。