15
「尋人……?」
恐る恐る病室のドアを開ける。
「一弥!」
その途端に響く、焦ったような上ずった声。
そのことにはあまり気を留めず、ちゃんと俺の名前を呼んだ尋人にホッと息を吐く。
「なんだ?」
「一弥!一弥!丁度良かった。なぁ、この人誰だかわかるか?」
そう言って尋人が指さす先を見ると、来客用のソファーに座るうつむいた男の姿。
「え……」
その姿は、見慣れた、見慣れすぎている人でしかない。
「先輩……」
「一弥の先輩なのか?」
「え、いや……そうではあるけど……」
どういうことだ。これは何が起きている。
「真鍋くん。ちょっと、いい」
力なく立ち上がった先輩は、俺たちの方に近寄ってきたかと思うと、返事を待たず部屋の外に出て行った。
「尋人、ごめん。ちょっと先輩と話してくるから……」
早く行かないと後で何をされるかわかったもんじゃない。
「えっ、ああ。早く帰ってきてくれよ」
何故か驚いたような表情をした尋人は、ニコニコと笑う。
無邪気に笑う尋人が今は怖かった。
*****
「キミ、……ヒロに何したの」
部屋を出たとたんにすぐ横から声がかかる。
ドアの傍にいるとは思わず体が跳ねる。
「ねぇ、何したんだよ……」
そう言いながらしゃがみこみ、今にも泣きだしそうな先輩にどうしていいのかわからず戸惑う。
とりあえずそのままの姿勢でいるわけにもいかず、先輩の顔を覗き込むように俺も膝をついた。
「あの、俺は本当に何も――」
ガッと胸倉をつかまれる。
「キミしかいないじゃないか!!キミが壊したんだ!また!!」
バタバタと看護師が駆けてくる音がする。
ああ、いつかのようだ。場違いにもそう思ってしまった。
*****
放心したまま尋人の部屋に戻る。
「一弥、大丈夫か……? おれのせいで、あの人に怒られたのか……?」
「何で、そう思うんだ?」
「おれが、覚えていないといけなかったんだろ? おれのせいで一弥にもあの人にも迷惑を――」
「違う。そうじゃない。俺が悪いことをしたんだ、あの人に。尋人は関係ない」
全部全部悪いのは俺なんだ。今の尋人は確かに少し様子がおかしいが、元凶は――
「……一弥、おれ、最近おかしいんだ」
ゆっくりと首を横に振りながら言う。
その言葉から、堰を切ったように尋人は話し出した。
「偶に記憶が混乱するのがわかるんだ」
「最初は食べ物。食べた筈なのに食べてないって言い張ったらしい」
「次はゴミ箱の位置が分からなくなった」
「次は、一弥の名前」
「次は病室の位置」
「……おれ、脳みそがおかしくなったのかな? どんどん『おれ』が消えていくんだ」
「起きたばかりの時以上に、周りのことがわからない」
「わからないんだ」
尋人は、やっぱりどこか悪い場所を打ってしまっていて、今頃後遺症がでているんだ。
あとで看護師に話しておこう。どこかに悪いところがあるのなら、きっと治せるはずだから。
「おれ、思い出せるよな?」
「一弥のこと、忘れないでいられるよな?」
「……一弥を忘れたくない。この大切な時間を、なくしたくない……」
「…………」
尋人は、俺と同じことを考えていた。俺との時間を大切なものだと思っていてくれた。
「大丈夫、大丈夫だ。尋人が忘れてしまっても、俺が尋人のことを覚えているから」
「何度だって、思い出させるよ」
尋人が俺と同じ気持ちでいてくれた。
俺はそのことが嬉しかった。嬉しすぎて……尋人の言葉の意味を、ちゃんと考えられていなかったんだ。