7
次の日もその次の日も、なぜか俺の足は病院へと向かっていた。
俺が見舞いに行くからといって齋藤が起きるということはなく、ただ眠り続ける齋藤の顔からガーゼが減っていくのを観察する毎日。
先輩や子供たちが来ている時以外は、顔だけでも、と見に来るのが日課になっていた。
今日も、きっと何も変わっちゃいないんだろう齋藤の元へ向かう。
いつものように寝ている老婆の横を過ぎると、カーテンの中に誰か動く人間がいることに気づく。
先輩、かな。じゃあ今日はもう帰ろう――と踵を返した時だった。
シャッと音を立ててカーテンが開く。
「今日も来たの? ホントまめだね。何?償いのつもり?」
「……先輩」
見つかってしまった。なるべくこの人には会いたくなかったのに。
「……いつも来てること、気づいてたんですか」
なら、今までは気づいても無視していたのに今日は声をかけてきたのは、どうしてだろうか。
「まぁね。ここは静かだから、足音で誰か来たことはわかるよ」
「隣の寝たきりのおばあさんには見舞いが来たことないし、ヒロのとこにくるのは家族以外にはキミだけだから……」
「キミさ、なんなわけ? 今までヒロに全くかかわろうとしなかったくせに」
「俺は……一言、齋藤に謝りたくて……」
薄汚れたスニーカーの先を見つめながら言う。先輩の顔を見ることなんてできなかった。
「ふぅん…まぁ見舞いにも来ない――ヒロのことを忘れてる他の子よりはましなのかな…」
「でもさ、悩んだからって、悔やんだって、キミがいい人間ってことにはならないんだよ」
「謝ったからって善人になれるなんて思わないでね」
先輩の言葉がぐさりと刺さる。
別に……いい人間になりたくてこんなことをしているわけじゃない。
ならなぜ俺は毎日ここに来ている?
……あえていうのなら、この齋藤が、『繰り返す地獄』を終わらせてくれるかもしれないからだ。
綺麗な人間になろうなんて、最初から思ってない。ただただ、自分のためにしか動いていないんだ。本当に、どこまでクズなんだろう。
「でもね、僕はちょっとキミのこと見直したの」
「だからね、償う方法を教えたげる」
「……えっ?」
先輩はさっきまでの仏頂面をころりと替え、ニコニコ…いや、ニヤニヤとした顔でこちらを見てくる。
「なぁに? 知りたくないの」
「え……あ、お、教えてください!」
償える方法がある。そう言うのならそれに乗らない手はない。
先輩の機嫌を損ねてこのまま齋藤から引き離されたらたまらない、というのもある。
「うん、いいよ」
先輩は今度こそニコリと笑うと、俺に向かって開いた手を差し伸ばてきた。
そう、握手を求めるように。
「……?」
意図がわからず、恐る恐る先輩の顔を伺うと、先ほどとほんの少しも変わらない綺麗な笑みを浮かべていた。
不気味だ。
恐る恐るその手を握ると、驚くほど優しく握り返される。
「これで仲直り、ね」
呆然とする俺を気にも留めず、先輩は握られた手を放して話を始めた。
「それでね、僕、キミを雇おうと思うんだ」
……一体、どういう意味だろう。頭の中が疑問符で埋まる。
返事は期待していないのか、そのまま話は続いた。
「ヒロはね、そろそろ退院しなきゃいけないの」
「え、なんでですか? こんな状態なのに……」
寝たきりなのに、病院から離しても大丈夫なのか?
「うん、もっともな疑問だと思うよ」
腕を組んでうんうんと頷く先輩。
「でもね、世間がそれを許さないの。いつ起き上がるかわからない患者がベッドを占領し続けるのは許されない。他の患者が入れないからね」
「はぁ…でも、隣の婆さんとかはずっと寝てるけど齋藤より長くここにいるんですよね?」
「うーん、隣の患者のことは詳しく知らないけど、お年寄りは動けない以上に何か病気があるだろうし、その治療のためじゃないの?」
知らないけど、と軽く返したあと、先輩は再び口をつぐむ。
「……ヒロは別に治すべき病気があるわけじゃない。むしろどこかを治してヒロが起きるんならその方がよかったよ…」
沈黙する先輩は、下唇を血が出るんじゃないかというくらい噛んでいた。
その表情からはこちらへの悪意は全く感じられない。先輩はおそらく、自分の無力さに自己嫌悪をしているのだ。俺と、同じように。……いや、きっと俺のそれとは違うのだろう。
先輩や齋藤の家族のことを思うと、歯がゆさと申し訳なさでいたたまれなくなる。
「何よりね、僕たちの家には……ずっとヒロを入院させておくお金なんてないんだ」
「あ……」
そうだ、入院するのはタダじゃない。俺たちの行為は孤児院に住む人全員に金銭的な影響まで与えてしまっているんだ。
本当に、齋藤に……先輩や子供たちに償うことなんてできるんだろうか。許してなんてもらえるはず、ないよなぁ…。
自然と下を向いていく顔は、逃げなのだろうか。先輩の顔を見ることができない。
「あの、俺……バイトして、孤児院に金を――」
「中学生に何ができるっていうのさ」
そうだ、今の俺は中学生。どこも雇ってくれやしない。
「まぁ……それでね、訪問看護をお願いすることにしたんだよ!」
一転して明るくなった声に、俺はスニーカーを眺めるのをやめる。先輩はまたニコニコとした笑みを浮かべてこちらを見ていた。
本当に、この人のことはよくわからない。得体の知れない薄ら寒さに背筋が凍った。
「でもね、看護師さんだってずっとはいられないし、一人じゃ大変でしょう?」
「だからね、キミに来てもらうの。毎日」
「ああ、雇うって言ってもね、償いなんだからお給料は……いらないよね? キミがヒロをこんな風にしなければ、本来必要のなかったことなんだから」
「もちろん、そんなのいりません……っ」
これならいつでも齋藤のそばにいれて、先輩たち皆に償うことができる。願ったりかなったりだった。
お金の面は――高校に入ってからだ。それからバイトして、孤児院のために使ってもらうんだ。
「そう、よかった」
先輩はいつものようににんまりと笑っていた。