表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ものがたりはうつろう

作者: ひろね

小説の登場人物への転生もの。

 パン、と何かを叩いたような小さな音が耳に届きました。

 私は急いで部屋に戻ると、数人の取り巻きを連れたマリエル様が、一人の少女――エリカ様の頬を平手打ちにしたようでした。


「まあ、マリエル様」

「……なによ、セリーナ」


 私が声をかければ、マリエル様は気に入らなさそうな顔でこちらを見る。


「そろそろ殿方もこちらへ来る頃ですから、騒がしくしてはいけませんわ。さあ、エリカ様も」

「……」

「そのままではみっともないですよ。少し席を外して冷やした方がよろしいかと」


 と、言うと、彼女は軽く頭を下げて部屋から出て行きました。

 彼女を見送った後、残った人たちに視線を戻し、「部屋を少し片づけましょう?」と笑顔で言います。ほぼ命令に近かったけど。



 片付けをしながらこの状況を説明しましょうか。

 私も未だに信じられないけれど、ここはある小説の中――と言っていいのでしょうか? セリーナとして生まれる前の世界で、私が知っていた小説の世界そのまま――と言った方が正しいのかもしれません。

 というのは、私が思い出したこの世界にない記憶と、そして幾つも重なるこの世界の地名や人物たちから、そう思うしかありませんでした。

 正直、引きました。いや、だって、元の世界では物語になっているような世界に生まれる事などあるのでしょうか? おかげで思い出した時にパニックに陥って、そして小説の中の世界だと確認した時、またもやパニックになったほど。

 幸いなのが、私は名前があるけど、たまに出てくる脇役――というところですね。


 この小説は、シンデレラストーリーのようなものです。

 貴族の中でも家格が低めの子爵令嬢が、今一番有望株の公爵令息と恋に落ちる物語。もちろん貴族ですし、物語の盛り上がりのためにヒーローには婚約者がいます。というか、貴族なんて年齢一桁の時からすでにいてもおかしくないですから。

 ……となればもう、泥沼ですよね。いくら政略結婚とはいえ、身分の低い娘に取られた――なんて言えば、ヒーローの婚約者が黙っていられるわけがありません。女性としても、家としても泥を塗られた様なものですし。そのため邪魔をするためにアレコレするわけですよ。要するにいじめです。

 それが冒頭のやりとりになるわけですね。

 ヒーローと何があったのか知らないけれど、それを知ってしまった婚約者であるマリエル様が、ヒロインであるエリカ様を詰っていた――というところでしょう。


 改めて追加情報として、ここは貴族の社交シーズンになると、一人前になる前の貴族子女が集まる場所。何かをきちんと学ぶ場所ではありませんので、学舎などという言い方はしませんね。

 教育については、各々の家で個別にするものですから、貴族子女専用の学舎などはありません。強いて言うなら、社交界デビュー前の半人前が本番で失敗しないよう、自分の立場の再確認とマナーが出来ているかを見定める――など、色々な目的があります。

 このような目的のため、ここへ来るようになるのは各家の判断によります。自分の子を人前に出しても大丈夫と思われれば早めになりますし、親が人前に出すのに不安だと感じる子はここへ来られません。

 現在、王族は年頃の方がいらっしゃらないため、この場には不在になります。


 さて、立場――と言いましたが、先程のやりとりも褒められたものではありませんが、家の家格がこの場所にも出ます。まあ、そのあたりも踏まえて立ち振る舞うというのも、ここでの勉強の一つですね。

 マリエル様はこの国の公爵令嬢になります。彼女の祖母が元王女でしたので、公爵位を持つ中でもかなりの権力を持っています。

 そして、もう一人――エリカは子爵令嬢と、家格があまりに違います。これがこの場では出てしまうのですが……手が出るのは不味いです。いくら身分的に優位であろうと、暴力は赦される事ではありません。

 ですが、この二人では仕方ないと言えましょう。先程の小説の中だと言ったのは、この二人が主要人物だからです。そして作中には何度も同じような事がありました。


 マリエル様は同じ公爵家であるアトリー公爵家の嫡男ギルバート様とご婚約中。政略結婚は当たり前の貴族ですから、このような縁組みなのだけれど、マリエル様はギルバート様のことをお慕いしているようです。まあ、素敵ですものね、ギルバート様。小説の中でもヒーローポジションでしたもの。マリエル様も美少女だし、二人が並ぶと様になります。目の保養です。

 ただ、ギルバート様は女性の扱いに慣れていない様に見えるのですよね。というか、実際、物語ではそうでした。

 確か……家の都合での婚約者は幼馴染みで気心が知れていて、ギルバート様もマリエル様のことを可愛がっていたけれど、女性らしくなってきたマリエル様にどう接していいか分からない――といった感じでしょうか。

 そんな時、ここへ来るようになってエリカ様と出逢った。


 彼女は、ヒロインとしては珍しく、整った美しい顔立ちだけれど、どこか中性的で明るい性格をしています。そんな彼女だからこそ、ギルバート様も彼女には気軽に接するようになって――という形でした。

 最終的には、ギルバート様はマリエル様を捨てて、エリカ様と一緒になります。その頃には、マリエル様がエリカ様にしてきた事がばれて、彼女は追いつめられますから、ギルバート様からの婚約解消の申し出を無条件で呑まざるを得なくなるというわけです。

 まあ、物語故のシンデレラストーリーですが、実際は略奪愛なんですよね……。目の前で繰り広げられる光景を見るとそう思います。身も蓋もないですが。



 部屋は少し散らかった程度でしたので、すぐに片付きました。

 男性陣は少し前まで別のことをしていましたが、そろそろお茶の時間のため、彼らも戻ってくるはずです。

 そのために、脇役ですが割って入る真似をして、マリエル様からエリカ様を放したのですが……。こんな事、いつまでも隠し通せるわけがないですけど。でも、当事者たちを目の前にしていると、なんとももどかしい気持ちになるわけです。

 人の気持ちを、関係ない他人が変えるなんてことは、ほぼ無理でしょう。ですから、このまま社交界デビューするまでの間、この関係を見続けて――そして、マリエル様の破滅を見届けなければならないのでしょうか。

 ……そう思うと、なんとなく気分が沈んで行きます。

 私は『脇役』だから物語のラストになっても何もなく、『主要人物』であるマリエル様は破滅に追いやられる……。

 自業自得と言ってしまえばそれまでだけど、そうさせた二人は何のお咎めもなしというのは、やはり物語だからでしょうか。



「終わりましたわ」


 一人でそんな事を考えていたら、マリエル様が少し居心地悪そうな雰囲気で私に声をかけました。


「ええ、綺麗になりましたね」

「……その、ありがとう」


 おそらく、この「ありがとう」は止めてくれてありがとうという意味なんでしょうね。彼女は婚約者を取られまいとする気持ちもあるけど、体裁もある。貴族社会なんて揚げ足取りが多いから、彼女のしている事は足下を掬われかねないものですし。それらを踏まえて『色々』ありがとう、なんでしょう。


「いえ、特に何もしていませんわ」


 私は素っ気なくマリエル様にそう返します。素っ気なく――そうするしかありません。


 ――私はすでにマリエル様に同情しています。

 けれど、物語を変える力はない事も知っています。

 だから、私はマリエル様にそっと注意するような事をしても、それ以上近づくことはしなかった。あまりに彼女に思い入れをしても、最終的には彼女の行く末を変えられないと知っているから――。


 ……なんて酷いんでしょうね、私は。

 未来さきを知っているというのは、周りの人に対して優位というわけではないということを、私は改めて理解したのです。



 *



「あの、セリーナ様?」

「なんでしょう、マリエル様」


 茶会が終わり、各々思い思いの場所へと移り始めます。

 この場所は王宮の入り口付近に造られた一角で、社交デビューする前の貴族子女が集まるための場所です。特に何をするわけでもないですが、茶の時間のみ集まるような習慣があります。

 なので、茶会が終わればそれぞれ好きな事をするのですね。本が好きな方は王室図書館に、先に申し込んでおけば乗馬なども可能です。それ以外にも、同年代の貴族子女との繋がりを作るためにまとまって話をしたり――と様々です。

 ここで得たものがそのまま大人になっても使えますからね。親からすれば、友情というものを通して繋がりを得ようとして、子供をここに寄越します。ああ、あと、私のように未だ婚約者がいない者はお相手を探す意味もあります。

 まあ、好きにしているようで、それぞれの未来さきに繋がるものを作るわけです。ここへ来るのは義務ではありませんが、親が熱心に送り出すので、シーズンはたいていここで過ごす事になります。

 大人になればきちんとした茶会や舞踏会に招かれたり、自分が招く側にならなければなりませんから、それはそれで忙しいです。貴族ってもっと優雅かと思っていましたけど、人脈作りのために茶会に出たり色々大変なんですよね。人脈、大事です。

 ともあれ、これからゆっくり読書でもしようかと思っていましたが、マリエル様のお誘いに断れるわけがなく、マリエル様に招かれて移動します。


「お入りになって」

「失礼いたします」


 マリエル様に連れてこられたのは、比較的小さめの休憩室に使う部屋でした。こちらも先に使用することを伝えていれば、他の誰かが入ってくることはありません。

 しかし、私はあくまで彼女の取り巻きの一人であり、特に目をかけてもらえるような立場ではありません。一応、うちは伯爵位なので、マリエル様の公爵家には逆らえませんが、かといって家格があまりにも低いというわけでもありません。取り巻きの中には侯爵家の令嬢もいらっしゃいますし、マリエル様が私に何かを頼むような事はないと思うのですが……


「突然、呼び止めてしまってごめんなさい」

「いえ、マリエル様。御用とは何でしょうか?」


 少し首を傾げて訊ねれば、マリエル様は何か言いにくそうにそわそわし始めます。小さく「えっと、う……どう、説明すれば……」という声が聞こえてきます。

 私を呼んだものの、どう切り出していいのか分からない――といった感じでしょうか。それなら――


「失礼ですが、お茶を入れてもよろしいですか?」


 休憩室用なので、そういったものはだいたい揃っています。マリエル様に一言訊ねた後は、部屋の隅にあるポットへと向かいます。


「あのっ」

「マリエル様、何やら話しにくそうな内容に見えるのですが」

「……その」

「お茶を入れる間、少し整理していただけますか? それまでお待ちします」


 本当は格下の私が仕切っては問題なんですけどね――と思いつつも、このままでは埒もあかないので、そこはさらっと無視してお茶を入れはじめました。


「セリーナ様は自分でお茶を入れることが出来るのですね」

「あまり上手ではありませんので、本来なら人に勧めませんよ? ですが、今は我慢してくださいね」


 と、少し苦笑しながら答えると、「それでも凄いです」と返された。でも、本当にここにあるのはあまり熱い湯ではないので、紅茶を入れるのには適さないのよね。そのせいで更に味は落ちるので、本当に、人様に出せるようなものではないのだけど。

 とはいえ貴族令嬢がお茶を入れるのは余りないのは確かです。行儀見習いで他家に仕えている場合は別になりますが。


 私は記憶が戻ってから、何でも自分でするようになりました。おそらく、何かをすることで、少しでも昔の自分に浸食されないために抵抗していた気がします。

 私が思い出したのは十二の時でした。十二まで生きれば、『セリーナ』としての自分をある程度は保てましたが、それでも『セリーナ』が潰されそうなほどでした。だって、ここには全くない知識がいきなり溢れ出してきたのですから、恐慌状態に陥ってもおかしくはありませんよね。

 そして、昔の自分に勝つために、『セリーナ』としてあるために、私はこの世界でしか得られない知識を得て、少しでも『セリーナ』になろうとしました。

 結局、昔の自分に影響された『セリーナ』が出来上がりましたが。意識しすぎても駄目なんでしょうね。客観的に『セリーナ』ならどうするのかと考えながら行動していたせいもあり、口調もどこか説明的なものになってしまいましたし、年相応の可愛らしさ(自分で言うのも何ですが)もないような気がします。


「どうぞ」


 昔を思い出しながら入れたお茶を、いつの間にか椅子に座ったマリエル様に差し出します。


「ありがとう」

「あまり自信はありませんが」


 と言って、私も椅子に座って一口お茶を飲みました。

 はい、余り美味しくないです。ああ、あれですね。なんか、ティーパックで入れたインスタントな紅茶――という感じです。

 それなのに。


「……なんか、懐かしい」


 と、マリエル様が半泣き状態で呟きます。


「マリエル様?」

「あ、ごめんなさい。わたくしったら……。昔、よく飲んでいたお茶の味に似ていて……」

「はあ」


 思わず間抜けた声で答えてしまいます。

 だって、相手は公爵令嬢なのですよ? その公爵家に雇われる侍女が入れるお茶なら、文句なしに美味しいでしょうに。


「ごめんなさい、その……セリーナ様に話す事ではないかもしれないですし、話しても信じてもらえないかもしれないけれど……」

「なんでしょうか?」

「……あの、わたくしがこの先どうなるか、知っていると知ったらどう思いますか?」

「この先を……と言うと?」

「……わたくし、近いうちにギルバート様から一方的に婚約破棄を言い渡されますわ」

「まさか……」


 驚きです。いくらエリカ様の事で危機感を覚えても、流石に家同士の婚約話がなくなるなど、誰も思わないでしょう。王族に年頃の方がいらっしゃらない以上、ギルバート様とマリエル様のご婚約は貴族の中で一番注目される程ですもの。

 けれどきっと、マリエル様の中では分かっていること――となると、マリエル様も昔の自分から、この世界のことを知ったのでしょうか?

 疑問が湧きますが、流石に「マリエル様は前世の事を覚えているのですか?」などと問いかける事は出来ません。そんな事を聞いたら、精神的にかなりおかしい人になってしまいます。

 仕方なく、マリエル様が話すのを待ちます。


「いいえ、変えられようのない未来ですの」

「それは……ギルバート様からそのような話を聞かされたのですか? とても信じられませんわ」


 そう訊ねると、マリエル様は静かに頭を左右に振りました。

 ですよね、ギルバート様とエリカ様の話がまとまるのは、まだ一年くらいあるはずですし、今はまだ、仲が良すぎて怪しいけれど、そういった関係には思えない――という微妙なところです。

 それなのに、どうしてマリエル様の中では確定なのでしょうか?

 それはこれから未来さきを知っているとしか言いようがないのですが……


「そうですわよね。それが事実になるのに、一年ほどありますもの」

「一年……?」


 だからどうしてそうピンポイントで話すんですか!?


 思わず突っ込みを入れてしまいたくなります。

 ですが、これでマリエル様はこの世界の事を知っているのが分かります。

 ……が、正直、それに合わせて話をしてしまって良いのでしょうか?

 私もこの世界の事を知っています。そして、マリエル様の今後も……それを伝えるのは、マリエル様にとって良いことなのでしょうか?

 前世の記憶を持つ者同士、語り合えることもあるかもしれません。ですが、ここで過去に囚われてしまったら、私たちはこの世界で前を見て生きていくことが出来ない気がするのです。


「マリエル様、それはきっと何かの間違いですわ」

「いえっ、分かりますの! ギルバート様はあの女を選びますわ! わたくしは……わたくしはっ、それが認められなくて……っ、あの女に……!」


 マリエル様は激高して涙を零しながら切れ切れに訴えます。


「あのお……いえ、エリカ……様を苛めてしまい、わたくしは処罰を受けますわ。それは……、変えられない事ですの」

「………………」


 思わず言葉を失ってしまいます。

 それにしても綺麗ですね、マリエル様。

 ――こんなところでそう思うのは不謹慎ですが、仕方ありません。綺麗なものは綺麗なのですし、その……実は、この話のイラスト・挿絵を担当したのは昔の私なのですよね……。


 実際、自分の死因もろくに覚えてない私ですが、何故この話の事だけ覚えていたのかといえば、過去の職業がイラストレーターであり、この話に関わったからだと思います。

 原作者の希望通り、ヒロインは中性的でなんとなく格好いいけど、時々可愛らしくしてね、などと無茶な要望を出されたり。

 ヒーローはもちろんかっこよく、だけど、女性に慣れていないというのを出したいから、なんとなく硬派なイメージで。

 ライバルの公爵令嬢は、気の強い雰囲気で、でも、ものすごく綺麗な子で、と言われたのですよ。

 私は脇役の中では、どちらかというと可愛い感じの人物に当たりました。昔よりはいいので自分では気に入っているのですが……って、今は私のことではなくて、マリエル様の事です。


 彼女は、作中ではとにかく気が強く、半ば悪役として描かれていたので、気が強く相手を見下したような表情が多かったのですが、とにかく『将来は国一番の美人』とか言われていたので、中性的なエリカ様より余程綺麗なのです。

 が、前述通り、彼女はいつも見下したような表情ばかりでしたので、挿絵もそのような表情が多くなるのは当たり前なのですが……、その彼女が私の前でボロボロと泣くんですよ。

 もう、胸が痛くて仕方がありません。いつもの気の強さはなりを潜め、今は儚げな雰囲気さえ漂ってくるような感じです。これ、同性でもやばいくらいの魅力になってます。


「マリエル様……」

「ごめんなさっ、でも、わたくし……止まら……」


 言いながらも涙があふれ出してくるマリエル様は、手で涙を拭き取ろうとしますが追いつきません。私は立ち上がって持っていたハンカチをマリエル様の目元に当てます。


「ゆっくりでいいですよ、マリエル様。待っていますから」

「……っ!」


 マリエル様は少し驚いたものの、すぐに頷いてハンカチを持つ私の手に重ねるように触れました。


「あり、がとう、セリーナ様」


 それからマリエル様は涙を拭いて深く息を吐きました。


「あの、わたくしがこれから話す事は、信じられないかもしれません。けれど……けれど、最後まで聞いてもらえますか?」


 今のマリエル様にはいつもの気の強さが全くありません。ハンカチを胸の前で握りしめて震える声で問います。

 それに対して私は短く「ええ」と答えました。


「わたくしは……」


 そうして語ったマリエル様の話は、私が想像していた通りでしたが、それよりもある意味悲惨でした。



 マリエル様は前世では体が弱く、一生のほとんどを病院で過ごしたそうです。先天的な心臓病を患っていたようで、一番の治療は臓器移植だったそうです。ですが、ドナーはなかなか簡単には現れてくれませんでした。窮屈な病室での唯一の楽しみは、見舞いに来てくれる友人との会話、そして、本だったそうです。

 けれど、小学校から中学になった頃、友人たちの足は遠のきました。おそらく部活などのせいでしょうね。学校に通っていないマリエル様と話も合わなくなってきます。

 友人の見舞いが少なくなって、ますます本にのめり込んだようです。特に好きだったのが、年頃のためか恋愛小説だったようです。その中の一冊だったのでしょう。彼女は、主人公であるエリカも、相手のギルバートも主人公を苛めるマリエルでさえ好きだったと言いました。


 彼女は気が強くてヒロインを苛める嫌われ役のはず『マリエル』は、好き嫌いが分かれた人物でしたね。ちなみに昔の私は『マリエル』が好きでした。

『マリエル』って、いじめ役だけれど、令嬢としてのマナーはしっかり身についていて、お姫様みたいなところがありましたから。それに政略結婚かもしれないけど、ヒーローのギルバートのことも想っていて――『エリカ』がいなかったら、普通に社交界の華としていられたでしょう。

 とはいえ、話では嫌われ役の『マリエル』の最後は惨めです。さすがに死刑とかではありませんけど、これまでの行い暴露され、社交界からはほぼ追放同然。『マリエル』に親しくしたら、その人たちも同類だと思われてしまうので、『マリエル』は誰も味方がいなくなってしまいます。

 追い打ちをかけるように、両親からは同じ家にいるのは体裁も悪いからと、公爵領の中で一番田舎で不便なところに幽閉されました。そうすることで公爵家も娘のしでかした不始末にけりをつけたという形です。

 その後のマリエルは語られていませんが、読者からは色々な憶測が出て、この扱いに納得出来なくて死を選んだとか、見張りがたくさんいるから無理、一生幽閉じゃないのか、などという話題が出ていました。


 そんなマリエルの最後に合わせるかのように、昔の彼女の人生も幕を下ろしたのだと言いました。

 彼女には最後までドナーは現れなかった。大きな発作が来て、苦しむ中意識を失ったのが最後だったそうです。



「わたくし、昔を思い出したのは六歳くらいでしたの。はじめ混乱したわ。昔生きていた時の記憶が戻るなんて……」


 はい、私も混乱しました。

 それにしても六歳というのはまた……よくおかしくならなかったと思います。十二の時でさえ混乱しましたからね、私は。


「でも、今のわたくし、少し落ち着いてきたら、今の自分で良かったの思ったの。その……自分で言うものではないのでしょうけど……その、この顔は綺麗だなって自分でも思えるし……」


 特に病気を患っていたから、容姿云々と言うよりも、痩せてしまって女の子らしくなかったという昔のマリエル様。

 確かにこの中では、脇役の私でさえ昔の自分より良いですからね。さすが物語というか……。


「それにこの体は健康で、走っても大丈夫だし、ましてや歩いただけで息切れなんてしなくて、本当に嬉しかったの。けれど……」


 ある時、気づいてしまった。

 この世界が、ある小説の中だと言うことに。


「それから、わたくし、自分の立場を思い出して慌ててしまったわ」


 そうですね。私もマリエル様の立ち位置でしたら、どうしたら良いのか分からなくなっていたかもしれません。


「でも、先を知っているから、変えようとも思ったのよ」


 それはチャレンジャーです。マリエル様、すごいですよ。

 思わず心の中で拍手をしてしまいます。


「でも……でも、わたくし、ギルバート様の事をお慕いしてるせいか、エリカ様を見ると笑って話をするなんて出来なくて……」


 マリエル様はエリカ様に対する態度を何とかしようと思うものの、彼女の顔を見ると感情が上手く制御出来ないようです。


「そう……でしたか」


 マリエル様の話に聞き入って何も答えなかった私は、ここでやっとそれだけ言えました。

 何も知らなければ、この子は何を言っているのだろう、で終わるのでしょうが、私自身が彼女の話を肯定する存在ですから、マリエル様が必死に語っているのに、軽々しく口など挟めません。


「ごめんなさい。こんなこと、聞かされたって困るのは分かってはいるのだけれど……それでも、わたくし……」


 マリエル様は半泣き状態で答えます。

 ――が、ここではたと気づきました。

 どうしてマリエル様は私に話したのでしょうか?

 もしかして、私も前世の記憶があると、この世界がある小説の中だと知っていると言うことを、悟られたのでしょうか?

 マリエル様の話に驚いていましたが、私はあのお話の中で物語を動かしていくような人物ではありません。それなのに、何故?


「マリエル様、ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……何かしら?」


 私の声に、マリエル様はかなり濡れてしまったハンカチで目元を拭って顔を上げます。

 私は、意を決して。


「マリエル様、失礼ですが、頭は大丈夫でしょうか? 一度、お医者様に診てもらったほうがよろしいかと思いますわ」


 と訊ねると、すでに赤くなっていた頬がさらに赤味を増して、涙もまた溢れ始めます。


「――と、言われると思いませんでしたか?」


 我ながら、とても意地悪ですね。

 ですが、普通ならそう言われても可笑しくはないと思うんです。私だってそう思うからこそ、誰にも言わずに何もなかったかのようにしているのですから。


「…………思いました、わ。でも……」

「なら、どうして私には話してしまわれたのですか?」

「それ、は……何故でしょう。なんとなく、セリーナ様は聞いてくれると思って……」


 マリエル様は動揺しているせいか、口調が落ち着きません。

 ですが、正直、驚きました。

 私なら、マリエル様の話を聞いて――これは、理解してという意味でしょうね――くれると、どうして思ったのでしょうか?

 不思議に思っていると、マリエル様は、


「……セリーナ様は、わたくしと同じ歳なのに、とても落ち着いていて……そのせいかと思っていたの。でも、貴女がわたくしを窘めてくれるのは、いつもギルバート様に見られないようにしているようなタイミングで――そう、まるで未来を知っているような……」


 一度そう思って見ていると、当たり障りのないことを言っている時は内輪の時で、ギルバート様が来そうな時には窘めたり、エリカ様に対しても酷くなりそうな場合はやんわり止めに入ったり……と、自分を悪者にしないようにしてくれているのでは――と思ったからだそうで。

 ……なかなか、見てるのですね、マリエル様。

 改めて、不思議な方だと思いました。

 感情が制御出来なくてエリカ様に当たってしまうという子供じみたところがありながら、私のことを見て同じ立場でないかと推測してしまう鋭いところ――まあ、後半は私のおかしな行動のせいもありますが――があるなんて。

 確かに、私は何も出来ないと思って当たり障りのない距離でいたけれど、未来さきのことを考えるとつい口を出してしまったり……そんな、中途半端な態度でした。

 それにしても、こう言い切られてしまうと、私もばらしてしまった方がいいのでしょうか? それはそれで悩みます。

 同じ存在が目の前にいるのに、自分も、と打ち明けるのは勇気がいります。もともと、誰からも信じてもらえなさそうでしたので、死ぬまで黙っていようと思っていた話ですから。


「すみませんが、私は前世の記憶というのは分かりません。ただ、マリエル様のご様子を見る限り、否定する気もありません」


 すみません、私は臆病者です。

 マリエル様が打ち明けてくれたのに、私は自分のことを打ち明けられませんでした。


「……そう、ですか……」


 落胆して肩を落とすマリエル様に、罪悪感で押しつぶされそうになります。

 私が話さなかったのは、半分は私の逃げになりますが、半分はマリエル様のためでもあります。

 打ち明けたら前世の記憶持ちとして、マリエル様は私と一緒にいるようになるでしょう。その時間は昔の話なども気兼ねなく出来るかもしれません。

 それは楽しそうだと思いますが、それよりも話をし始めれば、今まで覚えていなかったことまで思い出してくるかもしれませんし、また、同じようなことがあった場合、昔の記憶に引きずられる可能性が出てくると思うのです。

 マリエル様は前の自分が死ぬ時までをしっかり覚えているのです。何かの拍子にそれを思い出させてしまって、マリエル様に辛い思いをさせてしまうのでは――という心配もあります。

 さらに私もマリエル様と話をし始めたら、もっと昔のことを思い出しかねない――そんな心配もありました。

 ですが、聞いてしまった以上は、放っておくことは出来ませんが。


「マリエル様、心配でしたら私に言ってください」

「セリーナ嬢?」

「マリエル様のことをお聞きしたのも何かの縁ですわ。マリエル様が憂いている未来を望まないのであれば、少しばかりでしょうがお手伝いしますわ」

「……っ、ほんとに!?」

「ええ、愚痴を言いたい時にはお付き合いもしますわ。……それでは駄目でしょうか?」


 同じ前世の記憶持ちでなければ受け入れられない――というのであれば、無理でしょうか? そこまではちょっと……と思ってしまいます。


「い、……いいい」

「い?」

「……い……いいい、い、い、の?」


 ああ、「いいの?」と聞きたかったんですね。動揺して「い」ばかり何回も言われてはすぐに理解出来ませんよ? 動揺しているマリエル様に、私は「良くなければそんな事は言いませんよ」と捻くれた返し方をします。

 それでもマリエル様は喜んで、「ありがとう!」と笑顔になって言いました。

 ああ、気が強そうな顔とか言われているマリエル様ですが、無邪気に笑うとそんなところが微塵もありませんね。思い出せば、エリカ様に絡んでいない時のマリエル様は、意地の悪い面はどこにもありませんでした。本来のマリエル様はこういう方なんですね。改めて実感しました。



 *



 あの日から、マリエル様は私のことを『リーナ』と。

 私は『マリー』と。

 互いに愛称で呼び合うことになりました。

 お話では『セリーナ』はあくまでマリエル様の取り巻きの一人――脇役で、こんな風に仲良くなることは思いませんでした。

 でも、本当に良いのかしら……と思いながらも、マリエル様のことを『マリー』と呼びかけると嬉しそうに笑って頷いたので……まあ、良いことにしましょう。

 そういえば、私も話をする方はいらっしゃいますが、友人と呼べる方はいなかったので、友人を得ることが出来たと素直に喜びましょう。

 急に仲良くなった私たちに、周囲は驚きながらも、それなりに受け入れられました。



 *



 次の日、マリーは家で何かあるらしく、こちらには来ませんでした。せっかく仲良くなったのに残念です。

 仕方なく一人で本でも読もうかと思っていると、エリカ様が遠くから声をかけて走ってきます。

 ああ、もう、ご令嬢が大声を出して走るものではありませんよ、と言いたくなるけど、ここからでは届かないので、エリカ様が近くに来るのを待ちます。


「あの、セリーナ様!」

「落ち着いてくださいな、エリカ様。それから、声を荒げたり、走ったり……貴族の令嬢としては見苦しいですよ」

「す、すみません。セリーナ様とお話したくて」

「なんでしょうか?」


 答えながらも、そういえば小説でのエリカ様は庶子で、数年前、彼女のお母様が亡くなって一人になったために子爵家に引き取られたという設定がありました。

 小説と同じで彼女もそうらしく、そのため、貴族としてのマナーがところどころスパッと抜け落ちるんでしたっけ。まあ、そういう気軽なところが淑女らしくなく話しやすかったので、ギルバート様とも話すようになった――という設定もありましたっけね。

 エリカ様は顔立ちもどちらかというと中性的で女性らしさを余り感じさせませんものね。それに立ち居振る舞いもお世辞にも淑女という感じがしません。

 身分だのというしがらみがなければ、彼女は話しやすい相手なのかもしれません。


「あ、あの、セリーナ様?」

「あ、ごめんなさい。つい考え事をしてしまって……それで、何の御用でしょうか?」

「あ、あの、先日はありがとうございました」


 と言って、エリカ様は頭を思い切り下げます。うーん……令嬢としては一〇点というところでしょうか。普通ならマナーを家でしっかり学んだ後にここに来るのだけれど……。

 そういえば、カーライル子爵は政略結婚だったはず。けれど奥方はかなり嫉妬深い方だったはずで……そのため、愛人との間に出来たエリカ様のことを疎んじていた――という話でしたっけ。では、家に居づらいからこちらに通っているのかもしれませんね。


「お気になさらず。それよりも、マリーのことを悪く思わないで欲しいのだけれど……」


 無理でしょうね、と言おうとした矢先にエリカ様に先を越される。


「そんな!? 私の方が悪いんです。ギルバート様が話しかけてくれたとはいえ、二人きりで話していたら、婚約者であるマリエル様だっていい気がしないのは分かります!」

「エリカ様がそう思ってくれるなら助かりますわ」


 私が出しゃばって言うことではないですが……マリーと仲良くなった以上、マリーのことを悪く思われたくないですものね。

 でも、エリカ様はマナーに関してはまだまだのようだけれど、人間関係については承知しているようです。

 こうなると、エリカ様にギルバート様となるべく二人きりにならないように気をつけてもらえれば、小説のような展開にならないかもしれないですね。

 話から逸れるのは元の世界で話が変わるのか、それとも全く関係ないのか分からないですが、ギルバート様とエリカ様がくっ付かなければかなければ、誰も傷つかずにいられるわけで……


「では、エリカ様はギルバート様の事はなんとも思ってらっしゃらないと?」

「え、と……その、ギルバート様は私のことを心配してくれて声をかけてくださるだけで……」

「あの、踏み込んだことをお聞きしますが、エリカ様はギルバート様の事を慕っていらっしゃらない……と言えますか?」

「もっ、勿論です!」


 慌てて返事をする姿はちょっと怪しいと思ってしまいますが、余り追求しても仕方ないでしょう。

 マリーの感情云々は置いといても、婚約者のある方と二人きりで会うのは、淑女として問題があるので気をつけた方がいいということを念押ししました。


「はい、そうですね。気をつけます」

「何か分からないことがあった場合、同性に聞く方がいいと思いますわ」

「同性……ですか」

「ええ、その方が問題は少ないかと思います」

「……そう、ですね」


 エリカ様は逡巡したあと、「気をつけます」と応えた。

 それから。


「あの……失礼ついでに、セリーナ様に相談に乗ってもらってもいいですか?」


 と、恐る恐る訊ねてきます。

 私はお話では脇役でした。けれど、主要人物たるマリーと仲良くなった以上、踏み込んでしまっていますからね。こうなると毒を食らわば皿まで、です。

 私は笑って「構いませんわ」と答えました。

 その答えに対して、エリカ様は嬉しそうに笑ったのが印象的でした。



  *



 マリーと仲良くするようになって、私の生活も色づいたようです。

 今までは当たり障りのない会話ばかりだったけど、今はマリーと仲良く色々な話をします。年頃ですからね、おしゃれ、甘いお菓子、話題の本――毎日が楽しくて仕方ありません。

 マリーも私との会話が少しでもストレス解消に役立っているのか、エリカ様に当たることも少なくなりました。

 とはいえ、ギルバート様と話をしているのを見かけると、悔しそうな顔になるので、マリーはまだギルバート様を慕っているのが分かります。

 ……友人との会話くらいで想いがなくなるくらいだったら、エリカ様を苛めて立場が危うくなるのに気づかない――なんてことありませんものね。

 しばらく時間が必要でしょうが、お話の最後のようにはなって欲しくないと思います。

 そんな時でした。


「あの……セリーナ嬢」

「……は、い。何でございましょう? ギルバート様」


 目の前にはギルバート様。

 はて、これは一体何なんでしょう? 『セリーナ』が『ギルバート様』と直接話をするようなことで、話ではなかった気がするんですけど……。

 ま、今更ですね。すでに話通り進むかどうか怪しいですから。『マリエル』と『エリカ』に関わった以上、私の立ち位置はすでに『脇役』からバッチリ逸れてる気がしますしね。


「少し、よろしいでしょうか?」

「なんでございましょう?」


 微笑みながらも、ギルバート様を観察してしまいます。

 ギルバート様はヒーローですから、もちろん美形です。だけど、ヒロインのエリカ様が中性的で他の女性より少し背が高いのに合わせるため、ギルバート様は長身で体つきも少しばかりがっしりしています。隠れマッチョ……くらいでしょうか? 優男――とは、決して言えない体つきです。

 まじまじと見つめていると、ギルバート様は少し居心地が悪そうな顔になって、「あの、セリーナ嬢……?」と先程より弱々しい声で訊ねてきました。


「あ、申し訳ございません。ご用件は何でしょうか?」

「あ、その、少し聞きたいことがあるのだが、少し時間を頂いても良いだろうか?」

「構いませんが、ここで話して大丈夫なことですか?」

「それは……」


 周りに人は少ないですが、誰が来ても可笑しくない場所ですからね。言いづらそうなギルバート様を見ていると、余り人に聞かれたくないようですし。庭の東屋は先約がいれば近づくことはないけど、そうなると私がギルバート様と二人きりで話をしていたというのが皆に知られてしまいますね。どうしましょう……と思案した結果、東屋になりました。人が通る所から離れてはいるので会話を聞かれる心配はないですし、二人で会っていても疚しさを出さなければいいのです。

 マリーと仲良くなっていて良かった、と思います。彼女のことで相談されたと言えばいいもの――なんて思っていたら、本当にマリーのことでの相談でした。


「セリーナ嬢は、最近マリエルと仲が良いと聞いているのだが……」

「え、ええ。仲良くさせて頂いております」

「その……最近の彼女はどうなのだろうか?」

「どう、とは? 曖昧に訊ねられても答えかねますが」


 マリーは最近は少し気持ちが落ち着いたのか、感情を高ぶらせるようなことはないですが――そもそも、ギルバート様はどこまでご存知なのでしょうか? もしマリーがエリカ様のことを苛めていた――というようなことを、すでに知っているのと知らないのでは返答が違ってきます。


「その……最近、マリエルが何を考えているのか分からなくなってしまって……仲の良いセリーナ嬢から見て、マリエルが何を考えているのか訊ねたかったんだ」

「それは……私が答えるようなことではありませんよね?」

「……」

「気になるのでしたら、ご本人にお聞きした方がよろしいですわ。他人を介せば言葉の齟齬から誤解が生じますもの」


 なんでしょう。もしかしなくてもギルバート様は『ヘタレ』なのでしょうか。失礼ながらギルバート様の顔をまじまじと見ながらそんな事を考えてしまいます。

 女性に余り慣れていない――という設定のせいもあるかもしれませんが。

 本人に聞きたくても、どう聞いて良いか分からないジレンマなどもあるのですかね。私から視線を逸らしそわそわとしてしまいます。


「……では、逆に伺いますが……ギルバート様は、マリーのことをどう思っていらっしゃいますの?」


 と、訊ねる。

 二人は婚約関係にあるけど、それは恋愛感情より家同士の政略結婚の意味が強い。だからこそ、マリーはエリカ様の登場で不安になっている。


「それは……大事、な、婚約者で――」


 頬を赤らめ答えるギルバート様は本当に女性に慣れていないようですね。

 とはいえ、エリカ様と話したり、私に声をかけたり……としているので、女性が苦手というより、マリーを意識してしまって、彼女に対してどう応えて良いのか分からない――と取って良いのでしょうか?

 だとしたら、気持ちの差はあれ、ギルバート様はマリーのことを想っている言えるのですが……。


「大事、というのでしたら、どうしてマリーが誤解されるような真似をされるのでしょうか?」

「誤解?」

「ええ。どうしてギルバート様はエリカ様と二人で話をするような真似をなされたのですか? 今も私と二人で話をしていますが……」


 と、疑問を口にすれば、ギルバート様は溜息を一つつきました。


「エリ……いや、か、彼女については、家同士の関係で父から直接頼まれていて。生い立ちが複雑だから、目をかけてやって欲しいと」

「それなら、マリーにも話をするべきですわ。同じ貴族子女でも、男性と女性では学ぶことも違ってきますもの」

「それは、そうなのだが……」


 なにやら歯切れの悪い返答が返ってきます。

 けど、確かにエリカ様のカーライル家の奥方が、アトリー公爵の何番目かの妹でしたっけ。確かに繋がりはありますね。

 けれど、公爵自ら嫡男であるギルバート様に頼むようなことでしょうか。


「お父様の言い付けだから――というのも理解出来ます。それなら、家の決めた婚約者であるマリーのことを蔑ろにするのもどうかと思いますけれど」

「……分かってはいるのだが……」

「二人の女性に、同じように接することは出来ない――と、仰いますか?」

「……」


 無言なのがギルバート様の心を物語ってますね。とても不器用な方のようです。


「ギルバート様」

「な、なにか?」

「先程は同じようにと言いましたが、同じように接する必要はないと思います。普通でしたら婚約者であるマリーを優先するのが普通ではありませんか? エリカ様については、お父様から頼まれたことをそのままマリーに伝えればよろしいかと思います」


 父に頼まれたことを、同性である婚約者に頼む――というのは、別に可笑しくないと思うんですよね。女性ならではの問題もありますし、マリーを入れることによってギルバート様とエリカ様のことを怪しむ人もいなくなるわけで……。


「確かにそうかもしれないが……エリ、いや、……彼女は貴族としての礼節をきちんと学んでいるわけではないので……」

「でも、私たちが居るここは、そういう時のためでもあるのではありませんか?」


 この場所に居る意味――それは、社交界に本格的に身を置く前に、社交界とはなんぞやというのを学ぶ場所なのですから。多少のミスは指摘を受け入れ変えることで認められる、やり直しが出来る場所。

 そうでなければ、エリカ様は今シーズンは家で家庭教師をつけて一人で学ぶのが妥当でしょう。

 そう伝えると、ギルバート様はどこか引っかかったところが残るものの、最終的には私の意見を肯定してくれました。


「確かに、父に言われたからというのもあるが……ここがどういった場所かを忘れていた気がする」

「そうみたいですわね。でも、未熟ゆえに失態を犯しても、まだやり直せる所ですから」

「ああ」

「ですから、マリーを悲しませないでくださいませね?」


 彼女、とても心配してましたのよ、と告げると、ギルバート様は一気に血が頭に上ったように顔を赤く染めました。


「す、すまない。けれど、マリエルには貴女のような友人が居てくれて良かった」

「私など……」

「オルセン家の令嬢はとても聡明だと、すでに噂になっているようだが?」

「……まあ、初耳ですわ」


 両親はパーティや茶会に呼ばれても、そこで何があったか話してくれませんから。

 それにしても、面と向かって言われると恥ずかしいですね。いえ、一部とはいえ前世の記憶が蘇ってしまったせいで、『セリーナ』であろうとして必死に勉強しましたからね。同年代では学ばないことまで意欲的に学んだので、多少はいいとは思いたいけれど。


「そういえば……」

「なんですか?」

「いえ、この間、エリカ様からも話があって、私でも良ければ相談に乗りますと言ってしまったのですが……」

「そ、それは……」


 あら、認めてもらえると思ったのに、何故かどもってしまうギルバート様。

 なんでしょう。エリカ様を他の方と余り接触させたくないような……そんな感じがします。

 ……これでは誤解してくれと言っているようなものではありませんか?


「ギルバート様、エリカ様も貴族の令嬢として社交異界に出れば、色々な方を相手にしなければなりませんわ。いくらお父様の言い付けでも、ギルバート様がずっとエリカ様を守っていくことは出来ませんよ?」


 それとも、マリーを捨ててエリカ様の元へと行くのですか、とやんわりと問えば、ギルバート様は盛大な溜息をつかれました。


「……すまない。貴女には失態ばかり見せている……」

「お気になさらず」


 社交辞令で返すと、ギルバート様は安堵した表情になります。

 そういえば、この方も同い年でしたね。十四歳といえば前世ではまだ中学生――十分子供の範疇でした。学問においてはそうでもないけど、礼儀作法についてはこちらの方が断然厳しいため、十四歳でもかなり大人びて見えるので、つい実年齢を忘れてしまいますが……。


「ギルバート様、少しマリーや私を信じていただけますか? エリカ様に危害を加えるようなことは致しませんわ」


 マリーも感情が高ぶらなければ問題ないでしょうし、なによりギルバート様から事情を説明してお願いすれば、それなりに仲良くなれると思うんですよね。


「……そうだな。マリエルと貴女にお願いしてもいいだろうか?」

「ええ」


 笑みを浮かべて承諾すると、ギルバート様はほっとされたようでした。




 翌日はマリーも出てきたので、ギルバート様は私も交えてマリーに説明し、マリーは少し複雑な表情をしましたが、それでもエリカ様と仲良くすることを承諾しました。


「マリー、良かったですね」

「……ありがとう、リーナ」


 エリカ様とも早速二人して話をしてみました。

 はじめはマリーもピリピリした雰囲気を纏っていましたが、話し始めてすぐに打ち解けました。貴族らしくない気さくな方ですからね、エリカ様は。淑女教育が行き届いていないというより、あれは性格でしょう。

 マリーは今までのことをきちんと謝罪して、エリカ様もマリーの謝罪を受け入れ、水に流すと言ってくれたおかげで、その後は普通の話に。



 *



「え? エリカは今まで茶会にも出たことがないの?」

「はい。本当なら、ここに居るのも可笑しいというか……別に、庶民の生活で十分だったんですが……まさか、マリエル様とセリーナ様のような上級貴族の方とこんな風にお茶をするなど思いませんでした」


 丸いテーブルを三人で囲んで、お茶とお菓子で雑談を。

 今は、エリカの身の上話になっています。

 カーライル子爵家には、奥方との間にお子がいらっしゃいません。そのため、エリカを引き取り、婿を迎え家を継ぐように奥方を説得したようで。奥方は親戚筋から養子を迎えればいいと言ってなかなかエリカのことを認めなかったようですが、最終的には折れたようですね。

 エリカのお母さんはカーライル家に入るのを反対していたようですし、エリカ自身も望んでいなかったらしいけですけど。


「エリカも大変でしたのね」

「ええ、まあ。堅苦しいのは嫌なんで」


 日頃のエリカの態度を見れば一目瞭然でしょうね。市井でのびのび育ったエリカにしてみれば、柵の多い貴族の生活は堅苦しいでしょう。

 エリカのぼやきに相づちを打っていると、マリーが少しふて腐れたように文句を言います。


「それよりも! エリカはわたくしのことをマリーとは呼んでくれないの?」

「そんなっ、公爵家の方を愛称でなんて呼べません!」

「え? 私は家が伯爵位だけど、マリーと呼んでますけど」

「セリーナ様は私より家格が上じゃないですか!」

「でも、そんな事を言っていたら、親友なんて出来ないですよ?」


 確かに身分制度があるので、立場を気にすることもありますが、プライベートな所ではこれくらいは皆している事なんですけどね。私もエリカのことを呼び捨てにするようになりましたし。


「では、マリー様とリーナ様でいいですか?」

「なに、その中途半端!? せっかく仲良く出来たと思ったのに……」


 と、マリーは少々赤い顔でふくれっ面状態。

 それに対して、「駄目ですか?」とエリカはちょっとおろおろしたり。


「マリー、いきなり同じようにしてと言っても、エリカが困ってしてしまうわ。仲良くなっていけば、きっとエリカも普通にマリーと呼んでくれるようになるから大丈夫よ」

「そうかしら?」

「少しずつ仲良くなるというのも良いものじゃないかしら?」

「リーナがそう言うなら……」


 と、マリーがやっと納得します。

 マリーにしてみれば、ギルバート様の心は変わっておらず、恋敵になるはずのエリカとは親しく話が出来るのだから、嬉しいばかりでしょうね。だから余計に欲張ってしまうのかもしれないです。


「でもね、エリカ。私は公爵令嬢でもないので、普通にリーナで問題ないですよ?」

「や、やめてください。そんなことしたら、マリー様が……」

「そうよ、なに抜け駆けしてるの、リーナってば!」

「あら、ものは試しにと言ってみただけですよ?」


 と言えば、マリーはぷくっと膨れ、エリカはわたわたと慌てます。面白いですねー、と二人の様子を観察してしまいます。


「それよりもマリー、ギルバート様とはどうなったの?」

「え? あの、その……」

「どうしたの?」

「……先日、誤解させて心配をかけさせて悪かったと……お花とお菓子を持って家まで訪ねてきてくれたの」

「まあ、それは良かったわ」


 どうやら仲直り(?)したようでほっとしました。

 エリカも同じように思ったのか、マリーを見て笑みを浮かべます。

 それにしても、マリーは頬を紅潮させてはにかんだ笑みは可愛らしいですね。

 お話と全く違うストーリー展開になりましたが、ここはあの話と世界設定は同じの別の世界――と思うことにしました。

 それなら何でもアリですよね!



 ……それにしても、どこで狂ったのでしょうね?



 *



 そろそろ領地に戻らなければ――と思う頃には、マリー、エリカ、そしてギルバート様との間に何の確執もなく、穏やかな時を過ごしました。

 ええ、おかげで小説の展開はどこに行った!? と時々ツッコミを入れたくなりましたが、嫌な未来より穏やかな今の方がいいですからね。もう先を考えることはやめましょう。

 設定(家柄とか名前)だけが残っているけど、展開は最早別物ですから。

 それにしても、来年のシーズンでは、私たちは社交界デビューになります。そうなるとここに来て気軽に話せる状態ではなくなるので、寂しいと感じてしまいます。


「リーナ」


 読みかけの本をそのままに物思いに耽っていたら、いきなり名前を呼ばれました。反射的に顔を上げると、横から覗き込むように私を見ているエリカと目が合います。


「エリカ……どうしたの?」

「どうしたの、はこっち。さっきから何回か呼んだんだよ?」

「え? 本当に」

「声をかけても全然返事しないけど、本に夢中になっているようでもないし……どうしたの?」


 エリカは身を屈めて私を覗き込んでいるので、彼女のストレートの髪が私の顔の近くに一房垂れてきました。彼女の髪は黒くて昔の自分を思い出しますね。思わず手に取ろうとして。


「リーナ?」

「ご、ごめんなさい。つい……」


 手を取られて、我に返ります。

 そう、日々が穏やかで、でも楽しくて……なので、このままで居たい――と思ってしまいます。

 ですが、この時間はもうすぐ終わりになるのです。そろそろシーズンが終わり、皆、親が治める領地へと戻ります。

 それに――


「本当にどうしたの?」

「いえ、別に……」

「別に、って顔じゃないよ。何を悩んでるの?」


 エリカは心配そうに訊ねてきます。


「それよりも、エリカ」

「なに?」

「結局、言葉遣いは変わりませんでしたね。というより、よりざっくばらんな口調になっているような気がしますけど?」

「そ、そう?」

「ええ。マリーと二人で頑張ったはずなのに……どうしてこうなってしまうのかしら……」

「……親しくなった証拠だと思って!」

「納得出来ません」


 エリカは頭が悪いというわけではないのですよね。勉強に関してはギルバート様から教えてもらったことをどんどん吸収していきましたし。けど、マナー――いえ、淑女としてのマナーがなかなか上達しないというか……マリーなんて前世の記憶のせいで混乱していた時期があったにもかかわらず、立ち居振る舞いは完璧なんですから。


「そ、それよりも、リーナにしては妙に気もそぞろというか……本当にどうしたの?」

「……別に、なんでもありませんわ」


 ええ、なんでもありません。

 ただ単に、私の婚約が決まりそうになっているだけの事。

 もちろん、家のための結婚です。年上の方なので、ここでお会いした事はありません。両親から相手方が強く希望しているという事を、昨日告げられたばかりです。お相手は五つ年上の子爵家の嫡男だそうです。私に縁談の話があるという情報のみ伝えられて、それ以上は全く知りません。お会いした事もありません。

 私には兄が一人、姉が二人居ます。兄は家を継ぐとして、姉二人がそれなりのところに嫁ぐ予定なので、持参金の問題もあります。おかげで両親も私の婚約を急ぎませんでしたが、私ももう十四なので、婚約者が居ても可笑しくはないのですよね。

 なまじギルバート様とマリーの関係を見てしまったせいか、欲が出てしまったのかもしれませんね。あんな風にお互い想い合って結婚したい――という気持ちがどこかに芽生えてしまったのでしょう。

 今の状態では相手のことを知ることもなく、そのまま嫁ぐことになりそうで――


「やっぱり可笑しい」

「別に、ただ、当たり前の事がいきなり出てきて驚いているだけですわ」

「当たり前の事?」

「婚約の話です」

「……婚約? ……リーナに?」

「ええ」


 いつかは来るものだけど、急だったので、と言えば、エリカの顔が歪みます。


「リーナはそれで幸せになれるの?」

「……幸せもなにも、貴族にとって結婚とはそういうものでしょう? 私はまだ相手の顔も見たことがありませんし、急な話だったから驚いてはいるけれど」


 貴族は家のための政略結婚が当たり前。

 そして政略結婚に愛はありません。結婚してから育む場合もあるけど、それは相手が自分にとって良かったから。結果論でしかありません。

 互いに歩み寄れなければ、外に愛人を作って仮面夫婦になります。愛はない。けれど、家のために別れることもありません。愛人を囲うのも黙認されるている状態ですね。半分以上はこちらになるでしょうか。


「それじゃ、幸せになれないよ」

「まだ分からないじゃないですか」

「分かるよ。私が居ることがそれを証明している」


 と、エリカは翳りのある顔で呟きました。

 いけない。エリカはお父様も奥方と上手くいかず、愛人を作ったために生まれた存在でした。


「もし、そうだとしても……私には何も出来ませんわ」


 けれど、私が嫌だと言っても、この話を止めることは出来ません。

 諦めを含んだ笑みでエリカを見ると、エリカは何かを堪えているような悔しげな表情になりました。

 そういえば、エリカも同じような運命を辿るのかもしれませんね。奥方の不興を買ってもエリカを引き取ったのは、他家と繋がりを持つために必要な駒――子供がエリカしか居ないから。

 小説ではエリカはギルバート様と幸せになるものだと思っていましたが、ここまで話が変わってくれば、ギルバート様と一緒になる事はないでしょうし、そうなると私と同じ道を辿るでしょう。

 だから、きっと、彼女も私と同じで……


「……え?」


 そう思っていると、いきなりエリカの顔が近づいて――驚いて目を見開いていると、エリカの唇が目元に優しく触れて――

 今、何が……


「エ……リ、カ?」

「ごっ、ごめん! だって、リーナが泣きそうだったから……!」


 ええ、まあ、泣きそうな――というかちょっと目が潤んで見たりしたけれど、けれど! どうしてエリカに溢れそうになった涙を拭ってもらうことになるの?

 しかも、手じゃなくて唇で!


「ぅええええええエリカッ!?」


 何があったのかをやっと整理出来ると、私は素っ頓狂な声を上げてしまいました。

 だって驚くなという方が無理でしょう!?

 女同士とはいえ、こんな風にされるのは――


「ごめん。小さい頃、泣くと母さんが『泣いちゃ駄目』ってこうしてくれたから……」


 ああ、小さい時に良くされたので、慣れ、なのですね。つい、それが出てしまった……と。

 全くもう、心臓に悪いじゃないですか。この世界は日本よりはスキンシップが多めな方ですが、それでも自分が泣きそうになっているほど動揺している時に、あんな風に触れられたら……

 エリカに触れられた所に手をやりながら、少し俯きながら小声で答える。


「いっ、いえ、私の方こそ醜態をさらしてしまいましたわ」


 本当、今すぐ逃げ出したいくらいに。

 こんな私は、『セリーナ』ではないようで。


「……リーナ」

「はい?」

「リーナはいつも本心を見せないね。どうして?」


 エリカが覗き込むようにして見つめてきます。顔が近いのに、視線を逸らさず見られると、いくら女同士といっても落ち着かない気持ちになります。


「私は別に……」

「確かに貴族ってのがいかに面倒臭いって存在って事、理解したよ。でも、マリーは礼儀作法は別としても感情を出していた。でも、リーナは……」

「私、は?」

「いつも笑って、心の裡を見せてくれない」


 ずきん、と胸が痛くなった気がします。


「そ、そんな事ないですよ。皆と話が出来るようになって楽しいし……」

「そうだね、リーナはいつも笑ってる。怒ってもいいような時も苦笑いするだけ」

「そんな、こと……」


 エリカの鋭い指摘に口ごもってしまいます。

 でも、確かにエリカの言う通りです。なまじこの世界が小説と同じだということを思い出してから、私はどこかで線を引いていました。

 マリーと仲良くなれて一緒に過ごしても、それでも私も昔の記憶があることを打ち明けられませんでした。いえ、マリーが話した時に私も打ち明ければ良かったのに、それが出来なかった。その後も打ち明けることが出来なくて、それが後ろめたさとして残っています。

 だって、マリーが話してくれた時、私はきつい言葉でマリーを傷つけてしまったから。だから今更私もこの世界の事を知っているの、とは言えなかった。

 そうして昔のことを隠すようにしていれば、心から打ち解けることなんて出来ないのです。隠している罪悪感がどこかで残ってしまって……


「私は……」

「ごめん、リーナを苦しめたいわけじゃない。だけど……」

「いいえ、エリカの言う通りです。でも分かっているけど、もう今更なの」

「どうして?」

「私はマリーと違って、頑張るということを放棄してしまったのだもの」


 未来さきを知って、『脇役』の私にはどうにも出来ないと思った時から、私は足掻くのを諦めてしまった気がします。ただ『セリーナ』としてあろうとしだけ。

 マリーが幸せなのは頑張って過去を打ち明けてくれたから、だから、私もマリーの気持ちに動かされただけで、私は私のために頑張ることはなかったのだから。


「リーナの言っている意味が分からない」

「分からなくて結構です」

「……もうっ、リーナは意地悪だよねっ!」


 心の裡を明かせないため適当に答えていると、エリカはついに怒ってしまいました。

 といってもふくれっ面で文句を言うだけなので可愛いものだけど。


「ごめんなさい、エリカ」

「……いいよ、別に。私だって人に言えないことだってあるし。リーナもそうなんだよね?」

「えー……まあ、そうですね」


 曖昧に返事をしながら、エリカも人に言えない隠し事があると聞いて驚きました。

 だっていつもあけすけで思ったことを口にして、裏表のない性格だと思っていたから……。

 でも少しして、エリカは庶子で……貴族の中では言えないこともあるでしょうね――と勝手に納得しました。


「……私、さ」

「どうしたんですか、エリカ」


 先程の私を問い詰めるようなきつい表情から、視線をどこか彷徨わせて困ったような表情になっていた。


「リーナには幸せになって欲しいんだよ?」

「ありがとうございます。私もエリカには幸せになって欲しいですよ」

「だったら!」

「ですが、貴族間での結婚については幸せを求めることはできません。義務です」


 貴族間での繋がりは大事。特に自分たちが治めている領民にとってもプラスになるような繋がりは……。

 それに、今回は断れたとしても、次にまた同じような話が出てくるでしょう。


「相手は?」

「ゲイル子爵家ですね」

「子爵……ゲイル子爵っていうと、うちとあまり変わらないね」

「そういえば、そうですね。エリカの家の方が最近手を出した事業が上手くいっているようですし……そうなると、エリカは令嬢としては優良物件になりますから、エリカにしたら好きな方を選べるじゃないですか?」


 エリカには多少のえり好みができますよ、私と違って――という言葉は飲み込んで、告げます。

 そうなんですよね、エリカの令嬢らしからぬ行動に目をつぶれば、貴族の次男など嫡子以外の男性にとって、カーライル子爵家の婿というのは優良物件だと思うのです。

 令嬢らしからぬ行動だって、ギルバート様のように女性慣れしていない方であれば、話しやすい女性と好意的に取れるかも知れませんし。顔は『ヒロイン』になるほどですから、もちろんいいですしね。

 私よりもエリカの方に縁談の話はないのでしょうか?


「ねえ、エリカ?」

「なに?」

「エリカには縁談の話はないの?」

「……っ、それはっ」

「その慌てよう……あるのね?」

「私のことはどうでもいいじゃない。今はリーナのことでしょ!?」

「まあ、そうだけど。同い年だし気になったの」

「私はこんなだから父さんも何も言わないよ。リーナの方が問題であって」

「はっきり言わないで。あまり考えたくないんだから」


 現実逃避をしたいのだからしょうがないじゃない。

 ふぅ、っとため息をつけば、エリカもはーっと息を吐いた。


「リーナ」

「なに?」

「今、普通に話してくれて嬉しかった」

「……っ!?」


 そういえば、いつもの口調ではなく、昔の私、もしくは思い出す前の無邪気な『セリーナ』のように。


「リーナのそういうの、初めて見ることができて嬉しい」


 エリカはそう言うと同時に、屈んで椅子に座っている私に抱きついた。


「え、エリカ!?」

「リーナ、幸せになることを諦めないで」

「エリカ……」

「確かに貴族って面倒くさいけど……だからって、リーナが幸せになるのを諦める必要なんてないんだから……」

「うん、そうね。ありがとう、エリカ……」


 答えて、私もエリカの背に手を回して目を閉じた。

 なんかすごく久しぶりな気がする。こんな風に誰かに気遣われること。

 そして、それを素直に受け入れることにも。

 思えば、昔を思い出してから、『セリーナ』に対して引け目があった気がする。昔の『私』のせいで、『セリーナ』が変わってしまったことに。知らずにいれば、辛いこともあるだろうけど、こんな風に悩むことはなかったはず。

 そこまで考えて、マリーは前向きなんだな、と改めて思った。

 昔の私より辛い過去を持っていて、ここが小説の世界で、いずれ来る身の破滅|(?)が待っていてもどうにかしようと足掻いて……そんなマリーを応援したくなったのだから。


「うん、私、もうちょっと頑張ってみる」

「リーナ?」

「エリカの言うとおり、諦めるのをやめるわ。どこまで頑張れるかは分からないけど……」


 諦めてたこと、我慢してたこと、言えなかったこと……それらを少しでもいい頑張ってみよう。

 気づかせてくれたエリカに感謝の気持ちを込めて、エリカの背中を軽く叩いた。



 *



「今日はどういった要件ですの、リーナ」

「急にごめんなさい、マリー。領地に戻る前に話をしておきたかったの」


 お茶を入れたカップをマリーの前に置く。次いで自分が座る前に置いてから椅子に静かに腰掛けた。



 エリカと話した日の夜に、婚約話について父に尋ねた。

 相手はどのような人なのか、どうして婚約の話を持ってきたのか。話が出ているだけですぐにではないという父の言葉に頷きながら、結婚は義務だとしても、相手を知ってから考えたいと言った。そもそも私は好きな人もいない。だったら、相手のことを知って合いそうな人ならそれでもいいかなと思ったのだ。

 父は思ったより子供のことを考えてくれていたらしい。婚約の話は出ただけで決まりではないと。考えてみれば、兄一人に姉二人、計四人もの子供がいるのだから、両親の仲は良好と言える。そんな両親が、子供を駒として扱うというのは無理があったわけで。

 その考えに至らなかった私は、少し拍子抜けしてしまったけど、父にお礼を言って自室に戻った。



 そして今は次の憂いを解決するために、マリーに時間を取ってもらった。


「マリーは怒るかもしれないけど」

「まあ、わたくしが怒る前提の話なの?」

「多分……」


 苦笑を浮かべてマリーを見る。

 だって、マリーが打ち明けた時、私は知らないふりをしたのだもの。今頃打ち明けるのはずるいと言われたって仕方ない。

 でも、怒られても詰られても、マリーに自分のことも打ち明けたかった。もちろんこれは私の自己嫌悪を消すためのものだから、後で何を言われても仕方ない。最悪、仲違いしても……あー、仲違いはちょっと辛いかもしれない。

 マリーとエリカと、時々加わるギルバート様の四人で過ごすひと時がすごく好きだったから。


「リーナ?」

「ごめんなさい、マリー。私、最初にマリーが打ち明けてくれた時に、嘘をついたの」

「嘘?」

「うん。私も、本当は昔の記憶を持っているの」


 そう言い切ると、マリーの目が大きく見開いた。


「……そう」

「ごめんなさい。私、マリーにはあんなこと言ったのに……それでもマリーは打ち明けてくれたのに、私は怖くて言えなかった……」


 マリーがどんな顔をして聴いているのか分からない。マリーの反応が怖くて俯いてしまっているから。


「リーナ、やっと言ってくれたのね」

「……え?」

「もうっ、リーナってば、自分から記憶持ちですって、バラしているようなことを口にしていたのに……わたくしが気づかないと思ったの?」

「……そんなこと、あった?」

「あったわ。わたくし、そんなに鈍くなくてよ」


 少し口を尖らせたマリーは、二人で話をする時に、昔の記憶を持っていなければ分からないような言葉を時々交ぜていたらしい。その言葉の意味を問うこともなく、受け答えしていた私に、『セリーナ』も記憶持ちだと確信したらしい。


「でも、リーナが自分の口から言ってくれるのを待っていたの」

「どうして?」

「『頭がおかしいと思われないんですか』――リーナはそう言ったわ。それって、リーナが一番恐れていたことでしょう?」

「ええ。ずっと、そう思っていたわ」

「同じように昔の記憶を持った人間がいるってことを受け止めるのだって大変だろうし……だから、言えなかったのかなって」


 あ、後は頭がちょっと固いのかしら、とも思ったわ、と付け足された。

 う、確かにその通りかもしれない。


「リーナ、訊いてもいい?」

「なに?」

「リーナの昔と、思い出したのは何歳だったのかを」


 マリーに問われ、昔の私は働いていたから二十代から三十代までは普通に生きていたこと、死亡理由などは記憶が曖昧で不明確なこと、思い出したは十二歳の時だったと答えた。


「そう」

「マリー?」

「わたくしね、昔の記憶がいっぱい残っているの」

「うん、そう訊いたけど」

「今は健康な体で、家も裕福で……昔小説を読んだ時になりたい自分になれるように頑張ったの。ここでは、皆が憧れるようなご令嬢ってとこかしら。でもね、それってあの小説の『マリエル』ではないの。だって、わたくし思い出してしまったのだもの。だから、別の『マリエル』として生きるように頑張ったの」


 そっか、マリーが最初『マリエル』っぽくないのは、小説を知っているのもあるけど、マリーがマリーとして望んだように生きてきたから。

 私とは違う。私は物語の『セリーナ』であろうとした。


「リーナは『セリーナ』であろうとしたんでしょう?」


 思ったことを指摘されて、私は大きく頷いた。


「やっぱり。脇役だから、どうしようもないから、そんな感じだったのではなくて?」

「そうね、その通りだわ」

「でも、わたくしからすれば、それは『生きてる』って言えないと思うの」

「マリー?」

「ここが小説の中だったとしても、わたくし達は普通に生きているわ。なのに、話通りになるのだから、って動かなかったら、せっかく生きているのにもったいないと思わない?」


 あ、そうか。マリーの過去は……だから、『今』を小説の中だから……と言う理由だけで受け入れられなかったんだ。

 だけど、私は小説の中だからと言うのを理由にしてしまった。

 過去を思い出したことに理由などなくても、私は『セリーナ』として今を生きているのに。


「マリーの前向きさには脱帽だわ」

「ふふっ、だって今を生きるのが楽しいんですもの」

「ギルバート様とも上手くいっているし?」

「もうっ、ちょっと良くなるとすぐにからかうのね」


 そう言いながらもマリーは楽しそう。


「ねえ、リーナ。確かに小説の主人公は『エリカ』でしたわ。でも、わたくし達にしてみれば、そんなの関係ないと思わない? 誰だって幸せになりたいって望むし、叶えようと努力するんだもの」

「そうね。私、昨日から自分の凝り固まった考えに嫌気がするわ」


 マリーとの違いは昔の自分が生きた長さと、思い出した時期――私の場合、どちらも『私』がある程度出来てしまっていた。それなのに、二つの自我を無理にまとめようとした結果だろう。マリーは昔の自分も今の自分も幸せになりたいという気持ちが強くて、前向きにこの世界のことを知ろうとした。

 それにしても、小説で良くある前世の知識によるチートっぷりなんて全然なかったな、と改めて思う。マリーにも訊いてみると、「そうね、良かったのは家庭教師相手くらいかしら?」との返事。やはりそう上手くはいかないらしい。


「でも、最後にリーナが話してくれて良かったわ」

「マリー?」

「そろそろ領地に戻る支度を始めているから……いつまでここにこれるか分からなかったもの。リーナのことだけが心残りだったから……」

「気遣わせちゃってごめんなさい。私もマリーに言えて良かった。そして――私こと見ててくれてありがとう」



 *



 シーズンが過ぎて領地へ戻った私は、マリーへの手紙を書き終えてペンを机の上に置いた。

 マリーとは手紙のやりとりをしょっちゅうしていて、両親にも親友ができて良かったと言われている。だって、しゃべり足りないことがいっぱいあるのだから、しょうがないじゃない。



 話変わって、ゲイル子爵との婚約話は進まず、代わりに縁談の話を持ちかけてきた別の家があるという。婚約がきちんと決まらなければ、縁談の話はいくつでも来るわけで。

 夕食時にお父様がその話をし始めた。


「セリーナ、お前にまた縁談の話が来ているのだがね」

「お父様、またですか」

「まただよ、セリーナ。お前はシーズン中に皆から好意的な目で見られたらしいからな」

「私、あまり人と話をしませんでしたが?」

「そうではないよ。一時期、アトリー公爵子息のことで令嬢同士で揉めただろう」

「ええ、まあ」


 さすがに親の耳にも入ってるのか。あの場所は監督する人間はいないけど、あそこに来る子達が家に戻って話している可能性は高い。


「その間にお前が入って仲違いを直したと言う話が広まっているらしい」

「別に私一人でどうにか出来たことではないですが……」

「まあ、縁談の話が多いというのは、選ぶことが出来るということだ。お前が気に入った者を選べばいい」

「いいんですか、お父様」


 あっさり私に決める権利があると言ったお父様に対して、聞き返した。


「娘の幸せを望むのですもの。当たり前でしょう、セリーナ」


 今まで黙っていたお母様が横から口を挟む。


「ですが、姉様達も縁談で決まったのですよね?」

「ええ、数ある縁談の中から、気に入った方を見つけたのよ。アリッサもティアも」

「お姉様達は政略結婚ではないのですか?」

「ある意味そうかも知れないけれど、あの子達は気に入った相手を選んだはずですよ」


 ……知らなかった。貴族と言えば政略結婚が普通だと思っていたから。


「では、お父様とお母様は?」

「私たちも同じようなものですよ。ですが、もちろん私はお父様のことが好きですよ」

「私も妻はただ一人だと思っているがね」


 本当に初耳だ。お父様もお母様の仲は険悪とは思っていなかったけど、ものすごく仲がいい雰囲気でもなかったから。政略結婚でも上手くいった方だとばかり思っていた。


「全く、セリーナはどこを見ていたのか」

「本当に。目に映るものだけがすべてではないのですよ」


 お父様とお母様二人に言われて、私は返す言葉がなかった。

 うーん、前世知識チートどころか、逆に目が曇ってマイナス面の方が多かったような気がするわ。



 *



 領地に戻って四ヶ月くらいたった頃、一通の手紙が届いた。その手紙のおかげで私は今、アトリー公爵領にいる。

 なぜって、ギルバート様とマリーの正式な婚約の発表がなされ、今日は親しい人を集めた内々のパーティが催されている最中だから。


「おめでとう、マリー、ギルバート様」

「ありがとう」

「ありがとう、セリーナ嬢」


 並んだ二人はとても幸せそうで、こっちも嬉しくなってしまう。

 それに美男美女で見てるだけでうっとりしていまうわね。


「呼んでいただけて嬉しいわ」

「あなたを呼ばなくて誰を呼ぶのよ?」


 もうっ、一番の友達なのはあなたなのよ、とマリーは頬を膨らませる。

 こういった仕草は前と変わらないなぁ、なんて微笑ましく思ってしまう。


「そういえば、エリカは呼んでないの?」


 軽く見た限りではエリカの姿がは見えなかった。てっきりエリカも呼ぶものだと思っていたんだけど。内々のパーティと言っても、結構人はいるのよね。


「……呼んでるわよ。まだ会ってないの?」

「ええ。だって先に二人にお祝いを言いたかったし。でも来てるなら久しぶりに会えるわね」

「久しぶりって……会っていないの?」

「ええ。手紙とかもやりとりしてないわよ」

「……割とあっさりしているのね」

「エリカのさっぱりさが移ったのよ、きっと。だってエリカだってくれないもの」

「リーナって屁理屈屋さんね」

「……屁理屈屋さんって」


 なんとなく納得いかなくて、私の方がふて腐れた表情になる。

 だってエリカの家はまだ子爵夫人が健在だから、手紙とか送って気に障られるのも――なんて思ったし、エリカからだって一通も届いてないんだもの。友達だって言ったのに。


「リーナってば、すねてないで早く会ってあげなさいよ」

「早くって言われても、たった四ヶ月じゃない」

「とにかく、心配してたから早く会ってあげて!」

「心配なら手紙の一つくらいくれるものでしょ?」

「それはリーナがちゃんと見てないだけでしょ。もうっ、リーナって時々頭が固いわよ」

「だって……」

「マリー、言い過ぎだ」


 私たちのやり取りに、隣にいたギルバート様が口を挟んだ。


「でもっ」

「とりあえず、セリーナ嬢のことで心配していたから、会って安心させてやって欲しい」

「よく分からないけど……久しぶりに会えるなら会いますよ?」

「じゃあ、早く会ってあげて」


 わたくしたちは挨拶して回らなければならないから――と、マリーに背中を押されて追い返される形になった。ギルバード様も引き留める気もないようで無言だった。

 しょうがない。エリカを探しますか。

 私の交友関係はあまり広くないので、今も見知らぬ人ばかり。ならエリカを見つけて話をしていた方が楽しいものね。

 それらしき姿を探して歩いていると、「リーナ」と呼ばれた気がした。

 でも、この声って……誰? 私を『リーナ』と呼ぶのはごく限られているのに。

 声の方向を振り向いて見ると、細身の男性が立っていた。


「……誰?」

「分からない? ホント薄情だよね、リーナって」

「だって……でも、この言い方……」


 声はともかくしゃべり方には覚えがある。

 でもこの声は……


「エリカ……?」


 小さな問いかけに、目の前の男性は苦笑いを浮かべた。

 エリカより少し背が高くて、声も低くて、でも見覚えのあるストレートの黒髪は後ろで一つに束ねられていた。


「エリック、なんだ。本当の名前は」

「……え?」

「エリック=カーライル。それが私の名前」

「エリカ、じゃない、の……?」

「エリカは女と偽っていた時の名前だよ」


 そういえば、エリカってエリックの女性名だったっけ。

 だけど、だけど……


「カーライル夫人がね、いきなり愛人との息子が家を継ぐっていうと揉めると思って。というか、母さんがそれを危惧したもんで、子供の頃から女の子として育てられてきたんだけど……さすがにもう隠せないから」


 今はもう、カーライル家嫡男のエリックと名乗って男として生活しているという。

 もう、びっくりしすぎて現実味がない。思わず頬をつねってみたら痛みを感じたので、これは夢ではないみたい……


「じゃあ、エリカは男の人で……でも、わけがあってエリカとしてあの場に来てた、の」

「うん。家にいると夫人と顔を合わせなきゃならなくて気まずいしね。父さんも途中で気づいたもんで、ギルバードに私のことを頼んでくれて――」

「ちょ、待って。じゃあ、ギルバート様はあなたのことを知ってるの!?」

「うん、知ってる」


 そう言われて、ギルバート様と話をした時を思い出した。

 ギルバード様はエリカのことを話す時、『エリ』まで口にしては『彼女』と言い直していた。それって、もうちょっとで『エリカ』ではなく『エリック』って言ってしまいそうだったってこと?


「じゃあ、マリーは……」

「マリーには領地に戻る前にね。ギルバートに同席してもらって話をした。リーナには言えなかったけど」

「まあ、私の方が結局先に帰ってしまったものね」

「手紙を書こうと思ったんだけど、こんなこと手紙で済ませらないなぁって思って、そう思うと手紙を出せなくって」


 うん、まあ、分かるわ。手紙でいきなり「実は男だったんだよね」と書かれてても、何の冗談? としか思えないもの。


 それにしても物語の『ヒロイン』が男だったなんて……。


 男だったらギルバート様とどうにかなるわけないわけだし、マリーの心配なんて全くの杞憂だし、脇役なりにフォローしようかな、なんて思っていた私の考えも必要ないわけだし。

 本当に最初から心配することなんて何一つなかったって……なんか、もの凄いダメージを受けた気がする。


「リーナ?」


 物語と違うことについて考えを巡らしていると、前のようにエリカがかがみ込んで私の顔をのぞき込んでいた。


「あの、大丈夫?」

「ちょっと……驚きすぎてると言うか……その……」

「ごめん、びっくりさせちゃった」

「う、うん。びっくり……エリ」


 エリカが、と言おうとしたのに、エリカの人差し指で唇を押さえられる。


「エリック、だよ。リーナ」

「……」

「そうだ、エリカとして手紙は出せなかったけど、別の形で連絡してたのに全然返事がないから、すっごく気になってるんだけど」


 返事が欲しいような問いかけなのに、エリカ――じゃなかった、エリックは人差し指を放してくれない。

 仕方なく、困ったように上目遣いでエリックを見る。


「オルセン伯爵家のセリーナ嬢に、カーライル子爵家から縁談の話を持って行ったんだけど、いつまで経っても返事が来ないから」


 そう言われて、私は思いきり目を見開いた。

 お父様からいくつもの縁談が来ていると話は聞いていたけど、急かされなかったためしっかり確認していなかった。

 その中に、カーライル子爵家の――エリックからの話もあったの!?


「今、初めて知った?」


 エリックの問いかけに、私は小さく頷いた。

 上から「やっぱり……」という声が聞こえてくる。そして深いため息。

 エリックは私の唇に触れていた人差し指を放し、代わりに私の右手を軽く持ち上げた。


「改めて言うよ。リーナ、私と結婚してください」


 え? 婚約すっ飛ばして結婚!?

 驚いている間に、エリックは私の掌を返してそこに口づける。

 その意味を理解して、私の顔は一瞬で熱を持った。

 ――掌へのキスは『懇願』。自分のものになって欲しいという気持ちの表れ――


「え、エリ……」

「すぐにとは言わないけど……考えて欲しい」

「………………うん」


 エリカが男の人だったのはすごく驚いている。

 でも、エリカが、エリックが嫌いになったわけじゃない。男の人なんだと改めて認識してそう見るのはすぐには難しいかも知れないけど。

 エリカの時抱きしめられた時や、エリックに人差し指が唇に触れた時、掌の口づけもドキドキするけど、嫌じゃなかった。


 あれ、私ってこんな簡単に落ちちゃうのかしら?


 でも、マリーはギルバート様と順調に行って、エリカはエリックだったけど失恋することもなくパートナー(この場合は私?)を見つけ――私が了承したら、悲劇もなくハッピーエンドになる? なんて思ってしまう。

 どちらにしろ、エリックのことを考える気持ちはあるわけで……


「ええと、前向きに考えるわ」


 と短く返すと、エリックは笑って「待ってる」とだけ返した。

 エリックは、まるで私の答えはもう分かっているような感じだった。

 それがちょっと口惜しくて、笑みを浮かべているエリックから視線をそらして。


「前向きに考えるけど、十年くらいかかるかもね!」

「大丈夫。いき遅れても私がもらうから安心して?」

「エリックはカーライル子爵家の嫡男なんだから、結婚もしないでいられるわけないでしょ?」

「そう言われるとねぇ……うん、ならリーナの家に押しかけようかな」

「なっ、うちの迷惑考えてよ」

「待つと言ったけど、黙って待つ気もないよ?」

「そこは黙って待つのが男でしょう!?」

「うーん……私は女として育てられたから、その辺よく分からないんだよね」


 何か言ってもすぐに切り替えされる。

 それに、思わぬ押しの強さに、つい逃げ腰になってしまう。


「前にリーナに幸せになって欲しいって言ったけど、出来れば自分の手でしたいって思うんだ」


 エリックに断言されて、私はこれ以上言い返せなかった。

『エリカ』だった時、私はエリカのことは好きだった。もちろん同性の友達として。でも、男性だと知った今も嫌いではない。

 なら、エリックとの未来(さき)を考えてもいいのかもしれない。

 そう思ったら、私もつられて笑みを浮かべていた。

その後もアレコレありますが、かなり長くなったので割愛。

アレコレ→マリーに弄られたりとか、エリックとのやり取りとか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字報告です 「ホント白状だよね」→「ホント薄情だよね」
[良い点] まさかの男の娘。確かにそれだと婚約者にあわせるのは嫌ですよね。原作のギルバートがどうだったかはわかりませんが。 セリーナの考え方に共感しました。 自分に直接被害がないなら、あまり関わりたく…
[気になる点] タイトルが『ものがたりはは』になっていて、非常に気になります。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ